11/19/16:00――リウラクタ・ここからの道
闘技場に戻れば、そこは既に内部だった。空中を歩く手間を省いただけだが、ミミは驚いている。
「メイ、お疲れ」
「うむ」
肩で荒い呼吸をしながら、どこか虚ろな瞳で疲労を隠そうともせず、居合いの姿勢を続けるミヤコが視界に入るが、こちらに気付いたレーグネンが小さく肩を竦め、終わりにするぞと言えば、刀を納めた状態でミヤコはリングに突っ伏した。
「だらしない、と言うべきかしらね」
「そうでもないじゃろ。妾から見れば、良うやった」
「そうね。――ミミ、終了合図」
「あ、うん、そうね」
倒れたミヤコをレーグネンが背負う、というか肩に担いだ。右手に持った刀を、ひょいと放り投げれば宙に消える。
「宿までは運んでやるよ」
「ありがと。……左利き?」
「おう」
闘技場に入ってきた方向を見れば、まだディドたちがいたので、逆側の出入り口へと足を向ける。今はあれこれ追及されたりと、面倒な時間を作りたくはなかった。
「ミヤコはどう?」
「ん……俺がどうのと言えるレベルじゃァねェよ。ただまァ、一日くれェ見てやりゃ、楠木としての〝芯〟は通るだろ。雨天にゃなれねェが」
「そもそも、雨天ってのはなんなの?」
「わかりやすく言えば、武術の源流だ。俺は次を作るつもりはねェし……そもそも、俺だってせいぜい今は八割か。でけェことは言えねェな」
「八割で、それ? っていうか、最盛期に戻さないの?」
「簡単に言ってくれるじゃねェか……お前がいつか、ベルかマーデ辺りに出逢ったら聞いとけ」
「――師匠じゃ、サギシロじゃだめ?」
ちらり、と一瞥を投げながら言うと、苦笑が返ってきた。そのまま二人は闘技場をあとにする。
「いろいろ推察してるみてェだが、あいつじゃ俺の相手は務まらねェよ」
「やっぱり知り合いなんだ」
「腹の探り合いは面倒だと、言わなかったか? ッたく――そりゃ確かに、お前とは違ってあいつは俺と同じ盤面にいるけどなァ」
「そういうのも、やっぱわかる?」
「まァな。かつての友人が策士だったから、そこらへんは見極められる。あの野郎はちょっと度が外れちまってたが」
「どういう人?」
「将棋は、駒が揃ってッから楽だとか言うやつ」
「うっわ」
それは本当の意味での策士だ。しかも、確かに度が外れてしまっている。
「あいつは――サギシロは俺の娘で、武術を俺が見せた」
「――」
「……はは、さすがに驚くか」
「そりゃ……」
外見年齢に囚われていたわけではない。サギシロが長生きしていることくらいは知っていたし、その理由も推察できていた。
けれど、だったらレーグネンは?
「……依代?」
「ん? ああ、そりゃ厳密にゃ違うだろ。天魔を人に降ろすッてのは、そりゃ珍しい部類だが、不可能じゃねェよ。雨天は常にそう在った。詳しくは言えねェが、俺はずっと封じられてたようなもんだ。起きたのはざっと二十年くらい前」
「不可能じゃないけど、でも、陰気に傾くでしょ?」
「なんだ、やり方を知りたいのか? 簡単に言っちまえば、自身の陰陽を把握した上で、天魔を屈服させて、俺の陰気そのものとして扱えるようになりゃ、可能だろ。たとえば楠木が村時雨と共に在るように――ああ」
こいつは逆かと、ミヤコに佩かれた刀を一瞥して、レーグネンは言う。
「村時雨が楠木と共に在りたいと願ったンだったか。どうであれ、在り方はそれぞれだ。そして、今じゃここにいた十六夜みてェなのが大半だな。ミヤコのが珍しいぜ」
「……もう一つ。〝
「おゥ、ありゃだいぶ前だが、あったな。俺を見かけて、野郎は頭を下げやがった。一手合わせろと。その頃は五割程度だったから、遊び半分で転がしてやったなァ……と、こいつは言わない方が良かったか」
「いいわよ、べつに。それほど神聖視してないし、知り合いだから」
「真っ直ぐだったなァ、エイジェイは。俺の飛針や剛糸への反応が弱かった」
「なにそれ」
「暗器の類だ。大半は袖口に隠す」
「いやそれは知ってるけど――針は確か、
「ああ――あいつらが専門にしてたのは確かだ。源流だと言っただろ、そもそも飛針や剛糸なんかは複合して使う。もちろん、槍みてェに不向きもあるが」
「なるほどね、源流か。……おっと」
忘れていた、とばかりに認識迷彩系の術式を軽く展開する。人目につくのは面倒だ。
「――はは」
「え、なに? 余計なお世話だった?」
「いや、術式を使うのかと思ってな。かつては周囲の目から逃れるなんてのは、技術でやったもんだ」
「……できるものなの?」
「闘技場にいた観客くらいの数が相手ならな。さすがにああやって〝観戦〟されてると面倒だが」
「化け物じゃない、あんた」
「お前に言われたくはねェなァ」
できるのなら、どっちでも同じだろ、なんて笑う。一応先導している形だが、背中を向けたくはない手合いだ。
「――けど、やっぱり俺とお前は、逢うべきじゃねェな」
「そう?」
「懐かしくッて、いろいろと話したくなっちまう。――どうでもいいことを話して、懐かしさに浸りたくなる」
「それ、悪いこと? そりゃミヤコがそんな状態だったら、どうかと思うけど」
「少なくともお前にとっちゃァ悪いことだろうが」
「そうかもしれないわね」
宿に到着して中に入ると、片手でミヤコを渡される。さすがに担ぐような真似はできないので、両手で受け取った。
「じゃあな」
「うん」
「――ッて、なんだァてめェ、引退して何やってンだ?」
「……うるさいよ、クソじじい。客じゃないなら帰りな」
知り合いでも驚きはしないなあ、なんて思いながら二階へ。面倒なので鍵は術式で開けてしまい、ベッドにミヤコを横たえてから、きちんと手で扉を閉める。メイはいつの間にか影の中に入ってしまっており、何かを指示しようと口を開いて、止めた。
いくつかの術陣を展開して室内の水気を高めてやる。じっとりと汗ばむような水気が充満し、窓に水滴がつくのを確認した辺りで、自分が濡れないような術式を使っておいた。
「リウ……」
「なあに、起きた?」
「うん。リウ、――ごめん。あたしはもう、一緒に行けない」
「ばぁか。謝ってどうすんの」
「うん……いつか、並べるようになったら、逢いにいく」
「そうね」
その言葉に即答できたのは、きっとリウにとっては僥倖だった。何の棘にも引っ掛からず、自然に。
「その時は、別れていた時間でも、語り合って埋めればいいわ」
「うん」
「動けないなら、寝てなさい」
「……そーする」
実際には声を出すのも辛いだろう。寝かされたまま、微動だにしないのは、動けないからだ。指一本動かしただけでも、全身に激痛が走るのは、肉体限界を越えて酷使した結果である。
ミヤコの回復力なら、一日あれば動けるようになるだろう。
――それにしても。
まさか、先にミヤコから言われるとは思っていなかった。どうやって切り出そうか考えていた自分が馬鹿みたいだ。
決意したことを素直に嬉しいと思う。だから嬉しさを抱いたまま、静かにリウは宿から外へ出た。
――嘘に、ならないようにしなきゃね。
次に逢う時には、語り合おうと、約束したわけではないけれど、このままでは嘘になってしまう。どうにかして対処しなくては、ミヤコに対して失礼だ。
「メイ」
言えば、影からするりと抜けだし、リウの肩に乗って欠伸を一つ。
「――別れか」
「そう。聞いてた?」
「寝ぼけ半分でのう。あれで良いのか?」
「なに言ってんの。こうなることは、四年も前にわかっていて、いつになるかって待っていたのよ。寂しさはないわ、嬉しいし」
「あっさりしたもんじゃのう」
「ここで拘泥する理由がないだけ。今までの四年間を否定したくもないから」
劣等感を抱いていたのは、ミヤコではなくリウの方だ。きっとお互いに、お互いよりも劣っていると痛感していた。けれど、その痛感の理由まで把握していたリウと、知らなかったミヤコでは、やはり違うし、リウはきちんとそれを隠していたから、同じとは言えないはず。
どちらにせよ、今までリウの旅に付き合わせていたのだ。その事実はなんであれ、変わらない。それは劣等感というよりも、負い目だったけれど。
「妾が口を出す話でもないか。これからどこへ行く」
「ん? とりあえず、猫族の集落かな。主目的は思いのほか早く達成できたからね。滞在は半年くらい考えてる」
それが限度、なんて意味合いで放たれた期間であることを理解したメイは、僅かに苦笑した。そして、すぐに地面に降りて、影の中に潜る。
街の外に出ても、その歩みが止まることはない。おそらく闘技大会の参加者たちの中では、早い部類の退出だろう。もっとも、ミヤコとレーグネンの戦闘に少なからず当てられているはずなので、今年は街を出る人間は多いはずだ。
残してきた影響のことについては、まあ許容範囲だ。ミヤコも長く滞在することはないだろう、と思えるくらいには、時間を一緒にしてきている。
――そんな心配も、必要ないか。
これからは自分のことだけ考えればいい、なんて切り捨てることはできないけれど。
肩越しに軽く振り返れば、もうイウェリア王国は遠く、小さくなってしまっている。短い滞在だったが、総合すれば良かったのだろう。
「さて」
誰かの心配よりも、自分のことを優先しよう。ここからの旅は一人だ。二人で分担していたものも、一人でやらなくてはならない。
ただ。
身の内に抱いたこの劣等感も、いつかミヤコには、話してあげないとな、なんてことを思った。
旅は続く。
一人になって――リウも、ミヤコも、続ける。
それだけは確信が持てることだった。
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