02/19/00:55――佐々咲七八・懐かしみの空気

 夜の闇に紛れて蠢く気配は隠しようがない。いや、隠すつもりなど最初からないのだろう、噎せ返るような陰気には人を狂わせるだけの魅力があり、ひとたび発見されれば凶暴性を孕んでこちらの命を喰らいにくる。

 だが、銃弾が飛び交う戦場と比較しても、恐ろしいほどに世界は静かだ。気を張って意識しなければ見つけられず、猜疑心を抱かなければ対応もできない。まさに存在そのものが対決しているような光景に、人は非常識だと頭を抱えるのだろう。あるいは夢だと諦めるのかもしれないし、ばかばかしいと罵倒することもある。

 こんな状況に対して佐々咲さささき七八ななやが思うのは、――懐かしい、だ。

 今までずっと、VV-iP学園の生徒会長などという役割を押し付けられ、それなりに楽しんで生活していた七八はいつしか、腑抜けていると自己評価を下していた。眠れば明日になる、などという幻想を当たり前のものとして受け止められる生活によって堕落したと、そう思っていたのだ。

 けれど違った。

 退役軍人が銃声に対してとっさに反応してしまうのと同様に、生まれながらに染み付いたそれが己の中から消えるはずがなく、またそれ以降に培ってきたものがなくなるわけでもないのならば、それは堕落ではない。成長だ。

 かつて、七八は刹那小夜や夜笠やがさ夜重やえと同じく蒼の草原と呼ばれる封印指定区域で生き延びていた。カエル一匹を奪い合い、時には殺し合い、水場を確保することすらままならず飢えながらも、夜にはどこからともなく出現する妖魔に対応する殺伐とした生活は、今のこの状況に似ている。

 信じられるのは己だけ。他人は全て敵で妖魔も敵だ。他人がどこかに居ることで安堵するのではなく、居るからこそ警戒してしまう――だから本当の孤独を好んだ昔の自分。それを思い出すのだから、やはり懐かしくもあろう。

 それでも思わず手を貸してしまったのは、かつてと今とでは違うからだ。

「――っと」

 笑いそうになってしまった口を手で覆い、警戒しながら移動する三人を高い位置から見送る。七八には鞠絵が使っていた糸から逃れるだけの体術を昔に身に着けていたし、魔術に関しては蒼の草原を出てから知り合った人間から教えられたため、心ノ宮の感知から逃れることもできた。

 かつて魔術師協会が切断術式の最高峰として認めた〝瓦解の獅子フォウマルハウンド〟は、今ここに居る。さすがに先代と比較すれば赤子のようなものだけれど、その名に恥じぬ行いはしたいものだ。もっとも性格的な部分も先代から引き継いでいるため、それなりに問題もあるのだが。

「しかし、僕がいなくても大丈夫そうだな」

 けれども、進行方向の先には他の人物がいるだろう。その際の選択を間違えなければいいが、わかっているのだろうか。敵は、決して妖魔だけではなく、この状況ならば人もまた敵になりうるからだ。けれどその人を殺してしまっては後戻りができなくなる。

「――どうかしたか?」

「おう」

 七八の反応は早かった。小夜が空間転移ステップで出現するのとほぼ同時、しかも背後に向けての声だが、小夜は当然のように応答する。むしろ、気付かない方がおかしいとでも思っているのだろう。

「久しぶりだ、と言うべきなんだろうな」

「手を貸す必要なんかなかったじゃねーかって言おうと思ったんだぜ」

「……どうでもいいか」

「まーな。やれやれ、オレはようやく一息入れられるぜ。扱いが雑だってのな」

「僕に文句を言ってどうする」

 それもそうかと香草巻きに火を点けながら、投げ渡された箱を見てから七八も一本口に咥える。昔は殺し合い奪い合った間柄ではあるが、今はそんなことをせずとも食料が簡単に確保できるし、居場所を作ることもできるのだから、する必要はない。怨みも妬みもなく、実にあっさりした関係だ。

「んで七八、てめー獅子だけじゃなく〝空神ブランク〟も継いだんだって?」

「押し付けられたんだよ。僕がコンシスだ、なんて言われても実感すらない。ただま、こうして裏方の仕事を投げられる辺りが、そうなのかと思ってるところだ」

「正面からぶつかってみたかった、か?」

「見透かしたようなことを言うじゃないか」

 オレがそうだからなと小夜は言い、なるほどと頷いた七八は苦笑した。

「小夜は以前から知っていたんだろう? 狂壊の仔カテゴリーフィフスが、金色の従属の気まぐれで継承されたものだって」

「ああ、アルフレッド・アルレール・アルギスな。そりゃ知ってるさ、血を貰った当人だ」

 知ってて聞くなと言われる。それもそうだ。吸血種としての長命を紛らわせる娯楽としての継承者――もちろん、それはきっかけに過ぎないとはわかってはいるが。

「手を貸すのはまずかったか?」

「べつにいいだろ。連中は気付いてねーし、てめーが何もしなくたって攻略してたさ。ここらは妖魔も少ねーから」

「学園はどうなってる?」

「サギを向かわせたから大事ねーだろ」

「いやいや、鷺城が向かったんなら大事無いか大惨事かの二者択一だろう。まあ行けない僕がとやかく言うことじゃないけどな」

 あの場所が死地になることはわかっていた。それに表向きは生徒会長でもある七八があの場所に居ることも不思議ではないのだが、念のためと前置しながらも周囲に言われたのだ。お前は行くなと。

 理由は簡単で、七八の術式は建設当時から仕込まれているあの場所の式までもをあっさりと切断できてしまうからだ。さすがに普段は意識して切らないように配慮しているが、乱戦になったら何がどう転ぶかわからない。

 そもそもだ。瓦解の獅子にせよ〝空神〟コンシスにせよ――目の前にあるものを、壊さずにはいられないのである。

「始まりの騒ぎが長引いてるぜ。現状じゃ学園と鈴ノ宮か。今まで沈静化させてたツケだな」

「それもそうか。逆に言えば野雨にいて生き残れる連中は少ないな。もっとも他の地域なら別だって話か。となればだ」

「おう、日本中の妖魔がその内に目指してくるぜ?」

「楽しそうじゃないか小夜」

「あ? そう見えるか? あー、まだ三十時間くれえは先のことだけどな。浮かれてるっつーのも頷ける。昔からの清算ができる機会がくるんだよ」

「やれやれ、恐ろしいことを言うものだな。まあベルの名を継ぐにはそれくらい必要か」

「残ってんのは?」

「ベルとマーデだけだろうな。アブは知らない」

「ああ、あれは放っておいてもいいだろ。唯一、自由を与えられた名だ」

 それと同時に、一般人を強要された名でもある。決してその人物が特別であってはならない。だから。

「あまり近づきたくはねーな」

「同感だ」

 魔物を、妖魔を倒すのが人であるように、いつだとて特別の敵は一般人だ。彼らは同種に対しては正面から堂堂とぶつかるが、一般人に対してはまず警戒する。もちろん、理由はそれだけではないのだが。

「あれ? あそこにいるの四姉さんじゃないか」

「ちっこくてわかんねーよ」

「誰が小さいのですか」

 地上から彼らのいる場所までは二十メートルはあるというのに、跳躍一つで到着した橘四は目元を隠している前髪を揺らす。実際に二人が並んでいるのを見るとわかるが、小夜の方が圧倒的に小さい。小夜は確か一四二センチほどしかなかったはずだ。

「あー?」

「なんで僕を睨むんだよお前は」

 ちなみに背丈のことは禁句である。

「四姉さんは舞枝為まえなさん?」

「そうです。ブルーと……失礼。蓮華さんと瀬菜さんに一任してきました。聖園さんはちょうどそこにいた、久々津の三人に」

「ああ、それでここに居たのか。座学に特化しているとはいえ、聖園も使い勝手は良い方だし丁度いい。ただなあ……」

「んだよ、問題でもあるってか?」

「いや、きっとあの先に行くと遠からず〝冥神リバース〟の継承者と顔を合わせることになるな、と思ってな」

「あーフェイか。あいつもこっち来いっての。そうすりゃもうちっと暇になる」

「それを言うならまずは紫陽花にするんだな。四姉さんの方はしばらく、いいのか?」

「はい。今は裏生を待っている最中です」

「相変わらず良い関係だな」

「知ったようなことを言わないでください」

 そりゃ失礼したと、七八はおどけて肩を竦める。仲が良いと言ったのに否定されるとは、やれやれ難しいものだ。

 そういえばと小夜がこちらを見ると、小さな振動が足元から伝わってくる。余震と、上空から一直線に飛来した妖魔を切断術式で迎え撃った。空中を領域にしているのに速度を出せば制動が利かなくなるくらい思いつきそうなものだが――いや、それならばそもそも、三人に狙いを定めた行為こそ愚行と呼ぶべきか。

「七八はアキレス作ってねーのか?」

「ああ、初代が定めた自分のアキレスか。弱点があるからこそ、弱点を守るために制限の一切を排除できる――ま、名目って話だったが、実際に発揮されたことはなかったな。小夜は居たっけな。紫陽花と同じだろう?」

「まーな。昔からの友達だ」

「有名だからな、その辺りは。……いるよ僕にも。微妙な関係だけどな」

「誰だ?」

「リア。……マリーリア・凪ノ宮なぎのみや・キースレイ」

「――え?」

「なんで四姉さんが驚くんだ」

「鈴ノ宮にいるマーリィか。ありゃビートに懸想してなかったか?」

「……それは当人に聞いてくれ」

 七八にはどちらが先かがわからない。かつて傍からいなくなった七八の代わりが鷹丘少止なのか、それとも逆なのか。ただ捨てられた七八が外の世界に興味を持って蒼の草原から頻繁に出るようになったのはマーリィの親が一因であるし、少なくとも七八は彼女が居て欲しいと思っている。

 ただ、それだけだ。再会もせずに声もかけない間柄だけれど、七八が一方的に気にしている――。

「秘密裏に動くのは四姉さんの専売特許じゃないぜ」

「当たり前です。ただ……そう、少し意外でしたから」

「かつては僕から遠ざかったようなものだから、意外かもしれないな。接点もほとんどないようなものだ。境遇に同情してるわけでもないんだけど……僕は彼女に借りがあるからな、それだけ」

「それだけじゃねーだろ。どうせ、てめーが破壊できなかった一人目ってところか」

「……まあな」

 敵意には敵意を、愛情には殺意を、友情には衝動をもって生きてきた七八が、初めて殺せない相手としてであったのが彼女だ。それは明確な起点となり、今の七八がいる。

「初めての相手ってのは印象に残るもんだぜ? オレだって快がそうだ。オレを許さないと言った紗枝と同様に、あいつはオレを生かした」

「――四姉さんにはぴんとこないかもしれないな」

「そうですね。どのような感覚なのかがわかりません」

「最初に殺した相手を覚えてるだろ? 似たようなもんだ」

「守りたい、と思わないと?」

「失いたくはないと感じることは普遍的だ。生きているだけで安堵するのと同じだろうな」

「つっても一方的じゃねーしな。どこぞの過保護とは違って、死地に赴きたいってんならべつに止めやしねーし」

「……そうですか」

 理解できないと、四の言葉にはある。それは彼女が裏生(りき)に向けるものとは明らかに違うものだからだ。おそらく大きな違いがあるとすればそれは、もしもその対象を失ったところで、そうかと一言で終わらせられるか否かだろう。依存もしていないし共存もしていない。ただ存在していることが、安定剤の代わりになっているだけのこと。

 けれど、失ったところで同じような役割の誰かを見つけようとはしないし、七八にしたところで代わりの利かない存在だ。それで彼らにとっては整合性があるのだが、四にしてみれば矛盾に近い。

 傍に居ることを望んでいるのに、傍にいるなと本心から口にしているようなものだ。

「鈴ノ宮も気になるか?」

「僕に言っているなら、もう気にしているからいい。どうかしたのか」

「暇なら学園傍の海沿いに向かえよ。海竜王が来るってんで数人が集まってやがる。どうせ紫陽花の馬鹿が向かっただろうからオレは行かねーけどな」

「それはいいな。顔を出して来よう」

 じゃあなの挨拶もなく移動する七八を、四はやはり理解できない。そこが死地だとわかっていて、特に理由もなく向かうのが何故なのかわからないのだ。

 面白そうだろう?

 理由など、それで充分だと思っている七八の方が結局は異端である。


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