05/24/11:10――ミヤコ・その刀の名は

 何度居合いをしたか、覚えていない。

 呼吸は荒く、視界が狭まっている自覚すらないほどに、余裕もない。今までに何万回と繰り返した居合いの動作に躊躇いもなく、その動きに違和はなかった。

 最大効力を発揮しているかと問われれば、おそらくミヤコ・楠木は肯定しただろう。今までと同じように、同様に、居合いを行えている。足元に展開した青色の術式紋様も不具合なく、自身を底上げしているし、効果を発揮している。

 もう、道程半ばだ。

 つまりミヤコは、妖魔に囲まれている。途中からだ、妖魔たちが人ではなく、ミヤコではなく、街を目指していることに気付いたのは。けれど、気付いたからといって、どうしようもない。エイジェイが言った通り、目の前の妖魔を、一匹でも多く討伐することだけを考えて、足を進めながら居合いを続けた。

 繰り返そう。何度、居合いをしたかなど、覚えていない。

 それほど同じ行為を、居合いをした。戦場に足を踏み入れてどれだけ経過したのかも知らないが、少なくとも妖魔の群の中腹を越えている今、それなりの時間が経ったのだろう。けれど、ああ、だがしかし。

「――」

 慣れた薙ぎの軌跡はしかし、巨大な詰めを持つ掌で受け止められ、弾かれた力を利用して納刀へと誘う。

 抜く。

 軌跡は下方向から上へ、躰よりも巨大な両手をすり抜けるよう本体へと伸びて切断した。

 妖魔と一括りにしても、その姿は多種多様だ。空を飛ぶものもいれば四足も二足もおり、形状も蛇や狼など本当に統一されない。だからこそ多角的な攻撃が必要となる――何故なら、弱点と呼ばれる隙も形状によって変わるからだ。

 それに、呪術もまた魔力と同様の呪力を消費する。妖魔の密度を把握するための瞳、切断から消滅に誘う得物、行動における身体の強化をそれぞれ持続的に行いながら、戦闘を継続しなくてはならない。

 体力も精神力も、その消費は普段の訓練からは想像もつかぬほど厳しい。

 ――ああ、それでも。

 それでも、今ので、六匹目だ。

 そう、たったの、それだけ。

 これだけ疲労して、これだけ繰り返して、たった、六匹の妖魔を討伐したに過ぎない。

「あ……」

 未熟だと痛感した途端、踏み込みが甘かったと、後悔できたのはもっと先のことで、今ではない。

 放った妖魔の表皮が硬く、間合いが若干外れていたがために威力も半端になり、

「――っ」

 結果として刀は半ばほどで折れてしまった。

 動揺を押し殺し踏み込みの力を利用してバックステップを踏み、刀の残りを放り捨てて鞘を抜く。

 木鞘を強化しても、叩くことは出来たところで切断はできない。防御を主体に戦闘を構築するしかなさそうだ。

 防御。

 見向きもしない妖魔に対して? だったら後退でもするか?

 それも一つの選択だ。無謀と勇猛は違うものである――けれど、でも。

 こんなところで、中途半端に、退いてどうするというのだ。

 鞘を振り抜くが、鋭い牙を持った妖魔があっさりと噛み砕き、しかし見向きもせずに通り過ぎた。

 それが、どうしようもなく、悔しい。

 見向きもしないのは、彼らが街を目指しているからだが――それ以外の理由などないが、それでも未熟を痛感したミヤコにとっては、お前など相手にならないと、そんな態度を見せられた気がしてならなかった。

 どうする?

 そんな疑問は、いらない。

 奥歯を噛みしめ、拳を握り、前へ――進もうと。

 足を踏み出した直後、そんなミヤコの肩を、横から軽く引く者がいた。

「やるの?」

「――うん」

 端的な問いは、サギシロ先生から。対し、ミヤコはやはり、即答する。

 だって。

「リウが、いる」

「……そう。じゃ、生き残らないとね」

 その僅かな沈黙で何を考えたのかは知らない。けれど彼女は、自らの影の中に手を入れて、それを取り出した。

 まるでリウみたいだ、と思ったが、それは逆なのだろう。彼女がそういう術式を構築しているから、リウも倣ったのだ。

「お先に」

 影から取り出したのは一振りの刀だ。それを渡した彼女は先へ行ってしまう。一度視線を落としたミヤコは、その刀の重さに深呼吸を一つ。

 ――取り落としそうになる。鉄鞘だからだ。

 腰に差している暇はなく、眼前の妖魔へと踏み込んで鍔を弾き、抜く。

 居合い、故に居抜く。

「――!」

 何が、どうなったのか理解が追いつかない。ただ己が放った斬戟が、これほどまでに美しく、何より手ごたえもなく妖魔を切断し消去したのに驚いた。

 ――呪力の伝導率が違う? 鞘滑りの違いは鉄だから?

 そんな単純なものじゃないと思った瞬間、納刀の動作に入ろうとした右腕が震え、すぐに左手を動かして柄を両手で掴んだ。

「くぅ――!」

 空気がびりびりと振動する。今の居合いで妖魔と一緒に空を斬ったからで、あまりにも強すぎた居合いの軌跡は戻そうとする力を強引に押す。

 つまりとミヤコは理解し、額の汗を拭おうともせず両手で刀を押さえ込む。

 ――居抜いたんじゃない……! 刀に振り回されただけだ!

 思わず取り落とした鞘を拾ってどうにか納刀し、更に居合いを放とうとしたが、鍔を押し上げた時点でぴたりと腕が停止する。

 先の行動を繰り返すことに、躰が拒絶している。手が震えているし力も入っていない。

 いや、意識すらも。

 ――いいわけがない。刀に振り回されるなんて恥だ。

 武術家は、いや、ミヤコ・楠木は。

 ――使うんじゃない。担うからこその、あたしだ。

 覚悟は持って戦場に出た。街を守る一人になれればと刀を持った。この先に行った幼馴染の背中を追い、抜き、その隣に並ぶと己自身に誓った。

 ならば、やることは一つだろう?

 刀を抑え込んで扱うことをサムライは許さない。刀に認められるだけの実力を持ってこその担い手ならば、今ここで成長するしかない。

 ぶっつけ本番、上等じゃないか。

 決して力を抜かず、全力の居合いを続ける。刀に振り回されるたびに、忸怩たる想いを抱き、未熟を痛感し、それでも刀に認められるために、居合う。いつか必ず。

 そうだ、今すぐじゃなくたっていい。

 必ずだ。いつか――必ず、そこへ至ると。

 それだけを胸に秘めれば、生きていける。

 そこからは数える余裕はなかった。刀に振り回され、それでも前へ進み、やがて視界が開けた時、何がどうなったのかもわからず、呼吸で胸を上下させながら、ミヤコは姿勢を正すよう躰を起こす。

 なにもない――いや、違う。

 遅く、自分が妖魔の群れを通り抜けてしまったのだと気付いた。いつの間に、なんて思って振り返れば、ざっと二キロくらいはノザメエリアから離れてしまっている。黒色の群れは遠く、であれば近づかなければと足を踏み出そうとして、けれど。

「ミヤコ」

 声と共に、肩をつかまれた。

「あ……リウ」

「もういいよ」

「え、でも」

「いいから――見なさい」

 なにをと、思いながらも見る。といっても、やはり遠い。

「あれが、ノザメエリア。そこを守る人たちの働きも、こうして俯瞰するとよく見える」

 確かに、よく見える――散歩をするように移動を始めたので、その横に並ぶ。あちこちで術式の反応があって、ざっと数えても、もう半数以下になっていた。エイジェイの影響もあるのだろうけれど、最初に見えたような火柱はもうない。

「一人の力は小さくても、ああやって街を守ってる。今回は、ミヤコもその一人ってわけ」

「――リウは?」

「私? どうかな、少なくとも積極的に防衛してはいなかったけれど……いずれにしても、すぐに終わるわよ」

 そう言われても、ミヤコはそうも思えない。ありていに言えば実感がわかないでいる。リウはどうなのだろうと横を見れば、のんきな顔があった。

 ――ああ。

 理解は早く。

 ――そうか、やっぱり。

 自分とリウは、違うんだと、納得できてしまった。

 当たり前のことだ。物事のとらえ方など、個人で違って当然。けれどそれが、どうしようもなく、埋めることのできない差のように感じてしまうのは、どうしてだろう。

 否だ。

 この差を埋めたいから、ミヤコは刀を手に取った。それが見えたのならば、それは良いことではないか。

「うん」

 一つ、頷く。

「間に合わないかもだけど、行くよ」

「そう? じゃ――終わったら昼食ね。センシズで合流しましょ」

「あい」

 だから、今は走ろう。とやかく考えるよりも、その方がよっぽど、自分らしい。


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