02/19/02:30――朧月咲真・久しぶりに目を開いて
ソレは、状況を俯瞰したのならば随分と遅く訪れた。
何故だろうか。それがただ、在るものを在ると認定するためだけのものだったからか、それともただの気まぐれか。
瞬間的に視界が暗くなった時、
逡巡は本当に数秒ほど、すぐに咲真は片手を挙げて隣を歩く
「――どうした?」
「いや……ああ、そうだな」
そういうことかとぼやきながら、目元を完全に隠していたスポーツタイプのサングラスを外す。そこには幾何学的な紋様が描かれ、両の瞳が決して開かぬよう封印が施されいる。
これはかつて咲真が〈
それを、いくつかの手順を使って解除する。
――法式が、自分の中から喪失したのだ。
ゆっくりと開いた瞳がまず見たのは、隣にいる一二三だ。
「――ああ」
嬉しさにか、それとも外界の情報を三十年ぶりくらいに仕入れたためか、涙が流れた。
「一二三、ようやく、ああ――お前を、見ることができた」
「咲真……そうか、役目が終わったんだね。お疲れ様」
お互いに軽く身を寄せて抱き合う。だがそれも数秒、涙を拭った咲真は頷きを一つし、槍を軽く肩に乗せた。
「うむ、嬉しい限りだ。これまでとの差を埋めるのに、しばし時間を要しそうではあるがな。なあに、心配はいらん。適応はできるからな」
「心配はしていないよ。ただ、肩の荷が一つ降りたと思ってただけ。――それより、芹沢に向かってるんだろう?」
「ああ、そうだ。学園付近から離れることが第一だが、離れ過ぎも良くはない。誰もいないようならば他を当たるが、なに、やはり暇潰しには誰かと会話をしているのが一番だからな」
「なるほどね。若い世代に任せるのが一番か」
一二三は和服の羽織から手を伸ばし、近づいてきた真っ白の小鳥を指に止まらせる。それは何かを囀った後、白色の札に姿を変えた。
式神だ。
昔から陰陽師が専売にしてきた技術。
「
「そうかね。あちらも心配はあるまい――しかし、相変わらず便利だな」
「咲真は使えなかったかな?」
「なかなか難しくてな。親父殿ならばうまく使うのだろうが」
「僕は、鳥型が苦手だよ。本来は――いや、得意なのは蛇だからね。とはいえこの状況では空の方が比較的安全だ」
「消耗品だろう?」
「この紙媒体なら、そうだね。手持ちはそう多くないけれど、できる限りはするよ」
「では任せる。私の槍も鈍っていないようで何よりだ。なあに、まだまだ無花果などには負けんよ。親とはそうでなくてはな」
「その通りだね、まったくだよ」
「ははは――お、なんだいるではないか。周囲に妖魔の気配もなさそうだが」
芹沢企業開発課――いや元、か。今はただ倒され、潰された一画に、しかし人影があった。というよりも潰されたのは今回の騒動より前のことで、ただの目印にしかならないのだが、そこには小柄なものが二つと、それに。
「おお、なんだ
「ちょっ、咲真ちょっと髪が乱れるから……!」
「なんだ遠慮するな。ようやくこの目で確かめられるようになったのでね、いささか高揚しているのだよ、私は」
「咲真、ほどほどにね。――やあキースレイ、久しいね」
「一二三は変わらずか。といっても一年か二年ぶりくらいなものだろう?」
それもそうかと、笑いながら頷く。
「そちらは確か、二村
「おー、ウチのことは気にすんな。くたびれた老婆だ、残骸をいじってる。地下に埋もれたパーツが出てきてたからな」
「守ってもよろしかったですか」
「奇特なやつがまた増えた。好きにしな」
「わかりました。……しかしキースレイ、楽園はよかったのかな」
「追放されたんだ」
「ついにか……」
「おいおい、俺が問題児みたいに言うな。実際には出てきただけだ」
「出奔じゃないよね」
「まあ、風華と話し合った結果だ。……最初から楽園は俺らの居ていい場所じゃなかった。今までは間借りしてた形になるが、老いてく俺らと――老いを遠ざけるあいつらとは、やっぱり違うんだろうな」
「それで娑婆に出てきたわけか――いや、そういえばキースレイは結構こっちで動いていたね。どこぞの軍部にいたと話は聞いてるけれど」
「なんで一二三が知ってるんだ……まあいいけどな。とりあえず前線は若い連中に任せて、俺は……エミリオンのこと思い出しちまって、こんなところに足を運んだら、双海がいたから」
「頼んでない」
「俺がこなきゃ瓦礫の下だったろうが……」
「それもそうか。けどウチは頼んでない。……あー、ペーパーないか? ないよな、あーどうすっかなこれ。ハンダもないか……」
老婆と自虐しているが、まだ六十を過ぎた辺りだろう。傍にあるのは単車のようで、その部品やら何やらをあちこち改良している。
「変わらんな、双海も」
「咲真は付き合いあるんだっけ?」
「昔からな。しかし風華、ジェイ、鈴ノ宮には行かなくて良いのかね。マリーリアはそこだろう」
「それを言うならお前らだって、娘のところに行けって話になる」
「ああ……なるほど、愚問というやつか」
「では、状況はどの程度把握しているのかね」
「あんまり。とりあえず夜明けを待つってくらいなものだ。食料なんかはさっき風華が集めてくれた」
「んー、近くにあるのだけね。長くは持たないだろうけど」
「充分だろう。ほれ、私もこのようにある程度は集めたのでな」
手にしていた麻袋を置く。中身は簡単に食べることが可能な食糧だ。
「あれ」
「む、どうかしたかね一二三」
「えーっと、迷子を発見したんだけど」
あっちにと指が示す方を見れば、ふらふらと危なっかしい足取りであちこち動いていた影が、頭を掻いたかと思うと空に向かって。
「……ここどこー」
叫びを自制したのは良いことだと、咲真は腕を組む。涙声だったが聞こえない振りをした方が良いだろうか、数秒だがかなり悩んだ挙句、吐息を盛大に落とす。
「――なにをしている
「え? へ? 誰? あー、風華さんだ。おひさー」
「誰とは失礼極まるなお前は。まさかこの私がわからんとでも言うのかね? やれやれとんだ鳥頭だな――知っていたが」
「んぐ……その口調、やっぱり咲真さんじゃん」
「何をしていたのかね」
「え? うん、途中まで四ちゃんに連れられてきたんだけど、まっすぐ行けば合流するって言われて」
「誰と、かね」
「蓮華さんと。そしたら迷った。だってあちこち壊れてて目印ないんだもん」
そう言う五木舞枝為は、疲れたように肩から力を抜いてうなだれる。右手には大きい弓を持っており、矢はない。
「なんだ、蓮華も近くにいるのかね」
「だったら久我山の旅館だろう。ここからはそう遠くない」
「なんだジェイ、知っているのかね」
「俺も何度かな。とはいえ、移動するなら夜明けまで待った方がいい。その間の防衛は俺に任せろ。この程度の戦場、どうとでもなる」
「ならなくなったら僕に声をかけてね。咲真は無茶をするから」
「諒解だ」
「まったく、心外だな。私ほど無茶と縁遠い女もそういまい。だが遠慮はしまい。どれ双海、何をしている。風華も舞枝為もこちらへ来い。火を熾す場所の確保と、腰を降ろせるような何かを適当に作る。まずは、落ち着けられる場所を作るのが先決だ。風華は気が回らん」
「どうしようかなって考えてたの」
「考える前に動きたまえ。どうした舞枝為、とっとと木材を運んでこんか」
「いやあ、相変わらずだなあって。ねえ風華さん」
「うん。こっちに被害がなければもっと嬉しいんだけど」
やかましいのは苦手だと言わんばかりの態度で、ジェイは彼女たちに背中を向けて煙草をくわえ、術式で火を点けた。視線だけを投げると、一二三は首を横に振る。
「久我山の旅館には誰がいるか、わかるかな」
「いや――どうだろうな。久我山の夫妻はいるだろうけど、俺はこっちに馴染んでねえ。誰がどういう行動をとるかまではわからんな。一二三だって俺と逢って話をするのなんて数えるくらいだろう」
「そうだったね。いや、僕も実際には咲真の付き合いの範囲で――だったから、詳しくはないんだ。でもまあ、久我山の紫月は知っている」
だから大丈夫かと思い、万年筆と紙を取り出して文字を書く。独特の書体であり、それ自体は文章として成立していない。
「符式か」
「式神が基礎だけれどね。一応、ここに居るということは伝えておこうと思って。場を考えればあちらに合流した方がいいだろうけれど――まあ、僕たちはあくまでも待つ側だからね」
「ああ、VV-iP学園の防衛線か。確か結界には五木の血統が必要なはずだ」
「僕もそう聞いてるよ。当代、忍だね」
「――え? 兄さん?」
廃材を適当に拾い集めていた舞枝為が反応する。
「兄さんがどしたの?」
「学園に行く必要があるんだよ、忍はね。単独ではないはずだけど」
「ふうん……二ノ葉、だいじょぶかな」
「渦中に飛び込むことにはなるが必要なことだ。だから、あいつは理事長の席に座っていたんだからな」
「お役目ってことね。それじゃ仕方ない。九尾(ここのお)様もついてるし、兄さんだけなら心配しないんだけどねー」
そう気楽な様子で言って、すぐ作業に戻ってしまった舞枝為は、あっさりしているというより、やはり信頼しているのだろう。
いくつかの手順を踏んで式神を鳥にして飛ばす。数は三つだ。
「ありゃ余裕を持たせてんのか?」
「命令を与えればほとんど自動的に動くけれど、難しい命令はあれだと聞かない。一応隠してはあるけれど事故もあるし、発見される可能性も考えてってことだよ」
「精度は?」
「使い魔ほどはないから、あくまでも伝えるだけ」
「――使い魔。そうか、使い魔か……魔術師の使い魔の場合、基本的に〝目〟でしかないんだが」
「しかし似たようなものだと、僕は捉えていたけれど。まずは触媒の生成、疑似的とはいえ魂の混入、制御の糸、そして目的の指示」
「もしかして十二支か?」
「――よくわかったね。僕は辰が得意でね、酉は苦手なんだ。まあ本義では違うんだけれど」
「本義?」
「陰陽五行は有名で武術家の多くが利用しているけれど、僕にとっては十二支が中心でね、連中に言わせれば僕ははぐれ、というところだ」
「む……なんだ、式神に十二支を当てた、と目算をつけたんだが、もっと深いのか」
「本義は、生命の循環なんかをわけたもの――と、僕は捉えているんだよ。辰は生の活動を意味するところ。故に、式神の活動に関しては得意分野となる。逆に形成が得意なのは寅、汎用性に関しては開発の意味合いを持つ卯、かな」
「そういう意味合いがあるのか。しかし、その得意分野というのは?」
「十二支は月、日時に関連するから日常的に変動はするんだけれど、それは、うん、たぶん魔術特性と似た部類のはずだよ」
「創造系列は天属性だけど……式神の場合は戦闘も可能なのか?」
見返すと、ジェイの瞳は研究者のそれだ。どうせ暇潰しの段階なのだから、別に構わないだろうと思って口を開く。
「その前に、一ついいかな」
「ん? なんだ?」
「キースレイはそれを、誰かに継ぐことを考えてるのかな」
「あー……継げる相手がいるならとは思ってるぜ。この年齢になってようやく、だけどな。俺の特性は珍しい部類だし、今んところはマリーリアくらいしか該当はしないが、あいつが望むなら教えようって気にはなってる。けど珍しいって言えば一二三もだろ?」
「僕は覚えようって子がいなくてね。適性よりも意欲が問題かな。さて話を戻すけれど、戦闘も可能だ。簡単なのは人型を作って――まあ、今だから言えるけれど、かつて妖魔が人に紛れて生活していたように、型にはめてしまうのが一番手っ取り早い。けれど僕の場合は蛇だ」
「蛇っつーと、再生の象徴か」
「そう、生命活動そのものと捉える。呪力を練り上げて形にする――」
「呪術が妖魔の領域に身を移すことなら、それはなんだ?」
「――これは、妖魔の領域をこちらに引き出す技術だよ。式神も突き詰めれば、妖魔の使役だ」
「猛獣使いかよ」
「似たようなものだ。だから、武術家みたいに天魔はいないんだよ。対等ではなく、僕は彼らを縛らなくてはならないからね」
ただしと、一二三は付け加える。
「妖魔だけではない。確かに対象が妖魔なら力づくで縛って強制するけれど、たとえば付喪神や――魔術師の使う意味合いとは少し違うけれど精霊なんかに、こちらからお願いして相互関係を作り、式神にする場合もあるんだ」
「相手の同意を得てやるってことか。取引に近いな」
「そうだね。たださすがにこんな状況じゃ、使えないけれど」
「……形を作って機能を与える。それだけなら可能だが小型化か。一応視野に入れて開発してみるのも面白そうだ。ところで、こっちくるまではどうだった?」
「火の手がいくつか上がっていたよ。空も地も、妖魔だけでなくいろいろと。僕たちは隠れるように移動してきたから」
「それでいいんだろ。俺らより若い世代のが巻き込まれやすいし、妖魔だってわざわざ強い食料を確保しようなんざ思わん。つーか、
「――野雨は良い方、かな?」
「いやどこも似たようなもんだ。野雨は戦力が集まり過ぎてる、だから結果的に妖魔も集まり過ぎる。その辺りのバランスは組み込まれてるし、そうなるよう手を出していねえ人間もいるわけだ。まあ、手を出せないんだろうけどな」
「僕たちとは違うように、か」
「おーい、ジェイも一二三さんもこっち。座れる場所作ったから」
「呼び出しだ。行こうぜ一二三、門番はコイツにやらせておく」
ずるりと、闇が形を作る。腰に剣を二本提げた甲冑の異形――影複具現魔術を見て、小さく笑った一二三は火を熾した明るい方へと足を向けた。
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