02/19/06:10――ラル・え? 成人してんの?

 夜明けの気配が近い。

 昼夜問わずして寝ている時間が大半を占める転寝うたたね午睡まどろみは、熟睡することを嫌う。あくまでも常に反応し、常に動ける状態を保つことが前提で、逆に言えばその状態こそが午睡にとっては睡眠だ。だから、たき火の横で丸くなりながら、定期的な睡眠を行っていたところで、夜の気配が遠ざかることは感覚としてわかる。

 感覚――突き詰めればESPとは、その単語に尽きる。それは第六感のような直感に類するものではなく、人が元来持つ五感そのものであり、その機能は普段から全開で使われているわけでもなく、個人差もある。それらを越えた領域で使うのが、ESPそのものだ。

 だから、寝起きは良い。ぼうっとした、ふにゃふにゃした表情に騙される人間も多いのだが、午睡にとっては起きることは苦ではなく、あるいはスイッチの切り替えに似ていた。それでも、彼女にとっての睡眠とは、熟睡と違うものなのだが。

 そして、そのスイッチを知っている〈大輪の白花パストラルイノセンス〉は、身じろぎを横目で見て。

「おはよ――で、いい?」

 いい加減、一人で火の番をするのも飽きてきたため、口を開く。午睡の警戒を知らないわけではないし、眠っている状態そのものの理屈もわかっているが、だからといってそれに任せて眠れるほどラルは楽観できないし、何よりも今日の番はとりあえず自分がと買って出た手前、サボることもできない。けれど、退屈は退屈だ。

「おぁよ」

 返事があり、ごろりと寝返りを打つ。

「……まだ寝ててい?」

「あんたもう六時間以上寝てるじゃない……呆れた」

「じゃあお風呂」

「私が入りたいんだけど? あんたの髪、長いから手入れも大変でしょ」

「そぉでもないけどねえ」

 んぅ、と言いながら上半身を起こし、大きく伸びを一つ。きちんと視界を確保すれば、たき火の明りが随分と薄く――周囲と溶け込んでいるのがわかる。

 火を使えることは、野生からの脱却だと、誰かが言っていた。火を怖がらないのは、本能の劣化だとも聞いた覚えがある。さて、誰がそんなことを言ったのだろうかと、寝起きの頭で考えた午睡だが、その様子を見たラルは、こいつまたどーでもいいこと考えてんなあ、などと思ったのだから、それがお互いの関係だろう。

「誰だっけ」

「いや知らんし。なに?」

「火って便利だよなあって。ラル、朝ごはんー」

「そこらに転がってる食料で我慢。昨夜のうちに拾っておいたし、保存が利くものだから、味を気にしなければどうとでもなるよ。いや、味も悪くないけどね」

 コンビニの跡地から探してきたものであるし、行軍糧食と比較すれば雲泥の差だ。そもそも、生存訓練すら受けているラルにとって、食事があるだけありがたいのだが。

「って――あ、こらっ、全部食べちゃ駄目よ」

「えー……」

「あんた、サバイバル訓練くらいしてるんでしょーが……」

「ラルが死ぬほどがんばって食料集めればいいんじゃないかなあ」

「スイ、……弟に言いつけるよ」

「ごめん、じょーだん」

「よろしい」

 さてと、一つ息を吐いたラルは、改めて現実と向き直る。ここは杜松(ねず)市の郊外であり、野雨にはまだ距離がある。元はビルが建造されていた残骸の中、今にも崩れそうな空間を利用して身を隠していた。そこらにあるテントよりも広いし、あくまでも視界が狭まっているだけの空間だから、火を熾しても窒息死することはまずない。その上、風雨も凌げるのだから、ビルの残骸が崩れ落ちなければ、安全な場所とも言えよう。

 退路がないと考えるのは、対人での思考だ。妖魔に対してならば、さして問題にはならない――ここまでは、昨晩の行軍時にて確認は済んでいることだ。

 最大の問題があるとすれば、野雨から出る時に、余計な荷物を一つ、負ってしまったことだろう。本来ならば見捨てても構わない状況下でありながらも、鼻息を荒くしながら敵襲ならば対応せねば、と己の力量も顧みずに前進しようとする馬鹿がいたのならば、おいおい自殺行為は見えないところでやってくれと、襟首を掴んで引っ張ったのだけれど、なにおう、邪魔する貴様は敵であるかと暴れたものだから、手持ちの睡眠導入剤を口の中に放り込んで頭を叩き、強引に飲ませてしまったのがラルならば、その責任を取らなくてはならないと思って午睡と一緒に運んできたのだが、どうしてこうなったんだと後悔したのは落ち着いてからのことで、つまるところラルも無謀とすら思える行為に対して思うところがあったんだと、そんな結論も出たわけだ。

 今、ラルと午睡に挟まれるようにして、小柄な体躯からは想像できない、つまり午睡のように丸くなるのではなく、大の字になってくーすか寝ているガキが一人、ここにはいる。

「んぅ……」

 ラルの視線に気づいたのか、もそもそと食事をしながら、どこに水はあるんだろうと探しつつ、午睡もまた隣に寝る女性に目を向けた。

「……このガキ、どうすんのよお」

酒井さかい景子けいこ、こう見えて二十四歳」

 ポケットから景子の持っていた免許証を取り出し、それを午睡へと投げる。とはいっても、確保した時に軽く家探しをしただけなのだが、そこはそれだ。状況を鑑みて許して欲しいものである。投げられたそれを受け取った彼女は、驚きの声を上げた。

「おー……二十四歳かあ。わけえなあ」

「大差はないでしょうに……あとこれ、私が持ってた情報だけど、朝霧の知り合いだから、これ」

「へえ、芽衣の? どゆう?」

「野雨西の教員、芽衣のクラスの担当……だったはず。以前、朝霧がフラーンデレンに連れてきたって情報が入って、ちょっと探ったから。当人は知らなかったんだけどね」

「つまりー、芽衣との縁で合ったんだ?」

「考えられる理由としては妥当でしょ。私だってあんただって、朝霧とは因縁というか、何かしらあるわけだし」

「……? ラルは芽衣のこと、嫌い?」

「嫌いじゃないけれど……面倒なのよ、あの子は」

「そかなあ。サギのが面倒だけど」

「そうなの?」

「うん。押し付けてくる仕事が面倒でたまんない。断れないし」

「これからは、もう、そんなこともなくなるでしょ。それよりこの子、どうする?」

「しーらない。拾ったのはラルじゃん」

 それはそうなのだけれど、多少は一緒に考えてくれてもいいだろうに――とは思うものの、口にはしない。現状ではラルの判断に任せる、というのが、午睡の優しさでもあるのだ。

「荷物だと思う?」

「んぅ、荷物なら運べばいいじゃん。それが私の仕事」

「……」

 だとすれば、ラルの仕事は?

 そんな思考に入るタイミングで身じろぎがあり、僅かに緊張を躰に持たせたまま、景子が起きるのに任せた。彼女はぼうっとした表情で躰を起こすと、二人をそれぞれ見てから。

「ええと……あのう、ちょっといいですかー」

「ええ、なに?」

「あのですね、先生は――じゃない、わたしはですね、よくわからないので、考えてもいいですか」

「どうぞ」

「ありがとうございますー」

 呑気に思える口調でも、当人は真剣に腕を組み、あぐらになって首を傾げる。

「はいこれ、エネルギーゼリー。食べるといいよお」

「あ、どうも、ありがとうございます」

 すっげえカロリー高いけどねと、食べ終えてから午睡が言うと、ちょっと咽ていたが反論はなかった。

「あー、思い出しました、はい、先生覚えてます――じゃなかった、先生じゃないんだ。昨夜、わたしを助けてくれた人たちですよね?」

「助けた……とは違うでしょう。景子が状況もわからず飛び出して、錯乱ぎみだったから薬を強引に飲ませて眠らせて、ここまで運んだだけ」

「はい、覚えてます。わかんないことも多いですけど……あのう、わたしのこと知ってるんですか?」

「あー、これ返しとくねえ」

「あ、どうも……って免許証ですよわたしの!」

「……自己紹介、一応しとく? 私は――ラルで通ってる。本名は……まあ使ってないからいいか」

「そういえばラルって、なんて名前なの?」

「……結衣。帯白結おびしろゆ

「へえ、はじめて聞いたなあ」

「あんまし言ってないから。で、元の仕事は――といっても、この理由については今すぐ理解できないだろうけど、とりあえずランクC狩人ね」

「私は転寝午睡……ふわあ、んぐ、元運び屋。ラルとは知り合いなんだー」

「えっと、わたしは酒井景子で、野雨西の教員を……」

「知ってる」

「うん知ってるねえ」

「あのう、なんででしょう」

「ん? 景子、以前に朝霧と一緒に飲み屋に行ったでしょう」

「はいー、行きました」

「朝霧の関係者ってことで一応調べた時に、名前だけ聞いていたの。それだけよ?」

「それ、普通のことなんでしょーか……」

「普通というか、それもラルの仕事の内だもんねえ」

「私はただの調査要員。事件が起きた場所を百回調べるだけのお仕事。それよりも景子、随分と落ち着いてるよね。肝が据わってる」

「いやあ、人間って慌てた後は必ず落ち着く時間がきますから、そういうことだと思いますよー」

「へええ、教員みたいな言葉だねえ」

「先生の……じゃない、わたしの専門は外国語なんですけどねえ」

「中学生かと思ったのに」

「失礼な!」

「いや景子、誰がどう見てもそのくらいに見えるし……だいたい、今の自分の恰好わかってる? 寸胴の癖にネグリジェにガウンって、ちぐはぐさが半端ないんだけど」

「――うあ! 本当だ! どうしましょう……?」

「いや、そのまんまじゃない? そろそろ夜明けだけれど、服を探す暇はないし」

「あのう……今、何がどうなっているんですか?」

「それは――」

「ラル」

「いい、私が出る。景子、ちょっと静かにしてて。厳密には動かないで。ラル、最悪の場合は景子を運んで」

「あいおー」

 立ち上がって落とす吐息が熱い。意識するまでもなく臨戦態勢へ移行したラルの躰は既に暖まっており、すぐにでも全力行動可能な状況にあった。

 そこへ、瓦礫の隙間から姿を見せたのは、スーツをきっちりと身に着けた、老人だった。随分と矍鑠としているし、白髪ですら誇りに見えるほどしっくりとした姿だ。その姿に、思わず声を上げようとした景子へ、その男が先を封じるように片手を挙げる。

「失礼、まずは条件を。あなたがたが、その場から動かない限り、私もまたここから先の境界線を踏み込まぬことを約束しましょう」

「――いいよ、約束する。けれど名まで明かすつもりはない」

「ええ、それはそれで構いません。私もまた真実の名を口にするつもりはありませんから。私のことはどうぞ、大山とお呼びください。そして、どうやら生き残っていたようですね酒井さん」

「大山校長――」

「今はもう、校長ではありませんよ」

 言いながら、近くの瓦礫に腰をおろし、彼は足を組んだ。

「さて、現状がどうなっているか――とのことですが、いかんせん私自身も多くを把握できていません。そこで少しばかり、情報交換ができればと、足を運んだ次第です。いかがでしょう」

「……はいそうですかと、簡単には頷けないね。弱味を見せるつもりはないの」

「なるほど。あなたがたは私のような存在と対峙したことがある――ないし、やり方を既にご存じであると、そう受け取れる返答ですね。もちろん、かつては同族も多くいたことを私は知っていますが、今ではもう少なく、おいそれと出逢うものではない――そう認識していたのですが」

「あのう……大山校長?」

「はい、酒井さん、なんでしょう」

「なにか、あるんでしょーか」

「そうですね。現状、各地に被害が出ていますが、どうやら妖魔が暴れているために発生しているもののようです。そして、その妖魔は、私もこうして現実になるまで知ることもできませんでしたが――人と暮らしていたようです。人の中に、人として紛れて、妖魔という異物が自覚なく、己が人であることに疑いなく」

「――」

 おや、頭の回転が早いんだなと、ラルは景子をみくびっていたことをここで認める。なにしろ今の驚きは、理解によるものだからだ。

「とはいえ隣人を疑う必要はありません。既に、人であったものと妖魔であったものの区別はつけられています――が、しかし、妖魔と人とが生き残るために必要な手段として同化を選択したことはわかりますが、何故、今になってそれが破られたのか、そこがわかりません」

「簡単なことじゃない。――世界がそれを赦さなかったのならば、結論を下す理由まで探るほど私は愚かではないもの」

「世界が? それはまた、掴みきれない大きな概念が出てきましたね」

 ラルは否定もせず、肯定もせず、ただ黙る。視線は外さないし、臨戦態勢も解除はしない。午睡もまた、既に景子を含めてテレポート可能な段階に入っている。

「仮にそのようなものがあるとして――」

「――人間の世界の裏側を知らないのなら、以上はない。現状では三種類ある――こうなることを知っていた人間、こうなったからこそ理解できた人間、そして何も知らない人間。知っていた人間は口を噤み続けた。理解できた人間は現実を見る。知らない人間は無邪気に知ろうとする」

「……答える人はいないと、そう言いたいのですか?」

「知ろうとしない人間が安易な道に走るのならば、それを諭すのが優しい人間のすること。厳しい人間は尻を蹴飛ばすし、どちらでもない人間はただ受け流す」

「ならば、あなたはこれからどうなるかも、ご存じのようですが」

「天敵の存在は人を堕落させるか、成長させるか、そんな結果ばかりを求められるほどに余裕があるのなら、随分と多くの人間が生き残るはず」

 ここらが限界だと、片手を挙げて次の言葉を封じると、ラルは一呼吸の時間を費やしてから、再び口を開く。

「今、蒼狐市にある領域に妖魔が集まってる。何故か、その理由に関しては熟考することもなく、あなたなら理解できるでしょう。私は警戒として、直接の返答を避ける技術、ないし習性を身に着けてしまっているから、これ以上の問答はできない。一方的に話して、一方的に聞き流すだけ」

「わかりました。ありがとうございます。では――酒井さん、いずれまた逢うことがあれば、その時に。お二方、酒井さんをよろしくお願いします」

 立ち上がり、彼は丁寧に頭を下げてから背を向けて、歩いて去る。その間ずっと、景子を含めた三人は背中が消えるまで見送り、その気配が遠ざかってから五分の時間を費やしてからようやく、ラルは全身から力を抜いて座り込んだ。

「――ああ、疲れた。冗談じゃない」

「お疲れえ」

「本当にね、まったく……第二位の妖魔が平然とこちら側に来るんじゃないっての。正面衝突したらたぶん負けてた」

「あのう、大山こうちょ……大山さんは、妖魔なのですか?」

「間違いなく、そうよ。今まではわからなかったし、彼に自覚があったのかすら定かではないけれど、今の彼は妖魔の――しかも、人型で安定可能な第二位に位置する、ええと、まあ、とんでもない天敵なの」

「敵……ですか」

「そう。あくまでも存在としては、ね。それについてはこれからわかるとは思うけど……ああ、私も食べよう。うん」

「よくわかんないですけど、そもそもここ、どこでしょう?」

「ここ? 杜松市。愛知県からは出てないけど、野雨からはそれなりに離れてて、でも遠すぎない位置だねえ」

 先ほどの冷たく、鋭利な気配を既に消し去った午睡は、固形食糧をもぐもぐと食べながら答える。

「野雨はねえ、何カ所かに妖魔が集まってるんだよねえ。だから、逆に周辺は、けっこー静かなの。私やラルは前線に出なくてもいいからねえ」

「いや、あんたは出ても問題ないでしょ。若いんだし」

「んぅ? 景子より年上だよ?」

「そーなのですか?」

「そーなの。それに出るのは弟でいいからさあ」

「気楽なもんねえ……」

「……あのう、ラルさん。いいでしょうか」

「え? なに?」

「先ほど、大山さんとの会話なのですが、あのう、会話として成立していなかったように思えるのです」

 そうねと、午睡の暴食を遮るように食料を手にしたラルは頷く。

「妖魔に対しては、まず第一に約束を避けること。景子は――いわゆる、あやかしと呼ばれる類のものの知識はある?」

「あやかし、ですかあ。ちょっとないです」

「ん、じゃあ一通り教えておきましょうか。いい? 妖魔は人の天敵なの。だから人とは違うものだと捉えてちょうだい」

「はい」

「簡単に言ってしまうと、妖魔と人との間に交わされる〝約束〟は、ほぼ絶対なの。いわゆる取り決めね。規則と言ってもいい。これは、約束しまようとお互いに言い合って握手をするような、表立ったもの以外にも適用されるわけ」

「なるほどー。つまりラルさんは、大山さんとの会話で、質問に対して答えを出す、そうした流れを一度でもすることで、質問には答えなくてはならない、といった約束を、回避したわけですね?」

「そういうこと。もっとも人型の妖魔なんてのは、返事をするためではなくとも、口を開いて応答してしまった時点で、取り返しのつかないこともあるけれどね」

「うーん……」

「いいから、今は知識として仕入れておきなさい。どうせ否応なく、理解するようになるから」

「あのう、一体なにがどうなっているんでしょうか……」

「それも簡単に言えば、あー……」

「そうだねえ、常識そのものが変わっちゃったってところだねえ」

「常識、ですか」

「妥当な表現ね。つまり――比較するのではなくて」

 これから経験することを常識になさいと言ったラルは、ふうと吐息を落として。

 軽く手を挙げるようにして、午睡の動きを制した。


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