10/21/07:00――廿枝サトリ・夢の渡り鳥

 夢の中は自由だ――。

 廿枝はたえだサトリも、最初の頃は思っていた。それが思い上がりだと気づいたのは昔のことで、今ではそうでもないけれど、それは実感が伴ってこその回答だ。

 確かに、幅は広がる。現実ではできないことも、夢の中では可能だし、展開そのものも読めず、思想や思考の制限すら一気に飛び越える。それが明晰夢であればなおさらだ。

 だが、人は人であることが、そもそも制限になってしまう。自分の形を変えることは困難であり、変えられてしまうことに恐怖を覚える。恐怖という感情システムだとて、人として規定されたものだ。

 そこで、第一の前提として、これは夢であると自覚する必要性がある。

 空を飛ぶ夢、なんて聞けばありきたりだが、実際に空を飛んでいる夢は珍しい。何故ならば、人は空を飛べないし、仮にあったとしたのならば、生身で飛んだことのある人だけだろう。現実に体験したことのある人間が、パラシュートを背負っていないことを夢想するのと同様であり、そうでない者のほとんどは、〝空を飛ぶような〟夢であり、空そのものに地面があるけれど、それがないという錯覚でしかない。

 人は地面に足がつかないと、落ち着かないのだ。何しろ、人生のほとんどを、そうやって生活しているから。

 突拍子のない夢であっても、現実に即している――それもまた、人としての束縛だ。

 だから、人の行動を越えたものが夢の中では現実的だ。たとえば、二階建ての民家を飛び越える――とか。

 どこぞの民家の屋根に乗ったサトリは、ぐるりと周囲を見渡す。空を見上げれば月があり、どこか青白いような世界である。

 ――いずれにせよ、気分は悪くない。

 夢を見ているという自覚があるサトリは、入眠前までを思い出せる。もちろん、今の自分がどんな寝相かなんて知らない。ただ晩飯は覚えているし、学校に行ったのも日常だ。

 いや、だからこそ夢であるのを自覚できるのか。

「さて、と……」

 後ろ頭を軽く叩き、ひょいと軽く飛び降りる。膝や腰のクッションを使わなくても、着地は楽なものだ。

 田舎なのだろう。周囲を見渡せば田園がよく見当たり、それなりの家屋も存在するが、どれもやや遠く感じる。久しぶりに人の少ない夢だ。

 これは誰の夢だ?

 ――そこに答えはない。自分の夢であることを自分で決定づけることは不可能であるし、複雑な理屈を作らずとも、夢なんてものは定義が難しいものだ。類似を探してその定義を探そうなんてこと、もう六年も前にやめている。

「お……」

 景色が少し変わり、丘陵へ変わり、いくつかの集団が歩いていた。丘に向かっているのか、やや迂回するよう、さりげなく合流して一番後ろにつく。ざっと顔を見るが、どこかぼんやりとしていてわからない。印象そのものが弱いのだ。

 十三人ほどの集団が一つ。背後に後続はない――と、前を歩いていた一人が、俯いていた顔をやや上げ、こちらを見て驚いたような表情になる。

「どうした? あんまり馴染めないか?」

「あ……ううん、そうでもないんだけど、ちょっと」

 こいつの夢か? ――なんてことも、今は考えなくなった。知ったところで、あまり意味がないからだ。

「丘のドラゴン退治、初めてで」

「なんだそうなのか。こっちは後方支援だし、慣れたもんだけどな」

 ドラゴン退治、ファンタジーに入ったのかと苦笑。慣れたものだ。地獄じゃないだけマシである。

「後方?」

「俺の背負ったモノが見えないのか?」

「……あ、銃か」

 そうだと頷きながら、相手の認識を利用しながら夢の中で製造する。

「M20R1、対物狙撃銃な。口径は50、精密狙撃なら1500ヤードくらいはいけるが、俺にはちょっと無理だが、でかぶつ相手なら充分だろ?」

「ん、そうだね。あたしは――あれ?」

「なんだ、持ってねえのか。不安そうな顔はそれが原因か?」

「あーどうしよ、困った」

「つっても、俺もこれしか――」


「――」

 切り替えは一瞬、頭の上付近で鳴った携帯端末に触れて目覚ましの音楽を止めれば、ごろりと躰を横に回転せるようにして上半身を軽く起こす。布団を横に押しのけて、やや高いロフトベッドから階段を使って降りた。

 廿枝はたえだサトリの寝起きは良い。目覚ましに使っているドラムンベースだとて、それこそ一小節ぶんも進まないうちに起きてしまうのだ。流れ作業でベッド下に配置してある据え置き端末に電源を入れて、壁掛け時計を見れば○六○○時の十分前。起動をファンの音で確認してから、リビングからキッチンへ向かい、牛乳をレンジに入れて温めつつ、パンを焼く。

 それは、いつもの朝だった。

 夢のことなど、覚えてもいない。だってそうだろう? 夢なんて、そういうものだ。覚えていても断片的で――それすらも、大抵の場合は忘れたままだ。

 パンを口に咥えたまま、牛乳を片手に自室へ一度戻り、起動していた端末を検索して、真っ先にニュースサイトを確認。政治や経済など、見出しをざっと眺めて気になった記事を読む。

 家を出るのは、○八○○時の五分前だ。

 玄関の鍵をしめ、静けさのあるエントランスへ。サトリの住むマンションは、部屋数もそうだけれど、住人はあまりいない。玄関こそ物理的な鍵だけれど、エントランスの出口は電子錠だ。

 だが、どういうわけか――その静けさの中に、馴染むよう男が煙草を吸っていた。

「……」

「よう」

「あ、おはようございます、管理人さん」

「いつもの時間だな、サトリ」

 片目を隠した長身の男である。サトリは平均よりもやや小さいので、躰をそれなりに鍛えてはいるが、どうもこの人と対峙すると負けたような気分になる。威圧があるわけではないけれど、鍛え方が足りないのかと思わずにはいられないのだ。

 というよりも。

「珍しいですね、お久しぶりです」

「そうか? ……そうだったかもな。住人とのトラブルはないか?」

「ああ、はい、特には。隣のお姉さんがよく食材をわけてくれます」

「へえ。――〝夢〟の具合はどうなんだ」

「あー……」

 この人の、こういうところが、苦手だ。

 サトリは夢の内容を覚えていない。だが、全てではないし、覚えている日もある。であればこそ、現実において、夢のことで相談したこともあったけれど――。

 その相手が、この管理人ではないことは、確かだ。

「現実に侵食はしてきてないですよ。よくは覚えてませんが、夢の中でも上手くやっているとは思います。俺は睡眠時間が長い方ですが、よっぽど眠いって日もそうありませんから」

「なるほど? それが致命的な失敗であっても、引き継げないのなら問題だな……」

「……? 管理人さん、一体どういうことですか?」

「ん、ああ、余計なことを言うのは俺の仕事じゃないか。だからそうだな――サトリ、冷静になれ」

「はい?」

「冷静さを忘れるなってことだ。で、何か強い感情が沸き上がってきたら、かつての自分を思い出せ」

「はあ……わかりましたが、どうして俺にそんなことを?」

「たまには住人と会話をするのも悪くはないと、そう思ったからだ。しばらく俺もこっちにいるからな」

 そもそも、この管理人は最上階を住居にしているけれど、不在の場合が大半だ。総合管理をしているAIに、用事があるからと訊ねても、だいたいは不在と返される。居留守なのかと疑ったこともあるけれど、いる時にはいるので、一体何をしているかも、サトリは知らない。

「若い連中は、いろいろあって大変そうだが、楽しめるだろ」

「そりゃ……そうですけど、管理人さんだって、学生時代は過ごしてたんじゃ?」

「俺は学歴だけ取得した。思いのほか時間があったんで、数字だけ出したかたちだな。実際に通ってはいない」

「えっと、つまり、あれ?」

「俺の経歴聞いてたら夜になるぜ。まあ昔から自営業みたいなもんだから、時間は作りようがあるんだけどな」

「いつも捕まらないじゃないですか」

「そりゃ俺だって付き合いはある。お前は違うのか?」

「それなりには……」

「時間はいいのか?」

「え? ああ、車なので」

「そういやお前が申請したんだっけな、あのキャンピングカー。内部を正式改造済み、六人就寝、八人乗りだろ。お前の〝仕事〟は危険度に見合った報酬だから、軽く買えるのはわかるが――ん? ガレージ作っておくか?」

「いえいえ、そこまでして貰わなくても。というか俺、そこまで申請しましたっけ」

「駐車場の利用申請はあったな。そのくらい見ればわかるだろ」

「外見だけじゃ、ただのボックスじゃないですか……」

「足回りでわかるだろ? 内部の荷重で沈んでれば、中身もだいたい想像できる。後ろからエンジン見れば推理補強にもなる」

「凄いですね……」

「こんなものは、息を吸うようにできるものだ。意識するか否か――そんなものは、何だって同じだろう? 現実でも、夢でもな」

「……ですね。だったら」

 この人ならば、どう答えるのだろうかと、そんな好奇心。

「管理人さんにとって、夜に見る夢は、どんなものですか?」

「それは俺の意見か? それとも、一般的な見解か?」

「えっと……じゃあ管理人さんの意見で」

「俺か。俺にとっては鬼門なんだけどな……まず、俺は夢を見ない。ああ慌てるな、これは眠らないという意味だ」

「いや慌てますよ、そっちの方が大問題ですって」

「脳を休ませる時も躰が起きている状況だし、脳内整理は――簡単に言えば意識してやる。俺の外部認識が消失する時間はない。つまり夢は見ない、そういう躰にしてきた……ん? どうした、信じられないか?」

「というか、信じるとかそういうのの前に、管理人さんがどういう人なのか、すげー気になったんですが」

「気にするな、昔の〝教育〟だ。その上でちょっと聞くが、そもそも現実と夢と何が違う? 理想の種類か?」

「現実にはできないことが――まあ、できますよね。少なくとも中じゃ、人間であることを忘れろって先生なんかは教えてくれましたけど」

「それを実践してたところで、朝になりゃ忘れてる――か。だったら、それが現実にできるなら、夢と同じだな」

「空を飛んだり――状況を変えたり?」

「場を整えればできるだろ。たとえば」

 そう、たとえば。

「丘に竜を狩りに行く夢があったとして、それを〝現実〟で再現すりゃいいだけのことっだろ? 危機感も、存在感も、同様にな。少なくとも〝夢〟よりは必死になるぜ」

「――……リアリスト、と言おうとしましたが、それともちょっと違いますね」

「夢みたいな現実なんて、いくらでも、転がってるって話だ。実力さえ伴えば、お前が夢でやることも、現実でやれる。だから俺にとっての夢は、見ないのと同様に、ないのと同じだ」

「はは、すげーよ、管理人さん」

「嘘を言っているように見えるか?」

「そうは見えないからすごいよ」

「そんなもんか? 憧れるなよ、そんないいもんじゃない。ああ――」

 煙草を消して、のんびりと立ち上がった彼は、最後に。

「――エイジェイなんて名乗ってる、馬鹿みたいな野郎に声をかけられたら、よろしく言っておいてくれ」

 何が言いたくて、どうしたかったのか、よくわからないままに会話が終わる。

 以前もそうだった。

 会話をしていたこちらは、どこか消化不良のような気分で――だからこそ、記憶に強く残るのだと、そんな手法の一つなのだと、彼なら笑って言うだろうけれど、サトリはまだ、言われたことはなかった。


 サトリの通うVV-iP学園というのは、一般の高校とは授業形態そのものが違う。簡単に言ってしまえば、進級ないし卒業試験をクリアすることだけが学生の課題であり、それ以外は個人の裁量に任せられる。

 極論、年に一度だけ顔を見せて試験して、規定点数以上を出せば、それだけでいい。けれどサトリがそうであるように、そんな学生はほとんどおらず、授業であれ部活であれ、毎日のように通う。その方が安心であるし、そうでなければ辞める。というのも、試験に脱落すれば、それだけで留年が確定なのだ。それなりに厳しい。

 二学年普通学科に所属するサトリも、入学当時を思い出せば、まあ酷いものだった。ルールさえ知れば、やりようはいくらでもあるし、上手くやれるのだが、最初はやっぱりわからない。土日ですら学園に足が向くのは、たぶん八割がたの学生がそうであるし、授業もある。じゃあいつ休むんだと問われれば、適当に自分の判断で午後から休んだり、授業を飛ばしたりと、その辺りは大学生と違いが、単位そのものも必要ないので、自己責任はより負担することになる。

 ――ともかく。

 それは、昼休みに起こった。

 そもそも敷地が広い――過ぎるくらいだ――学園なので、購買や食堂も複数個所に設置されている。やや混むけれど、時間帯を少しずらすだけで楽になるため、サトリは十五分ほど遅れて食堂に入った。席もそこそこ空いていたので、サンドイッチを買って二人席につく。飲み物はミルクティだ。

 食べる場所が自由な購買の方が人気は高い。感覚としては、喫茶店に入るよりもコンビニで済ますのと同じ、若者らしい発想だ。けれどそれだけでは飽きるので、たまに食堂を挟む――サトリもまた、似たようなものだった。ちなみに知り合いたちは今日、購買らしい。

 一人での食事も苦にはならない。自分で作らないだけ随分と楽だと思っていたのだが。

「――あの」

 携帯端末でニュースサイトの閲覧をしていたところ、声をかけられたので顔を上げる。見たことのない女性がそこにいた。

「はい?」

「ここ、いいですか? ちょっとお話があるんですが」

「はあ……どうぞ」

 失礼しますと、対面へ腰を下ろす。ちなみに周囲を見るが、席はまだ空いている。

「俺に用事が?」

「そうです」

 ならばと、テーブルに置いたタッチパネル形式の携帯端末を背中側のポケットへ。下はジーンズだが、上着にしているのは自転車のジャージなので、腰裏付近に小さなポケットがついているのだ。

 さてと気を改めそうになったサトリは、自然な流れでサンドイッチへ手を伸ばす。お互いの立場を明かしていないし、これは〝仕事〟の面接でも交渉でもない。

「……あ、ごめんなさい。私は潤間ミナミです」

「うん」

「あの、あなたの名前は……?」

「へ? いや、てっきりそっちは知ってるものだと思ったんだけど」

「そうだけど……いやほら、礼儀? 挨拶?」

「そんなもんかねえ」

 それを言うならば〝流儀〟だ。そして、相手と自分が同じ流儀であるとは限らない。

「それで?」

「あ、うん……結局名乗らないんだ……」

「俺、そろそろ食事終わるよ?」

「ごめん、あの、これからちょっと時間を貰えない? あたしじゃ上手く説明できなくて」

「うん。だから俺は、その〝用件〟が何なのか、聞きたいんだけどな?」

「う……」

 ごめんと、また小さく謝罪があった。

 意図した会話の流れであり、そこまで謝る必要はないのだけれど、だからといってサトリの中に罪悪感はない。

「前の〝夢〟で逢ったから、それについて話がしたいの」

「ああそう。いいよ」

「うん……あれ? いいの?」

「駄目なら俺は午後からの授業に出るけど」

「ごめんいい、ありがと」

「じゃ、食べ終わるまで待ってるから、ごゆっくり」

 食器類を片付けて、残った紅茶を片手に携帯端末を再び取り出して操作しながら、待つ。

 夢で逢った。

 その言葉自体の信憑性は、ひとまず除外しておく。だが仮にそうだったとしても、現実でその人物を発見するのは難易度が高いはずだ。しかし、学園の生徒であることを前提としたのならば、学園の名簿でもあればわかる。

 ――準備はしておこう。

 こと〝夢〟なんて単語を平然と出して話し合いを求める手合いならば、慎重に過ぎることはない。だから迷わずに、できないことを他人に頼む。

 知り合いに、学園名簿のデータベース、そのアクセス履歴を頼んでおく。

「あのう……」

「どうした? じっと見られてると、食べにくいだろうと思ってるだけだ」

「それで黙られると、なんていうか緊張するんだけど」

「お互いに共通の話題があるようなら、食事のついでに考えてみれば?」

 返信が早かった――が、コミュニケーションツールでの返答だ。

『夢に関連してる話?』

 イエスと短く書き込めば、早い。

『今日付けで〝ファントムファーム〟って正式名称の同好会がアクセスしてる。ド下手、痕跡残しすぎ、ばーかばーか』

 ――人数は?

『三人。全員が女。ん?』

 ――ウルマミナミ。

『ジャックポット』

 ――ありがと。

『はいはい』

 最後に添付ファイルが送付されて、会話は終了。相手からの要求がないので、逆に困るのだが、早いうちに折り菓子でも持参せねば。

「あ、俺もう一杯飲んでいい?」

「うん、どうぞ」

 食事の進み具合を見ながら、今度はお茶を一杯。ペットボトルではなく、紙コップを選択することが時間稼ぎの常套手段だ。といっても交渉専門ではないので、相手の動向の真偽を見定める――なんてことまでは、できないけれど。

 席に戻って、改めて携帯端末に触れる。移動の際にはテーブルに置きっぱなしにするのが、警戒心を失くすコツである。

「昼食時に聞くのもなんだけどさ」

「なに?」

 データにざっと目を通しながらも、今度は世間話をする。

「今晩のメニュー、何にしようかと思って」

「……え? なに、昼食食べながらレシピ検索してたの?」

「レパートリーがあった方が、飽きないだろ。かといって夕食前になんか考えてみろ、どうせ冷蔵庫にある食材で済ますはめになる」

「それ駄目なの?」

「いつもの食事ならそれで充分だ。初対面でこう言うのも何だけど――あんた料理しないだろ」

「んぐ……」

「いや責めてるわけじゃないって。今日は食材買いに――」

 脳裏に、隣のお姉さんから死ぬほどじゃがいもを貰ったことを思い出す。あの人は二十畳ほどある部屋の二つを畑にした変人なのだ。いつも野菜をありがとう。

「――行こうかと思って、どうせならってな」

 資料を斜め読みし終えてすぐ、じゃがいもを使った料理のレシピを検索する。どうして忘れていたんだろう、最優先事項だろうに。というか作り過ぎじゃないのか、あのお姉さんは。

「自炊してるんだ」

「待ってたって食事は出てこないよ」

「あたし寮生だからなあ……あ、ごちそうさま」

「はいよ、じゃあ行くか」

 お茶を飲み干してゴミ箱へ。案内のためか先導するミナミについて行く。やはり、同好会の部屋らしい。ちなみに、この学園では規模が小さくとも部活扱いになる。最低人数は四人になるが、空いていれば部室を得ることもできる。

「どこ? 教室じゃないみたいだけど」

「えっと、あたしたちの部室」

「部室?」

「ファントムファームって名前なんだけどね」

「へえ……」

 そこからしばらく無言でついて行けば、ここだと部屋の一つで足を止めた。どうぞと言われたが、先に行くよう指示して、中に入ってサトリが扉を閉めた。

「やあ、ご足労願って、すまないね。自分が部長のヴェニティだ」

「私はペレーニでございます」

 スライド式の出入り口の横、壁に背中を預けたままでサトリは軽く腕を組む。

「で、なんの話だって?」

「君の名前を聞いていないよ」

 小さく肩を竦めて、サトリは口の端を歪めると扉を開いた。

「いや待ってくれ、君に夢のことを聞きたい」

 とりあえず、当面の主導権は握れたかと、背中越しに振り返り、二秒ほど動きを止めてから、扉を閉めてまた同じ位置に戻った。

「で?」

「ミナミが、昨日の夢で君と逢ったそうだが、君は覚えているか?」

 軽く目を伏せ、わざとらしくため息を足元に落とす。

「質問の仕方を知らないんだな、あんたは」

「――うん?」

「昨日の夢で、彼女が俺と逢った。そのことへの証明もせずに、どうして俺が覚えているかどうかを訊ねるんだ? 尋問が趣味なら他所でやってくれ」

「あなた――」

「いい、ペレーニ」

「しかし」

「いいと、言った」

「はい」

 ヘッドドレスこそないが、侍女服に似たエプロンをつけるペレーニに睨まれるが、そもそも視界に入れてはいるけれど、サトリは見ていない。

「だがな、そもそも夢でのことは証明が難しい」

「俺に対するさっきの質問の答えを言おうか。――夢でのことは証明が難しいんだ」

「悪かった、最初から話そう」

 長机は適当に配置され、そのうちの一つに座ったヴェニティは、気を改めたようだった。隣のやや後ろに立ったペレーニは、やはり嫌悪を顔に出している。ミナミは? さて、今ここで視線を動かして表情を見るのは避けたいが、たぶん妙な顔をしているだろう。

「見た夢を、ミナミは覚えていることができる。完全かどうかはともかくもね。その中で、君に逢った。随分と〝夢〟に慣れている様子だったと聞いて、自分は興味を持ったんだ」

「はあん」

 ――あえて。

 嫌な人間を演じる。いや、妙にイライラしてきたので、なまじ演技であると断言はできなかったが、それはさておき。

「それで?」

「君と話をしたい」

「今のところ俺からの質問はなしだ」

「これ以上の情報開示を求めると?」

 がりがりと、頭を搔く。嫌悪で次第に睨んでいることに、サトリは自覚していない。

 そもそも意図的に情報が隠されているのだ。夢の中で逢った、それが事実だとして――その登場人物が、どうして学生だとわかったのか? たぶんこの中に、意図的に夢を作るか、あるいは囲うことができる人物がいる。

 つまり、昨日の夢の中で、サトリは〝異物〟だったのだ。それでいて、ミナミの認識に残ったから、調べる足掛かりにした――たぶん、そういう流れだろう。

 サトリは夢を思い出せない。

 だからこそ、こうした思考は欠かせないのだ。

「ああ、質問が一つあった」

「それなら会話が続きそうだ。先にそれを聞こうか」

 そりゃありがたいと、小さく苦笑して。

「誰が〝ファム〟の血筋だ?」

「――貴様!」

 一歩、踏み出そうとしたペレーニを制するよう、サトリは片足を蹴るようにして扉を開いた。勢いよく、パシンと高い音が、続く行動を制する。

「夢なんかより現実を見ろよ。そんなに詰まらないか、現実ってやつは。そうじゃねえだろ――退屈に、詰まらなくしてンのは、いつだってテメエだ」

 見れば、思いのほかミナミは、この状況に動じていないようだった。

「行動は時に、これ以上ない返事だ。故に、俺の質問への〝返答〟はいらない。知ってるか、ペレーニ。あんたみたいのを〝間抜けジャッカス〟と言うんだ。次からはきちんと、礼儀じゃなくて〝流儀〟を守れ」

 次の道を残しておくなんて優しいだろうかと思いながら出て、扉を閉めて歩き出す。プレハブ棟から中庭へ抜けて、普通学科棟に戻るのも癪だったので、逆側に位置する特殊学科棟へ足を向けた。

 今更になって、冷静になれ――なんて言葉が頭の中に浮かんだ。

「管理人さん、何者だよあんた……」

 昔の自分を見ているようで、気にくわなかった。現実よりも夢を主体に物を考えている様子など、半分は自己嫌悪だ。そしてまた、夢と現実の違いについて物言いをするだなんて――いつからそんなに偉くなったと、頭を抱えたい気分である。

 一階にあるラウンジに入り、椅子に座ったサトリは煙草に火を点けて一息。

 反省点があるとすれば、つまり冷静でなかった己だ。結果的に同じ対応をしていただろうけれど、感情は重要だ。

 同族嫌悪――なのだろう。

「ともかく……」

 そう、とりあえず、ミナミはどうやら夢の内容を覚えていられるらしいことは確実だ。代償として考えられるのは、サトリとは逆のこと。

 夢を覚えていられない代わりに、サトリは夢の中で現実の、つまり今の情報を取得できる。だが彼女は、夢を覚えていられるけれど、夢の中で現実の情報を取得できない。

 一日の始まり、その区切りが違うのだ。サトリにとっては朝から始まり夢で終わる一日が、彼女にとっては夢から始まって寝る瞬間に終わる。あの曖昧な態度も、そうであれば頷けた。

 だからどうしたと、一蹴したくなるくらい、嫌悪に顔が固まっていたので、左手でほぐす――と、扉が開いて男が入ってきた。

「お疲れさん」

「え? ――あ、エイジェイさん」

 ランクA狩人であり教員のエイジェイだ。逢うのは初めてだが、有名なのでサトリは知っている。

「珈琲でいいか?」

「はい。失礼、俺のことは?」

「聞いてるよ、廿枝はたえだサトリ。つーか、連中のとこ行く前に俺んところに来いよ、お前」

「いや、言い訳ですけどね、調べたのが潤間うるまさんが来てからですからね……その時点で後手ですよ。調査自体も知り合いに頼みましたし」

「あー、まどかを頼ったのか。片手間だろうけど、あっちもちょい面倒が起きてるぜ。関係はねえけどな。つーかあの野郎、そこまで見越して昨日は連絡を寄越しやがったのか……」

 ちなみに。

 ファントムファームなんて名前の部活動、責任者が実はこのエイジェイなのである。掛け持ちらしいが、どちらにせよ時間があれば訪ねるつもりだった。

「――あ、そういえば、俺の住んでるマンションの管理人さんが、よろしくとか何とか」

「それだ。ったく、ガキの様子見なんて柄じゃねえだろうに、どういう風の吹き回しだ、あの野郎は。なあ?」

「いや俺、管理人さんとはちょっとしか話したことないですし、何をしてる人なのかも知らないんですが」

「は? え、お前の両親からも聞いてねえのか?」

「親父とお袋ですか? いや……」

 まったく聞いていない。ちなみに、義理の親であるし、戸籍上は他人だ。ただしばらく育てて貰っただけで、名目上の親でしかない。

「ベルだよ、ランクS狩人のベル。公式サイトに写真つきで乗ってるだろ、S以上の八人は。調べればすぐわかるぞ――ばりばりの合成写真で他人だけどなマジで」

「他人じゃないですか!」

「まあな。けど事実だぜ、俺の同期だ。それ以前に、あのマンションに住んでる以上、俺が知らないなんてことはねえよ。お前が中学の三年間にやってたことも、だいたい知ってる」

「はあ……狩人ってのは、大変ですね」

「そうでもねえよ、ただの生活だ。――で、どうせあの馬鹿共は、お前と交渉なんてできなかったんだろ?」

「はは、どうなったかわかりますか?」

「主導権を握ろうとしたヴェニが下手打って、それに気付かないレーニが踏み込んだ。んで、すぐにお前は大半の情報を得られたから、用済みになった――つーか、関わらない方が良いって判断だな。ミナミはもう、どっちかっていえば〝夢〟に近くなってる」

「当たりです」

「で? お前はそこで止まってる最中だ。連中が次にどんな手で来るかまでは、想像していない。――とやかく言うつもりもねえけどな。ほれ、珈琲」

「ありがとうございます」

「ちなみに、俺は基本的にノータッチだ。どうであれ、夢になんて興味を持つ連中にろくなヤツはいねえよ。現実逃避の一種だ」

「痛み入る話です。ところで、エイジェイさんも眠らない――夢を見ないんですか?」

「ベルと一緒にすんな、たまに夢くらい見る。自分のベースで睡眠を摂る時なんかは、たまに……一年に一度くらい、気が抜けてな」

「いやちょっと待ってください。気が抜けて?」

「俺の場合、安全確保ののち、規定時間のみ完全熟睡するタイプだ。睡眠と起床を繰り返すような感じになる。あー、あれだ、わかりやすく言うと、定期的に起きる感じか? お前だってそうだったろ」

「そりゃ、俺の場合は嫌な夢で飛び起きるというか、現実的にピンチだったというか……」

「つまり、気が抜けて睡眠に失敗すると、夢を見る時間帯ができるってわけだ。眠らずに済むベルがおかしいんだよ……」

「そうですか。じゃあ、エイジェイさんにとっての、夜に見る夢って、なんですか?」

「俺の話か? それとも、一般的な話か?」

「――はは、それ管理人さんも同じこと言いました。エイジェイさんの話です」

「どう考えても、その質問に対しての、普遍的な確認だろ……?」

 それはない。

「さっきも言ったけど、俺にとっては睡眠の失敗でしかねえよ。明晰夢だった時点で起きるし、そうじゃないなら覚えてもいねえ。つーか夢も現実もそう変わらないだろ……夢だからできることがある? だったらそりゃ、現実だからできることもあるんだろうぜ」

「でしょうね」

 さっき、似たようなことを言ってきた。

「ところで、この件に関してはこれから調べようかと思ってるのですが、ファムについては――どうなんですか」

「もう死んでる」

「長生きする狩人は、引退が早かったからってのが通説ですからね」

 かつて、いたのだ。

 〈儚い人の夢ファントムファーム〉という狩人が。

「以前の仕事……いや俺のじゃなく、親父に同行した仕事で、ファムが死んでるってのを知ったんですよ。その時に名前を憶えてて、多少は調べましたが……」

「俺らが現役――認定証を取った頃の現役だからな、あいつ。程度は低かったが、鷺ノ宮事件にも絡んでたし、腕はそこそこだったんだろ」

「そこまでは、さすがに。俺が知ってるのは、狩人はランクで決まらないってことだけです。意図して低いままでいる狩人が一番厄介だとか、そんなことを聞きました。しかし、違ったらそれでも構わないつもりでカマをかけましたが……」

「間抜けだなあ、あいつら。どれだけ甘く見てんだ? 事前情報を調べる時間はあっただろうに」

「学内名簿にアクセスした痕跡も、酷かったらしいですよ」

「孫だ」

「本当に血筋なんですね。名前だけ借りた、いわゆるリスペクトしたのか、より関係が深いのか、一応は警戒しておくつもりです」

「まあ基本だよな。こと曖昧な対象なら余計に、慎重を重ねた方がいい。あとは情報収集能力の差だ。もっとも、俺ならそこで済まさないが」

「参考までも、聞いてもいいですか?」

「いや簡単だよ。〝次〟を予想して手を打っておくだけだ。向こうから話が来た時点で、既に解決してありゃ、腹を抱えて笑えるだろ?」

「性格が悪いというか……さすがですね。とてもじゃないけど、三人を相手に俺一人で立ちまわれるほど器用じゃないですよ」

「よく言うぜ……ま、手に負えなくなったら遠慮なく言え。一応俺は顧問だからな」

「ありがとうございます。その折には是非。――しかし」

 サトリは、問う。

「どうしてエイジェイさんは引き受けたのですか?」

 質問に対して、エイジェイは苦笑するだけで答えなかった。


 帰宅したサトリは、食材のついでにいくつかの〝情報〟を買ってきた経過よりもむしろ、バケツ三杯にも及ぶじゃがいもとの格闘を始めようとしていた。

 いや、そもそも芋なのだから、長く置いて徐徐に使うのが一般的だ。保存食とまではいわないが、もともとがそういう食料なのである――が、去年はそれで失敗した。

 腐らせたわけではない。ただ、じゃがいもを消費する前に、次なる野菜が到来し、結局はどちらも食べきれない状況が訪れてしまったのだ。申し訳なさに落涙の想いだった――あんなのは二度と、したくない。

 というか隣のお姉さん、手加減してくれ。

「うおっ」

 なんて思ったら呼び鈴が鳴った。室内AIが設定した音色なので、うるさくはないにせよ、心臓に悪い。

「えー、手が離せない。ちょっとシェルジュさん? 誰かわかる?」

 室内ではなく、マンションの全体を管理しているAIに言葉を投げれば、呆れたような返答があった。

『対面の円さんですよ。開けますか?』

「お願いしまーす」

 玄関が開く気配がして、そのままスリッパの音と共に来る。

 まどかつみれの登場だ。

「おー」

「ごめんね、姉さん――あれ?」

 キッチンに顔を見せた彼女を振り返って、手元の作業を中断する。

「雰囲気が変わったね」

「げ……わかる?」

「一本、芯が入った感じ。戦場帰りの軍人が見せる、新兵だったとは思えない面構えを思い出した」

「女に向けた言葉じゃない」

「あはは、ごめん。でもそう間違ってはないだろ?」

「まあねえ……何してんの?」

「ポテサラを大量生産中。ついでに持ってってくれ」

「あんがと。お姉さんがしめじを大量生産して持ってきてくれたんだけど」

「しめじも作ってんのか⁉ すげーな……。ともかく、ありがとな円姉さん」

「昼のことでしょ? それ自体は暇潰しにもならないくらい、手軽なものだったけど、珍しいじゃん。こういうの、事前に調べとくでしょ、サトリは」

「いつもならね。ただ、突発的なヤツだったから」

「ふうん? 今の私なら知ってるから言うけど〝夢〟の関係でしょ? サトリの仕事の一つ」

「お――」

 話したことはないし、そもそも、事前に調べておくような事件を教えたこともない。それでも言い当てられたことに、――どうだろうか。

 危機感はない。もちろん安心もしないけれど、頭が上がらないと、そんな気持ちが真っ先に浮かんできた。

「――よく知ってるね」

「さっきまで、いろいろ調べてたから。こっちは術式関連で〝封印〟が解けたところ」

「自己?」

「暗示に近いけど、どうも父さんがやってたみたい」

「あー、慶次郎けいじろうさんかあ……あの人も、なんつーか底を知れないんだよな。姉さん、ここの管理人さんのこと知ってる?」

「昨日教えてくれた」

「俺、今日逢って、エイジェイさん経由で聞いたよ。有名人どころの騒ぎじゃないぜ、これ。びっくりだ」

「お姉さんは知ってたのかな?」

「あの人はどっちでも気にしないっしょ……。フェアじゃないから言うけど、どうもファムの血縁らしいんだよ」

「狩人の寿命――っていうか、活動期間って本来は短いもんね。最盛期が五年? 一生分稼げるからいいんだろうけど、鷺ノ宮事件なんて持ち出されてもねえ。サトリはそっちと?」

「名前を聞いたことはある。親父に連れられた仕事だったと思うんだけど……」

「ケイオスさんだっけ、ばりばりの軍人の」

「まあね。ケイオス・フラックリン少将殿だ、あのクソッタレ。こっち戻ってからは、親父の仕事はまったく手伝ってないけどな。そういう縁もあるかって話」

「でも、学園の活動は遊びみたいなもんでしょ? ガキばっかだし、手際悪かったし」

「ああいう連中の難点は、それでも〝上手くやってる〟と思い込んでるところじゃない?」

「あははは、違いないね。ちょっと前に私みたいだ」

「いや姉さんはそうでもないだろ。あれが駄目、これが駄目って試行錯誤してたじゃないか。で、なんでか俺が愚痴を聞いてんの。たまにだけど――あ、小さい芋はそのまま食べれるけど、どう?」

「いいね、貰うよ」

 サラダにしないじゃがいもの中、小さいのを熱いうちに皮をむいて、箸と一緒に差し出せば、調味料もつけずにそのまま口に放り込む。季節の野菜ならば、甘みもあるし余計なものは必要ない。

「おいしい。――んで、サトリは最近、躰動かしてる?」

「あんまり追い込んでないよ」

「じゃあ今度、連絡するから」

「……え、ちょい待ち。何すんの」

「私も部活みたいなのやっててねー、ちょっと訓練を。当日を楽しみにしてていいよ」

「待って待って、すげー嫌な予感がする。マジで。いや断らないけど内容くらい教えてくれ頼むから」

「そこはまだ決まってない。あれなら、こっち顔を出しなよ。プレハブ棟の一階に部屋あるから」

「あ、うん。それはいいんだけど……姉さんが、部活?」

「ちょっとした流れでねー。そこそこ楽しんでるよ」

「そりゃ良かった」

「そっちは?」

「あー……どうしたもんかなと」

「っていうか、夢と現実の区切り、どうやってつけてんの? 私も似たような術式使うけど、やっぱ安全装置セイフティ作っておく?」

「一番の安全策は、第三者の介入なんだけど、そういうわけにもいかないからな。いくつかの認識を頼りに、誤差の視認を前提にはしてるかな。逆に、意図して〝感覚〟を切ってみたり」

「感覚頼りのESPエスパーらしい意見だねえ」

 それを話したこともないのに、知っている。どうやら隠し事は無駄らしい。

 だったら?

「……はは」

「ん?」

「悪い癖だ、やめとくよ」

 だったら、どこまで知られているのか探って、何を知らないのかを知れば、その過程で行われる何かしらの〝仕組み〟がわかる。

「え、探り合いしないの?」

「そんな期待に満ちた目で見なくてもいいだろ……やらないよ」

「中学の三年間だっけ? こっちきて、そろそろ二年だろうけど――何してたの」

「何って……あ、そっか。こういう話、してなかったっけか。ポテサラ完成したけど、あとどうする?」

「どこのバイキングで出すのか知らないけど、多すぎでしょそれ」

「うちで食べるんだって。姉さんとこと、お姉さんとこに持って行くつもりだったんだけど」

「じゃあ追加で、カレーで」

「食べてく?」

「うん。あと、種だけ作ってちょうだい。シチューと肉じゃがにするから」

「諒解」

 自炊する人なら、すぐにわかるとは思うけれど、基本的にこの三つは同じ材料だ。だから結構飽きるのだけれど。

「中学なんか、国外でもいいだろって、親父に騙されたんだよな、俺……」

「え? なにそれ」

「学歴なんて、そのくらいしといた方がインパクトあるとか、いろいろ言われてなんかその気になったんだって。んで、まず親父が軍で仕事だからって、訓練校の宿舎に放り込まれた」

「おー、あれマジ楽しいんだってね。私は行かないけど」

「死ぬほど吐いた一ヶ月だったな。マジで文句言おうって思ったら、迎えに来たのがお袋だったんだよ。仕事手伝ってとか言われて、拳銃とナイフ渡されて護衛な。二週間かけて、わけわからん地図で指定ポイントまで送ったら、ほかの仕事してたお袋と交代。また宿舎に戻れって――こいつ何言ってんだと、本気で思ったね俺は」

「そんな生活してたんだ」

「一年目はだいたいな。つーか、軍の訓練中に連れ出されて、よく現場に行ったよ。おい俺の代わりに誰か行けよって言うんだけど、誰も答えないし、土産話には期待してるとか言いやがる――あのクソ曹長、何が訓練より厳しい現場だ。言うなよ黙ってろよスケープゴートがいなくなったじゃねえか」

「はいはい、落ち着いて。んじゃ二年目は?」

「前半はだいたい、前線に出てたな。軍部の意向だとは思うんだけど……で、区切りがついた頃に親父がようやく迎えに来たかと思ったら、軍関連のあれこれに引きずり回された。俺はその時に思ったね、訓練校の宿舎はパラダイスだったって」

「あー……過去情報は検索に時間かかるなあ。相当回ってるね」

「お陰で知り合いが増えたよ。何しろ親父の野郎、遠くから建物を指して、行って来いって感じだったから。いや親父の名前は出したけどな、一応」

「え? そこで終わりじゃないの? 三年目はどうしてたの」

「しばらく傭兵と一緒にいて、相変わらずお袋と親父の手伝い。この三年目が一番、命の危険を感じたな……キツイとか、辛いとかじゃなく、怖かった」

「いい経験してるなあ。こっち戻ってきてから、どうしてんの」

「いや見ての通り、ただの学生なんだけど。昨日までは実に平穏で、俺これを維持するためなら何でもやるわー、とかネットで呟いてた」

「だがそうはならなかった!」

「そうだよマジでなんなんだよ⁉ ファムの名前借りて何やってんだあのクソッタレども!」

 言葉の勢いに反して、炊飯器のスイッチの入れ方は優しい。

「夢となると、やっぱ俺の仕事なんだろうなあ……」

「嫌そうな顔。適材適所じゃない? 放置しておいてもいいのに」

「俺が次に見る夢が問題ないようならね」

「あー、現実と同様に繋がってるの?」

「繋がりもあるんだけど、移動がどうのじゃなく、意識して渡れないから巻き込まれる可能性があるわけ。第三者が手を加えない限りは、ただの夢なんだけどな」

「あー、得てしてそういう馬鹿、全部台無しにするくせに生き残ったりするよね。痛い目に遭わせればいいんじゃないの」

「他人事だなあ、事実そうだけど」

「そりゃね。――で、質問が一つ」

「ん?」

「サトリにとって、一日の終わりって、どこ?」

 ああそのことかと、小さく苦笑したサトリは振り返り、お茶の要求をするつみれに言う。

「そりゃ、布団に入って眠る時だよ」


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