10/19/07:00――コウノ・状況を作るなら

 寮に付属している風呂は、大衆浴場のようなものだ。

 いやに広い脱衣所と比較して、お湯を溜めただけのような風呂は十人がせいぜい入れる程度のもので、それはおそらく、男女ともに変わらないだろう。渡り廊下で寮と繋がっているとはいえ、着替えを忘れると大惨事だ。それなりに距離もある――とはいえ、利点はどの時間に使っても、問題がないということか。

 ――理由。

 ここ三日ほど、あれこれ考えている自分は、らしくないとは思わない。対外的には面倒臭がりで、寝てばかりの印象を作ってはいるし、性格もどちらかといえば、そちら寄りなのだが、思考することに関してはまったくべつだ。むしろ、思慮深い方でもあると自負している。こうやって考え込むのだって、久しぶりだが、昔はよくあった。

 戦う理由。生きる理由。あるいは目的。

 なにかを強要された覚えはない。彼女――先代の朝霧、つまり母親にとっては、最後にコウノへ継承することが目的であり、コウノもそれを一つの目安としていた。だからまだ、ここから先が見えないでいる。

 コウノにとって、騎士証に価値はない。たとえ手に入れたところで意味がない――と、一概に切り捨てることはしないが、少なくとも騎士証を手にして仕事をする必要はまったくないだろうし、そもそも、戦闘行為にしたって、単独を基本とし、卑怯なのではなく泥臭い行動を基準とするコウノは、最初からこの国にとっては異端だ。誰とも混ざることができず、在りようを強制されることもない。

 だから、本当はコウノの方こそ、この国に留まる理由を持っていないのだ。しかし同列として、ほかへ足を向ける理由もない――今のところは。

 そもそも、騎士と呼ばれる称号には、必ずしも戦闘能力が高ければ良い、なんてことはない。もちろん、最低限躰を動かせるラインは越えていなくてはならないが、いかにして危機的状況を乗り切るのかも重要になってくる。たとえば逃げ回って、無様に転がりながらでも、終了の合図まで逃げ続ければ、それは一つの才能で、傷一つつかなかった彼の目的が商人ならば、仕事としての引手はある。もちろん強いに越したことはないが、騎士証を手に入れ、仕事があると引手があったところで、それを拒絶するのも肯定するのも自由なのだ。

 卒業試験、なのだろう。学校で最低限を学び、卒業する。ただそれだけの仕組みに過ぎず、ただ騎士という呼称がそうであるように、その花形とは、街を、あるいは誰かを守る姿に、その意志に子供たちは焦がれる。

 オレグ・ティーアルを含めた近衛騎士などは、その典型だろう。戦闘もできる、それでいて行政も担い、一つの街を作った。そして場合によっては、騎士団を率いて妖魔の討伐にも向い、指揮を執って帰還する。その際に死者の一人も出していなければ、それはもう英雄だ。

 そしてあるいは、三人しかいない王騎士。王家を守るという勅命を得た、戦闘特化型の騎士でありながらも、守護を己に刻んだ者。

 確かに――コウノにとっても彼らは、羨ましい。仕事が、ではなく、その在り方が眩しく思う。決してコウノにはなれない位置に、立場に、彼らは在る。もちろん、なりたいとは思わないけれど。

 それでも、ああ、そうだ。

 どこかに、自分らしい生き方があるのでは、なんて淡い期待を持っていた頃もある。そんなものは自分で決める以外に、なにもないのに、それでも緩慢とも呼べる日日を過ごして、今まで誤魔化していたのだ。

 他人を、そして自分を。

「仮に、だ」

 一つの行動で最大効率を求める、なんてことはコウノにとって初歩だ。その方が面倒がないのはもちろんのこと、それ以上に、効率の最大値を見ておけば、どこまで自分ができるかを判断しやすい。

 だから、仮に――そう言い聞かせつつ、コウノは湯船に浸かったまま、縁に肘を乗せるよう天井を見上げる。

 地龍ヴェドスに干渉する、と言ったイザミの言葉が頭に浮かぶ。何をどうしたいかなど知らないが、干渉しようとする行為には興味を持った。逢えるのならば逢っておいて損はないと、そんな思考が働いたのだ。とりあえずはその線を進めてみよう。

 おそらく、ヴェドスにもっとも近いのは王城だ。入るにはいくつかの手順と、理由が必要になるが、それはさておいても、騎士証は絶対に必要となる。騒動を起こすつもりがないのならば、尚更だろうし、入ったとしても逢えるとは限らないが――それも、さておこう。

 騎士証を得る。

 実に癪で、生き方に惹かれているのも事実だが、ヴェドスと対面することを仮定したとしても、コウノ一人では無理だ。いや、無駄だと言ってもいい。なにしろ理由がなく、そして理由なくして逢える相手でもないだろう。なにしろこの大陸の主のようなものだ。逢って無事に帰れるとも限らない。

 イザミの存在が、必要だ。

 経験はわからないし、技術も比較のしようがないけれど、少なくとも見聞は間違いなくイザミの方が広い。旅をしている、とはそういうことだ。やり方などはコウノも先代から仕込まれていて、想定することは可能であっても、実際に動いた現場を知っているか否かは非常に大きい。その点、仕込まれていないイザミの方が、こと状況を動かす点においては秀でている。

 だから前提としては、イザミが騎士証を得るにはどうすべきか――だ。

 最短で二年。

 この結果を覆さなくてはならない。

「難しくは……ねえな」

 そうだ、実際にはそれほど困難ではない。何故ならば、二年をかけて得るのは、一人前になるための訓練だ。人との付き合い方、自分に合った生き方、それに伴った実力。この三つを、既にイザミは入手している。それこそ学校にいる連中など、イザミにしてみれば子供たち、なんて括りになるのかもしれない。

 だが、そうだ、それでも――それを〝理解〟できるのは、ほんの一握り。コウノを含め、せいぜいがオレグくらいなものだろう。保護者代わりとなったラノだとて、異端であるという認識でしかないのだから。

 その点に関してはよくわかる。なぜならコウノも同様に、手加減をして相手に合わせなくては、実力そのものを見せて、証明することができない現状を、ずっと過ごしてきたからだ。

 相手ができるのは、コウノが知る限りでも少なく、相対が可能だという前提をあげれば、それこそ自分くらいしかいない――。

 脱衣所に人の気配を感じ、明け方のこんな時間にか、なんて考えを浮かべるが、どちらかといえば、考えに没頭してコウノが長湯をしただけだ。

 からからと、音を立てて扉が開く。そちらに一瞥を投げたコウノは、片手をあげた。

「よお、ラディ。珍しいな、こんな時間に」

「コウ先輩……?」

 湯気で見えないわけでもなかろうにと思いながらも、戸惑いの反応は当然だ。コウノが浴室で誰かと一緒になる機会など、半年に一度あるかないか、というレベルなのだから。しかもそれが同室の相手ともなれば、驚きも頷けよう。

「自分は、ちょっと目覚めがよくなかったんですが――」

「そうか。俺は出るからゆっくりしてろ」

 湯船から上がったコウノを見たラディは、その躰に作られた大小の傷を見て息を呑む。

 学校で訓練をするに当たって、怪我をすることは日常茶飯事だ。得物を扱っている以上、事故だって起こることもある。けれど一定の治療技術が確立しているこの国の中では、そもそも傷が残るなんてことが、珍しい。残ったとしても、ごくごく小さなもので、ラディも背中には、右肩から脇腹にかけて、細い線のような傷痕がある。

 だが、コウノの傷は大きすぎた。腕が半分落ちかけた痕のような、脇腹を抉られた跡のような――何かで貫かれた、痕跡のような。

 そんな視線を無視するように脱衣所に戻ったコウノは、手早く水を拭って着替える。決して治療がおざなりになった結果ではなく、単に治療そのものが間に合わなかったか、あるいは限度を超えた怪我を負っただけだ。事故ではなく、訓練の一環で。

 外に出ると、もう薄く明るかった。コウノの中ではもう朝の時間になる――が、いかんせん食堂が開くのはもっと先だ。普段なら自室に戻っている頃だが、ラディがいないのならば、夜間外出を誤魔化す必要もないだろう。こちらも寝覚めが悪かった、なんてごまかしで通じる。

 ふらり、と歩いた先は学校の校庭だ。左手をポケットに、右手をふらふらと揺らしながら歩くが、いかんせん、やはり歩きながらだと思考はまとまらなかった。たまに、一定のルーチンの中で行動すると思考が捗る人間もいるらしいが、コウノには合わない。

 だから。

「オレグ、早朝に出勤とはご苦労なことだな」

「誰だ――ん、コウノか?」

「話がある。暇なら時間をくれ」

「今からか? 唐突だな……俺の出待ちってわけでもなさそうだが、重要な案件か?」

「そりゃ俺が決めることじゃねえよ、オレグが決めろ」

「オレグさん、だ。クソガキ」

「敬称を強要するなよ、おっさん」

 口の悪いやつだ、なんてのが教師連中の評価だが、そんな些細なことは気にしていない。べつに見下しているわけでも、尊敬していないわけでもなく、単に〝対等〟でありたいと、そう思っているからだ。

 向かった先は理事長室だ。オレグは革張りの椅子に腰かけると、執務机の中から灰皿と煙草を取り出して口に咥える。俺にも寄越せ、と言いそうになって止めたコウノは、やや距離をおいて立ち止まった。

「――で?」

「今から話すことは全て仮定の話だ。想像でも妄想でも結構、そのつもりでいてくれ」

「あ? ……まあ、そうだな、仮定な」

「たとえ話だ。オレグ、俺がこれから卒業試験を受けたいと言ったら、すぐにできるか?」

「つい十日前に終わったばかりなのに、なにを言ってんだお前は」

「仮定の話だと言っただろう。可能か、不可能か」

「そりゃ条件次第じゃ可能かもしれないが、まず不可能だろうな。お前一人のために、数を揃えろって、どんな重役だお前は」

「スカウトはいらないと言ったら?」

「条件を絞りたいのか」

 話が早くて助かると、軽口を一つ。返ってきたのはため息が一つ。

「それでも最低限の人数はいる。スカウトの目がないだけ、相応の目を持った人間は必要だ」

「たとえば」

「近衛騎士三名が最低ラインだ。それで周囲が納得しねえなら、王騎士もお呼びがかかる。たとえお前が、騎士の仕事をしなくても――だ」

「相手がイザミ・楠木なら?」

「おい……授業にも出ない、抜き打ち訓練じゃ平均より下のお前が――」

「仮定の話だと言ったはずだ」

「……たとえ、あいつが相手だろうが、条件を絞ることはできねえよ。そもそも、イザミは騎士じゃねえ」

「俺がイザミの本気を引出せるとしたら?」

「――」

「答えろよ、オレグ」

「それが可能なら」

 思い出したように紫煙を吐きだしながら、オレグはコウノを睨む。

「可能なら、集められるかもしれん」

「その場合は、スカウトの目を、逆に意図して外したいもんだ。ところでオレグ、第三区画に壊しても問題ない闘技場はあったか? ――本気で考えるなよ、これは冗談だ」

「お前ね……」

「全部仮定の話だ。返答が貰えたなら、以上はない。邪魔したな」

「構わんが――おい、コウノ」

「なんだ」

「お前は、本気で、イザミの実力を引出せると、そう思ってんのか?」

 背中を向けたコウノは、扉に手をかける。

「てめえの得物を斬られたことすら、気付かない間抜けを晒すことはねえよ」

「――おい! それをどこで」

 話は終わりだと、すぐに廊下に出たコウノは、それなりに本気で、この先を考え初めていた。


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