02/20/22:30――イヅナ・まずは前座から
陽が落ちてから吹きだした風は、立っていることもおぼつかないほどであり、雨が混じり始めれば嵐の足音は早い。ばたばたと服の裾を揺らす突風を、その場にいる人間の誰もが、邪魔だとも、嫌だとも思っていない。
おおよそ二十メートルの距離を置いて、瓦礫の山に立っている。
五神と呼ばれる彼らが、立っている。
対するはその後継者。三者三様、それぞれの想いを胸中に抱きながら、おうと声を放てば今すぐにでも酒を飲みだしそうな雰囲気で、殺し合いの時間を待っている。
「嬉しそうだねえ、先輩たちは」
一人。
イヅナだけは、遠巻きにその様子を見ている。二百メートルも離れた位置だが、服の裾を揺らすのでもなく、のんびりと歩いて僅かに距離を縮めようとしていた。
二百。
この距離は決して、安全圏ではない。最低でも二キロ以上の距離を離れなければ、安全など欠片もないだろう。だとすれば、どこにいても同じだ。安全など自分で作ればいい。
などと頭の後ろで手を組んでいたら、銃声が一つ。最初の戦闘は――前哨戦は――拳銃を利用した〝
銃撃戦に、切断術式の応酬。周囲の被害など考えず、巻き込むことも厭わず、ただただお互いにお互いの力を見せつけあう。
「中継されてんのか?」
『――してるわよ』
「おっと、ははは、鷺花ちゃんか」
声だけが届いたが、そんなことはわかりきっていた。以前に鷺花から渡された通信機が作動しているし、いくつかの術式が半自動的に展開された時点で、それらの仕組みを少し探ってやれば、イヅナを中心にしてそれぞれの通信機で映像を複数展開していのはわかる。
戦場はそれなりに拮抗している。技術面において優劣のない兎仔とフェイは、お互いの銃弾を銃弾で迎え撃ちながら、行動によって〝当たる一発〟を作るよう働きかけ、それを封じるために動く、なんて流れだ。コンシスは有り余る経験から戦場を構築し、しかし術式そのもので強さを持つ七八が、それでもとばかりに対応していた。河原での殴り合いを彷彿とさせられるそれは、なんだか戦闘というよりも喧嘩だ。もちろん、周囲の瓦礫を吹き飛ばし、大地を抉るような被害に目を瞑れば、だが。
「派手だねえ。法式を失った先輩らじゃ、そんなもんか。頼り過ぎてた実感を得た時は死ぬ時っぽいね。それにしても鷺花ちゃん」
『なに? 暇なの?』
「そうそれ。やっぱ男より女のが強いのかねえ?」
『んー、そういう見解も一理はあるのよね』
「しばらくはこのままだろうなあ」
挨拶だけ先にしとくかと、ふらりと動いたイヅナは一気に距離を詰める。この暴風雨の中、水滴もつかなければ風の影響も受けない。全てを受け流している――そして、それこそが、イヅナだ。
銃弾が飛び交い、切断術式が無数に展開する戦場を、するりと抜ける。そもそもイヅナは、公言こそ避けるが、フェイやコンシスの戦闘などに興味などない。それこそ前座だ、大した意識をせずとも、こうして移動が可能なほどに。
傘が目に入った。かなり大きめのものだ。何をしているんだと思えば、ベルの傍にいるエイジェイが手に持っていて、その傘の下では
よくよく見れば、猛烈な勢いで空中に投影されたキーのようなものをタイプしている。没頭というより、鬼の形相を窺わせる速度で、その熱意のすべてが、とっとと終わらせてこの場から逃走したい気持ちに傾いているあたり、素直な子だ。
「――なんだ。レインとレィルもいるのか」
「や、イヅナさん」
「おう。つってもレイン、本戦が始まったら逃げなよ? 俺はフォローできないし、するつもりもないけど、傍にいたらベル先輩がマジになれねえから」
「ええ、承知していますよ。最低でも三キロは離れます」
「僕としても助かりますよ、姉さん」
このあたりの見極めはレィルの方が上だ。おそらく、積み重ねた経験が違うからだろう。あとは好奇心の問題だ。
「レインは、あれだって? これ終わったら睡眠入るって?」
「ええ、そのつもりです。主様がいなくなりますから。その間は、レィルに役目を任せます」
「それはそれで、僕としては面倒なんですけどねえ」
「ははは」
おう、とベルが声を上げる。腰から引き抜いたのは、四番目の刻印がついた刃物だ。
「動くなよ」
その声は刹那小夜と花ノ宮紫陽花に向けられた言葉だが、思わずイヅナも反応してしまう。見れば、レインもレィルも同様に動きを停止していた。
「はい、いいよー」
「ん」
ふわり、と刃物が振り下ろされ、周囲には何の変化もなく、皮鞘へ戻るまで見送ってから、小夜の舌打ちを聞いた。
「ンだよ。報酬の先払いか?」
「あー、おー、うーん……」
ああ、なんだ、二人が常に感じていた既知感を失くしたのかと、遅く気付く。そのための蒼凰連理だったのかと。
「帰る!」
「いやどこにだよ……」
「イヅナさん、うっさい! ちょっと小夜! 私学園にいくから! 送って! もうヤだ! 付き合ってらんない!」
「学園のどこだ、レン」
「あー、じゃあ、えーっと、うーん……とりあえず、つみれんとこ」
「おー」
それで連理の仕事は終わりだ。見れば、小夜と紫陽花はお互いに攻撃を十一手ほど繰り返してから、不機嫌そうに顔を背けた。確かに既知感――つまり、行動の認識が重複してしまう感覚が消えていたが、お互いに殺そうとした十一手を回避されたのだから、舌打ちの一つくらいは出ても仕方ない。
そういう間柄なのだ、彼女たちは。
軽く目を細めてフェイたちの戦闘を見ながら、イヅナは昔を思い出す。厳しい先輩たちだった。多くのことを教えてもらい、いざ狩人になってからは、それらの教えが実際に通用した時に、随分と感謝したものだ。けれどそれも、昔の話。今もまだ先輩と呼び、親しんではいるが。
現実に――イヅナもまた、肩を並べられるようになった。あるいは、追い越してしまった。
五人は、それぞれ言葉は違ったけれど、似たようなことを、言っていた。
――超えたら。
越えたら。
自分を殺しても構わない、と。
今もわからないし、当時もわからなかった。そんな人生が悪いわけではないし、仮にイヅナにも弟子がいたとして、己を越えるために殺すのならば、それも良いと思う。けれど、それは今だから思うことで。
当時、まだ十代前半だった彼らの口から出たのだから、驚きよりも困惑が浮かんだ。
軽い口調で言ってはいたが、冗談ではない。もし今、それを問うても、同じ返答があるだろう。
狩人になるために集められた一人が、狩人育成施設で育ち、狩人になって、今までずっと狩人として生きてきた。
諦めや妥協ではない。それを貫いてきた彼らは、こうして後継者のために死すら許容している彼らは――その人生を見れば。
ほんとうに。
狩人、その二文字しかなかったように思う。
恐れられ、五神なんて通称まで流布して、そんな少年少女たちが、そう考えればちっぽけに見える。――イヅナが、そうであるように。
がりがりと頭を掻きながら、一歩が前へ出た。その衝動に押されるよう、イヅナは小夜たちと、ベルたちの間に入りこみ、ベルと――マーデ、そしてエイジェイを見た。
「どもっス。マーデ先輩は久しぶりっスね」
「やあイヅナ、確かに久しいとも。逢いたかった――ははは、このボクが偽りを混ぜることもなく、率直過ぎる見解を口にできるとは驚きだ。ちなみに、ボクは戦線に加わらないよ。これを機に、マーデは紫陽花だ。つまりボクはマーデではなく、扇
「どうって、いいんじゃないっスか? マーデ先輩はそのあたり、さっぱりすっぱり切り替えられそうなんで」
「うむ。さてイヅナ、嘘を吐かなくても良くなったボクがだ、決してその事象を証明したいというわけでもないのだがね、言いたいことがある」
「へ? 先輩からっスか?」
「イヅナ、もうそろそろ、良いだろう。今を見ずに、先を見ろ。前を向く前に、後ろを振り向け。上を仰がず、下を引っ張れ。お前はもう、充分だとも」
「――驚いた。先輩からそんな言葉を貰えるなんて」
「言うではないか。ははは、ベルが言いそうな言葉だろう?」
「いや、マーデ先輩の言葉として、受け取っておくっスよ」
「そうかね? そうしてくれれば、ボクも安心だ。なにしろ、ボクからイヅナに渡せたものは、本当に少なかったと、気付いたのでね」
「ちゃんと面倒、見て貰えてたっスよ。それほど無茶を言われた覚えもないんすから、いいんじゃないっスか」
「ボクは一期生として、早早に施設を出たのでね。そしてだ、イヅナ。これを機に、お前は〝キツネ〟を名乗りたまえ」
「そいつは……いいんすかね。こう言っちゃあれっスけど、俺なんかが、そいつを名乗っちまって、いいんすか?」
「ボクに確認を取ることかね? 残念なことに、非常に残念な名付けをするスノウは、もういないのだよ。キツネの足枷として名乗ったお前も、当人がいないのならば、お前が名乗るべきだ。たとえ未熟でも、至らずとも、否定しようとも――いいだろう。ボクが、ボク自身が、もうマーデの名は紫陽花にやってしまったけれど、それでも、認めようじゃないか。このボクが、お前がキツネだと」
「――」
「同感だな。おいイヅナ、マーデのクソッタレがこう言ってるのもそうだけどな……お前を除いて、誰が名乗る。そして、他者が名乗ることを、今のお前は許容できるのか?」
「アブ先輩まで、それを言うんすか」
「てめえが、ぐちぐちと悩んでるからだろ」
もう、ここにいない相手の背中を見続けるなと、アブは続けた。
「未熟を抱けるなら、それでいいじゃねえか。見失って、追い越したと思い込むよりゃ、よっぽどいい。だから継げよイヅナ。俺たちが名前を継ぐように、――お前は、その体術をきっちり継げ」
それが。
「それが――俺らが、最後に……最期に、お前にやれる言葉だ」
最期だ。
わかっている。ここで終いだ、これで最期だ。
形を変えて続いていくとはいえ、彼らとの付き合いは、ここで閉じてしまう。
「ったく、情けねえ顔をするな」
「まったくだ。こうなることは、それこそお前が
「そうっスね。そう考えりゃ、遅かったくらいっスよ――」
お前は一人前だ、なんてことを言われたのが、そのくらいだ。おおよそ二年強くらいしか訓練をせず、それでも認定証を得て狩人として働き始めて、彼らもまた、少し遅れて認定証を手にして――その時にはもう、認めてくれていた。
そして、理解していた。幼少期から酷使された脳を含めた躰が、正常であるはずがないと。代償は支払われ続けており、それでもこの今までこれたのは、躰を誤魔化し続けた結果でしかないと。
今回の学園防衛戦で、多くの人間が代償を得た。人としての機能が全て正常な者は、おそらくいない。何かしらの代償、つまり損害を被った。けれど、彼らは幼少期に、そんなものを〝日常〟にするような生活を続けていたのだ。
当たり前のように。
それが、自然となるまで、続けていた。
「イヅナ」
ベルが、口を開いた。
「紐、持ってねえか?」
「へ? えーっと、なんでもいいんすか?」
「ああ」
拘束用のナイロンの紐をポケットから取り出すと、寄越せとベルが言ったので、近づいて手渡す。
「――俺からお前に渡せるもんは、ねえ。だから、この紐を貰っておく」
「ベル先輩……」
左目を隠していた前髪を横に撫でつけながら、ベルはその紐で後ろ髪を縛った。おそらく戦闘後には、もうなくなっているだろう。
それでも。
今から、イヅナから貰った紐を使って、最期の花火を上げようというのだ。
「もう、ガキのままじゃいられねえだろ」
「――うっス」
そうだ。
良い歳をした大人が、泣くわけにはいかない。寂しいからといって、駄駄をこねたって、現実は変わらないのだと、知っている。
形見分けを貰うよりも、イヅナとしては、この方が決心がついた。
「さて、ボクは様子見をしてこよう。今ここでフェイを殺されては、昔話を肴に酒を飲むこともできんのでね」
「物好きだな。じゃ、俺はレインとレィルの子守りでもしとくか」
「よろしくっス。俺は映像の〝中継〟を任されてるんで、あっちこっち、ふらふらしてるんで」
役目にかこつけて、せめて最前列で見届けよう。
少なくともベルは、この状況のために、今まで生きてきたのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます