11/03/18:20――コウノ・だいたいの事情
「――コウ先輩、そろそろ夕食ですよ」
ベッドの上で寝転がって、軽く瞳を閉じているコウノは、同室のラディに言われ、もうそんな時間なのか、なんて気楽に返事をした。
「律儀だな、ラディ」
「自分が部屋にいて、先輩もいる時は、声くらいかけますよ」
「それが律儀だって言ってんだろ」
「はは……あの、コウ先輩」
「――ん?」
片目を開いて見れば、軽装でありながら剣だけを腰に提げたラディが、立ち上がってこちらを見ている。
「どうした」
「噂で、コウ先輩が卒業する……なんて話を聞いたんです」
「噂か。なるほど? そりゃ俺も、いわゆる留年組だからな。そのうちに卒業するだろ」
「そうなんですか? 自分はてっきり――そのまま、いなくなっちゃうような気がしてたんですが」
「へえ?」
「いや、なんとなくです。なんとなく――先輩って、そういう生き方をしているような、気がして」
「さすが、付き合いが長いだけあってよくわかってんじゃねえか。俺が急にいなくなっても、寂しがるなよ」
「いや、きっと寂しいですよ。ただ、いつそうなってもいいような心構えはしてますけどね」
「はは、そりゃいい。――夕食は一人で行ってくれ。俺はこれから、ちょっと用事があってな」
「そうですか、わかりました」
噂ねえ、なんて思いながら立ち上がる。ラディが出てから少し時間を置き、向かった先には寮を繋ぐロビーで、そこにイザミが待っていて、片手を挙げた。
「――や」
「おう、疲労は抜けたか?」
「わかってて、そういうこと聞かないでよ。まだ、ぜんぜんだし。コウノは余裕そう」
「馬鹿、どんな状況でも俺はこんな感じだ」
「それは痛感した。んじゃこっちね、オリナが待ってる」
「へえ? てっきり、代打でリーレになるかと思ってたけどな」
案内された先は、女子寮だ。聞けばイザミの部屋であり、同室のリーレがいないことは、中に入った時点でわかった。
「おお、きたか」
「ああ。――少し、手を加えるぞ」
言って、すぐにいくつかの術式を展開して、元からあった符式の防音術式に手を加える。実は、コウノとラディの部屋には、コウノが内部に存在する前提で、いろいろな術式を組み込んであるのだが、それは誰にも教えていない。
「で、そっちはどうだ」
「うむ。第二騎士には行方不明になってもらうこととなったが……今は情報を引き抜いている最中じゃのう。お主、気付いておったのか?」
「事前情報だ。ま、なにか仕掛けるとは思っていたけどな。先に殺そうと思ったら、イザミが止めただろ」
「あー……あれ、そういう意図だったんだ」
「イザミは気付いておらんかったのか?」
「雑味が混ざってるなあ、と最初にちょっと思っただけで、その後はもうコウノしか見えてなかったから。反省したけど、すげー危ない状況だったなあって。殺しを止めたのも、あたしが嫌だっただけ」
「その、危ないとは、どういった意味じゃ?」
「戦闘中、第三者の存在は常に警戒しなきゃいけないって話。旅人の鉄則」
「戦闘の鉄則、だろ。周囲が見えなくなるように追い込んだのは俺だ。気にするな」
気にしないでいられるかと、自分のベッドに座ったイザミは、唇を尖らせる。コウノは出入り口に背中を預けた状態で、オリナはリーレのベッドに腰掛けている。
「疲労が見てとれるな……今日すぐじゃなくても、俺は良かったんだが」
「私も気になっておってのう。約束じゃろう、コウノ。お主の過去を話してもらおうか」
「過去、ねえ。言っておくが、話したくねえ部分もあるし、俺が話すのは過去じゃなく――どう生きてきたかって話だ」
「その前に。コウノは楠木を知ってるの?」
「そういう、古臭い知識だけだな。楠木の本質、その先は八ノ段だろ? もっとも、お前は二撃が限界だったようだが」
「知識で、あたしの二ノ段を止めたの?」
「あれが二ノ段だったか……四撃だったから、おそらく奥義の一つだろうとは推察していたが。居合いの速度、移動速度、それを重ねた威力。予定通り八割ってところだ」
「八割?」
「そういえば、姉さんに言ったのだったか。イザミのどれほどを引出せるかはわからんが、少なくともお主の八割を、イザミは引出せるだろう、と」
「ああ。ま――八割といっても、すべてじゃあないが。まあいい……さて、どこから話したもんかな。そうだな、俺がこういう生き方を選んだのは、それこそ幼少期だが、訓練は基本的に先代……母親から受けていた。ただし、イザミなんかとは違って、技術の継承とか、そういったものは基本的にない。技を盗みはしたが、教授されたのは、生き残るためにどうするかを考えることと、生きるために必要な技術がほとんどだ」
たとえばその中には、情報収集の方法や情報網の作り方も含まれる――なんて言いながら、日中に賭場で貰った煙草を取り出し、火を点ける。
「煙草か、お主」
「匂いもきちんと分解するから、染みつきはしねえよ。先代の影響もあって、これと酒はよく好む。さっき訓練と言ったが、これはイザミがする鍛錬とは趣が違う。知識を叩きこまれた俺が――ありゃ八歳くらいになった頃か。だいたい二年くらい継続して行われた訓練で、俺は今の生き方を学んだ」
「どんなの?」
「時間を区切って、殺さない殺し合いをするってだけの、実に単純な訓練方法だ。俺よりも先代のが、その辺りの加減は上手かった。俺はただ全力で殺そうとしてただけだしな。何度、一歩……一手間違えれば死んでいた、と冷や汗をかいたか覚えてねえ。さすがに一年もすりゃ、逆のパターンもいくつかあった」
「逆というと……まさか、もし避けられなければ殺していた、というものか?」
「そうだ。最初はだいたい十時間から始まったな――山を一つ使ってな、そこからは基本的に出ない。寝てる間に襲撃もありゃ、食料の調達も現地だ。お蔭で小食になったし、睡眠時間が極端に短くなっちまった。最終的には三十時間くらいが限度にはなったが、罠の張り方も、攻撃の仕方も、防御の手段も、あれで身に着けたと言っていい」
背中を扉から離し、煙草を口に咥えたまま保温容器の前まで移動して舌打ち。
「紅茶しかねえのかよ」
「文句言わないの」
「北の方じゃ、珈琲の方がありふれてるんでな」
お湯がありゃいいか、と容器を組み立ての術式で作ると、小分けにしてあった袋をポケットから取り出し、珈琲を落とし始める。
「北じゃ資源をめぐって小競り合いが続いてんのは、オリナの方が詳しいだろ」
「うむ、まあ……そうじゃのう。交易を主体とする都市であっても、貧困国であっても、資源そのものは常に枯渇の懸念を抱くこととなる。あとは奪うか、それ以外の手を考えるか、枯渇しないよう神に祈るくらいしかない」
「山での訓練を終えてからは、現地入りした」
「それ、傭兵になったってこと?」
「どっちかに肩入れはしなかった。近隣の村や発掘現場の人間から、仕事として請け負うことはあったけどな。日常的に戦闘をしながらも、戦況を見極めるための情報収集、こちらの動きを悟られた場合の退避経路……とにかく、教わったことを試す時間だった。失敗もそれなりにしたが、戦場で生き残れる自信がついたのは十二になった頃か」
学校に入ったのは十四の頃だから、その前に。
「ここからは、イザミがやる鍛錬と似たようなもんだ。先代と戦闘訓練を延延と続けた。その時の怪我がほとんどだな……あのクソ女、未だに勝てる気がしねえ」
「苦手意識もあるんじゃない?」
「まあな。俺の生い立ちなんて、こんなもんだ。どこにでも転がっている、ありふれたもんでしかねえ。――そうだろ、イザミ」
「うん。程度がどうであれ、そうした生き方は珍しくもないかな。この近辺じゃなければ、だけど」
「う、ううむ……想像すらできんな。そうだと言われても、そうかもしれない、程度にしか受け取れんぞ」
額に手を当てて沈痛な面持ちのオリナは、それ以外の疲労もあって、顔色が悪い。紅茶のカップを使って、中身は珈琲を淹れ、それぞれに手渡した。
「じゃが実際に、イザミの実力を引出したのも確かだのう」
「オレグだって、本気になりゃ、あれくらいはやるさ」
「んだね。本気になれば、だけど。あたしは反省かなー、いろいろと。だいたい、あたしの領域に持ち込んだのに、対応されるし」
「場の支配に関しては、必要がなかったからな。実際にやるのは、遠距離戦闘か……あるいは、対複数戦闘くらいなもんだ」
「げ」
「遠距離で、場を支配するとは、どういうことじゃ」
「千五百ヤードの範囲なら、俺の〝領域〟で囲うことくらいはできるって意味合いだ」
「う、む……そういうことなら、お主の術式も、理解に苦しむ」
「言術主体のお前らにゃ、理解は及ばねえし、ここの魔術師連中に対策ができるとも思えねえな。あまり考えすぎるなオリナ、これ以上疲れてどうする」
「そうじゃのう……いやいや、頭を痛くさせている原因はお主じゃろうが」
「嫌味がちゃんと通じてるようで何よりだ。映像記録は提出したか? 三つは残しておいたはずだが」
「計算済みか、お主」
「そうなるよう、上手くイザミの衝撃を逃がしたからな」
「それ! 二ノ段の初手への対応!」
「衝撃の移動速度は単調だ。遠距離攻撃なら特にな。それが見極められれば、衝撃そのものに刃物を当てて、接触時間が一秒もあれば、衝撃の種類や付随するもろもろ、だいたい調べられる。ついでに、回避する余裕も生まれるからな。つーか、あんなの初歩だろ」
「いや、初歩じゃないと思う……」
「文字通りの〝見〟だけで満足すんなってことだ」
「それにしたって、ずっとあたしの先手を奪ってたじゃん」
「――は?」
おっと、なんて言って珈琲をテーブルに置き、コウノは椅子を引っ張り出して腰を下ろす。一連の流れで足も組んだ。
「お前は、そういう認識だったのか?」
「うん」
「そうか……いや、だとすれば、たぶん、そうなんだろうな。悪いな、俺としても相手に感想を聞いたことなんてなかったから、それが間違っているとも思わんが、見ていたオリナとしてはどうだ?」
「ふうむ。私がどこまで見えていたのかは疑問じゃが、そうじゃの。イザミが攻めたと思ったら、コウノが攻めていた、というように見えた」
「攻めていたのは事実だ。ま――苦手なんだけどな、攻めるの」
「――はあ!? あれでか! お主、あれで攻めるのは苦手と申すか!」
「うるせえ、事実だ」
「コウノ」
「大したことはしてねえよ。俺はただ、お前の間合いを〝外し〟続けただけだ」
「あ――」
「なるほどな、対人戦闘の経験が浅いのか。俺みたいな人種との戦闘も、あまりないみたいだな。そう考えりゃ、先読みの甘さも納得できる話だが、〝楠木〟としちゃあ、先読みなんぞ使わずとも、速度で圧倒するのが王道か」
「ぬああ……めっちゃ悔しい……!」
「悔しい? ああ、それもまたいい感情だな」
「感情……そうじゃ、感情よ。コウノ、お主を見ていて思ったが……」
「ああ、俺の感情は基本的に制御されてる。制御っつーより、喪失に近いな。感情を乗せる……つまり、意図して偽ることはできるが、あんまり揺れなくはなった。戦闘なんてそんなもんだろ? 俺にとっては、そういうスイッチが切れ――いや、入りっぱなしなんだろうな」
「そこまで飛んでる人は見たことないなあ」
「そうかよ。このくらいは、当たり前のようにあると思うけどな。つっても、さすがに腕を千切られた時は、憎悪と恐怖くらいは浮かんだが」
「お、おいお主、嘘をいうタイプだとも思っておらんが、その」
ここの辺りをなと、左の肩よりやや下の辺りを、とんとんと指先で叩く。
「八割がた刻まれたが、皮一枚って辺りでどうにか繋がっててな。術式の補正も間に合わなかったが、どうにか動くようになって一息ついたもんだ。ありゃ腹を抉られた時よりも恐ろしかった」
「治癒系の術式もなかったんだ」
「そりゃあな。あれもいい勉強だと、今なら思うが」
「うぬ……聞けば聞くほど、お主の生活、いや価値観はわからん」
「それほど難しくはねえよ。で、リーレはどうした」
「ああ、そちらの件か。さすがに第二騎士の件で、今日は王城で休むよう伝えておいた。おっと、私も外に騎士を三人ほど待たせておる。お暇するとしよう。邪魔をしたなイザミ、追って通達はするとも。コウノ、珈琲は美味かった」
「ああ」
「護衛を当てにしないようにね」
「うむ。ではな」
おかわりちょうだいと、オリナが部屋を出てから空のカップを差し出され、やれやれと立ち上がりながらコウノは受け取った。
「――で、意図的に隠していた部分は、話すつもりある?」
「わかるか」
「そりゃね。話術に関しては、それなりに経験あるし」
「風来坊のイザミならともかく、オリナにはあまり、話したくなかったんでな。そういう約束もあった」
「へえ? ま、約束は気にしないけど」
「そうしろ。――ほら」
「あんがと」
隠していたのは、コウノが継いだモノに関してだ。
「そもそも、〝朝霧〟ってのは、後継者を探すところから始まる。俺の場合も、まあいずれそうなるだろうとは、思っていたが」
「血筋じゃないんだ?」
「先代は確かに俺の母親だが、そういうのは稀らしい。だから楽だ――なんて、先代は言っていたけどな」
「当たってるかどうかわからないけど、〝
「当たりだよ。〝
「
「そうだ。――朝霧には、一振りの得物が受け継がれている」
「……それ、見せられない?」
「俺がまだ見せていないと、気付いたのか」
「これは直感。でも……」
「三番目。――刻印はExeEmillionだ」
「それだ! ずっと弟が探ってた一振り――リウラクタさんが探してて、だからコウノたちに接触した!」
「知ってるのか」
「知ってる! いや、これは本当に知識だけで、全部で五本あって、それぞれ在り方が違うってだけ……なんだけど」
「見せねえよ、まだな。だがこいつは、イザミの言葉を借りるなら、在り方がそもそも、組み立ての術式そのものなんだ」
「ってことは――組み立ての術式が使えないと、そもそも所持できない?」
「ああ……あるいは、魔術回路そのものと言ってもいい」
「だとしたらそれは、もうコウノ自身が刃物に――ってこと?」
「ま、似たようなもんだ」
厳密にはまだ、コウノ自身は刃物を組み立てられる段階だ。けれど、これを越えてしまうと、境界線をまたぐと、刃物がコウノ自身を組み立てている状況に陥ってしまう。立場の逆転、刃物に喰われる、と表現すればいいのか。そうなってしまえば、文字通りの刃物に――三番目のナイフになってしまい、簡単に死ぬことすらできなくなる。
だから、理想的なのはその前に、三番目を継承することだ。そのために、朝霧の家系はまず後継者を探すところから始める。
「――ね。どうして?」
「なにがだ」
「今回のこと。コウノのメリットはどこにある?」
「騎士証を目の前にぶら下げられてからにしろよ、面倒だな。……メリットね。俺としちゃ、ただ最大効率を求めた結果で、効率としちゃ悪いオチだとも思ってる。お前がそうであるように、俺は俺で得たものがちゃんとあった」
「けど、あたしにはわかんない」
「納得できねえなら、俺を〝J〟に逢わせろ――いや、居場所だけ教えてくれりゃ、てめえの足で行く」
「……んー、それはそれで、いいんだけど、あたしもそろそろ、うちに戻ろうかと思ってたし、いいんだけど!」
「なにを怒ってんだ、お前」
「いろいろと釈然としないし、なんか悔しいし!」
「俺に言うなよ……だいたい、俺なんて程度が知れてる」
「だから悔しいじゃないの!」
「うるせえ、事実だ。逆に言えば、この国もその程度ってわけだが……イザミ、一つ訊いていいか?」
「……なによう」
「睨むな、探りを入れるわけじゃない。相談でもある。返答は今じゃなくていい。こいつは――俺自身も、まだ答えが出ていない疑問だ」
それは、昔からの疑問で。
「先代は今の俺より強い。この近辺で相手にできる連中はいねえだろうぜ、それこそ一個師団を率いたとしてもだ」
それでも。
「どうして――あの女は、この国の傍で暮らしていたんだろうな? そこには、個人的な理由しか、なかったのか?」
「……朝霧が、この地に留まった理由ってこと?」
「そうだ」
「個人的な理由なら、一つわかったけど」
「――それは?」
一つとすら見つけられないのに、それがわかったと?
「コウノがいたから」
「……どういう意味だ」
「だって、この近辺で相手にできる連中がいないくらいじゃないと――後継者を、一人の、自分の子を、自分の手で育てるのに、都合が悪いじゃん」
当人に聞いたことはない。けれどそれは、一つの事実かもしれないと思う反面、あの女がそんな殊勝なやつかよ、なんてことも思った。
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