10/21/17:00――円つみれ・呑気な休憩
確かに、考えすぎていて、シリアスになろうとしていたのかもしれない――。
上手く使ってやろう、利用してやろう、そのくらいの気持ちで、けれど細心の注意を払って行動すればいい。つまるところ、そうしてつみれが得た結論は即ち、家に仕事を持ち帰らない――なんて、そんなものだ。
とりあえず、それでいいやと思えば足も軽くなる。
その気分で向かったのは久我山の旅館で、宿泊ではなく風呂だけ借りて入ったつみれは、ロビーで一息入れていた。対面に座った梅沢なごみは普段着で、聞けば着物で休んでいるとみっともない、とのことだ。
「つーやんも久しぶりじゃろ」
「そう? がっこじゃ逢わないから、そうかも。火丁なんかきてるんでしょ」
「火丁やんなあ、そこそこ顔見てはるよ」
ここに座って思い出すのは、仮想の中で白井が確保されたことだが、今はまだ起きないだろうと無理に納得して、肩の力を抜く。
「ほんで、なんか用事でもあったんけ?」
「休みにきたの。あと、なーごの顔を見たくて。――で、最近叩いてる?」
「用事あるやんか……そやな」
ぼちぼちがー、なんて言いながらも、なごみは薄く笑った。
「うちの場合、スタジオにでも行かんと叩けんからのん。つーやんはサックス、どないねん」
「あんまし。技術より体力の方かな――でさ、今度集まらない?」
「へ? ……なんや、やる気かいな」
「たまにはやりたいなって思うけど、誰かが言いだすまでって今までは考えてて、けどそれじゃ集まらないし。
そうじゃのう、なんて言いながら、なごみはお茶に手を伸ばす。
「うちは――それなりに、時間はあるけん。もともと、おっかあ一人で回せる状況やしな」
「デートがなければ?」
「あはは、花楓はそこまで狭量じゃないきに。ほんでも、舞台上がりたいっちゅーわけでもないがー」
「そこらへんは、まだわかんない。もしかしたらできるかも? くらいかなあ。とりあえずセッションしたい」
「……なんや、変わったけ、つーやん」
「そっかな? 意欲的にはなってるかも。誘ったのはなーごが最初だけどね」
「そうなんけ」
「うん、そなの。今日はいろいろと考えたりなんなりで、疲れててさー。家に戻るより、こっちのが近かったから。で、なーごんとこかあって思ってたら、気付いて」
「ほとんど、思いつきってことけ?」
「うん。でもさ、やりたいって思ったら即行動したくなんない?」
「……
「ぬうっ……! 火丁と一緒にされたくはない!」
「無茶するんは、似たようなもんべさ」
「――あ、そうだ。火丁ってオリジナル曲が増えてるでしょ。ここでも流れてるのあるし」
「そうじゃの。うちも全部知っちょらんけんども、そこそこあるなあ」
「新曲のチャレンジはどう?」
「おもろいやん。テンション上がるわあ……ん、前ん時を思い出したら、ちょい迷うけんども……」
「あん時は時間的にも、かなり無茶だったよね。あたしとなーごは、ほぼ初心者だったし。あはは、今聴いたらきっと頭抱えるよ」
「そりゃうちもじゃ。まだ聞く勇気はあらへんよ……」
そこで、楽しそうねえ、なんて声が届いた。振り返る――というより、つみれが背もたれに後頭部を乗せるよう仰ぎ見れば、やや苦笑顔の鷺城鷺花(さぎしろさぎか)がそこにいた。
「鷺やん」
「やっほー、鷺花さん。きてたんだ」
「つみれを待ってた――わけではないけれどね。きたのは、つみれがお風呂に入ってる頃かしら。なごみ、隣いい?」
「どんぞ。あかんなあ、もてなしたくなるわー」
「それは職業病。それよりもバンドの話?」
「そう、またやろうかって」
「いいんじゃない? 私はディスクで聞いてるけれど、評判いいのよ」
「……そうなん?」
「みたいだよ? 技術がどうのじゃなく、雰囲気が良いって話は聞いてたかな」
聞いたのはあちらで、だけれど、おそらく事実なのだから構わないだろう。
「それ、どないじゃろ。技術うんぬんがねーべや。そん方がええんかなあ」
「その場の勢いとノリだったもんね、あれ。あたしらの場合、そこが基本なんだけどさ」
「人様に聞かせるようなもんでもねーべさ。したっけ、つーやん泊まってくじゃろ? 部屋の掃除しとくけん、あとでおいでんさい」
「らーじゃ。えっちな道具とかもちゃんと隠しておくんだよ?」
「あほ、うちの部屋のどこ漁っても、そんなん置いとらんぞん」
呆れたような吐息と共に、立ち上がったなごみは階上の自室へ向かう。その背中を見送ってから、つみれは小さく苦笑する。
「相変わらず、気が利くなあ」
「そこまでする必要もないのだけれどね」
言いながら、影に手を入れた鷺花は、一冊の本を手渡す。受け取ったつみれは表紙を撫で、ふうんと頷いた。
シミュレートでも、この本は――式情饗次術式(オペレイションゼロワン)の魔術書は、つみれの手元に一度きた。どうであれ、一度は手に渡る因果関係があるのならば、今すぐでも問題ないとの判断なのか、それともただ、鷺花のわかりにくい優しさなのか。
たぶん前者だろうなー、と思う。魔術書に限らず、こうした物品は、人物経由のルートが半ば確定しているようなもので、それを下手に変えてしまうと、厄介な影響も出やすい。
「これからどうするつもり?」
「とりあえず、釣りはしようかなって」
さて、選択肢は二つだ。攻めるか、守るか。
いくら内世界干渉系に特化している魔術特性を持っているつみれとはいえ、決して他者に干渉できないわけではない。何故ならば、この手元にある魔術書の術式を扱う養父であったところで、世界を見ることで分析し、世界へと干渉するからだ。
シミュレートの時とは違う意味も含めて、右手を差し出す。あの時は魔術書があとで、先に握手をして内部を読み取られた。であれば、今回も対価になるだろうとの判断に、鷺花は僅かに目を細めるようにして、応じてくれた。
触れ合った瞬間に、体内術式が反応する。これらは円の魔術師として、記憶にないほど幼い頃、円つみれという個人に組み込まれた防御術式だ。半ば自動的に発動して、外部からの干渉を拒絶する。それがどの程度のものなのかを一瞬にして判断、半分以上の流れを把握しつつも、思わずつみれは眉根を寄せた。
――冗談じゃない。
探られているのがわかったのは、防御術式が稼働したからだ。していたところで、それがどのような防御なのかを知ることはできても、鷺花の術式がどのようにして探っているのかを知ることがまったくできていない。それどころか、今のつみれが知りうる限りの攻性――に限りなく近い、探りを入れようとしても、距離にしておおよそ、鷺花の手首付近までどうにかたどり着くものの、そこから先は消失してしまい、まったく探りを入れられなかった。
なんだか電子戦に似ているなと、ゆっくり手を離しながら思う。いくらウイルスを打ち込もうにも、途中で空中分解してしまうようでは、まるきり歯が立たないのと同じだ。しかし、かつてと違い、今のつみれには、どこまで探られたかを感覚として理解できる。
とはいえ、ほぼ八割がた、内部は覗かれた形になってしまったが。
「うーわ……マジっスか。五秒くらい?」
「そうね」
術陣が浮いていないところを見るに、鷺花はそもそも、術式を行使した感覚はないのだろうし、本腰を入れているわけではない。この鷺城鷺花という魔術師は、普段から、こうなのだ。
「ん、対価としては充分よ」
「どーも。この魔術書は鈴ノ宮さんとこでいい?」
「いいけれど、急ぎではないわよ」
「現状じゃ、熟読するようなものでもないと思うし、ついでに火丁と紗枝さんと……たぶん、鈴ノ宮の個人訓練があるなら、参加しておきたいなーとか」
「ん、手回しは必要なさそうね」
「コレがあれば、通行証代わりになるから」軽く、魔術書の表面を撫でる。「あ、でもスティークさんに関しては助言の一つくらい欲しいんだけど?」
「たとえば」
「発見に関しては問題ないんだけど、今のところ引き留める手段を持っていないのが現状だと、あたしは判断してる。あたしやミュウ、たぶんミルエナに関しても強制力がないと思うんだ」
「そうねえ……スティはそもそも、逃げ回るというか、一ヵ所に留まらないから」
「本気で隠れてる時は、そうでもないけど?」
「そうね。スティか……」
どうかしらと言いながら、鷺花は腕を組む。おそらく、いくつかある手段の中、現状で示せるもの――さらには、その中から、どの程度の対価で釣り合うか、またはつみれに支払うことができるのかを考えているのだろう。
「確かに、掴まえるとなると骨が折れるわよね?」
「戦闘なら、骨が折れるかな。けど、できないわけじゃない。やっぱ問題なのは、逃走に専念された時の追跡能力が足りないことかな。小夜さんほどじゃないとは思うけど」
「セツと逢ったのね?」
「うん。今日、快さんとこで」
「そう。なら……〝また〟伝言かしらね」
「そうなっちゃうかあ……」
「あっちと同じで、フォセを掴まえて――ん、楽園へ引っ張るよう言いなさい」
「条件は?」
「二つよ。一つは、あちらでも逢ったことを伝えなさい。そしてもう一つは、必ず会話の中に、如月美登里のことを匂わすこと。使い方は好きにしていいわよ」
「らーじゃ」
果たして、それがどのような展開を生むのか、現時点でつみれには知る由もない。けれど、そう言った鷺花は、少なくとも想定している。
劣っているのは自覚できたけれど、しかし、羨ましいとは思わない。悔しさは少なからずあるけれど――鷺城鷺花のような生き方は御免だと思えるのならば、つみれはきっと、独りで生きられない人種のはずだ。
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