03/16/16:00――リンドウ・実家に戻って

 念には念を押しての大陸間移動。失敗することなんて露ほども思わなかったが、それでも二人一緒に移動できたことに、リンドウは僅かな安堵を覚えた。

 イザミは〝彼岸入り〟という方法を取るが、リンドウは基本的に、属性そのものに引き寄せられる力を利用しての移動が大半だ。しかし、逆に一度行ったことのある場所ならば、マーカーを頼りに移動するだけなので、今回のような帰郷に関しては、目的地そのものを指定できる。

「クズハ、もう目を開いてもいいよ」

 片手を繋いだまま、軽く背中を叩くようにして合図をすると、おそるおそる薄目を開き、すぐに、驚いたようクズハは身震いを一つした。

「うわあ……毛がしっとりした……」

「クズハ、空を。ここが僕の故郷で、すぐ近くに実家もある」

「――」

 空を仰ぐ。白い雲が僅かに形を作る、青空がそこにはあった。既に耳馴染んだ落雷の音色が、ここには一切ないのだと気付いて、静かな空気に、まるで時間がゆっくりと流れているかのような錯覚がある。

「広い……」

「そんなものだよ。どうかな?」

「うん、不安もあったけど、なんか、好きになれそう」

「良かった――と、知り合いに見つかったみたいだ」

 左手は握ったまま、右の肘を横に突き出すようにすると、近くの森から飛び出してきた大鷹が翼をはためかせながら停止。びっくりしたクズハには、大丈夫だと小さく伝えた。

「――やあ、レグホン。久しぶり。まずは紹介するよ。彼女はクズハ、僕の……うん、身内だ」

「ひゃい!」

 くるり、と首をねじるように顔を向けられたクズハは、その眼光に驚いて身を竦める。そもそも七番目の大陸は雷のため、鳥がほとんどいないのだ。驚きもしよう。

「えっと、クズハ、だよ?」

「……一つ、聞いておこう」

「はははい!?」

「珍しいねレグホン、口を開くなんて」

「リンドウ、何故、こいつだった?」

「とても綺麗な赤い毛色だったから」

「なるほど? 確かにこの赤色は、良く映える。まあ良い、羽をひっかかれたら怒るからな」

「……いや、しないってば」

「ならいい」

「父さんと母さんは?」

「ジェイならば王国だ。ミヤコは家にいるだろう」

「そう、ありがとう」

「えっと……よろしく」

 ふんと、鼻で一つ笑うようにして、すぐにレグホンは飛び去った。

「彼は父さんの使い魔で、魔術的な契約を結んだ大鷹なんだ。あまり関わろうとはしないけれど、あれで世話が上手くてね。僕も子供のころは、よく世話になったんだ」

「うん。様子見とか顔見せってより、これからのことを考えて、きてくれたんだよね?」

「そうだと思うよ」

 じゃあ行こう、と行って手を引く。

「……このまま?」

「嫌かな」

「その聞き方はずるい」

「ごめん。なんだろう、こういう我儘を、つい口にしちゃうんだ」

「私に対してなら、いいけどさ……」

「ありがとう。いろいろと、覚えることもあるかもしれないし、トラブルもあるだろうけれど、のんびりやろう。僕のペースも、比較的ゆっくりだから」

「ん……そうね。大丈夫、腹は括ったから」

「――……」

「え、なに」

「思いのほか、今のクズハの言葉が、嬉しくて」

「――リンドウって、素直すぎ」

「そうかなあ……あ、見えたね。あれが僕の実家だよ」

「へえ……」

 それは、広い庭を持って、ぽつんと一軒だけ存在する木造建築の家だった。ぐるりと周囲を見渡しても、森などは見当たるが、近くに家はない。僻地、なんて単語が浮かんだクズハだが、それをすぐに否定する。

 確かに、ここにはなにもないが――暮らしやすさ、その環境は、これ以上ないほどのものだ。クズハの中にある野生もまた、それを感じ取って、過ごしやすそうだと思えば、自然と口から出る言葉は、つまり。

「いいとこに住んでたんだ、リンドウ」

「買い出しが面倒だけどね」

「遠いの?」

「ウェパード王国が近くにあるから、そう距離はないけど……ま、その辺りも追追説明するよ」

 家の近くまで歩いていくと、先に扉が開いて、袴装束の女性が顔を見せた。

「――母さん」

「おかえり、リンドウ。……あー、二度ネタになると、あんまり驚かないわー」

 なんだそれは、と思ったが、突っ込みは後回しだ。

「母さん、紹介するよ。僕の――うん、身内にしたいとは思っているけれど、それはこれからの甲斐性次第かな」

「こ、こんにちは。クズハです」

「ああ、緊張しなくていいから。私はミヤコ・楠木よ。親馬鹿だけど、リンドウのことは信用してるから、――よろしくね」

「はい」

「ジェイなら王国行ってるけど」

「さっきレグホンに逢ったから、連絡を届けてくれてるはずだよ」

「あの子は、ほんと、リンドウには甘いんだから……しかし、イザミに続いてあんたまでもか」

「――ああ、二度ネタって、そういうことか。コウノには僕も逢ったよ、さすがに手強い。僕はしばらく、実家で研究を続けたいんだけど、構わないかな」

「あのね、ここはリンドウの実家なの。当たり前のことは言わない。あと、タイミングも良かった」

「なにかあった?」

「ちょうど、うちを増築しようかって話をして、材料集めにジェイが行ってるところなの。家族がきっと増えるからって」

「そっか……うん、さすがは父さんだ」

「とりあえず中入りなよ。クズハも遠慮しないように」

「あ……うん、わかった」

「で、どういう流れかも説明してね。――リウほどじゃないけど、その赤色の髪は綺麗だし、そこらにリンドウも惹かれたのかなとは思ってるけどね?」

 降参だと、リンドウは苦笑した。

 中に入ればそれなりに広く、足元は土だ。ただそれだけで落ち着いてしまったクズハは、リンドウの誘いのままに、テーブルにつく。

「クズハは純粋な猫族? ハーフ?」

「えっと、猫族です――だよ」

「ちなみに、こう見えて母さんも、大陸を渡って旅をしてた時間があるから、結構そういうところは詳しいよ」

「こう見えて、は余計でしょ」

「うん。すごく若く見える……」

「あー、これはねー、どういうわけか、あんまり変わらないんだよね、昔から」

 理由についてもそれとなく察してはいるらしいが、明言は避けた。自然な流れで出されたお茶を飲めば、リンドウは肩の力が抜けるのを自覚する。

 ――帰ってきた。

 ただそれだけのことが理解できて、安堵する。

「クズハ」

「……どしたの?」

「うん、その前に、なんでちょっと身構えたのかな」

「また恥ずかしい言葉を直截されるような気がしたから」

「そう。いや、実家で飲むお茶がこれほどまでに美味しいのかと、実感してね」

「いいことじゃない」

「これからは、そこにクズハもいてくれると――そう考えたら、嬉しくなってさ」

「――あはは、リンドウも言うようになったねえ」

「そ、な、笑いごとじゃないよミヤコさん! 本当に、もー、出逢ってからずっとこれだから!」

「イザミもそうだけど、素直な子に育ったもんねえ。ただリンドウの場合、考える方が先行するから、素直に何かを口にすることは、あまりなかったんだけど……いいことね。ところで、寝室は一緒でいい?」

「姉さんの部屋があるじゃないか」

「――……一緒でいい」

「あはは、クズハの方が度胸はあるかもね。生活にはゆっくり慣れればいいから」

「ありがとう、ミヤコさん」

「大丈夫。私はクズハに対しては全面的に味方だから。すぐに逃げられたんじゃリンドウが不憫だしね……」

「母さんは、もうちょっと僕を信頼しようよ」

「信用はしてる。じゃなきゃ旅になんて出さないって。んー、クズハがきたなら、うちもシャワーくらい作ろうか。そういえば、どこから?」

「七番目からだよ、母さん」

「ああ、あっちはリウがたぶん行ってたはずだけど……クズハ、あんまり口外しないようにね」

「はい」

「そう気負うことはないよ。とりあえず、旅の話は父さんが帰ってからにするとして、クズハに家の周辺を案内するよ」

「ん、そうなさい。あたしは鍛錬したあとに、食事の準備でもしとくから」

「鍛錬……?」

「ああ、あたしは武術家だからね。まだまだ、娘には負けてられないから。リンドウにもね」

「まったく――」

 これだから敵わないんだと、リンドウは呆れたように言った。

 外に出たリンドウは、大きく伸びを一つ。まずは裏側にある小川へ案内しようと、足を進めた。

「イザミっていうのが、リンドウのお姉さん?」

「双子だけどね。母さんと同じ道を進んでる。旅をしてるけど――いずれ、逢えるかもしれない。僕としては、そっちの方が、頭の痛い話になりそうだよ」

「ふうん。あ、そうだ。この辺り、妖魔は?」

「一応、定期的に王国の軍隊が討伐しているから、はぐれ妖魔以外は、そういないよ。特に家の周辺は、結界が張ってあるから、そもそも人も近寄らないし……なんか、父さんが言うには、昔はそうやる必要があったんだって」

「結界、かあ……集落みたいな、ちょっとした閉塞感みたいなのも、ないね」

「あくまでも、人がきた時の感知と、近寄りたくないって気分になる、程度のものだよ。仕組みそれ自体は複雑で、父さんが張ったものだけど、効力自体はそれほど強くはないから」

「……リンドウも、できる?」

「そうだね」

 頷きを一つしてから、しばらく考えて。

「たぶん、可能だと思うよ。僕も旅をしてきて、いろいろな経験や知識を蓄えたし、居を構えて、できることを確認していこうと思ってる。本腰を入れた研究だね」

「私は、手伝えないよ?」

「うん。いいんだ、クズハは好きに生きてくれればいい。僕の願いは前に言った通り――傍にいて、そして、僕が帰る場所になってくれれば、それ以上の幸いを、今の僕は知らないから」

「それなんだけどね」

 そうだ、ちゃんと伝えておこう。そう思って、小走りにリンドウの正面に回ったクズハは、言う。

「私の幸いはね? 今のところ、ちゃんとリンドウが帰ってきて、こうやって傍に、その、いてくれることだからね」

「――、あり、がとう」

 なんだろうか。

 本当に、ただそれだけのことで、言葉が出ないほどの喜びを抱けるだなんて。

 こんなことがあるなんて、今まで、考えもしなかったし、思いつきもしなかった。

 だから。

「約束しよう」

「うん」

 きっとそれは、破られることのない、誓いに似た約束だ。


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