02/20/02:20――円つみれ・残り時間

 十時間。

 かなり多くの時間を見越して放った言葉は、実際には最長と、そう前置されるべき数値であることを、言った当人であるまどかつみれ自身が、それをよく知っていた。

 むしろ、逆なのだろう。設定した十時間を超えることはないのだと、断定したといってもいい。十時間経過した先が目的地でなければ、全滅する。そんな事実を暗に匂わせたのだが、きっと気付いたのは五木忍と、サミュエル・白井にミルエナ・キサラギの三名だけだ。もちろん、気付かせないための迂遠な言葉だったのだから、気付かないことを責めるのは筋違いだろう。

 想定していた最短時間はとうに過ぎた。だから、つみれは内心の焦りを抑える方向へと回っている。感情的な部分が表に出ないように、短時間のシミュレートを繰り返して、状況を進めた。

 最初の術式稼働の時は、数時間で二ヶ月あまりのシミュレートを行ってしまったつみれだが、今ではごくごく短時間、それこそ三秒先の予測を瞬間的に創り上げ、それを視覚に投影することすら可能となっている。けれど、あくまでも三秒後の一つの可能性でしかなく、完成度を上げるためにはそれを繰り返さなければならず、繰り返す時間によって目的の時間はどんどんと先に延びてしまう。つまり、予測というよりも、予想に限りなく近いものになってしまい、戦闘中にそんなことをするのならば、現実を見て躰を動かした方がマシ、というレベルでしかない。

 それでも、この状況下で、数時間先にある目標に至ろうとするのならば、実に有効活用できる――が、それは、つみれの負担を度外視してのことだ。

 なによりも、この場にいる全員の命が双肩にかかっていると思えば、その重責に足を竦めてしまうほどのはず。けれどつみれは、繋がったESPのテレパスに乗せて、指示を出し続けた。

 誰にも等しく負担が回っているわけではないが、負担でない部分はない。それでもしんがりを務めている白井は、よくやっていると思う。踏み込みを一切せず、進軍するためには後ろ向きに移動しなくてはならず、それでも間合いを見誤らない集中力といったら、どこかおかしいんじゃないか、と思うくらいだ。もちろん、できると、そう信頼しているのも確かだが。

 先ほどから、ちらちらと学園の外壁が見えている。前衛を担っている二人は、そもそも意識すらしていないだろうし、中衛である鬼灯たちは、それどころではない。けれどきっとそれは、幸運なことだ。戦場経験のない彼らには、負担はともかくも、疲労を気力でどうにかすることくらいしか、できないだろうから。

 それでも、確実に進んでいる。時間がそうであるように、刻一刻と状況も進み、その一歩は間違いなく、学園へ至ろうとしていた。

 時折触れ合うよう、ミルエナとは手を叩くような接触がある。それは術式の交換――厳密には、内世界干渉系の術式を使って組み上げた構成を、手渡している動作だ。ほとんど現状では必要がないものだが、それでも意図の確認にはなる。

 ――そもそも。

 この状況を予測できていたかといえば、否だ。いくら円つみれであっても、妖魔が大量発生する今の現状を、そしてこれからを、予測などできない。予感はあったし、想像もできたが、その範疇を越えるものではなかったし、たとえば蒼凰そうおう蓮華れんかのように、この状況のためにいろいろと手を打っていたんだよ、なんてことは決して口にはできない。

 それでも、こうなってしまったがゆえに、己の役目くらいは自覚できる。状況から先を見通し、何をどうすべきかを思考して周囲を動かす策士の真似事はできなくとも、つみれは己の役目を理解して、周辺に手を伸ばして役目をこなそうとする意欲はあるし、察しは良い。

 ――とはいえ、ここまで状況が作られればなあ。

 否応なく自覚できるというか、冷静になって周囲を見れば、役目など押し付けられたようなもので、それ以外に選択肢がなかったりもするわけだ。

 短期のシミュレートを繰り返すたびに、ミルエナと白井の警戒度が極端に上がる。やってくれとも言っていないし、やるなとも言っていないが、お互いのフォローなど言葉にせずとも、状況に応じてできるよう、過ごしてきた。

 何度、繰り返したか数える趣味はない。あくまでも一つの可能性しか手繰り寄せられないつみれは、シミュレートをした先の現実で、全滅しない行動を取り続けることで、現状を維持している。突破できた可能性ではない、できない可能性を回避しているだけだ。ともすれば消極的選択に見えるかもしれないが、つみれの術式の最善策が、それなのである。

 ただし、多用すれば今ある現実と仮想現実との境界線が曖昧になって、指示を間違えそうになるのが難点だ。

 ――まだ、学園の防衛戦は瓦解していないだろうか。それを確かめる術はなく、到達するまでわからない。そして、瓦解していた時点で、すべてが終わる。それも到達してからの話なので、今は考えるべきではない。

 ちらりと一瞥を投げた五木いつき夫妻は未だ健在だ。おそらくこの行軍の中、もっとも無傷に近いのが彼らだろう。けれど、そうでなくてはならないのだ。何しろ役目が違う。いや、役目など、人それぞれ違うか。

 ごくり、と飲み込む唾液に血が混じっている。空腹は感じないが喉の渇きはあって、それを満たすものは傍にない。時折、ぞくりと全身を駆け巡る寒気は、きっと疲労のためだと言い聞かせ、危殆に瀕した現状を、当然の日常として受け入れた。

 そして何度目かの術式行使の際に、強い酩酊を覚える。ぐるりと世界が回り、色が混ざり合ったような不快な景色の中、前後左右の感覚が一瞬にして喪失する――が、それをミルエナが見向きもせず、脇に片手を差し込むことで、倒れ込みを支えた。

 感謝も、心配もない。奥歯を噛みしめ、支えられる力を頼りに一歩を前に出せば、視界はすぐに開けた。

 内世界干渉系の術式特有の、魔力酔いだ。

 本来、魔力とは外側に放出するものだ。こと攻撃術式においてはそれが顕著で、術式の構成そのものすら、外側に構築することがほとんどである――が、しかし、内世界干渉系の術式は、そのすべてが内部にて行われる。

 それはあるべき姿だ。それ自体に問題があるわけではない。けれど使われた魔力が自然界に散り、残滓となるのと違い、つみれのような魔術師は、使い終えた魔力の残滓そのものを体内に蓄積してしまう性質を持つが故に、連続行使において、純度の高い魔力と不純な魔力の混合が体内にて発生し、それが魔術回路を傷つける。程度の差はあれ、酩酊のような現象を引き起こすわけだ。

 内臓がかき回されたような不快さを基点に己を自覚し、吐き出した何かは血色をしていたが、構うものか。二歩目を出せばミルエナのフォローが消える。そうだ、それでいい。

 誰も、何も切り捨てることは叶わぬまま、現状維持では足らない現実を突き進む。であれば、多少の負担はやむを得ない。

 最高で、残り二時間。

 そこがぎりぎりの領域だ。それまでに至らなければ、たぶん終わる。

 サイコロを転がして、さて出た目はなんだと、呑気でいられれば良かったが――今のつみれは、出てくる目をどうやって変えようか、そこに苦心していた。


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