03/14/13:00――クズハ・決めたこと
ぼんやりと、日陰の中に入りながらも、外で雑談をするリンドウを見ながら、クズハはその中に交じろうとは思わず、けれど目を細めるようにしていた。
あれから二日ほど。あまり長居はしないと言いながらも、リンドウとはそれなりに言葉を交わして、お互いのことを知った。けれどそれは、決して他人から身内になるような変化がある内容ではなかったし、そういう雰囲気に持ち込もうとはしなかった。というか、されなかった、が正しいのか。
わかったのは、リンドウ自身があまり他人に興味を持たない人種だ、ということか。いや、興味を持たないというよりも、自己優先というか……それでも我儘ではないことはわかったし、よく考える人物であることは理解できた。そういう生き方を好んでいることも。
一人では生きて行けないと言ったその口で、他人に頼ることを是としながらも、身を委ねるようなことはまずしない。それはリンドウが語った今までの旅のことでも窺えたし、自己が強いのかと問われれば、やはり違う。いや、強いは強いのだが、押し付けないというか、意志と呼ばれる個人を尊重している――とでも言えば、聞こえは良いのか。
「――んで」
仏術の知識を多く持っている相手と会話をしているリンドウは、没頭しているようにも見える。その形態やら何やらと、詳しい話はさっぱりだが、真剣に聞いているリンドウの姿は、クズハの目に留まる。だって――なんだか。
そうやって、真剣な姿を見ると、なんだか子供っぽく見えて、微笑ましくもあるのだ。
「この場合は薬師如来、愛染明王、摩利支天の順序で印を組む。月光菩薩を最後に加えると、符式の効力が短時間で強く発揮されるわけだ」
「なるほど、符式そのもに対応する印が複数あって、一定パターンのみが全符式に利用可能ってわけでもないんだ。やっぱり
「お前さんの見解は、どうなんだ?」
「符式は魔術構成そのものが込められた物品で、汎用性が低く限定されるものであっても、大抵の人ならば使える利点がある。実際、軍用のものの多くが符式だ。けれど仏術を使うことによって、この魔術構成に特定の指向性を持たせることが可能になっている。いうなれば、保存されている構成の〝
「たとえば?」
「誰が使っても同一の効果が得られる、という点だよ。たとえば言術において言葉が鍵となるように、印もそれと似た系列なんだろう。けれど、言術そのものには声を媒介とする構成が内部に含まれている。いわばこれは導火線のようなものだ。声によって火を入れる。けれど、符式には印に対応するための構成が含まれてはいない。実際にやったのを見た僕の感想は、あなたが印を組むことで、一つの術式を構成して符式に干渉したと、そう感じた」
「そこに問題があるか?」
「問題はない。けれど疑問だよ。何故なら、符式は魔術構成なんだ。そこに違う構成を組み込もうとしたのなら、符式そのものの理解が必要だし、結果だけ見ればそれは〝混ぜる〟行為に近い。――いや、できないと、そう言っているんじゃないよ。僕でも可能だ。けれど、それを〝印〟によって行う仏術が、文字式と違って世界法則そのものに存在する、鍵に触れているわけではない……その点が、疑問なんだ。きっとこれも、僕が解決すべきものだろうけれど」
そうやって、考えて、リンドウは旅をしてきた。そして、きっとこれからも。
リンドウがここからいなくなって、逢えなくなる。そう考えてしまえば、クズハは言葉が出なくなってしまう。それくらいには惹かれているし、まあ、さすがに認めるしかない。勘違いかもしれないが、それでも、認めてやらなくては自分がかわいそうだ。
ここのところ、リンドウは言葉に詰まることがある。それはクズハに関係することで――それでも、迷って、考えて、それでもやはり、決定的な何かをリンドウは口にしなかった。
我儘だから、なのだろう。きっと、クズハを助けた時のように、クズハの意志を誘導したり、踏みにじったりしたくはないのだ。
多少は強引にやってくれてもいいのに、と思う。そうすればどうにかなる、のではなく、そういうリンドウも見てみたい、なんて好奇心に近いのだけれど――。
リンドウは自分と、どういう関係を築きたいのだろうか。
そこまで思考して、目を伏せる。
そうじゃないだろう、と。
自分はどうしたいのか、それが先じゃないのか――。
「姉さん?」
「ひゃいっ!? ――な、なによアキハ、驚かせないで」
「ごめん。どうしたの? 混ざらなくていいの?」
「……私じゃついていけないし、いかない。だからいいの」
「ならいいけど。俺もちょっと難しいね。リンドウさんがすごい魔術師だってことはわかるけどさ」
「すごくないって、本人は言ってたよ。嫌味じゃなくね」
「そういうことが言えるってことも、すごいよね。体術もすごいし……旅人って、そんなことまで習熟しないと難しいのかな」
「なにアキハ、旅に興味あるの?」
「俺が? ……どうだろうなあ。強い興味はないけど、姉さんは?」
「――あはは、私は旅なんて、できないわよ」
そう、できないと思う。
技術がどうのとか、そういう以前の問題で――自分は、居を構えていないと、落ち着かないのだ。
両親に疎まれ、居場所を失くしたクズハは、であればこそ、仮の住居であっても、生活の場を持っていないと、落ち着かない。行く当てがない状況そのものが、とても怖いのだ。
「俺は知ってるけどさ。そういうの、ちゃんとリンドウさんに話した方がいいよ?」
「――なんで」
「あのね、姉さん。俺じゃなくったって、姉さんがリンドウさんに惹かれてることくらい、一目でわかるよ。ずっと目で追ってるし、対外的な遠慮がないし、まだ素直になりきれてないし……」
「ちょっと、全部否定したいけど、なによその最後の」
「俺にはそう見えるって話。あのさ……一応言っておくけど、俺を言い訳にすんなよ、姉さん。そういうの、迷惑だから」
「……わかってる」
「本当に?」
「しつこい。だいたい、家を出たのだって、あんたが付いてきただけじゃないの」
「……うん、それがわかってるなら、いいんだ。あとさ、一時の気の迷いでも、俺はいいと思うよ? そういうの、きっと自分だけの問題じゃないと思うし」
「――知ったようなことを、言うわね」
「大丈夫。姉さんのことを思って、なんてことは言わないから」
「お互い様ってこと?」
「そうそう」
「偉そうに……」
「……姉さんは、両親のことはどう思ってるの?」
「どうって――まあ、私の扱いが難しかったんだろうなあ、くらい」
「へ? そんだけ?」
「逢いたいかどうかは、別としてね。今の選択自体を悔やんではないけど、もっとほかの方法もあったのかな――と、そのくらいはね」
「姉さん……いつの間にそんな大人になったんだ」
「あはは、私なんてまだまだ子供だっての。……さてと」
足元に置いてあったボトルを手にしてリンドウの元へ。
「――リンドウ、水」
「やあ、ありがとうクズハ。どうにも、いけないね、集中し過ぎてたみたいだ」
「いいんじゃない? 見てて面白かったから」
「おもしろ……かった?」
「うん。まだ続ける?」
「いや、もういいよ。ありがとうキリー、勉強になったよ」
「そりゃ、こっちの台詞だ。また何かあったら言えよ」
「ありがとね、キリーさん」
「……クズハにそう言われると、なんだか妙な気分だがなあ」
「うっさい」
ははは、と笑いながらキリーは去る。やや老成した男だが、この集落では一番の魔術師だ。そのキリーがリンドウとは対等どころか、感謝すらするのだから、一体どんな生活をしてきたのか甚だ疑問だ。
埃を払いながらリンドウが立ち上がったので、木陰へと誘導する。いつの間にかアキハはいない。気を遣われたのかどうかは定かではないが、気にしないでおくとしよう。
「改めて、仏術というのは面白いね。発生された環境そのものに思索を巡らすと、なかなかね」
「聞いてはいたけど、リンドウの旅って、今みたいなことをしてるのね」
「うん、そうだよ」
「……ね、リンドウ」
「ん?」
「私はさ、旅はできないと思う。あー……そうね、居を構えてないと落ち着かないって言えば、いいのかな」
「だったら――……いや」
「なに?」
「ごめん。僕にとって都合の良いことを、反射的に言いそうになったんだ」
それは、悪いことなのだろうか。
「リンドウって……自制心が強いよね」
「――はは。僕の姉さんは、どちらかというと直感で動くタイプでね。反面教師とでもいえばいいのかな、どうしても自制してしまうんだ」
「私を気遣って?」
「というよりも、僕の都合が良いよう振り回さないように、かな。保身だよ。それをしたツケは、必ず返ってくるから」
「でも、リンドウにとって都合の良いことが、私にとって悪いこととは限らないでしょ?」
「そう……だけど」
「んー、じゃあ提案として聞くから、言ってみて?」
少し、頬を赤くしたリンドウは、少し迷いながらも、視線を合わせる。少しだけクズハの方が小さいが、それほどの差はなくて。
「――クズハ。僕と一緒に暮らそう」
「…………え!?」
「あ、ごめん。そうじゃない。僕もこういうのが初めてで、言葉を間違えた。いや、合ってはいるんだけど、つまり」
つまりと、リンドウは続けて。
「僕と共に生きて欲しい」
完全にプロポーズの言葉だった。
「ちょっ、ちょっと待って! え、なんで?」
「僕は、きっとこれからも、旅に出ると思う。だからクズハ、その時間は寂しい思いをさせるかもしれないけれど、――待っていて欲しい。僕は必ず、クズハの場所に帰るから。そのために、そう、僕の都合の良い話だ。それでも、やっぱり僕は、ここでクズハと別れ、二度と逢えないのは嫌だと、今は強く思っている」
「こ、ここで待つんじゃなくて?」
「ここは集落だ。移動もする。そして、――避難所だよ、クズハ。できれば僕の実家にきて欲しい。そこからどうするかは、二人でいろいろと考えたい。だから、一緒に生きよう、クズハ。それが僕の願いだ」
「――!」
逃げよう! ――そう思った自分を、強引に留める。リンドウが得意な自制だ、そうだ我慢しろ。ここで逃げたら、たぶん。
素直になれなければ。
――後悔する。
「ちょ、ちょいタイム」
手でTの字を作ったクズハは、くるりと背中を向けて深呼吸。手のひらにCATと書いて舐める。――駄目だ、落ち着かない。誰だこの迷信を教えてくれたヤツ。ああ親父だ。覚えてろ。
「あ、あのね!」
あまり時間を使うとリンドウがかわいそうだと思ったので、意を決して振り向く。視線が泳ぐが、堪忍して欲しいものだ。
「私は――リンドウに、惹かれてる。うん、それは、その、間違いなくて、都合とか保身とかどーでもよくて! その言葉は、その、嬉しい……から、ありがと」
「う、うん」
「……一緒に行っても、いいのかな」
「僕は、そうして欲しい。もしこの先、僕と離れたくなったら、いつでもここへ戻ってこれるよう、責任持って手配するよ。――そうならないよう、僕も努力するし、そうしたい」
「ずるい」
「え?」
「ずるい! 逃げ場なんて用意すんな!」
「え、あ、ごめん……?」
「努力するのは、私も一緒……だから」
「……そうだね、ごめん。クズハ、だから、これからよろしく」
「……ん。よろしく」
握手を一つ、そこから始めよう。
そうだ、ここが始まりでいいんだと、クズハは笑って顔を上げる。すると同じように、リンドウも微笑んでこちらを見ていた。
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