04/20/11:00――カイドウ・越えられない壁

 カイドウ・リエールにとって、父親の存在は大きく、越えられない壁としてありながらも、その生き方に憧れさえあって、刀を握っていた時間そのものを拒絶するわけではないが、どっちつかずではなく、魔術に傾倒したここ数年は、本当に良いものだったと思う。

 確かに、刀使いに憧れはした。というのも、ミヤコ・楠木やコノミの母親という存在を間近にしていたカイドウにとっては、刀を扱うことが身近であり、魔術師であっても最低限の体術を覚えておくべきだ、という父親の教えに、刀を選ぶこともまた自然な流れだろうけれど、どう足掻いでも自分が武術家になれないと知るのに二年かかり、それは一つの挫折としてカイドウの身に刻まれている。だからといって魔術師として大成するとは限らないので、中途半端とコノミに言われても、返す言葉はなかった。

 去年、コノミがこの家に来て間もない頃、父親が持つ書庫への立ち入りは解禁された。可能な限り自分で調べて覚える、なんてのは初歩であったし、幼少期から両親にそう言われて育ったカイドウにとっては、こと魔術においては調べる時間が無駄だと思ったことはない。けれど、目的の情報がなければ、どこか労力に見合わない疲れと共に、肩を落としたくもなる。

 さらに言えば、経過時間を気にして、そろそろ諦めようかとしたところで目的の書物を発見する。さっき見た時にはなかったのに、なんてお決まりの台詞と共に手に取れば、どういうわけか、玄関の方から聞こえた声は、幻聴でなければ父親のものだったはず――。

 まあいいかと思って本を開くのは、書庫にあるデスク前の椅子に腰かけてだ。普段は父親が使うものだが、本を読むにはちょうど良い。ここの書庫は家を増設した際に作ったもので、おそらくどの部屋よりも広い。壁には前後二段、上下は八段の本棚が並んでおり、高い位置を取るための脚立もある。一体どれだけの本があるんだと思うけれど、祖父の代からのものだと考えれば頷ける話だ。

 ぱらぱらとめくれば、すぐに目的のページが見つかる。以前に読んだことのある本だ、記憶にそれほど間違いはなかった。

 〝真理眼キルサイト〟についての記術がある。物体や生物、状況や場面にて、その陥穽を見抜き、そこから壊すことが可能になる魔術品であり、それは瞳そのものでもあると書かれている。譲渡方法は一般的に眼球そのものへの移植――この際には対象との魔術的相性が第一に優先とあった。

 あったが、ここまでだ。三度ほど繰り返し文章を追ったカイドウは、ぱたんと本を閉じて腕を組んだ。無意識に、頬を右肩に乗せるよう首を傾げる。

 移植方法はあっても、製造方法はない。付け加えるのならば、判断材料がこの一つしかない現状では、推論そのものにも信憑性が薄くなる。ただこの場合は内世界干渉系の術式が組み込まれているのであって、発露した術式は術者当人にしか把握、観察できないのが大半だ。

 所持者に代償がある、という記術はなかったので、使用制限はあったとしても、大きな負担はなさそうだと考えるのは、いささか楽観的だろうか。そもそも、魔術品にせよ魔術武装にせよ、扱うことは前提としてあっても――それが肉体の一部となると、警戒心を出さずにはいられない。移植の際に安定しなければ成功にはならないが、成功した状況そのものがずっと続くとは限らず、肉体の一部になってしまったのならばそれは、簡単に捨てることもままならないのだ。

 オボロのことを心配しているわけでは――ないと思う。思うが、それでもリスクがあって、それに自覚的でなければ、教えておいた方が共同生活において危険度は低くなるし、魔術研究の題材にもなるので一挙両得とでも呼ぶべきか。いや、たぶん、心配しているのだろうけれども。

 ノックの音に顔を上げれば、父親が開いた扉を叩いていた。外套は左腕にかけられており、コノミが普段から着ている躰にフィットするインナースーツ姿である。色は黒、ボディラインが浮き出るので、カイドウ自身はあまり好まないが、偏見はなかった。背丈はやや低く、男性にしては小柄な部類だ。印象も、昔からあまり変わらない、柔らかい雰囲気がある。

「ただいま」

「おかえり、父さん」

「事情は一通り、クズハから聞いたよ。僕はまた二、三日くらいしたら家を出ることになるけれど」

「なんだ、一時帰宅だったのか。いくつか聞きたいこともあるから、時間取ってくれよ」

「クズハが先だけれど、構わないよ」

 そういうところは、相変わらずだ。いや、だからといって息子を優先しないわけではないので、特に文句もなく――言いたいことがあるとすれば、ちょっとは息子を気遣って、いないところでやってくれと、そんなことは以前から何度も言っているけれども。

「調べものか?」

「うん。オボロのことは聞いたんだよな?」

「新しく住人になる、槍使いで、軽い経歴くらいはね。彼に関係することか」

「一応、そうなるかな。俺も違和感があるくらいなんだけど……」

 調べものの内容と、そこへ至った経緯を話せば、リンドウは腕を組むようにして耳を傾けてくれる。いつだって、こちらの話をすべて聞いてから口を開いてくれるので、父との会話は昔から好きだった。

「うん」

 聞き終えると、頷きが一つ。

「そうだね、造り方については僕も口を噤もう。ただねカイドウ、そういった肉体に関わる魔術品に限っては、生まれることがある」

「ん……? 造るんじゃなくて、生まれる?」

「そう。たとえば、実際に僕が逢った人物の話をしよう。その人は代代、その瞳を受け継いできた。この場合は遺伝ではなく、継承だから、実際に血統そのものは違っていたよ。効能は限定的だ。狙撃銃の使い手でね、照準器を覗き込むだけで、たとえ障害物があったところで、おおよそ一キロ半ほどは見通せる〝瞳〟を持っていた」

「……いいか?」

「なんだい」

「たとえば、その障害物が家だったら、見通せたとしても狙撃って観点からだと、あんまし有利性はないよな?」

「ないね。けれど戦場では有用だ。何しろ、木木に隠れていたところで先は見通せる。射線そのものの確保が容易だ――なんてことは、コノミの方が知っているんじゃないかな。聞いてみるといい」

「わかった」

「その瞳の誕生は、ある狙撃種が右目、つまり照準器を覗き込む側の目を酷使した時だったそうだよ。元元、射撃における射線の確保を想像で補っていた彼は、その作業肯定を術式込みで行っていたそうだ」

「酷使……使いすぎたせいで、逆に、瞳そのものが、一足飛びにその術式を使うようになってしまった?」

「考え方としては、その線だよ。ただし、普段の生活では失明状態だったらしい。あくまでも照準器を覗き込まなければ、視界は確保されなかった。逆に、普通の左目は射撃時に見えなくなったそうだ。確か……その後の話になるけれど、日常生活において左目の負担が大きくなったせいで、視力がどんどん落ちていったと聞いている。常日頃から照準器を覗き込むわけにはいかないから、彼は必要な時以外は盲目――瞳を閉じて生活していたそうだ。もちろん、それは誕生時のことで、継承した今の所持者に僕が逢った時は、そういったことはなかったよ。ただし、見えすぎると本人は言っていて、逆に視力を落とすような術式を使っていたけれどね」

「目に関わることが多いな、やっぱり」

 だったら、オボロの場合はどうなのだろうか。

「父さん、使いすぎて失明した場合、それが戻ることはあるのか?」

「オボロのことだね。確かに、いくつか疑問に思ったことも――ああ、コノミ、おかえり」

 廊下から顔を出したコノミは、よおと軽く言いながら入ってくる。

「邪魔したな、おかえりリンドウさん。先にそっちの話を終わらせてからでいい」

「うん。そうだね、続けようか。オボロの経歴を聞いた時、気になったことはあったかな?」

「いや……半信半疑だったってのはあるけど、俺はべつに。どっちかって言えば、名乗りもしなかった男の方が気になったくらいだ」

「コノミはどうかな?」

「仕事が終わって戻った私に、また面倒なことを聞くんだな、リンドウさん」

「なんだよ、仕事してたのか」

「お前と違って居候の身だ、てめえの稼ぎくらいは自前でやるさ。……オボロ自身の経歴に関して気になった部分はもちろんあるが、あれか、二人が揃ってってことは、野郎の瞳が魔術品である可能性――って前提でいいのね?」

「おう、その話をしてた」

「だったら、五歳の頃に孤児院から売られたって点に着目すべきだろうな」

「……? 志願して出てったとか言ってなかったか?」

「その理由だ。――こっから先も私が説明しなきゃならんのか?」

「是非、聞きたいね。続けてコノミ」

「しょうがねえか。簡単に言っちまえば、その理由だ。どうして志願した? たった五歳の子供に、誰かがやるなら自分が、なんてことを意識するとは思えない。思ったとしても、やっぱり周囲が納得するだけの理由が必要だ。孤立していたのならば、それもまた、何かしらの原因が付属する」

「肉体的に劣っていた――とは、思えないな。槍を教わってる」

「だから、欠点じゃなくて、欠陥があったという可能性なら、納得しやすい。あくまでも、しやすいだけだが」

「欠陥?」

「欠点と違って、欠陥は埋められる。喪失と同義ならば、恢復ではなく復活だ。いいかカイドウ、あくまでも可能性の話だ。たとえば――幼少期にオボロの視力が極端に低かったら? こいつは、軍人としての適性としては、あまりにも劣っている。あるいは失明でもいい。どうして志願して売られたのか? そいつは簡単だ、誰よりも自分がそれを認識していて、足手まといで、軍部付属の孤児院なら余計に、軍人になれないなら穀潰しであることなんて、誰の目にも明らかだろう」

「――だから、買った野郎は〝瞳〟を移植した?」

「どうだ、自然な流れだろう。そしてあるいは、幸運だった。視力さえ戻れば、それ以外は五体満足だったからだ――という、お話だろカイドウ。おそらく、たとえば、あくまでも、こいつは推測であって現実だという確証はない。違うか、リンドウさん」

「うん、そうだね、その通りだ。そして僕もまた、その点は不審に思っていた。もちろん、他の子よりも自分がと、ただ率先して身売りしたのかもしれないけれどね」

 そうだ、それはあくまでも可能性の話だ。

「あるいは、最初から持っていたのかもしれない。当人に聞けば、答えもあるだろ。覚えているかどうかは別でな。そう気にする問題でもねえと、私は思ってるけどね」

「警戒してるわけじゃねえって。それよか、なんかあったのか?」

「ああ……あるにはあるんだが、良い流れとは言えねえと――いや、そいつはあとで考えればいい。リンドウさんに伝言だ」

「僕に?」

「ああ――逢おうと思ったけれどやめたと、そう言っていた」

「誰がだよ、おい、なんでそうやって重要なところをぬかすんだ?」

「お前に対しての伝言じゃねえよ」

「……コノミ」

「心配しないでくれリンドウさん、伝言を引き受けたのは、こっちが渡した情報の対価だ。勝手に盗まれてもいないし、こっちから開示要求をした覚えはない」

「次があった時は、もっと気を付けておいてくれ。けれどでも、確かに僕への伝言があるのならば、それはコノミが上手いやり取りをした結果なんだろうね」

「世辞だけ受け取っておく。確認だリンドウさん、まさか戻ってきたのは、そいつを追ってきたんじゃ、ないだろうね?」

「厳密には違うよ。けれど、誘いではあるだろうね」

「そこの選択権にまで口出しはしない。私がいいように使われたのはともかくも、面倒がなさそうで助かる話だ」

「相変わらず、妙な気遣いだよなあ……」

「うるせえよ」

 比較することがナンセンスであることもわかってはいるが、しかし、どうしたってカイドウの目にはコノミが大人に見えてしまう。羨ましいとは思えないけれど、自立していることが特にそうなのだ。対比としての己が随分と子供に見えてしまう。ついでに、考えていることがよくわからない。

 ただ。

「なあ、父さん。さっきの話だけど」

「どうした?」

「オボロが、まだ失明したままの可能性――あるよな」

「へえ……そりゃ気付いてなかったな。どういうことだ、カイドウ」

「んー、簡単に言っちまえば、未だ盲目のオボロは、その魔術品が見せる世界を、そのまま見ているんじゃないかって可能性だ」

「常時稼働か……そいつはまた、厄介な可能性になるね。好きにしろと言いたいところだが、カイドウは少し調べておいてくれ」

「そりゃいいけどな、珍しい。自分で調べると思ったぜ」

「てめえで調べるほどの興味はないって話だ。リンドウさん、正解は胸に閉まっておいてくれよ」

「わかっているよ」

 それでいいと、カイドウは思い、去っていくコノミには視線を向けずに、本を棚にしまった。

「俺が読める本で、ほかに瞳に関連する魔術品の記術、どっかにある?」

「現段階では、ないよ。聖遺物に関連して、製造段階まで記された本ならどこかにあるけれど、今のカイドウでは読めない。圧縮言語レリップの扱いはどうかな?」

「どうも、難しいな、あれは。理屈としては記憶と文字とを繋がりにして、インデックスをつけるんだろ? こう、ズレるとかじゃなくて、繋がらない感じが強い」

「うん、あれは適性が必要だからね。それでも、試すことを辞めちゃ駄目だよ」

「わかってる。苦手な食べ物も、まずは一口食べてから、苦手であることを確認しろって昔から言われてるしな」

「……カイドウ。以前から言っているけれどね、無理をして魔術師にならなくても良いんだよ」

「わかってる」

 それは昔から言われていた。親が魔術師だからといって、親族に武術家がいるからといって、生き方を決める理由にはならないのだと。中途半端、大いに結構。それで生計が立てられるようになるのなら、その方がよっぽど良いとまで言われていた。実際に、武術家として生きられないことも、あるいは魔術師として大成することも、カイドウは考えていない。

 ただ――好きなのだ、それを傍に置いておくことが。

 そんなことを言えば、コノミは甘いと言うのかもしれないけれど。

「十五になるまでは好きにするさ。そっから先まで、父さんに面倒かけることはないよ」

「親としては、それはそれで寂しいものだけれどね。あまりコノミやオボロに引っ張られないように、足元は気付いた時に確認した方がいい。僕も、姉さんといる時はそんな感じだったから」

「諒解。流されて一緒についていく真似はしないから、安心してくれ。その時はちゃんと考えるから。でもまあ――やっぱ、劣等感を抱くってのは、ちょっと場違いだよな」

「そうかな」

「だよ。それだけとは言わないけど、結局のところ環境の違いってやつだろうし。今まで遊んでたやつが、前を見てたやつを羨んだって仕方ない。いや俺がそうだとは思ってないけど」

「……誰の教育なのかなあ、それは。まったく、子供の内にそういうずる賢い考えなんてしなくても良いと思うんだけど」

「間違いなく父さんだから諦めた方がいいぜ。我儘の一つくらい言えって――ああ、あれは違うな。我儘言うなら最初にこっちだって、いつも母さんが言ってる」

「僕が先を越したら面倒なことになりそうだ、ははは。ただねカイドウ、どんな理由があっても、友人だけは裏切るな」

「――どんな理由があっても?」

「命の危険に晒されても、だ。それはきっと疵になる」

「父さん。それは、これからそんなことが起きるかもって予言?」

「これも可能性の話だよ。そして」

 父親は、苦笑して嫌なことを言った。

「そうならないように状況を動かす、なんてことは、今のカイドウにはできないからね」

「やめてくれ」

 それは間違いなく、苦笑つきで言っていいセリフじゃない。


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