02/19/00:55――マリーリア・鈴ノ宮防衛戦
昔に持っていて今はない、そんなものはきっとなくて、昔持っていたものは今でもある。ただし今までの経過における積み重ねられた経験や生活は、そこに上乗せされる形で存在し、場合によっては許容量の問題で昔を捨てなくてはならないかもしれない。ただそれだけのことだ。
もちろん、忘却しているものもある。だが過去を捨てることは容易ではなく、捨てたいとどれほど願っても、行動しても、それは己の躰と精神が不可分であるように繋がってしまうものだ。
――だとして、だ。
かつてと今とでは違うものはなんだろうかと、高揚した気分を隠そうともせずに得意とする乱戦に身を投じつつ、妖魔を討伐する感覚が重なるたびに昔を思い出して楽しくなる自分を意識しながらも、残っている冷静な部分がそんな場違いな思考を呼び起こすのを
一時間近く、二本のナイフを振っている。フラル&フラウと呼んでいるそれは、一つの鉄板に親指を除く四本の指が入る穴を開けただけのような無骨なデザインで、また厚みもある。重量もあるがしかし、使い慣れたそれは既に腕の延長となっており重みを感じることはほとんどない。
――懐かしいな。東京事変か。
四十八年前くらいのことになる。だとすれば夜重の年齢は五十以上のはずだが、見た目は紗枝とそう変わらない、せいぜい高校卒業程度のものだ。それに関してはあの刹那小夜だとて同じことだろう。
良い生活は送っていない。むしろ悪いだろう。だが、場所の特異性から経過時間はともかくも、肉体的には影響を受けている。蒼の草原は意味が生産と消失を続ける場所だ。悪い方向に傾けば一気に劣化して年老いた姿にもなるのだが、それはさておき。
あの時、一時的にとはいえ夜重は野雨から東京まで赴いた。そして東京事変の最中、たった一人で夜を生き残っている。その技術は今も健在だが、あの時と違うのは逃げることができないのと、背後にある鈴ノ宮の存在か。
守りたいものが増えたとは思わない。実際には増えてはいるが、全てを守ろうなどと思えばそれは傲慢だ。せいぜい夜重ができるのは、気にしてやることだけで、それ以上は難しい。
なるほど、だいぶ違うなと苦笑する。周囲を警戒するのはかつてと同じかもしれないが、意味合いはまったく違い、警戒は妖魔に対してではなく同じく戦場に身を置く人たちに対してだ。無理をしていないか、引き際を見極めているか、死地に追いやられていないか――。
そんなことを考えられるようになってしまった。誰のお陰でもなく夜重の成長であり劣化なのだろうけれど、きっとそこには遠々路紗枝の影響が強くあるはずだ。
「――おっと」
前に出すぎていたなと囲まれた状況から解体術式を駆使して道を開き、バックステップを踏むようにして出入り口付近にまで戻ると、鈴ノ宮のテノール隊の一人が軽く背中を叩いて前へ踏み出す。交代の合図だが、そもそもかつてならば夜重は誰かに背中を触らせることすらしなかっただろう。
「紗枝! 術式を一旦解除するんだ!」
声に反応してか、空を制していた一対の黒翼、真っ白な甲冑を身に着けて二振りの巨大な剣を持っていた紗枝の分身こと、
ふうと吐息を落とすと冷たい風を感じる。だが逆に躰は火照り、周囲の冷気を押し返しているようにも思う。一時間も戦闘を続ければそんなものだと、疲れを見せない夜重はナイフを太ももの内側に二本とも戻し、膝をついて荒い呼吸をする紗枝に近づいた。
「疲れたみたいだね、少し休むといい。なかなか上手い采配だったぜ。私の動きを読み取れていたし」
「ありがとう、ございます、夜重様」
防衛線は崩れていない。こちらが攻勢に出ている以上は守り通せるだろうし、見る限り多大な怪我を負っている者もいなかった。治療所の快が暇そうにしているのが何よりの証拠だ。
「お疲れ様。はい紗枝、これ飲んでおいて」
「マーリィ。浮かない顔だな」
「ん……ちょっとね。考えごと」
「そうかい。二度か三度ほどセツの気配を感じたぜ、あの辺りにいる人間を連れて来たんだろう?」
「そう。役に立つかどうかはわからないけどね。ただ役目の一部は担ってる」
「役目だって? どういうことかな。私のように戦闘を主としているようには見えない」
「妖魔が向かう標的にされてるってこと。VV-iP学園よりはマシだけど、こっちも引きつけられるだけの戦力があるから。そうなれば野雨にいても、生き残れる人も出てくるだろうって判断ね」
「……よく、わかるものだね」
「私はほら、清音様に引き取られてる形をとってるけど、本来はそういう立ち位置だから」
だから――マーリィは戦闘ができる。一応は〝
相手のものを相手へ返す――それがマーリィの〝
感応によって相手の術式を調べて、それを己の中で構築しまったく同一のものとして相手へ返す。その結果は必ず相殺へと至る。問題は相手がいなければ何もできないのと同じなのと、構築したものを蓄積できないことだ。
何よりも不殺なのである。相殺させるのはあくまでも術式、ないし攻撃全般であり、どちらかに天秤が傾くことはない。
「これでも〝
「それはキースレイの?」
「うんそう。自己研究、魔術研究において自身の魔術回路の変化をもたらす特異性を、かつて魔術師協会が名付けたのね。って父さんはもともと教皇庁の異端者だったんだけどさ」
「鈴ノ宮を隠れ蓑にしているとは聞いていたよ。事情までは知らなかったけれどね。――それよりも、浮かない顔をしている理由を私は知りたいな」
「んー、大したことじゃないから。ちょっとね……私は暇を見て人捜しをずっとしてたんだけど、こんなことになったらもう逢えないかなって」
「なんだいそれは」
「昔にね、ちょっとあってさ。夜重は私のことをリアって呼ぶ人は知らないでしょ?」
「まあ知らないね。紗枝はどうだい?」
「……いいえ、記憶にはありません。ごめんなさいマーリィ様」
「いいのいいの」
「しかし、何故リア――なのですか?」
「ん? そりゃ私がマリーリアだから……って言ってなかったっけ?」
「私は聞いたよ。聞いただけで気にもしてなかったのが実際だ。まあ女が男を追う理由なんかそう多くはないけど、追求はよしておこう。この状況じゃあね」
「調子はどう?」
「絶好調さ。私は昔から妖魔との縁があってね、この程度の数なら一人でも突破できる。それに――紗枝には悪いけれど、まだたったの一時間だぜ」
「まだ――ですか」
「夜明けまでには遠いさ。それに連中のことだ、夜が明けたところで消えるとは思えない。マーリィ、第三位は確認できてるかい?」
「うん、命令系統に伝達はとっくにした。夜重には行ってないけどね」
それは仕方ない。単独で敵陣の中に居たのだから連絡のしようもないだろう。通信系術式も、夜重の持つ解体術式が無意識に解除していただろうし。
「清音は?」
「
「ふうん、五六の隣にいるのは?」
落ち着いた雰囲気で会話をしているようだが、見た覚えはない。けれどマーリィが
「橘の分家か。彼らの流儀に合わせれば、五六の弟に当たるのかな。嫌な気配だとは思っていたんだ、なるほどね」
「今は人よりも妖魔でしょう?」
「いやいや、結局は妖魔よりも人さ。敵ならばそれでいいけれど、人は味方とは限らないからね。そういう曖昧さがいつだって致命傷になる。そう考えて傍にいるような人間が一人でもいれば、集団になっても多少の安心にはなるだろうね」
今はまだいい。目の前に敵がいて、生き残ることだけを考えるから――けれど、その敵が沈静化した時、では生き残るための食料や水はどうなるか。そうした先のことまで考えて行動できる人間がいなければ、後は人間同士が勝手に自滅するだけだ。
まあ知ったことじゃないよと夜重は言う。
「私はねマーリィ、学園に向かった
「少止? そりゃまあ心配はしてるけど、ここじゃどうしようもないからね。死地だってわかって行ったんだし」
「どうして学園が特別視されているのかも知らないけれどね。さてと、しばらく任せたよマーリィ」
「うん」
頷くとすぐに夜重は前線へ戻る。だから慌てないでと紗枝に声をかけた。
「経験の差もあるし、夜重の三分の一くらいしかきっと動けないから。そのつもりで」
「……はい。けれど、不甲斐なくはあります。先ほどから効率化を図ってはいるのですが、どうしても基本となる魔力供給を削ることができなくて……」
「影複具現は魔力喰うからね。己と同一であり違う存在を作り出してるわけだから、行動の効率化はできても持続に関しては紗枝の魔力容量に直結する部分が大半になる。いざって時には頼るから、八割以上は魔力を回復しておいて」
「はい」
素直でいいなあと思いながらも、夜重の言葉を半数して顔を引き締める。
一時間だ。
まだ、一時間しか経過していない。
いつまで続くのかをマーリィは知ることができず、最悪を考えれば数日と結論が出てうんざりする。それだけならば良いが、その間ずっと前線を維持するのはかなり困難だ。体力と精神が不可分であるように、心が折れてしまえば一気に瓦解してしまう。
奥の手はまだ出すべきではない。ここから先、どうなるかによって大きく左右されるのならば、最初に出して手詰まりになるのは回避すべきだ。
吐息を落としてカチューシャを外し、スカートのポケットに入れる。長い髪は風に揺れるが気にしない。
――いつでも、マーリィからマリーリアになれるように。
もう十八になるのだから、いつまでも保護されているわけにはいかない。自立できる時があるのならば、望んでそれを受け入れようと思う。
凪ノ宮の姓を持っている以上、風の術式も持っている。だから。
「マーリィ」
「あ……五六さん、それと六六さんも」
「やあリィくん。決意は固まったかな?」
「六六、あまり誘導しないように」
「これは失礼。五六兄さんの場合は気の遣い過ぎだと思うけどね。それに、全体把握ができてるのはリィくんだけだろう?」
あるいは兄さんよりもと言うと、五六は苦笑を浮かべる。マーリィにとっては見慣れない表情だった。
「そうですね。マーリィにはこれから頼ることになりそうです」
「それは構わないけど……清音様は? 防御陣の調整に入ってるみたいだけど」
「ええ、効果持続を念頭にしての調整です。全員が一斉に休憩する場合を考えてのことになります」
「その際には私もどうにかする。六六さんと一緒に来た二人は?」
「
「本家はともかく分家っていっても、佐々咲と
「そうなるね。だから役に立たないよ」
「そういえば六六、確かつれづれ寮にはもう一人いたはずですね」
「ああ
「……私も、現役になるのかなあ」
「なるよ。当たり前じゃないか。だからこそ、君は全体を把握できている。今起きていることも、これからのことも」
そうなのだろうか、あまり実感はない。ないけれど、しかし。
ならば。
現役ではない六六たちの世代は、一体どういうことになっているのだろうか。
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