09/22/18:00――深井正晴・今更の悔い

 もっと早く気付けていたら――そうやって人は過去を振り返って後悔するものだ。そんな当たり前のことを知っていながらも、いつだって後悔は切り離せず、どれほど注意を払ったところで抱くことがある。そんなことに俺、深井正晴はいつだって振り回されていた。

 後悔しない人間などいない。だから、今の行動に注意を向ける。だが、どれほどの安全策、確信を抱いた行動だからといって、のちの結果までわからない俺たちは、やはり後悔してしまうのだろう。

 ――最初の後悔はなんだったか、よく覚えていない。

 けれど、ああ、後悔していないと胸を張って言えることが一つだけあり、それは、俺が転移する切欠となった一件だ。

 名前の通り俺は日本人なのだが、深井の家は、いわゆる魔術師の家名だった。

 魔術とは何か? それについて、俺は詳しく説明することができない。うちは文字式ルーンを実用する魔術師だったが、その仕組みについてあれこれ並べ立てるよりも、簡単に言ってしまえばそれは、一つの学問なのだ。

 魔術に神秘性はない。徹底的に論理的で緻密な構成を前提として行使されるのが術式で、そこに無駄は一つとしてなく、自然界のルールに則って行われ、それ以上でも以下でもない。違いがあるとするのならば、手順ではなく手段が違う、といったところか。

 たとえば水を発生させようと思ったら、空気中の水分を一ヵ所に集めてしまえばいい。傍目には水が発生したようにしか見えないけれど、周囲の空気はひどく乾燥しているはずだ。そんな初歩から派生まで、ともかく深井の家は学問として研究をしていた。

 もちろん、秘匿性はある。神経質なほど、その技術も思想も外に出そうとはしなかった。だから一子相伝、なんてことも行われるのだろう。

 深井の主である俺の親父は、自分のことしか考えていないクソッタレだった。

 若い頃の俺は母親を不憫に思う余裕もなく、ほとんど家に寄りつかないような生活をしていた。年齢を偽ってバイトをして金銭を得て、一人暮らしをしているバイトの先輩や大学生などを頼って寝泊まりをして。

 そんな俺を見て、親父は言ったのだ。

「俺の今までの人生はどうなる――」

 自分より目上の人間には丁寧で、目下の人間には容赦をしない。人にそうやってランク付けをして付き合うのが親父で、おふくろも――そして、言葉からわかる通り俺すらも、道具でしかないのだ。

 親父が大切だったのは、継ぐ俺自身ではなく、親父が費やした労力そのものであって、自分のためだ。

 俺は、その時のことをよく覚えていない。

 視界が真っ赤になったかと思えば、気付いた時には真っ暗だった。何も見えない暗闇を意識した途端、じわじわと黒が溶けて灰色の世界になったかと思えば、俺は。

 俺は、親父を殴り殺していた。母親はその傍で、どういうわけか、やはり屍体となって転がっていた。

 覚えている。

 そこは、その光景はまだ、覚えている。

 だが、俺は後悔していない。間違ったことをした、正しくなんかない、それでも――それでも、俺は、俺の行為を、これだけは後悔してはいけないと、そう思っている。

 そうして犯罪者となった俺の元へ、ある人物が訪れる。名前は、確か、ハインドと言っていた、長身で黒服の男性だ。その人物に誘われるがままに、ブリザディアのところへ招かれ、そして、俺は転移することにした。

 そうだ。

 人は簡単に死ぬ――。

 硬いもので頭を殴れば、鋭利なものを突き刺せば、人は死ぬ。俺はそんな当たり前のことを忘れたことはないし、知っているけれど、紅音はどうなんだろうか。

 エルに対した紅音の行動は、俺の理解を越えたものだったが、だからこそ、訓練されたものなのだろうと思える。人を壊すことにためらいもせず、けれど殺すことと壊すことを一緒にはしていない。俺のように殺してしまった、のではなく、殺さないように壊した、そんな技術を有しているのだ。

 だが、俺にはわからない。相変わらず、進歩もなく、わからない。それを持っていたとしても、なんの躊躇いもなく人を壊せるだなんて、理解したくもなかった。

 あれから丸一日ほど。俺は部活も学業にも出ずに、戻ってくるかもしれない紅音を待つため、いや、そんな理由付けをしながらも、俺自身がどうすべきかを考えるため、寮でずっと過ごしていた。

「いや、湯浅あか、だったか……」

 それが紅音の本名らしいけれど、俺にはピンとこない。だからどうしたと、笑い飛ばしたい気分だが、それはきっとエルが重体でなければの話で、現実にあいつは危害を加えたことで危険性が上がり、そして今は姿を消している。

 紅音が何をしたいのかがわからず、俺たちは紅音への態度を決めなくてはならないのに、敵対することも味方することもできないほど、なにも知らないのだ。

 紅音を次に見たとき、俺は、どうすればいいのだろうか。

 昨日から同じ場所にずっと立っていて、歩いているのでもなく停止しているような感覚が嫌だと思いながらも、それに甘んじるしかない自分を笑いたくなった――そんな折に、来客を告げるインターホンが鳴る。居留守でもしようかと考えた俺は、数時間ぶりに重い躰を起こして玄関を開く。

 そこに、伏見こゆきがいた。

「突然の来訪、申し訳ありません。彼は――雨天紅音さんは、戻っていますか」

「――いねえよ」

 即答すると、そうですかと言ってやや俯いた伏見は、右手を拳にして強く握った。その姿に、俺はまた後悔することになる。

 結局のところ俺は、エンジシニから出て行った連中がどうなったのかを知りたくて、管理課に探りを入れていたのだが、それがあまりよくない行為だと自覚していたため、だから管理課とは敵対関係にあるのだ、などと思っていた。そんな理由から態度は悪かったし、極力見つからないように動いていたため、正式な招致であっても嫌っていた。

 だが、そんな状況ではないと、その疑問には区切りがついたのだと、俺はわかっていたはずなのに。

 よく見れば、管理課の責任者であるところの伏見こゆきの表情は血の気がなく、明らかな疲労が見てとれる。そもそも管理課なのだから、レッドにメールの一通でも寄越せば、俺はすぐに返答しなくてはならなかったし、それが彼女個人の通知であっても、迷うことはあっても状況を考えれば、返信したはずだ。

 そんな当たり前のことを忘れて足を運ぶくらい――執務室から動かない伏見こゆきが、こんな場所までくるくらいに、気が急いているのか。

「悪い……」

「え? あ、失礼、なんでしょう。ごめんなさい、聴いていませんでした」

「いや、なんだ、その……あー、そうだな、せっかくだから上がってくれ」

「好意は嬉しいのですが……」

「いいから上がれよ。俺から見たって、今のあんたには休息が必要だ。だいたい、休憩しろと誰かに言われて、管理課から出てきたんじゃないのか? そんくらいしか、伏見さんは出歩かないだろ」

 それに、あんたを入り口に立たせていると、ほかの寮生に反感を食らうんだと、冗談めかして言いながら強引に上がらせた俺は、とりあえずテーブルの椅子に座らせてから、玉露を持って戻った。

 ありがとうございますと言って受け取った伏見は、やや俯いたまましばらく無言だったが、巻き込んでしまって申し訳ありませんと謝罪する。だが俺は、それを聞き流した。

 伏見が悪いわけではない。問題の中心になっている紅音に、どれだけ俺が関係していたかが原因であり、俺にも責はある。何よりも、ほとんど関係できていなかった事実がこうして露呈した形になったのだ、伏見を責める筋合いはないし、謝罪も受け取れない。

「ここに来たってことは、紅音のレッドには反応がないのか?」

「はい……どのような手段を取ったのかはわかりませんが、完全にレッドの反応が消失しています。買い物の記録も、行動記録も残っていないため、現状でどうしているのかも定かではありません。一応、通常業務外の警備部にも捜索をさせてはいますが……」

「俺には、そんなことが可能なのかよってレベルの話だな……」

 やはり、伏見は俺が知らない情報を持っている。それはきっと、リイディも何かを知っているのだろうが、さて。

 ――腹を割って、話しをするか。

「正直に言って、――俺は紅音が怖い」

「……そう、ですね。恐ろしいと、そして何よりも私は彼と相対しなくてはならない状況に、責務がなければ逃げ出したいと、そう思えてしまいます」

「わからねえでもないけど……リイディもそうだけどあんたも、紅音のことをどこか知っているふうだ。いや違うか、紅音じゃなく――湯浅あかについて、だ。そのあたり、俺にも教えてくれないか」

「私は、……今の私はプライベイトです。弱音を吐く意味合いかもしれません。けれどそれは、あるいは、取り返しのつかないことになる可能性もあります。深井さんは、それでも、よろしいですか」

「ああ。ここまできたんだ、どうであれ、付き合うつもりでいる。だったら聞いておいて損はない」

 それに、そんな辛そうな伏見さんを見たら、誰だって少しは楽にさせたいと思う。酷い顔だ、憔悴しているとすら思えてしまう。

 やや長い話になりますがと、前置きした伏見はぽつぽつと話し出す。

「深井さんはスフィア、転移装置について、どの程度の理解がおりでしょうか」

「軽く、だな。ブリザディアが完成させて、発展させたのがここで使ってる今のスフィアだろ?」

「そうです。ただし、それはエンジシニでのことで、過去のことではありません」

 そうか。

 俺も、その過去から転移してきたのだから、当然だ。つまり、湯浅あかを語るのに、その過去は外せないということか。

「待て……伏見さんは確か、第二世代じゃなかったか?」

「ええ。だからほぼ伝聞になります」

 そうしてみれば、敵対していたとはいえ、俺は管理課に対してはともかくも、伏見こゆき本人に関しては、知らないことばかりだ。――いや、それは、彼女が俺を知らないのと同じか。

「当時、転移における空間歪曲現象が発生してから、研究を委託された場所が、湯浅機関と呼ばれる研究所です。当時の責任者である湯浅つじ、そして妻のふみのご夫妻が研究を行いました。しかし、実験動物の転移を試す段階になって、つじ氏が消えてしまった」

「……俺はあんま詳しくねえけど、まだ動物実験は行われていなかったんだろ? その時点で、転移を試したってのか?」

「当時は消息不明扱いで片づけられましたが、実際にはその通りです。また、一年の刻を置いてふみ氏も消えたのですが、その際に責任者となったのが、当時……確か、十二歳ほどの子供、湯浅あかでした。すみません、年齢は多少前後するかもしれませんが」

「十二歳……それは、あれなのか。なんつーか、いわゆる責任者ってことになるのか?」

「――ああ、いえ、違います。彼はその年齢で研究機関を統括できるだけの知識と技術を有しており、一人の研究員として責任者になりました」

「な…………尋常、じゃ、ねえ」

 十二歳の頃の俺は、ただのガキだった。後悔なんて呼べるものも、落ち込むほどでもなく、クソッタレと毒づきながら同じ過ちを無意識に繰り返すだけの、先の見えていないガキだ。

「その時点で、副所長の位置に、エイク・ブリザディアがいました」

「そうだったのか……俺はてっきり、ブリザディアが主体になって完成させたと、そう思ってたけどな」

「それも間違いではありませんが、事実とは異なります。湯浅あかは十六歳の頃、初の人体転移を行いました。もっとも、それも公式記録には載りませんでしたが……どうやら、それはブリザディアに地位を譲る結果として、自ら入ったようです」

「――はあ?」

「わかりやすく言えば、すべての研究成果をブリザディアに放り投げ、勝手に転移してしまった、でしょうか」

 なんだそれは、わけがわからん。一生懸命、時間をかけて作ったものを、放り捨てたなんて、人ができるものなのか。

「それから一年と経たずして、ブリザディアが完成の発表をし、実際に転移は行われ、成功しました。――転移者である深井さんは、ブリザディアと直接顔を合わせたことが、もしかしたら、あるかもしれませんけれど」

「それは、まあ、そうだが……流れはわかったが、湯浅あかと紅音が同一人物だって確証は、聞いた限りじゃねえよな」

「そうですね。――ここからは、エンジシニの話になりますので、一度繋がりを切って聴いてください」

「ああ」

「当初、ブリザディアがこちらへ転移した際には、まだスフィアシステムはありませんでした。外観は現在と大差なく、また住人もごく少数で、生産区などは手つかずの状態だったそうです。いえ、生産区だけではなく、ほとんどの場所が使われていませんでした」

「人がいねえから、か?」

「それもありますが、最大の理由は、大きすぎる施設であるため、移動に時間がかかり過ぎるからです。だからブリザディアは、転移システムを応用してスフィアを作り出しました。研究施設はあったので、あとは人手があれば時間が解決してくれます。なにより、知識は持ち合わせていましたから」

「ふうん……なるほどなあ」

「そして、湯浅つじの転移によって――研究速度は飛躍的に上がることとなります」

「待ってくれ」

 それは、おかしい。

「つじってのは一番最初の転移者なんだろ、順序が逆だ」

「そうです。ですが、こちら側では、この流れが正しい時間です。彼の協力を得て現在とほぼ同システムを作り上げたのですが、その途中で湯浅ふみも転移してきました。――当時の年齢のままで」

「はあ? 転移した時の年齢のまま……でも、転移っつーか、出現時間は違うってのかよ」

「はい。因果関係が捻じれている、とは漠然とした解釈ですが、それ以上はまだなにも」

「まだ解明されてねえ――のか」

「おそらくは〝記章〟と呼ばれるものが原因ではないか、と考えていましたが、しかし、その本体を発見するまでには至っていません」

「記章……」

 それは、紅音も言っていたか。

「その、記章ってのは、どういうものなんだ?」

「そうですね……スフィアには入り口と出口が存在します。転移を安定させるものでもありますが、そもそも出口がなければスフィアは稼働しません。ゆえに、空間歪曲における転移とは、タイムマシンとは違うものだ――と証明されたのですが、記章とはつまり、その出口の印のようなものだと解釈されています」

「前の時代から、ここへ来るための出口ってことか……出口? あれ、ちょい待て……時間関係は整理しようにも複雑だけど、もしかしてそりゃ、あれか。逆――か?」

「はい」

「だよな。つまり、かつて発端であるはずの空間……歪曲だっけ? 事故のような転移は、そもそも、ここ、エンジシニが完成したから、前の時代のあの時に、転移が発生しちまったってことか?」

「そう、なります」

 なんだそれは。

 なんなんだ。

 未来は不確定で、確定しない……んだったか。けれどその先、ずっと先にある未来で出口が――記章が――作られてしまったから、過去が変わって転移ができた? いや、過去は確定されていて変わらない……うん? なんだこれは。さっぱりわからん。矛盾してる。

「あー……」

「なんとなく、悩んでいらっしゃる内容はわかりますが、その疑問を解決してくれるものが、記章なのでしょう。そして、転移された方がいらっしゃる現状、それは確実に存在しているはずなのです」

「……」

「なぜ私がエンジシニの管理課責任者であるのか、その理由は私がブリザディアと湯浅の両名と直接の知り合いであり、関係を持ち、……聞こえは悪いかもしれませんが、責任者になるよう育てられたから、となります」

「そこまでは聞いてねえけどな」

「私は……そんな私が」

「よせ!」

 口にしてはならない言葉を封じるため、半ば強引に言葉を遮った俺は、睨むようにしてテーブルを叩く。失言にはすぐ気付いたのだろう、伏見が口を閉じて視線を落としたため、俺もすぐ腰を下ろして横を向く。

 確かに、紅音のことに関して伏見は後手に回り、これからなにか損害を発生させ、被るのがエンジシニそれ自体だとしても――それでも、今の立場を己が否定するようなことは、口にしてはいけないはずだ。責任者ならばなおさらで、俺も。

 後悔を抱いてもいいが、それでも、今の自分を否定することは、赦せそうにない。

「失礼、しました」

「疲れてんだよ……もうちょっと休め。って、俺も休ませてねえ気がするけどな」

「いえ、会話をしていたほうが気が紛れますから」

「そうか。じゃあ訊くけどな、そもそもだ、紅音と湯浅あかを関連付ける理由が、なんかあんのか? 話を聞いてる限りは、どうにも繋がらねえんだけど」

「……深井さんは、当人の言葉を認めてはいないのですか?」

「どうだろうな」

 紅音は確かに肯定したが、その前に否定もしていた。どちらが事実、本音なのかと問われても、たぶん肯定したのが実際なんだなと、状況から読み取れるけれども。

「そうであっても、なんだ、具体的にどんな脅威があるんだ?」

「それは――」

「研究つっても、スフィア関連なんだろ? ほか……なにか作ってたとか、経歴とか、もっと詳しく知ってんのか?」

「いえ……そうですね、そのあたりを知ることで対処ができるかもしれません。――ありがとうございます深井さん」

「狙って言ったわけじゃねえし、余計な仕事を増やしただけかもしれねえけど……なあ」

 俺は、ずっと訊くべきかどうか迷っていたけれど、やはり訊かずにはいられなかった。

「また、エルみたいなのが出てくる……のか?」

「……わかりません。わかりませんが、敵対意志がない者に直接的な行為に出ることはないと、私は考えています」

「下手に刺激すんなってことか」

「ただ……それでもまだ、彼の目的が――記章をどうするのかがわかれば、いえ、わかるまではどうなるかも、わかりませんから」

「……管理課ってのも、大変なんだな。初めて同情したぜ。てっきり後手に回ってばかりかと思ってたら、可能性を考慮して手を打つこともするのか」

「いえ、それでもやはり、私は後手に回ってばかりです」

 俺はまだ、この時は――俺たちの問題なのだと。

 俺たちと管理課、紅音の問題なのだと、そう思っていた。

 それが大間違いだったと気付くのは、やはり実害が出てからのことで、その現実を突き付けられた俺は、また大きな後悔を抱くはめになる。

 後悔。

 それは現在進行形ではなく、未来から過去を振り返ってこそわかるものでしかなくて。

 今の俺には、わからないものだ。


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