11/16/08:00――ミヤコ・第一回戦

 新緑に似た色合いの袴装束が翻る。砂埃を立てる道の左右には木造家屋が立ち並んでいるもののしかし、住人は誰一人としていなかった。けれど張りぼてではなく実体があり、さてどれほどの資金が投入されているのかと考える暇はない。

 そして、ミヤコは瞳を細めた鋭い相貌で大地を蹴る。

 前へ――ではなく、後ろへだ。

 視線は眼前に向けられたまま、躰を正面に向け、しかし足だけは躰を背後に飛ばしている。着地する足場を確認することもなければ、まるで背に目がついているかの如く――だが必死に、額に汗を流しながら回避行動を続けていた。

 回避、だ。

 四本の銀光が走る。あまりにも鋭利で、空気そのものすら切断するそれを大きく距離を空けることで回避し、ステップによって速度に緩急を乗せることでどうにか傷を負うことだけは避けてはいるものの、しかし追い詰められている。

 相手は人型――小柄なミヤコと比較すれば大柄、しかも男性ということもあってか腕力も速度も相手が上のようだ。そして何よりも厄介なのがその銀光が不可視に限りなく近いことだろう。

 爪だろうなと接敵してから九十秒、彼女は思う。長さはおよそ七十センチまで伸縮可能、それにより大きく距離を取らざるを得ない――ならばと、緩急をつけるために踏んだ足を後ろではなく前に蹴ろうと硬直を演出しつつ、前傾姿勢になって攻撃を回避してから足を一歩前へ。

 だが、その動作と共に背を向けるよう逃走のための疾走を行おうとして確信を得た。

「お、――!」

 狼の遠吠え、狼族ワーウルフが得意とする相手の身を竦ませる雄叫びウォークライだ。しかも攻撃性を孕んでおり、向ける先――前方、つまりミヤコへと空気そのものが振動して衝撃となり襲い掛かる。

 対しての選択は両手で耳を押さえ、ぴょんと飛んで空中で丸くなる、一見すると可愛らしい回避方法だ。衝撃はあくまでも声ならば、振動によるもの。鼓膜、三半規管へのダメージを減らしつつ、地面など衝撃が伝わり易い場所よりも空中のよう拡散しやすい場所での防御を含めた回避――だが。

 しかし。

 おかしいと思った直後には既に、ミヤコは自らが影の中に入り込んでいることに気付いた。

 轟音、そして衝撃。

 成人男性の三倍以上はあるだろう攻城用兵器でもある巨大なハンマーを振り下ろした女性は、衝撃により周囲の家屋が崩れ砂埃を更に立てるのに顔を顰めつつ、外したと小さく背後の男に呟いてから右手だけでひょいとハンマーを持ち上げた。

 ――いや死ぬでしょ、直撃なら。

 砂埃から抜け、家屋を足場にしてミヤコは逃走を既に開始している。

 見かけからは決してわからないあの腕力はおそらく巨人族(オーガ)の血が流れているためだろう。この大陸では珍しくもないらしい。

 空中、不意打ちの形で振るわれたあのハンマーを生身のミヤコがどう避けたのか――それは実に簡単なことで、そもそも空中で身動きが取れなかったのだから、何もしなかっただけだ。

 もちろん他の回避方法もあったが、この状況でそれを使うことをミヤコは自身に許してはいない。つまり大きすぎるハンマーは攻撃力という点では凄まじいものの、発生する空気抵抗も大きく、的確に狙おうにも点である自分は空中で動いている最中であり、振り下ろされればハンマーの接地面は空気をハンマーの側面に送る形になる。ならばこそ何もしなかったミヤコは風圧により外側へと流され、結果として回避できたと、そういうことだ。

 理屈は空を舞う木の葉を切ろうとした時、刃の分の空気抵抗が揺れる葉を動かしてしまう――という現象を拡大したようなものだが、しかし、わかっていてもできるものではない。

 莫大な危機が眼前にあるのにも関わらず全身の力を抜き、ただ流れに任せる。よほどの確信と覚悟がなければできるものではあるまい。いやあったとしても、その決断力は驚嘆に値するはずだ。

 連携が取れているんだなと、ミヤコは思う。ただ攻撃性が高すぎる、とも。

 戦術は組み立てているが戦略性に欠けている――屋根から地面に降り、来た方向を振り向いて吐息。

 とん、と身を引けば足元に術陣、抜けた瞬間に発動したのは土を基礎とした檻だ。遠距離でしかもピンポイントの術式――だが作りが甘い。相手を捕獲できていないのにも関わらず、檻は消えることもなく内部を一瞬にして圧縮するよう小さくなり、箱のようになって術陣の消えた地面に落ちた。もしも捉えられていたのならば、彼女は間違いなく凝縮されて血肉になって消えていただろう。

 ――だから死ぬってば。

 三人もこちらに来ているのかと思った背後、するりと黒装束の男らしい人物が影から自然に出現し――不自然だが――首を狙って短刀を振るい、ミヤコは慌てたように前へ倒れるよう飛んで回避した。

 四人だった。

 なるほどな、なんて脳内は気楽に、外見だけ見れば疲労しているように思えるだろう。演技ではない、単に身体能力を制限しているだけのことだ。

 戦術とか戦略とか、そういうのよりも前に、こうした連携を見ることが随分と久しぶりなことにミヤコは気付く。規律に則って集団行動を行う軍隊とは違う、個別の技術がそのまま繋がるような連携。

 仲間意識――とでもいえば、いいのだろうか。

 ミヤコにはないものだ。

「っと」

 戦闘中だったと思い直すが、ここまで回避したミヤコの技量を見切れていないのか、追撃はなくお見合い状態だ。

 三組、十五人での勝ち残り戦がこの第一回戦。ここに四人をひきつけている時点で、残りは六人。ミヤコ一人に時間をかけて困るのは、相手側だ。けれど一人を相手にして確実に潰すのも定石。その判断を行っているのだろう。

 ちなみに、ミヤコとリウは開始早早に単独行動である。で、早早にこうして戦闘が行われてしまったわけだが――。

 どうしたもんかなあ、と思う。正しく現状を理解すれば、ここに足止めしておくのが無難だが、かといって踏み込もうという理由はない。ないというか、試してみたいことはあるけれど、それをする場ではないなんて認識が強かった。

 攻撃終了から三秒、充分な時間が経過して持続か、逃走か、それとも停滞かの選択が成されようとした瞬間に、脇道からひょいと、なんでもないように姿を見せた者がいる。

 ――リウだ。

「や」

 ぎくりと驚いたのは相手側、ミヤコはため息を落とそうとするのを強引に留める。何故なら、リウの後ろには三名ほど、違うチームの人間が追っていたからだ。

 全員で十五名、リウたちのチームを除けば十名。ここにいるのは七名――つまり、局地的に戦力が集中したことになる。個人の技量が高ければ分散した方が効果的だがしかし、この乱戦状況は果たして誰に対して吉と出るか。

 いや違うか。

 こちらの利になるよう状況を整えればいい。

 あっさりと逃走を選択したリウに対して多くの観客はブーイングをしていたが、この状況になってやや静まっている。それを気にもせず、背後で大通りに出た瞬間に足を止めた三名を振り切るようにしてリウは。

 迷わず。

 戦闘中の四人に対して突貫した。

 やや遅く、ミヤコもまた踏み込む。

 横薙ぎに振るわれた巨大なハンマーをリウは上へ、ミヤコは下を潜るようにして回避する。不意を打とうと背後に回っていた一人は完全に置き去りにされ、上下に分散された標的に対し人狼はリウへと接敵する――短時間での選択基準は、おそらくリウが戦闘系ではないと判断したからか。

 この状況下で魔術師が術式を組み立てる時間はない。

「よっと」

 人狼の頭に手を当てて軽く飛び越えたリウは大通りを通り越すように速度を緩めずに逃げ、やや遅れてミヤコは大通りの奥へ向かうように走りつつも、唇を尖らせた。

「なによ」

「べつにー」

 不満そうに言うミヤコとはそのまま左右に別れる。

 ――にしても。

 木造の家屋が碁盤目状に立ち並び、路地と大通りを演出している闘技場の内部は外周がおおよそ五百メートルほどだ。リウが見る限り大規模な術式が――いや、儀式が闘技場内部に敷かれており、パターンによって障害物を構築できるようになっているらしい。

 ――ん、土の下に構造物の基礎元素が配列されてるのね。

 何もない場所に何かを生み出すことはできない。水を作るのならば空気中にある元素配列を変換させるような術式を編まなくてはならないし、火を発生させるのに火種がなければ難しいだろう。魔術とはあくまでも自然現象で成しえるものを、魔力と術式によって具現しているに過ぎない。

 もっとも、だからこそ、派生する部分もあるのだが、この儀式は〝組み立てアセンブリ〟と呼ばれる術式の応用だ。

 不意に、足を止めると、勝負の一つが片付くところだった。心臓を守るための片側だけのプレートに、手甲、足甲だけを装着している禿頭の男、チェイシェ・ウーが、拳を引いて肩の力を抜き、両の拳を一度合わせるように一礼として、すぐに去っていく。こちらのチーム――というか、ディドたち三人の中の、残り一人だ。ムツキ・十六夜と同様に、随分とこちらを疑っていた。

 疑いを向けられるのも、探りを入れられるのも、リウもミヤコも慣れている。というか、それを態度に見せないディドの方が、きっと交渉は上手いはずだ。その辺りを三人の連携と捉えるには、不足している部分が多すぎるから、たぶん当たりだろう。

 しかしだ、対戦相手に礼を行ったウーは、やや異質といえる。やや結論としては拙速だが、ディドとムツキは昔から繋がりがあるように思えるが、ウーは違う。今のリウたちと同様に、利害が一致しているからこそ行動を共にしているように見えた。

 なにが彼らを繋いでいるのか、それが見つかればこちらも行動しやすい。

 ――こっちの情報を抜かれることは、まずないし。

 そもそも、何をどう探ろうともリウもミヤコも痕跡はなく、当人しか情報を所持していない。だから単純に、二人が口を開いて説明しなくては、なにもわからないのと同じだ。そんな立場の維持は、旅人にとっては初歩である。二人の場合は多少毛色は違うが。

「錬度は並ってところね」

 苦笑と共に出た言葉に、おっと、なんてわざとらしく口を噤む。戦闘の音色は落ち着いてきているので、もうそろそろ終わりそうだ。

 あくまでも個人技が主体だけれど、錬度そのものは軍隊とそう変化ない。何が足りないのかと問われれば、危機意識の差だとリウなら答えるだろう。

 つまり――彼らは、己を鍛える目的を持って、あるいはそれを生活にしている者もいるが、それだけだ。有り体に言ってしまえば、生きようという強い意志がそこにない。死が隣人であることを、自覚していないのだ。

『――そこまでです!』

 場内アナウンスが響く。実況担当のバニーガールの声だ。見た時は思わず目を据わらせてしまった。あれはどうかと思う。

『勝者は、にゃんこさんチームです!』

 いや待て。

 名付けたのが誰だか間違いなく確定できるが、なんだそのチーム名は。


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