04/11/11:40――メイ・手綱の失くした黒猫
何がどうなったのかも、わからない。
疑問は当然、そんな素振りさえ見せなかった。何がなんだかわからない。不明ばかりが脳内に押し寄せ、解決の糸口が見つからない。結果、混乱と呼べる状況の中に落とされたメイは、ただ。
「どういうことじゃ!」
叫ぶ。
「主様――」
叫んで、そして、己の中、かつてリウの肉体を利用して作られた自分との強い繋がりが消えて、使い魔と冗談交じりに言われていた根源となるものが失われて。
ただ。
メイは、一人になった。
それを自覚してしまえば、もう声は出ない。猫である以上は涙を流すこともできず、爪を立てて床をこすった。
床――?
「ここは……」
「――お帰り」
驚き、飛び跳ねるように声とは逆の方向に移動すれば、そこに。
窓際に、背を向けてこちらを見る、サギシロがいた。
「サギシロ殿?」
「そうよ」
「ではここは、――ああ。ノザメエリアの、サギシロ殿の研究室か……」
「何があった?」
「――主様が、倒れた」
「そして?」
わかっているのだ、彼女は。ただ、それをメイに再確認させるために、声を重ねる。
「どうなった?」
「
「そうね」
「主様は……いない」
うん、と頷いたサギシロが組んでいた腕を外す。
「サギシロ殿は、知っておったのか? 妾は……何も、知らなかった」
「リウが隠していたことよ、まだ話せないから――ちょっと、落ち着きなさい。それと、様子を見る限り〝
「預けて……?」
「言うなれば、私にとっての、形見分けね」
近づいたサギシロの表情は、以前に見たものとあまり変わっていないように思う。寂しそうだとか、悲しそうだとか、そういう感じではない。かといって驚きもなく。
「……弔えなかったのは、心残りだけれどね」
そんな言葉と共に、メイの影に手を入れて取り出したのは、五神が持つという通信機と――二つの、薔薇を模したイヤリングだった。
「あら」
「どうかしたのか?」
「そうね……しばらく私は黙るだろうから、メイはちょっと休んでなさい」
返事も待たず、巧妙に隠してある内部術式を展開。外部からの干渉に制限があり、それはサギシロがアクセスすることを想定した術式だ。
それは、相手の心象に作用して周囲の空間や意識そのものを、一時的に誤認させるような術式だった。
――そこは。
かつてリウに肉体的な戦闘技術を叩きこんだ、サギシロの隠れ家であり、かつては雨天家と呼ばれていた場所だった。
サギシロは縁側に座っている。
そして、彼女は。
リウは、空を見上げていて。
「――や」
振り向き、三十歳を越えただろう姿で、まるで照れ隠しにはにかんだような表情で、軽く手を振った。
「久しぶり、師匠」
「師と言われるようなことを、大してしてないと、前に言わなかったかしら」
「でも、私の師匠だから」
「そう。……で、なに?」
「あはは、――嫌がらせ。こういうの、きっと師匠は嫌うんじゃないかなあって思ったから。いや、実際に伝えることもあったんだけど」
ここにいるリウは、本体ではない。いわば魔力の残滓から創り上げられた、この術式を組み込んだ当時の、リウだったものだ。
今、サギシロは過去と話をしている。
あくまでも、それは一時的なものでしかないが、普通の人にとっては毒だ。
だからこそ、嫌がらせなのだろうけれど。
「先に本題――で、良かったよね?」
「わかってるなら、早く言いなさいよ」
「あはは。うん、こうして師匠に逢ってるってことは、きちんと想定通りに終わらせられたってところかな。それは一安心だけど――メイの荷物の中に、〝コキュートスの匣〟で隔離した荷物があるんだけど」
「あら、あれ使えたの」
「たぶん、師匠の使う本物には敵わない……けど、見た目は同じだから、使ってた。で、そのうちミヤコがくるから、中身を渡して欲しい。これ解除鍵」
複数の小型術陣が柱のように出現する。それをちらりと一瞥してから、ひらひらと手を振るようにして消すように指示した。
「その程度なら大丈夫よ。で、ミヤコはくる?」
「間違いなく。遅かれ早かれ、だけどね」
「中身は?」
「……それ、話さないとダメ?」
「対価」
「あー……そこらの考えは、まだ師匠には至らないか。うん、中身は金属の板と……刀が、一振り。それと本」
「で?」
「金属はミヤコに、刀は――娘に、渡して欲しい。あ、直接言わなくても、ミヤコならわかるはずだから。本は息子のほう」
「そう。創れたのね」
「あはは、半年くらい前にね。命を込め過ぎて――そっからが、大変だった」
「メイの様子を見ていれば、隠し通していたのはわかったけれどね」
「半年くらいなら、まあなんとか。そうそう、エミリオンの刃物も一通り見つけたよ」
「三番目も?」
「うん、セツもそこが難しいって言ってたけど、興味を持って探してみたら、見つけられた。師匠には〝朝霧〟が持っていたって言えば、わかるんだろうけどさ」
「あの馬鹿……」
「こわっ! 師匠がそんな顔すんの初めて見たけどこわっ!」
無言で冷たくされたことはあっても、睨まれたことはなかった。
「試した?」
「あ、うん。三番目そのものだったから」
「見解を」
「えーっとね、継いでたのは三番目と、かつての知識と、訓練方法……くらいかな。血筋そのものは度外視してて、ナイフと肉体の境界線が見えている内に、次世代に継承するのが良い感じみたい」
「やったのね?」
「うん。――いや、あれはやりあったと言っていいのかな? 結果的には私の代償を見破られて、落としどころとして私が圧勝していたように見えた時点で、終わったというか、終わらせてくれたというか……」
「誤魔化したのね」
「うん」
「初代の朝霧とは、私もそんな感じだったから、何も言わないけれど」
「そりゃまた厄介な……で、師匠。頼める?」
「受け渡しの件なら諒解したわ。わかっていると思うけれど、通信機とイヤリング二つは回収したからね」
「それは想定済み。あとメイのことだけど」
「ん?」
リウは言う。前もって考えていたような言葉を、口にした。
「――って、伝えておいて」
「承諾するかどうかまで、責任持たないわよ」
「あはは、さすがにそこまでは、私も責任持てないし。……――じゃあ師匠」
「なに?」
「いろいろ、ありがと。もう行くから」
「そう。ま、こんな形だけど最後には挨拶をしに来たところは、及第点かしらね」
「――わお、最後の最後で師匠に及第点貰えるなんて、思いもしなかった」
嬉しそうに笑ったリウが、片手を軽く上げて消える。それと同期して周囲の景色も変わり、サギシロは窓枠に片手を置いた状態を自覚した。
「ん」
「サギシロ殿?」
落ち着きなく、それでも椅子で丸くなっていたメイが言葉に反応して顔を上げる。時間にしておおよそ十五分程度、まあそれは仕方ない。
「リウからの伝言」
「主様から……?」
「リウはもういない。ミヤコもきっと、あんたを必要としない。――けれど」
それでも、だ。
「ミヤコの娘と息子は、きっとメイを必要とする。年長者のように、今度はあんたが道を示せ。――と、確かに伝えたわよ」
「……そう、か」
「そういうことよ。今のあんたには、リウの知識も持っていて、リウの術式も使える。魔力容量そのものの差は仕方ないとしてもね。リウの予想じゃ、近いうちにミヤコがくるらしいから、それまでには態度を決めておきなさい。お互い、傷を舐め合うような間柄でもないでしょ」
「うむ。……すまんな、サギシロ殿。迷惑をかける」
「今くらいはね。――じゃ、ちょっと出てくるから」
扉が閉まり、ただそれだけで内部の術式が稼働する。軽い閉鎖、いわゆる錠前となる術式と、これまで使っていた術式の除去。以前にも知っていた、サギシロの研究室の特性だ。
――随分と、昔のことだったように思う。
旅を続けて十五年ほどか。ならば、確かに遠い記憶かもしれないが、忘れるほどではない。
メイにとってリウは? 面倒事を投げられることも、使われることもあったけれど、昔に命を助けられ、行動を共にするようになってから、ずっと主人だった。言われることを拒否したり、命じられることを否定したり、決して主従関係そのものはなかったようにも思えるけれど。
同じものを見て、考え方は違って、今まで生きてきた。
「こうなることは――わかっておったんじゃろうなあ」
だからこそ、何も言わなかったのだ。隠し通した。
いつから? たぶん、旅を始める前から。そうでなくては、拙速とも呼べるほどの忙しなさで、生きようなどとは思わない。
「気に入らん」
落ち込んでもいるし、寂しさもある。だが、実際にこうして現実になると、過去の行動の端端に、当時は気付かなくても、こうなってしまうと理解できる行動があったりで、文句の一つも言いたい衝動に駆られるものの、納得が先行してしまい、感情が爆発しない。
元よりそういう気質でもないのだが――。
「あー……」
もやもやする。
なので、椅子から起きたメイは飛び降り、床に降りると同時に着地した足元に術陣を展開。いくつかの工程を飛ばして人型になり、そのまま大の字になって仰向けに倒れた。人型になることの難点は空腹が大きくなることだが――けれど、人の視点での視界を得られる。
眉の上付近で揃えられた前髪、耳の前付近は顎の付近で整えられ、後ろ髪は長く、色は地毛である黒。体格は女性そのもので、服装は黒を基調として白色を混ぜた、きっちりしたもので、これらは〝
もうリウはいない。
生きるのならば、メイはメイの判断を行うしかなくなった。
「……」
そんなことは、当たり前だ。当然のこと。
「いかん、面倒になってきた」
だったら、だらだら状況に流されればいいか、なんて思ったところで、跳ねるようにして立ち上がったメイは、内ポケットから赤いフレームの眼鏡を取り出してかける。偽装というよりも、猫の視力そのものを落とすことで、楽にすることが目的だ。いや、七割がた服装やら体格やら、リウの個人的趣味での面白半分だったが。
扉をあけて出れば、そこは魔術研究所の内部だ。この中はいつもリウと一緒だったので、それほど馴染みがあるわけではないが、場所くらいは把握している。ここ十数年で大掛かりな変化があれば別だが、その心配もなかった。
歩数に合わせて、ほぼ無意識に内部術式を読み取る。自然体のまま警戒は一割増、つまり通常通り。ロビーにまで出ると、訝しむような視線が向けられるが、それを受け流すのも慣れたものだ。猫の姿のまま情報収集することも多かったが、人型であればこそ見つかる情報もある。
加えて、入った覚えのない人間が内部から出てくれば、不審に思うのは当然だ。そこに耐性を求めても仕方ないし、理由を察しろなどという無茶は言わない。
「とはいえ、このままにしておくのもな――マリーリア!」
「はいはい。……ん? 誰?」
「久しいのう、妾じゃ。覚えておらんか、黒猫のメイじゃ」
「…………は?」
「は、ではない。メイだと言っておるじゃろ」
「えーっと……はあ?」
「はあ、ではない。お主、今はどうか知らんが研究所の主任とやらをやっておるんじゃろ。少し探れば術式を発見することくらいできよう」
「メイ? 本当に? あの、リウと一緒にいた黒猫のメイ?」
「だからそう言っておるじゃろ。老けたのう、お主」
「ううううっさい! こちとら娘もいる一児の母親なんだから、しょうがないでしょ!」
「それもそうか。まあなんだ、サギシロ殿と少しあってな。お主の術式がその程度――……」
「なによう」
「いや、なんでもない。猫の姿で出歩くこともあろう、覚えておくといい。妾はこれから散歩じゃ」
「ああそう、いってらっしゃい」
「うむ」
外に出れば陽光、そういえば昼過ぎの時間帯だ。あとで影の中にある金で食事でもしよう。
しかし――。
「意外というか、なんというか」
そういうことなんだろうと、思う。
かつてのことを思えば、このノザメエリアは魔術に関して、研究所があるように、それなりにレベルが高い。今まで旅をしてきた経緯を振り返ってみれば、少なくとも五指に入るレベルの街だ。
それでも、無意識に口から出た言葉は、この程度の術式くらい見てすぐわかるだろう、なんてことだ。それが当たり前のように、メイは過ごしていた。
リウから預かったもの、なんて言えば格好がつくのかもしれないが、同期していたとしても、譲り受けていたとしても、リウやミヤコと同じく、メイが旅で培ってきたものだろう。そうでなくとも――どうであれだ。
メイの魔術師としての立場は、ほぼ確実なものとして、ここに存在してしまっている。
「好きに生きろと言われてもな」
もちろん、リウの代わりなんてできない。彼女と自分が違うものだというのは、ずっと前から知っていた。
それでも。
それでも――主人であるリウが死んだら、自分もそうなるだろうと、だからこそ一心同体だと、そう思っていたが、違ったという現実を前にして、混乱はしていたのだ。
疑問を抱くことなく思っていたことが違って、思わぬ空白が発生して手に余るような。
「魔術師として生きるしかないが……」
そうだ、だからこそ欠けている。
目的、目標、行動源になるような決定的な何かが――メイの中にはないのだ。
そして、流されることを、メイはあまり好まない。少なくともリウがそうだったから。
メイは迷わずに、海に向かった。こうしてみれば、海に面した街も、ここ以外では一つしか知らない。猫族の集落がそうだったくらいなものだ。
微動だにしない海、そこに臨むように、挑むように、途方もない圧力を前に佇む。
メイにだって本能がある。海は怖い。だがなるほど、確かに――こうして海と顔を合わせれば、自分の中に恐怖があることを自覚できる。
よく、リウがこうしていた。恐怖を確認しているんだと、いつも言っていたように思う。それが本当なのか嘘なのか、今もまだわからない。
だが。
怖さを感じる自分は、まだ正常なのだと、メイは自覚できた。
「そうじゃの。主様よ、まずは流れを見ることが先決だと、そう言うことかのう……」
まだわからない。何がどうだか、不明の状態。
なにしろメイの一人旅は、ここから始まるのだろうから。
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