05/24/10:50――リウラクタ・初陣
――キナ臭い。
あと一時間もすれば昼食だ、なんて時間。学校の中では座学の授業中で、クロも受けている。そんな中、外で鍛錬するミヤコを、屋根に乗ってぼんやりと眺めていたリウは、先ほどまで本を開いて研究をしていたのだが、気もそぞろといった自覚があったため、やめてしまった。
この感覚を言語化するのは難しい。簡単に言ってしまえば、落ち着かないの一言に尽きるのだが、知りたいのはその理由だ。大陸の北西部に出ていた時、いつの間にか七人に囲まれていて、それに気付いたのが最初の一人が正面から顔を見せた瞬間だった、なんて間抜けを晒した去年の想い出が頭をよぎる。あの瞬間に感じた、後悔とも警戒とも取れる、痛感した忸怩と似ているかもしれない。
これを気のせい、で片付けられたのならば、それに越したことはないが――。
リウはそもそも、あまり感覚を当てにしない。直感の類に身を任せることは、コンマ以下での戦闘行動に限りであって、そもそも戦闘ができないリウにとって、それは縁遠いものだ。いつだって、何かしらの理屈や、確実性を元にして行動している、つもりである。だからといって、拘っているわけではないので、その辺りは柔軟な発想というやつだ。
不動の行を中心にしつつ、徹などの基本四種を定期的に行っているミヤコが、何を思ったのか、タオルで汗を拭いながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねて足の裏の感覚を確かめている。いや、首を傾げているところから、その行動で何を確かめているのかすら、定かではないのだろう。
地に足がついていない――そう、集中しきれていない。気もそぞろ、というやつで、リウと同じだ。それを教えてやろうとは思わないけれど。
「あ、いんちょ」
「よう――なんだ、座学は放置してこっちかよ、ミヤコ。リウ……は、屋根か」
「何してんの?」
「俺はさっき仮眠を終えたとこ。マーリィの仕事ぶりを見学するほど暇人じゃねえから、ここにいるハンターどもをからかってやろうかと思って移動中だ。ゴーグにも掴まってたし」
「その人は知らないけど……いんちょ、その剣って魔術品ってやつなの?」
「なんだ、俺の得物の話か」
腰に提げた剣を、ぽんぽんとエイジェイは軽く叩いた。
「いんや、魔術での補強は多少入ってるらしいが、消耗品だな。代物としちゃあ上等だが、それだけだ。興味あんのか?」
「だって、あの大岩、斬ったじゃん」
「おいおい、あんなの曲芸の類だぜ。岩を割りたいなら、ハンマーでも持てばいい」
「そうじゃなくってさあ……表面触ったけど、溶けた痕もなかったし。力じゃないんだよね」
「どっちかって言えば、技術だな。一定の速度と力を、点から線へ限りなく無駄なく繋げれば、あれくらいの芸当はできる」
「え? 突き?」
「そうじゃねえよ。いいか、岩を斬るにしたって、剣が当たる瞬間はどうしたって点になる。そこからが線だ」
「ぬう……」
「はは、わからねえか。この手の訓練は、水辺でやるとよくわかる。滝を斬る、なんてのは初歩だ。斬ることで水面を〝叩く〟なんてことも、よくやった」
「そっか。ありがと、覚えとく」
「――
ふらりと、屋根から降りたリウは、ストールの位置を正してからそんな言葉を放つ。
「水と対面して行う鍛錬の一つよ。もっとも、私の場合は単純に、純度の高い水そのものを〝理解〟するためにやったけれど」
「相性が良い方が面倒だけどな」
ははは、と笑ったエイジェイは、さてと背中を向けようとして、しかし振り向く。
「お前ら、あれだな。確かに頭一つ飛び抜けてるし、この先にどうなるか俺も楽しみだが、なんつーか、あれだよ」
「え、なに?」
「……言いたいことがさっぱりわからないわね」
「それはそれで良いって話だ。――今日は」
何気なく、雑談のように、けれど笑いながらエイジェイは言う。
「今日はどういうわけか、風が強いじゃねえか。なあ? ははは、じゃあな」
ふらりと横に動くような身じろぎ一つで視界から消えたエイジェイの体術に、一瞬の虚を突かれながらも、西の方向を向いたのは二人同時。走り出しは僅かにリウの方が早かった。
「――行くのね?」
「うん」
「これ持っていって。私は研究所に行く」
ポケットから取り出した通信機の板を受け取ったミヤコは、それを懐に入れて速度を上げる。向かう先は北の出入り口、一直線だ。
「――メイ、いるんでしょ? ミヤコについてって、フォローお願い」
火急の事態よと付け加えれば、後を追うようにして影から黒猫が飛びだした。
『妖魔の襲撃かの』
「おそらくね」
『ひゃいっ!? え、なに、これ会話できんの? すげー!』
ああ、そういえば同期してあったんだったかと思いながら、リウは術式を簡易起動、空中を足場にして屋根伝いで研究所へ急ぐ。
『うわ……! 空が黒い!』
「メイ、ミヤコの目を盗んで」
『まあ待て、妾も目視範囲に入る』
すぐに視界が二重になる。区切りを入れて左右で、なんて器用な真似がしたいのなら、そもそも映像をどこかに投影するのが一般的であり、他人の目を借りる場合の多くは、自身の視界と重複してしまう。それほど慣れたものではないため、足場に気をつけながら黒くなった空を見る。
そして、地を這うように移動する黒い影を。
「――うわあ」
ミヤコは、勢いを瞬間的に増して四メートルはある外壁を、二歩で駆け上がる。上体を逸らさず、限りなく直立する壁と平行に、あるいは頭を打ちつけるような姿勢だ。蹴る力も上へ、上へとかけながらも、しかし、さすがに頂点付近では上半身が起きてしまった。まだまだ未熟だ、そう思いながらも視界に映る黒さには、そんな呑気な驚きしか出ない。
その隣に、エイジェイが立っていた。
「選択は前へ、か。いいんじゃねえの」
「そう?」
「まだちょいと早い、とも思うけどな。さあて、五百か六百ってところか。ミヤコ、俺の傍にはよるなよ」
「――いんちょ、どうすればいい?」
「どう? あれだけの数を前にして、できることは一匹でも多く倒すことだ。てめえにできることを考えて、模索して、その結果はいつだってシンプルだ。できねえことを、どうやろうか考えたって、そいつは不毛なだけだぜ」
そしてと、続けながら笑う。
「考えられなくなったら、ただ生き残ることだけを想え。戦場なんて、それだけでいいのさ」
姿が消えた。虚像と話していたのかと思うほどの素早い動き。何故ならどこにいると探そうと頭を揺らしながら周囲を見たミヤコが発見したのは、今まさに黒色に潜り込もうとする、火の赤色だったからだ。
「うそお……」
これは現実だ。嘘でも冗談でもない。
「――蜃気楼、じゃよ」
「あ、メイ」
ひょいと隣の壁に登ってきたメイを見て、いやどうやって登ったんだこいつ、などと思いながらも、さすがにこの場では口にしない。
「火系術式を使った陽炎の原理でのう、反射を利用すれば姿形、声そのものも、まるで身近にいるように錯覚させることもできよう。――五百から六百といった辺りじゃのう、主様」
さすがに多い、と眉を顰めたリウは、研究所の入り口を見つけて飛び降り、やや速度を落として中に飛び込んだ。
「――リィちゃんいる?」
入り口のホールで歩いていた数人が振り返る。だが、いようがいまいが関係ない。
「妖魔の大群が、五百から六百、街に向かってる。前線にはエイジェイ、ハンターたちも順次移動中。結界を張るなら早めにと、リウラクタが言っていたと伝えて」
伝えるのは、それだけでいい。だからと振り返って出て行く直前、ラインが切れた。
「メイ、動かないで」
『今、ミヤコが出たと伝えるつもりだったんじゃが』
「ろくに知りもしないのに、通信を自分で切ったのよ、あの子。私の位置は把握してるわね? 最短距離で外周に出るから、合流して。――気になることがある」
『気になる?』
「そう――今回の襲撃は、どこかおかしい」
『理由、タイミング、方法、手段……』
「――状況」
移動している視界が二つ。未だにメイは、状況を二つの目で捉えながら移動している。悪酔いしそうだ、なんて弱音は封じ込めた。
「理由を知るための問答よ、メイ。タイミングは、どちらかわからない。師匠の言葉を信じるのなら、エイジェイも呼ばれた方ね」
『では何を疑う』
「……関係ないけど、合いの手があると思考が捗るわね。これからはメイに頼もうかしら」
本当に関係ないのう、なんてため息交じり。外壁に飛び乗った時点でメイが肩に乗り、ストールを押さえる。
「爪、立てないでよね。一点ものなんだから」
「無茶を言うのう……」
そうして、ようやく視点が回帰し、周囲の景色が今までの比ではないほど、高速で動いた。
――疾走の解。
ただ、そう呟いただけで。
「ぬおっ、本気か! 落とされるぞ妾が!」
「耳元でうるさい」
本気で走ったことは、少なくとも誰かの目がある場では、ない。師匠を除いて、だが。
「やっぱりおかしい」
「先の質問の返答か」
「そう。確かに大群よね、多すぎる。普通なら――私でも、両手を上げて万歳、あとは野となれ山となれって感じだけれど、この妖魔の行軍にはおかしな点がある」
「……――人を標的にしておらん、か?」
その通り、と言って妖魔の群に飛び込んだ。速度を一切落とさず、影を縫うように、妖魔の隙間をくぐるように、走り続ける。その間も、決して妖魔は振り返ってリウへ攻撃しようとしないのだ。
明らかにおかしい。
妖魔は、人の天敵なのに。
「ミヤコは良いのか?」
「ん、私が関与するところじゃな――……いや、うん」
嫉妬だ、なんて気付いたから誤魔化す。
「信頼、ってことにしといて」
「まあ妾は構わんのじゃが、どうする」
「まずは突破。防衛線に不安はないし、私の役目じゃない。知りたいのはこの先にある」
「それは確信かのう」
「――どうかしら。なければないで、私が関われることはないと、わかるけれど」
さてどう出るのか。
視界が開ける、速度が緩む、そして。
「あれ?」
そこに。
ぽつりと、両手を頭の後ろに当てて状況の推移を見守る、あの。
あの、夜の森で出逢った少年が、そこにいた。
「君は確かあの時の――へえ、今日は一人か。一人と一匹か。なかなか、縁が合うね。なんだろう、迷わずここへ来た君への評価はともかくも」
嬉しそうに、楽しそうに、彼は瞳を細めた。
「今度は僕と、会話をする気があるのかな?」
その問いに、今度は。
「そうね」
答える。
「会話をする気は、あるかな」
「ははは、約でも結ぶかい? この場において、君と僕は、会話しかしない――なんてね。安心していいよ、僕は手出しをしない。できない、と言い換えるべきかな。ただ長く生きているというだけで、制約がつくだなんて、思いもしなかったけれどね」
少年は笑う。長いズボンを膝下付近まで折り曲げ、ボタンもしめないワイシャツを風に揺らしながら、笑う。それを見ながらも、既に術式を起動しているリウの足元には、三十一枚の術陣が展開していた。あくまでも、予防策だ。
「あなたは」
「僕が、じゃない。君だよ。そういうこともあるんだろう、こういうことがないと、言いきるだけの経験はない。そう、君がだ――どういうことだろう? 仲介人を気取っているんじゃなければ、何かしらの理由がありそうだ」
「……? なに、どういう意図?」
「君と出逢ったあの夜、僕は確かに散歩していたんだけれど――本来ならば、逢うべき相手がいたのさ。そして今回も然り、この場において君と話すのではなく、そう、神鳳の眷属と話しているはずだった。そこに横から入り込んだ、いや」
隙間を埋めるようにしてそこに居る。
「――君は、なんだろうなと思ってね」
「そう言われても、なあ。おっと、私のことはリウでいいわよ」
「そうかい? なら、僕のことはツバサでいい。それにしても、いいのかい君は、防衛戦に徹しなくて」
「役目じゃない。それに――今回の防衛は、成功する」
「へえ? 断言するんだね」
「だって、妖魔……彼らには、そもそも、人を食う目的がないもの」
まるで。
「――自殺をしにきてるみたい」
「自分を殺す、か。妖魔の習性にそんなものはないよ。そんなことをするくらいなら、己の本能に従って、ただ一つの命令を受け取って、何かを目指すさ」
「……そう、でしょうね」
「それに、彼らはお祭り好きなんだ。僕のように、人と似た意志を持っているわけじゃあないけれどね。おっと、僕は生来より話をするのが好きなんだけど、これ以上余計なことを言うと、怒られるかな」
「――あ」
気付いた。
といっても、隣に並ばれたから、だが。
「やあ、神鳳の眷属」
「ん、ツバサは変わらずね。あの人は?」
「相変わらず大雑把で、適当で、気まぐれに、生きているよ。――君と、あるいは同じようにね」
「あ、そう。そりゃそうだろうけれどねえ……」
「――これに、段取りはあったの?」
その問いに、ツバサは笑う。
「ないない、そんなものはないよ。妖魔が増えすぎたのも、それをこのノザメエリアに差し向けたのも、誰に教えたわけでもないさ。けれど確信している。僕も、あの人も、そしてここにいる彼女も――そんなことで、あの場は崩れないと、思っている。それは現実だ。やる前から決まっていると言っても過言にはならない。だから、これは祭りさ」
「祭りって……」
「そんなものよ。こと、風の系列は面倒を嫌う。軍を率いて、ハンターを動員して、わざわざ討伐に向かってくる? それなら、最初からハンターたちが多い場所に向かえばいい。行ってしまえ。祭りだ、騒ごう。今日は良い死に日和だ――なんて」
馬鹿じゃないのと、腰に手を当てた彼女は半眼になった。
「というか、馬鹿そのもの」
「ははは、そんなものさ。まあいい、神鳳の眷属。三日後にもう五百くらいだ、伝えたよ」
「はいはい、どーも。べつに断りを入れる必要はないって、前の時も言ったはずだけどね」
ひらひらと手を振って、あっさりとお互いは別れた。背中を見送るわけでもなく、彼女は懐から取り出した煙草を口にして、火を点ける。実に珍しい光景だ。リウも今まで、二度ほどしか見たことがない。
「どしたの、師匠」
「ん? まあ、たまにはね。私の代行、お疲れさま」
「いやいやいや、意図してやったわけじゃないし。なんていうか巻き込まれたっていうのが一番近い」
「……そうね。そのうちにミヤコが顔を見せるから、一緒に戻ってきなさい。センシズで昼食」
「はあい」
いつもの日常のように語り、それを日常のようにリウは受け取った。
――けれど、でも。
次があるとわかったリウは、ただの傍観者のままでいいのか?
そんな自問を、投げかけた。
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