02/08/19:20――キツネビ・猫からの呼び出し

 学生の多くは、アカデミー付属の寮を使うことが多い。それは独り立ちを促すためと題目が打たれているが、現実として宿で暮らすよりもかかる費用が少なく、またあくまでも共同生活になるため、自立を促しつつも、それなりに守られている形が作れる、といったところだ。

 そんな中でリンドウとキツネビは、街で宿をとった。一階が食堂になっており、二階が宿。二人部屋を一つにしたのは経費を抑えるためでもあるが、わざわざ個室をお互いに臨まなかった部分もある。

 ちなみに、経費と言ったが、これはオトガイのマエザキが半分持つことになっている。これは依頼であり仕事なのだから当然の処置ではあるが、キツネビは全部持てよと交渉して、だったら成功報酬から引き落とすからなと脅され――これは脅迫ではなくただの正論だ――仕方なしに、そういうことになってしまった。

 昼食を食べつつの歓談を終えて自室に戻ったのだが、そそくさとリンドウは制服を脱いでハンガーにかけ、部屋着に着替えてしまった。

「さてと、初日を終えての感想を聞きたいね」

「うん」

 扉を閉めて、さて本題に入ろうかといった頃、振り向いたリンドウは、軽く手を上げた。

「――ごめん、もう無理。寝る。四時間後で」

「は?」

 なんのことだと思う間もなく、ばたりと自分のベッドに倒れこんだリンドウは、仰向けにごろんと転がってすぐ、寝息を立て始めた。僅かに感じた魔力波動シグナルから、最低限の警戒はしているようだったが、それだけで、なんというかスイッチが完全に切れてしまったようだ。

 思えば、昨夜は寝ていない。だから仕方がないことか。

「やれやれ……」

 キツネビは、このまま街の様子でも見に行こうかと逡巡してから、ベッドに腰掛ける。ウエストサイズは問題ないにせよ、身動きを重視するためにスカートの丈をやや短くしているので、それなりに行動には気を付けているが、まあ相方が眠っているのならば、そう気にすることはないだろう。膝上まで引っ張ったソックスはアカデミー準拠のもので、やや邪魔だが、そこまで気にすることはない。

 おそらく、状況に合わせてなんだろうと、キツネビは上半身を倒して天井を仰ぐ。今回は時間が取れなかったから、スイッチが切れたけれど、本来ならば折を見て眠っていたのだと思う。もっとも、余裕がなかったというよりも、好奇心が勝っていたからか。

 そう、リンドウは好奇心が強い。そしてよく見て、よく考える。そのために第三者を利用していることにも、ほぼ無自覚だ。周りが見えなくなるほど没頭しがちな部分に、危険性を感じなくもないが、今のところキツネビが巻き込まれてはいないので、口出しはしないでおく。

 面白い子だとは思う。これも一つの好奇心だろうが、リンドウと違うのは、キツネビの場合はそのあとに、――退屈せずに済みそうだ、と言葉がつく。

 退屈は身を滅ぼす……とまでは言わないが、あまり好まない。楽しい方が良い。退屈とか苦痛とか、そういうのは今まで当代の〝狐〟と一緒に嫌というほど体験した。いやいや、訓練もそれなりに楽しくはあったけれど。

 私も少し眠るかなー、とは思うが、キツネビの場合は浅い睡眠を三十分だ。というのも、訓練時代にこれを癖として身に着けて、今では習慣となってしまっているため、どれほどの疲労をしていても、三十分で目が覚めてしまう。しかも、すっきりしてしまうのだから面倒だ。そこからは最低二時間は活動しないと、次の睡眠を迎えられない。その上、睡眠が心地よいものと知っているのだから、まったくもう、とこぼしてもいいくらいだろう。

 軽く目を瞑る――部屋の電気は消さない。リンドウはどうだか知らないが、可能な限り明るくしておかないと、キツネビは眠れないのだ。それは単純に夜が、闇が怖いからでもある。

 何故か。

 三度だ。訓練の最中、今までで三度、キツネビは生死を彷徨ったことがある。

 クソッタレと毒づきたくもなるし、けれど訓練で良かったと思う部分もあって、すべての文句は三度目――当代との訓練ではなく、旅をしている最中に訪れたその一度で、助かった安堵と共に、当代には感謝したものだが、ともかく。

 生死を彷徨った時に見た闇が、怖かったのだ。何もない闇、すべての色が混ざったような黒、そこに映し出される断片的な過去――否応なく、暗がりで眠ろうとすると、それを彷彿とさせられてしまう。

 ぐるぐると思考が回る。らしくない。考え癖でも移ったのだろうか、それならもっと楽しいことを考えたいのに――。

 眠りに落ちるまでに時間を要した。だから実際に、眠りに落ちて目覚めるまでに九十分ほど。起きれば全身に汗が浮いており、躰を起こして吐息を一つ。

「らしくない、か。どうだろうね……私は私のことを、そこまで把握しているとも思えないけれど」

 時間は二十一時前後。となれば、リンドウが起きるまでに二時間くらいはあるだろうと、立ち上がったキツネビは服を脱ぎ、それらをベッドの上に放り投げ、隣室にある風呂へ向かった。大半の土地は大衆浴場であったり、場合によってはシャワーのみのところもあるし、あるいはそんなものはなく、川や湖で代用することもあるが、ここには付属している。それをありがたいと思いながら、湯船にお湯を入れ、シャワーを浴びた。

 肌を弾く水、流れる水――普段なら気にもしないのに、基礎訓練を思い出した。受け流すことを第一とする〝狐〟の体術訓練では、水をよく使ったのだ。自然に流れるものと、身動きすると流れるものを、一つ一つ意識すること。停滞した水の中に浸かり、身動きによって揺れ動く水を感覚的に身に着ける――たったそれだけの訓練を、キツネビは一年も続けた。

 もう随分と、そう、十年は前のことだ。当代に拾われた一年目は、そんなことを徹底して身に着けさせられた。その基礎が芽吹くには、まだそこから二年は必要だったけれど、なんて思いながらシャワーと止めて十秒もすれば、髪を含めた全身から、水滴が全て流れ落ち、乾いているとは言えないが、軽く湿っているような状態で落ち着く。

 決して、肌が若く水を弾いているだけではない。もちろん、当年十七歳のキツネビはまだ若い部類で、それはそれで事実なのだが、受け流すことを徹底した彼女にとっては、こんなことも自然と行えてしまう。

 苦笑が一つ、半分ほど溜まった湯船に入る。左腕を伸ばしてみれば、さほど筋肉質ではない。むしろ外観からは、華奢なイメージもあるだろう。そう考えればリンドウもそうか。

「リンドウ・リエールか……」

 ここ数日過ごしてきて、問題のある相手だとは思わなかった。けれど、あの性格……というか、完全に信用している態度が、問題というか、戸惑う部分ではある。なんというか、その理由がわからないのだ。ちなみにキツネビは、あそこまで信用してはいないし、たぶん、できない。

 それ以外はまあ、好感触だ。見ている方向が違うことなど、最初から問題にしていない。

 何よりアカデミーというのは、面白かった。授業内容はともかくとして、最底辺のFクラスとはいえ、彼らも彼らで上手くやっているらしい。多少のいたずらくらいはするが、そんなものは子供の遊びで片付けられる。上に行こうという意志がないことには首を傾げたが、当人たちがその判断をしているのなら、横から口を挟むべきではないだろう。

「しっかし、そろそろ躰を動かしたいなあ……」

 キツネビの独り言はほとんど癖だ。口数がそこそこ多いのも、なんというか当代が比較的寡黙な女性で、あまり話さないものだから、反面教師というか、反動みたいなものである。

 ここ三日ばかり、満足に躰を動かしていない。それと同時に、一度でいいからリンドウを試してみたい――あるいは試されたい――という欲求もあった。

 そもそもキツネビにとっての旅は、武者修行のようなものだ。というのも、当代がこれを好んでおり、三年前にふらりといなくなってからは、キツネビもまた、当代と同じように旅を始めた。いつでも逢える、と彼女は言っていたが、はてさて、どういう理屈なのかはまだわからない。

 かといって、誰彼かまわず、状況を見ずに喧嘩を売るような真似はしない。それで痛い目を見たこともあるし――何より、自分の〝ケン〟が未熟であることを承知している。

 だからそう、合意の上でやるようにしていた。

「……」

 以前、合意の上で、完膚なきまでに敗北という敗北を刻まれたのを思い出した。嫌な思い出の部類だ。しかも、年齢に大差ない相手に。もっとも、あの男は一年と少し前のあの頃、既に完成直前でいやがったので、仕方ないとは思うのだが、敗北の味は悔しさを増長させ、かなり苦いのだと知らされた。

 ちなみに、それ以来、相手の男が非常に苦手になったのは言うまでもない。挨拶も早早に、逃げ出すようにして別れたのは、うん、良い思い出ではないけれど、一体どうしてそんなことを思い出しているのだろう。とっとと忘れてしまいたいのに。

 むう、と唸るようにして鼻下まで湯に浸かったキツネビは、大きく伸びをするようにして湯船から出て、元栓を閉める。脱衣所にはタオルが積まれており、そのうちの一つを手に取った。ちなみにこれは宿のサービスのようなもので、毎日の掃除とタオルの入れ替えはやってくれるらしい。まったく、豪勢なことだ。

 といっても、ほとんどの水分は流れてしまっているわけで、湿気を取る程度でいい。そのため、軽く髪を撫でるようにしながら部屋へ戻ると、どういうわけかリンドウが服を畳んでいた。

 なんでだ? とか思ったのが間違いだ。リンドウがこちらを向く。

「……」

「…………」

 無言、そして。

「うん」

 頷き。

「――じゃない! なんで起きてんのよっ!」

 迷わず反転して扉を閉めた。

「っていうか何その反応!」

「え? ああ、うん……僕でもやっぱり、女性の裸を見ると恥ずかしいものなんだなと、再確認してて」

 こいつ、やっぱりどっかズレてないか。

「恥ずかしいのはこっちなんだけど!」

「あ、そっか。そりゃそうだよね、ごめん」

「いいから、ベッド脇にある袋取って! あ、扉の近くに置いてくれればいいから!」

「制服は?」

「そっちも!」

「わかった」

 傍に置く気配があったので、素早くそれを回収。袋から新しい下着とシャツを取り出して、すぐさま制服に着替える。赤くなってしまった顔を戻そうとするが諦め、半眼になって部屋に戻ると、リンドウもまた制服に着替えていた。

「うん、ごめんね、キツネビ」

「や、うん、なんていうか、こっちもちょい油断してた。そんな長風呂だったかな、私」

「――ん? 睡眠時間のこと? 予定より一時間早いよ。呼び出しがあったから、起こされたんだ。キツネビも一緒にくるよね」

「呼び出し?」

「メイから」

「ああ……そう、じゃあ私も行こう、うん。っていうか、ちょっと夜風に当たりたいし」

 静かに、ほぼ自然体でありながらも、足音一つ立たずに階下へ行くと、明かりも一つか二つだけで薄暗く、人の気配がしなかった。出入り口に鍵もついていないが、術式は施されている。その解除はリンドウがやった。ちなみにキツネビの場合は、受け流せてしまう。

 外の空気は、それなりに冷えている。人の活動時間でないのは日付が変わる一時間ほど前なのだから当然で、冷たさは人の活動が限りなく少ない証明でもある。だから夜歩きとは、その空気を乱さない行動を心がけるべきだ。

 ほぼ無言のまま、リンドウの背中を追う。十五分ほど歩いた先にあった裏路地にひょいと入れば、眼鏡をかけた女性が一人、腕を組んで待っていた。地形把握まではしていないが、何かの商店……食事店か何かの裏路地らしい。入り組んではいないが、広さはそれほどない。

「ほう、キツネビも一緒か」

「やあ、また逢ったね。伝言はきちんと伝えたよ」

「うむ、そのようだ。――さて」

 壁から背中を離したメイがこちらの奥と、自分の背後に視線を投げるのとほぼ同時に、防音に似た術式をリンドウが展開する。ほぼノーアクション、しかも自然音は耳にできるあたり、選別までしているようだ。周囲の空間そのものに干渉しているため、さすがにキツネビの発した声がそれを受け流すことはない。たぶん、それもリンドウの配慮だ。

「この国のルールは知っておるじゃろ。わたしはこちら側、いや、第二層のあたりに知人がおってのう、しばしそこを中心に動くつもりじゃったから、別行動を言い渡したのだが、まさか学生になっておるとは思わなんだ。リンドウ、事情を話せるか?」

「マエザキさんの依頼を受けたんだ」

「なるほどのう。いや、直接訊いてはおらんが察しはつく。あやつがどこまでの開示を行っているか、妾は知らんので、それ以上は問うまい。キツネビも同行しておるのか」

「私も、まあ、オトガイには世話になってるし、何より退屈せずに済みそうだったからね」

「ちなみに、クラスはどこに配置された?」

「リンドウと一緒にFクラスさ」

「ほう……リンドウ、意図したものか?」

「〝試験〟の時に何かをしたわけじゃないよ」

 やっぱりそうかと、キツネビは口の端をゆがめる。そうだ、何かをしたわけではない。キツネビはそもそも魔力を持たないので、ある程度の細工はしたし、し続けているが、リンドウの場合は違う。

 ただ、いつものように、普段のように、手の内を隠していただけだ。必要がなければ魔力など、出さない方がいい。もっとも、魔力なんてものは、大抵の人間が生きているだけで、ある程度は放出されるもので、それを魔力波動シグナルと呼ぶが、人の気配とも呼ばれる。

「いつからじゃ」

「今日が初日だよ。魔術の教育機関としての興味は、もうあまりないけど……」

「それだよ、リンドウ。その話をしようと思っていたんじゃないか。君はあっという間に寝てしまったけど、あとでする約束だろう?」

「あ、うん、そうだったね。メイも聞いていく?」

「妾は猫じゃ、元より夜行性だからのう」

「――ちょっと待った」

 風の動きがあった。微弱な揺れ、けれどそれは人が起こすもの。その流れの先を読み取るよりも早く、キツネビは隣の壁面を駆け上がる。上半身を思い切り倒し、膝が胸に当たるくらいに。顔は前、つまり空を見上げるようにして、顎は下手をすれば壁面に当たるかもしれない位置。足の裏は踵からつま先まで、可能な限り多くの面積を使う。

 そして勢いを殺さずに五歩で空へ――そこに、通り過ぎる黒い影、空中で姿勢を変えて静かに、移動する影の背後へと手を伸ばす。

「運がなかったね」

「――っ!?」

 するりと伸びた手は、相手の顎から頭上へと抜け、思い切り前へ飛んだ影は振り返りざまに両腕で顔を隠した。しかし、キツネビは追跡をせず、そのまま街の影に飛び込んでいった相手を見送ってから、壁面を足の側面でこするようにして降り、手にしていた黒色のマスクを指の先で回した。

「いる?」

「いらないよ」

「脱ぎたてなのに……」

 お互いに、その影だった人物の顔を捉えていたのに、あえて話題に出さず、キツネビはそのマスクをスカートのポケットに入れておいた。さすがに、この場に放置しては、相手にとっては問題があるだろうから。

「全体の感想としては、一定ラインの成長が見込めるプランニングはされている、といったところかな。基準そのものも明確だ。けれど、先の展望が見えていない点については、学長を含めて課題とすべき問題じゃないかと、僕は思う」

「先の展望ってのは、まあわからなくもないけど、今のプランだとどんな弊害があるのよ」

「うん? 僕が見た限りの話では、単一特化型で視野を狭めているって感じかな。僕には合わないけれど」

「私にも合わない。ところで、これは単純な好奇心からの質問だけど、魔術師としてのリンドウは、基礎、基本、基準として、何をした?」

「自己の埋没」

「ああ、じゃあ私と一緒か。己を把握する前提で、私の場合は〝境界〟を明確にしろと言われたね」

「……境界か。うん、そうだね。そこが非常に重要なことだ。キツネビは、魔力の上下で決定付けられる基準について、どんな感想を?」

「対多数を育てるのに、一定の基準は必要だと思うけど、前提が魔術師である以上、正直に言えば馬鹿を育ててどうすると、一蹴したくはなるね。単純に、魔力が少ないならば時間を犠牲に蓄積でもすればいい。もちろん、多くて都合が良いことも多いけれど、基本的に人の持つ魔力量は、器が壊れない限り上下しないのが通説だ」

「そうだね。器そのものは変わらない。変わるとしたらそれは、魔力供給量か、回復力のどちらかだ。それもまた、訓練や教育でどうにかなるものじゃない」

「私は魔術師じゃないから、基礎理論よりも現実の結果の方が詳しいんだけどさ」

「ほう、魔術師ではないか。はっきり言うのう。……ま、今の体術を見れば明らかじゃが」

「うん、そうだね。速いというより、滑らかさを感じた」

「あははは、私の評価はともかく、アカデミーで教えている魔術っていうのは、どの程度のものなんだ?」

「そうだね。全部調べたわけじゃないけれど、それなりに幅は広いよ。何しろ、個人の魔術特性を探して、見つけさせるような方針もあるから。知識としては、一通り教えている。その特性を得て、使えるようになってからもそれは続くけど、実践することもあるみたいだ。何しろ、魔術実技室なんてものも、数多く用意されていたから」

「へえ、そうなんだ。実際に入ってみた?」

「ああ――明日でいいやと、思って」

 もう日付は変わってしまった頃合いだが。

「その時は私も一緒に行くよ。ついでに、私としてはSクラスの様子見をしに行きたいと思ってる」

「それは僕も興味があるかな」

「だろう?」

「――うむ。なかなか楽しんでいるようで何よりだ。良い機会だから二人に訊いておこう。そちらの酒井アカデミー、教員を含めた全員が敵対して、対処可能か?」

 ふいに、二人の視線が足元に落ちる。数秒後に顔を上げ、視線を交わした。

「確定はできないけど」

「そうね、何をどう対処するのかも明確じゃないけれど、私とリンドウ二人でってことなら、そう難しい案件じゃない。でもその前に、私はリンドウと手合せ願いたいところだけどね」

「なんだ――僕から頼もうと思ってたのに」

「へ?」

「……? おかしいかな」

「あ、いや、リンドウからは好戦的って気配を感じてなかったから……」

「うん、好戦的じゃないけど、もっとキツネビのことを知りたいと思って」

「え、あ、そ、そう……」

 いかん、なんか照れてきた。顔が赤くなってないだろうか。

「なるほどのう」

「メイの方は?」

「問題はないとも。ただ、先方にはお主のことも話しておってな、状況によっては少し頼みがあるかもしれん。その際は、マエザキと掛け合ってから話を通そう。今はそのくらいじゃの」

「……あの人のことを調べようとも、思ってたんだけど?」

「はは、それを同時進行はできまい。お主や、あやつの望みかもしれんが――そう急ぐこともあるまい」

「そうだけど……いや、わかった。そういうことにしとく」

「そうとも。では仲良くやるのじゃよ、二人とも。妾はもう行こう」

「ん。出てく時には挨拶するから、私も」

「はは、その前にまた逢えるじゃろ。ではな」

 ふらり、と動いたかと思えば、黒猫の姿になって裏路地から出ていく。おそらく、キツネビがいるから気を遣ったのだ。きちんと顔を見て話せるように。

「律儀だね、彼女」

「ん、ああ、人型の理由? たぶんそうだと思う」

「ありがたい話だけど、質問の意図が上手く読み取れなかったな。リンドウはどうなの?」

「そうだね……理解度を測った、とは違うんだろう。僕とキツネビの相性というか、付き合い方を見たかったのかな」

「付き合いって、いやまあ、そうなのかもしれないけど」

「キツネビ、僕は魔術書の気配を追っているんだけど、アカデミー内部で気付いたことはある?」

 おいおい、ちょっと待て。さすがにそれは信用が過ぎるだろう――若干の焦りを隠しながら、はてとキツネビは首を傾げた。

「私の方は、特にこれといって感じなかったかな。探れていないの?」

「初日で広範囲探査術式グランドサーチなんてしないよ。少なくとも図書館にはなかったし……あるとしたら、上の階層かなあ」

「……魔術書なんて、そうそうお目にかかれるものじゃないけど、探して何をするの?」

「読むだけだよ?」

「そんなもの?」

「うん」

 魔術師なんて、そんなものだ――リンドウはそう言って、軽く肩を竦めて見せた。


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