--/--/--:--――円つみれ・言術の戦闘

 鈴ノ宮に顔を出しなさい――そんなメールを鷺城さぎしろ鷺花さぎかから貰ったのが朝だった。急ぎの用事なのかなと思って折り返し連絡を入れると、九時頃にはおいでと言われたため、つみれは一人で再び鈴ノ宮に赴いた。

 相変わらずの威圧感だ。二度目とはいえ、まだ慣れない。どうすればよいのか迷っていると、以前と同様に執事の哉瀬かなせ五六いずむが出迎えにきた。聞けば、正式な客人以外は出迎えないというのだから、つみれはそういう扱いなのだろう。

「ようこそ、いらっしゃいませ」

「どもっス、五六さん。あのう、鷺花さんに呼び出されたんすけど」

「はい、聞いております」

 笑顔で会釈をしながら中に招き入れた五六は、こちらへどうぞと本邸への通路を歩き始めた。

「けれどまだ時間があるようなので、しばらくこちらにお付き合いください」

「それは構わないんすけど……」

「鷺花様からは、どうやら清音きよね様に何かご用件もあるとか」

「うっス」

 それは、ちゃんと聞いていた。今もつみれの鞄の中にある式情饗次術式オペレイションゼロワンの魔術書を、鈴ノ宮清音へと返還しておくよう言われたのだ。つみれもこれ以上は難しいと思っていたところなので、何も問題はなかった。

 あるとすれば、鈴ノ宮の御大に逢うことへの緊張くらいか。

 屋敷の目の前までくると、入り口の扉がかなり大きいことに改めて気づかされる。五メートルはあるんじゃないか、という扉はゆっくりと音も立てずに開き、侍女が一人中で待っていて、頭を軽く下げた。

「こちらへ――おや」

 どういう造りなんだろう、なんて周囲を見渡したところへ、あまり似つかわしくない襦袢姿の少女が、ぼんやりとした目をして通路からでてきた。すると、五六が僅かに苦笑する。

「――お客人の前です。部屋を出るなら、きちんと着替えてからにしなさい」

「うあ……おー、ほんとだ。着替えてないや」

 軽く叱られたのにも関わらず、あまり気にしていない少女は、己の姿を見てから頷きを一つして、頭に手を当てた。見れば、そこにいる侍女も呆れたような困惑したような顔をしている。見慣れた姿らしいのが窺え、なんだ相変わらずなんだなと、つみれは納得した。

「うん、じゃあ戻る……またあとでね、つみれ」

「らーじゃ」

 くるりと背中を向けて通路に向かう雨音火丁に返事をすると、やや驚いたように五六が振り向いた。

「お知り合いでしたか?」

「うん。前にバンドを組んでたし」

「そうなのですか」

 一体どういう知り合いで、どういう理由で火丁がここにいるのだろう、なんて考えながら左右に別れた右側の階段を上る。確か以前は、つれづれ寮に住んでいたはずだが。

 エントランス二階の中央扉の前で立ち止まり、五六がノックをした。

「清音様、円つみれ様がいらっしゃいました」

 どうぞ、と中から声がかかると、扉が開く。侍女はゆっくりと頭を下げて、そのまま廊下に立ったまま。おそらく、客人がいることを示すために必要なことなのだろうと判断。

 中は、いわゆる執務室のようだった。それなりに広く、手前には応接用なのかテーブルを挟んで二つのソファがあり、その奥には執務机。そこに座っている女性に、思わずつみれは息を呑む。

 美しい――そんな言葉が浮かんで、消えなかった。

 ペンを手にして書類に何かを記し、時には印を押している作業はともかくも、見惚れてしまうくらいな美しさがそこにある。優雅なのではない、ただただ美しい。

「座って構わないわよ。お互いに自己紹介は必要ないだろうし」

「どうぞつみれ様、そちらへ。お飲物は紅茶でよろしかったですか?」

「あ――うっス、大丈夫っス」

「では少少お待ちください」

 緊張してるなあ、なんてことを自覚する。心拍が上がっていて、ソファに腰を下ろしてもどこへ視線を向けたらいいのかがわからない。

 正直に言えば居心地が悪いのだが、すぐに紅茶の用意をしている五六が口を開いた。

「火丁とバンドを組んでいたそうですが」

「あ、そうっス。去年の学園祭で」

「おや――そうでしたか。火丁とそういった話をしたことはなかったのですが、つみれ様は何の楽器を担当したのですか?」

「あたしはサックスっスよ」

「――」

 ぴたり、と作業の手を止めた五六が一度振り向き、視線を合わせてから一呼吸、また作業に戻る。

「ほかのメンバーを聞いてもよろしかったでしょうか」

「はあ……」

 なんだろう、気になるのだろうか。べつに隠してはいないので構わないのだが。

「火丁がベースで、なーご……梅沢なごみがドラム。連理先輩がアコースティックギターで、紗枝さんがピアノっスよ。五人のガールズバンドだったんで」

「ジャズバンドですか?」

「一応、そっちに寄ってたとは思うんすけど、齧った程度っスよ」

「なにかの曲のカバー……でしょうか」

「えっと……最終的には、八曲っス」

 こんな話で間が持つならいいかと、いろいろと思いだしながらつみれは口を開く。

「学園祭のBGM用に六曲をレコーディングしたんすけど……それはそれとして、本番のステージで、ちょっとやらかしちゃって」

「何があったのか、聞きたいですね」

「いやあ、なんかレコーディングした曲を聴いた教員の人たちが数人興味を持ったらしくって、あたしらのステージの時だけ年齢層が上がってたっていうか、ちょっとテンションが変な風に上がっちゃったんすよ」

 そもそも、ジャズに寄っていたため、若い世代にはあまり向かないのはわかっていた。そのために火丁のボーカル曲を入れたりしていたのだが。

「あたしたちのステージが、ちょうど休憩挟んで一時間くらいだったんで、その休憩時間になーごが――」

 あれは、なんというか、偶然だったのだろう。

「音を確かめるつもりだったのかな? チルドレン・オブ・サンチェスの入りを叩いたから――と」

「いえ、わかりますよ。ボーカルから始まって、ドラムで入りますね」

「知ってるんすね。そしたら、客席からサンチェスかって言葉が投げられたんで、悪乗りした連理先輩が合わせに入って――そっからは、えーっと、さすがに詳しくは覚えてないんすけど、既存曲のメドレーに入っちゃったんすね。それが記録されちゃってて、一曲増えて」

「では、もう一曲は?」

「えと……アンコールが入った時に、完全アドリブで」

 というか、あれはもう聴かせるためにやっていたものではない。客席に背中を向けて、お互いの顔を見て、笑いながら、楽しみながら、技術を競うように挑戦状をお互いにぶつけ合っていただけだ。

「結局、映像の記録も残って、全部の八曲をディスクに落として、翌日の物販で売られてたっていう事実を、学園祭が終わったあと、サンプル貰って気付いて……」

「それは是非、聴いてみたいですね」

「五六は、ステレオで聞く専門なのよ」

 そこで清音が手を止めて口を挟む。

「まったく火丁からも聞いていなかったけれど、その後は何もないのかしら」

「ないっスね。今年の学園祭でも、やろうって話もなかったんで……ただ、あたしはまだ腕が落ちない程度には吹いてるっスよ」

「火丁もたまに、何かケースを担いで外に出ているけれど、あれはスタジオにでも行っていたのかしらね」

「――そうなんすか」

 ちなみに、なごみも似たようなことをしているのを聞いている。二人でセッションでもしようか、なんて話題にはなるけれど、結局まだ一度もやっていないのは、二人だけでは寂しさを感じると、わかっているからだ。

「あの、聞いてもいいっスか」

「なに?」

「火丁って……その」

「ん、ああ、そう知らなかったかしら。この前に情報解禁したのだけれど、私と五六は火丁の――生みの親なのよ」

「――あ、なるほど。そうなんすか」

 鈴ノ宮に生まれてしまえば、何かしらが問題になるのは察することができる。その上で二人は、育ての親の二人に頼んだのだろう。それが情報解禁になって、こちらにいる――というわけか。

「察しが良いわね。ついでに言うと、紗枝もここに住んでるわよ」

「そうなんすか? なんか、実家で問題があったとかで、しばらく連絡してなかったんすけど、最近は学園にもきてて、世間話はしてたんすけどね」

「どうぞ」

 そこで紅茶が届き、五六は立ったまま清音の隣に移動した。並んだ二人は、まるで絵画のように、しっくりくる。お互いの関係がそのまま位置で表現されているようだ。

「さて、用事があると聞いたけれど?」

「あ、そうなんすよ。鷺花さんから、清音さんに返却するようにって」

 鞄から魔術書を取り出してテーブルに置くと、清音は一瞥しただけでつみれを見た。こうして、距離があるとはいえ視線を合わせると、妙に緊張するし、すぐに目を逸らしたくなる。疾しいことがあるのではなく、眩しいのだ。

「どうだったかしら」

「あー、なんていうか、読めなかったんすよ」

「あら、鷺花が見誤るとは思えないけれど?」

「でも実際、まったく読めなかったんで。でも凄いっスね、魔術書ってこれが初めてだったんすけど、キースレイさんの封印式や巧妙な読解式があって、それこそ適性を持つ人を探す方が難しいんじゃないかってくらい、意地悪な表現してるじゃないっスか。ページごとの術式が、一つの本っていう術式の中に含まれていて完成してるのに、単一であっても読み解け……あれ、どうかしたんすか」

 やや渋面を見せた清音に対し、まずいことでも言ったのだろうかとつみれは少し慌てるが、肩越しに清音が振り返る。

「五六」

「はい、すぐに」

「え? え? なんすか、あの」

「気にしないで……と言っても、駄目ね。今ちょうどキースレイが来ているのよ。いや、来ているというか、こちらに戻ってきたと表現するべきかしら。話を通しておくから、あとで逢っておきなさい」

 五六が退室し、清音は立ち上がって近づくと、魔術書を手にしてつみれの対面に腰を下ろした。

「では、確かに受け取ったわ」

「どもっス……」

「それと、スティークの件だけれど、本人の希望もあってもみ消しで推移しているから、そのつもりでいなさい」

「らーじゃ。そこらはミルエナの判断なんで、任せてるんすけどね。あたしらは、ただ動いただけなんで。それよか、ミュウがなんか世話になってるみたいっスね」

「あの子はジェイルの頼みよ。許可を出したのは私だけれど、全権はジェイルに委ねているわ」

「外注扱いとか聞いてるっス」

「……そうねえ。とはいえ、外注なんてものはうちにないのだけれど」

「そうなんすか?」

「そもそも、うちにいる要因で事足りるもの。対処できない問題に対しては外に頼むことはあっても、こっちの問題の処理に外部から手足を要求することがナンセンスよ」

「考えてみれば確かに、そうッスね……」

「ただ、私の視点で言えば有用よ。こっちで記録はとっているけれど、うちの中でも狙撃で敵う子はいないかしら」

「……あの、違う話になるんすけど、聞いてもいいっスか」

「あら、なに?」

「不躾なのは承知で、なんすけど――清音さんは、最初から、ええと、なんていうか上手い言葉が浮かばないんすけど……鷺ノ宮(さぎのみや)の肩代わりをするために、ここに居を構えたんすか?」

「調べてのかしら」

「いや――知識の中にあったんすよ」

「ああ、例の円の……続けて。どうしてそう思うの」

「時期っスね。そもそも、当時だって十一じゅういち紳宮しんぐうって仕組みは形骸化していた。それに気付いていたかどうかはともかくも、役目は東京事変の際に失っているはずっスよね。その上で、そうであっても、同じ土地に二つの名家が揃うなんてことは、あまりにも不用意過ぎる。談合があったとしても、清音さんの方があとっス」

「そうね。だとしたら?」

「――清音さんは、鷺ノ宮事件が起きることを、知ってたんじゃないかって」

「犯人じゃないのか、と指摘しないだけは頭が回るようね。確かに知っていたわ。それが避けられないこともね。私と亡くなった散花は同い年だったし、付き合いもあった。その上で、便利だと思ったのも確かよ? 何しろ、鷺ノ宮が作った土台をそのまま私が引き受けられるもの」

「それ、逆に大変なんじゃ……」

「そうよ。肩代わりなんて――楽なものじゃないわ。世話を見てやらなきゃいけない子がこんなに増えて、あちこちの玄関口にまでなって……」

「うん、それは確かにそうっスね」

「十一紳宮を調べているの?」

「あ、いえ、野雨のざめって土地のことを少し。あと――原初って呼ばれるものについても」

「ふうん? その二つに関連性は?」

「まだわかんないっス。あと、清音さん、魔法って言葉に聞き覚えはあるっスか?」

「魔法?」

「なんかミュウが聞いたことがあるらしくって、たぶんその二つに関係があるとは思うんすけど……あんまり、滅多に聞ける人がいなくって」

「そうね。けれどそれは私よりも鷺花の方が――ん? 誰?」

 ノックがあって顔を上げた清音から、視線が逸れただけでほっと無意識に肩から力が抜ける。なんだろう、会話をしていてもそれほど違和感はないのだが、どうも劣等感というか、身構えてしまう。

「かーちゃん、私。紗枝もいるけどー」

「あら、早いわね。いいわよ、入りなさい」

 ゆっくりと、清音が魔術書を持ったまま立ち上がり、話はここまでねと打ち切る。少し残念だったが、あのまま続いてもたぶんつみれの方が疲れてしまっていたので、助かるといえば助かった。

 入って来たのはきちんと和服に着替えた火丁と――。

「うっわ、紗枝さんなにそのかっこ」

「お久しぶりですね、つみれ様。おかしいでしょうか?」

「いや似合ってはいるんだけど、こう、インパクトが強くて」

 片スリットのチャイナドレス。白色で龍の刺繍が施されており、正面から見ると肩口で龍がこちらを威嚇しているように見える。

「私は? 私は?」

「相変わらずの寝ぼけ顔を見たばっかじゃん。でも二人とも久しぶりだね。さっき五六さんに、バンドの話をちょっとしたとこ」

「あれ? ねえかーちゃん、話してなかったっけ?」

「ないわよ。紗枝、悪いけれど飲み物を淹れてちょうだい」

「はい、わかりました」

 おっかしいなあ、なんて言いながら火丁は隣に腰を下ろし、清音は執務机に戻った。

「どうして、続けなかったのかしら。いえ、やろうと思わないの?」

「どうなんすかね。あたしとしては、まあ呼ばれなかったってのが一番しっくりしてるんすけど……」

「んだね。場所の準備ができてて、声かけてくれれば集まるだろうなー、なんて思ってるけど」

「火丁もベース、続けてるの?」

「もちろん! 気分転換って感じだけどねー。紗枝もそうだよね?」

「はい。私も弾いていますよ」

「スタジオでは駄目なのかしら」

「清音様、ピアノのあるスタジオは借りるのも大変なんですよ。レコーディングをするわけではないですから」

「ああ、キーボードでは駄目なのね」

「そうなんだよねー。だからって、紗枝と一緒にやろうって思っても、物足りないのが目に見えてるし」

「ああ……うん、なーごともそういう話、するんだけど、盛り上がるだけで実際にやろうってことには、なんないかなあ」

「そう。だったら、今度揃えておくわ。たぶん五六が聞きたがるでしょうしね」

「いいの? やったね!」

「ちゃんと合わせられるかなあ……ちょっと不安だけど」

「なんとかなるって!」

「火丁はまたそれだ。わかってんの? あたしもなーごも、なんとかしようって必死に食らいついてるんだからね」

「え、うそ、そなの?」

「これだから天才肌ってやつは……」

「ふふ、つみれ様もお変わりないようで何よりです」

 まずは清音とつみれのカップを下げてから、新しいものをそれぞれに配る。飲んでみると、なんだか懐かしい味がした。

「ところでつみれ様、なにか御用があったのではありませんか?」

「気遣いありがと。とりあえず、今はまだ大丈夫そうかな。……まあ、変わりないっていうのは、お互いに、どうかなーとも思うけど」

 そうですねと頷きながら、紗枝は清音に一度断ってから対面のソファに腰を下ろした。こういう場での礼儀は、身に染みついているらしい。

「なんのこと?」

「火丁も、声変わりしたわけでもないのに、発声の仕方に〝癖〟をつけてるでしょ」

「あーうん、安全装置セイフティの意味合いで――ああ! そういう話かあ」

「そういう話。――あ、そうだ。この前、少止あゆむさんに逢ったけど、あれ火丁のお兄さんなんだよね」

「え、にーちゃんと逢ったの? そりゃまたどこで」

「ん……? 対外的には、兄さんって呼んでるんじゃなかったっけ?」

「身内ばっかだもん、いいじゃん」

 それはいいのか、とも思うが、口出しすべき問題ではないだろう。こう見えて、知らない人の視線がある火丁はやや無口で、どこか冷たさを感じるような口調になる。もっとも、そんなのは誰もがやっている処世術だろうけれど。

「なーごんとこ」

「そっかあ。ここんとこ忙しいのか、こっちあんまし顔出さないし。前みたいに行方知れずってわけじゃないから、心配してないんだけどね」

「へえ――前みたいに、不貞腐れてないだけ、余裕が持てた?」

「あはは、そんな感じかも」

「紗枝さんも、ここで過ごしてるんだ」

「はい。部隊への配備とは少し違いますが、相方と一緒にお仕事をさせていただいております」

 それから、お互いの動向などを軽く話し合う。真面目ではあるものの、真剣な雰囲気は薄く、和やかに進む会話から、お互いの立場や動き方、感情の揺れ方までわかっているような様子に、清音は作業を続けながら、本当に仲が良いのだな、と思う。

 自分の時はどうだったろうか。

 記憶を掘り返してみるが、まったく心当たりがない。というのも、その頃には既に鈴ノ宮という一家を背負っていたし、もちろん隣には五六がいたけれど、学生としての生活はほぼ皆無だった。

 それでも、今はもういない友人と一緒に楽しんだお茶の時間は、覚えている。

「ああ、そうよ、思い出した」

 過去を抱きしめ、けれど感慨に耽ることはない。まだ清音は今を生きているのだから。

「つみれ」

「はい、なんすか?」

「うっわ、つみれの下手な敬語が懐かしい……」

「うっさいっての」

「火丁様、お話の最中ですよ」

「ふふ……ああ、ごめんなさい。それで近く、鈴ノ宮で行う合同訓練があるのだけれど」

「――どんなんっスか?」

「個人での戦闘訓練はこの前に終えたから、次は部隊ごとの実地訓練ね。うちにはソプラノ、アルトの侍女部隊と、テノール、バスの詰所部隊の四種が存在しているのよ。前回は……そうね、侍女部隊の数は少ないからそのままに、詰所の子たちは二つにわけて六組でのペイントを使った行軍を、山で行ったわね」

「それは、あたしだけじゃなくて、あたしらのお誘いっスか」

「そうなるわね」

「是非参加させて欲しいんすけど、……こっちから要望、出してもいいっスかね」

「あら」

 何かを変えようと、いや試そうとしたいのだろうか。そんな気持ちで先を促す。

「どうぞ」

「まず、うちらの参加に関しては問題ないと思うんすよ。その場合、できればミュウとミルエナを、べつの部隊に配備して欲しいっス」

「三人をそれぞれべつ?」

「そうっス」

「ん……編成に関しては、侍女長と詰所長に任せているから、それで構わなければ」

「うっス、あたしらがべつになればいいんで。それともう一つ――できれば、なんすけど」

「なにかしら」

「芽(め)衣(い)さんが世話してる子たち、知ってるんすよね。以前、佐原くんとミュウが逢ったって言ってたの聞いてるっス」

「それなりにはね。あの子たちを参加させたいなら、芽衣の許可がいるわよ。付け加えれば、あの子たちじゃ――まだ届かない」

「だろうとは思うんすけど――あれ? じゃああたしらは?」

「まだ未知数なのよ。それを知りたいのも一つの理由ね」

「はあ、そうなんすか。もちろん、芽衣さんへ話を通すのはあたしがやるっス。で――可能なら、彼らをあたしの部隊として参加できないっスか」

「それは……そうね、まず言っておくけれど、当日までに交渉して集められれば可能よ。けれど、それはともかくとして、何故かしら」

 理由っスかと言って、つみれは少し黙る。紅茶に手を伸ばせば、随分と緊張が和らいでいることに気付かされるが、やはり真正面から目を合わせると、どういうわけか負い目を感じてしまう。

 けれど、それを心地よいと、そう思えたのも確かで。

「まず――ミュウとミルエナを、ここらで一度、敵に回しておきたいんすよ」

「打倒できるかどうかを試したい?」

「いえ、どっちかっていうと、そういう状況での二人の動きを知っておきたいんで。まあお互いにある程度の対策はしてるんすけど、通用するかどうかも、やってみなくちゃわからない部分もあるじゃないっスか」

「対策、ねえ。いいわ、続けて」

「あとは、……あたしが、蓮華さんに遊んでもらえるくらいな人物かどうかってのを、確かめてみたくて」

「それはうちの部隊では駄目なのね?」

「手の内をある程度知ってないと、難しいんで」

「そう――なに?」

 清音の頷きと共にノックがあった。声をかければ、つみれを呼んでいるらしいとのことだ。それに頷いたので、つみれは立ち上がる。

「結構よ。そのつもりで集めておきなさい、日時は追って連絡させるわ。そうねえ……最短で三日後、くらいかしら」

「らーじゃ。お願いするっス。……んじゃ紗枝さん、火丁、またね?」

「はい。お気をつけて」

「またねー」

 出ると、侍女が待っていて頭を下げられた。こちらですと誘われるがままに屋敷を出ながらも、その背中を見ながらつみれは首を傾げる。

 きた時にも見た侍女だ。やや紅色が混じったような瞳が印象的だったので覚えている。それに加えてなんだか気配が――柔らかい、というか。

 最初は鏡だと思えた。こちらの姿を写す鏡。けれど、改めて感じると少し違う――鏡というよりは、こちらに合わせて姿を変える粘土のようなものに近い。

 思わず、口を衝くのは閃きに似た思考の帰結。

「〝静謐なる不純物セントオンリーダスト〟……」

「――」

 歩いていた侍女が肩越しに振り返って一瞥。

「なんでしょうか」

「え? あ、なんでもないっス。つい口を衝いただけなんで」

「……そう」

 頬に手を当てて、何かを考える侍女はそのまま詰所へと案内し、地下への入り口で別れた。

 狭くてやや暗い階段を一人で降りるのに心細さはなかったが、降りてすぐの感想はその広さだった。白井から戦闘訓練ようの場があるとは聞いていたものの、天井の高さも結構なもので、地下だというのに圧迫感がない。

「――きたわね」

「あ、鷺花さん。どーも」

 呼び出した本人がいて、壁に背を預けたままのスティークがひらひらと手を振った。その隣にいるのは知らない人物だったが、消去法でフォセ・ティセ・ティセンであると判断する。それともう一人の男性も知らない人物だ――が。

「どもっス。あの、もしかしてジェイ・アーク・キースレイさんっスか?」

「おう……って、なんだその話し方は。イヅナみてえな……」

「義父なんで」

「イヅナほど、遊んでないけれどね。真面目にこう話してるから、また面倒なのよ。つみれ、ちゃんと返した?」

「うん。火丁と紗枝さんもいて、ちょっと話してた」

「へえ、知り合いなの」

「去年の学園祭でバンドやったんだ。友達だよ。それよりキースレイさん――ええと、なにから聞こう、あの魔術書のことなんすけどね」

「聞いてるぜ。まったく読めなかったって?」

 頷くと、スティークは苦笑いだし、鷺花はどこか面白そうに、にやにやしている。

「え、なにこの反応」

「半分は俺に向けてだ、気にするな。あとで時間作れよ、そん時に詳しく話してやる」

「うっス――あれ?」

 続いて階段を降りてきたのも、顔見知りだった。

「兎仔(とこ)さん?」

「おー、悪い遅れちまったか? なんだよ、大佐もいるじゃねーかよ。いやもう大佐じゃねーか、ただのキースレイだな」

「軍属中だって、敬意の欠片もなかっただろうが、お前は……」

「そうでもねーだろ。一応、大佐って呼んでたし」

「うわあ……やっぱ兎仔さんって、こういう人たちに混ざって行けるんだ」

「はあ? なに言ってんだ円、てめーだってここに居るじゃねーか。――で、そこのチビがフォセ・ティセ・ティセンか? それとも、隣にいるでけえ方か? スティーク・ゲヘント・レルドはどっちだ? あー……ま、どっちだっていいか」

 降りてきて早早に、兎仔は二人の正面に立って見上げる。チビとは言ったが、兎仔の方が小さい。――態度だけは妙にでかいが。

「――駄目だろ」

 言いながら、がりがりと頭を掻く。

「おい鷺城、真面目にやんのかよ? 言っちゃなんだが、こいつらあたしと大して差がねーぞ」

「はいはい、そう言わないのよ。――事実だけれどね、たぶん。じゃあフォセ、待たせたけれど要求よ。私とやりなさい」

「やだ、なんで……めんど」

「理由が欲しいなら、――フォセの得物、あとで整備してあげるわよ?」

「……」

 どうすんのこれ、と言いたげな視線をスティークに向けたフォセは、無言で鷺花を指す。しかし、スティークは我関せずと視線を逸らしていた。

「軽く運動するつもりでもいいから、おいで。何なら、私を助けると思ってくれてもいいから。――それとも、訓練すらできないほど鈍ってんなら話はべつだけれど、認めるのね?」

 さすがにその挑発にはむっとしたのか、フォセは一歩を前に出して虚空からそれを取り出す。

 え、なんだそれ、とつみれは拍子抜けした。

 ハサミだ。

 片方に刃がついている、二つの大きな刃物。中央で留めてある姿はハサミそのもので、円形の取っ手はフォセの肩が入るほどの大きさがある。長さも背丈よりもあり、取っ手が頭上に出ているくらいだった。

「レインへの戦闘訓練、教えたの、うん、私なんだけど?」

「――だから何なの? それ、誇れるところじゃないわよ」

 空気が動いた。

 ふわりと、流れに乗って踏み込んだ姿を見た瞬間、つみれは迷わず高速思考を行って情報を仕入れるが、少し遅れた。

 高速化した思考が見せる、凍結したような視界の中で見ることができたのは、フォセの攻撃が終わってからだ。

 今、その結果として、鷺花がその大ハサミの取っ手を持っていて、左手で表面を撫でていた。

「――無刀取りだ」

「よお円、理屈はどうなんだ、あれ」

 その場にいる全員が、結果に対しては理解しているらしい。やっぱり凄いんだなと思いながらも、追いついていかなければ、なんて考えつつ、兎仔の問いに応える。

「理屈としては、たとえば振り下ろす際に、握りながらも下に力をかけているんだけど、それよりも早い速度で更に上から下方向への力をかけると、人は抗えずに手からすっぽ抜ける。これ、義父(とう)さんから教えて貰った盗みの技術なんだけどね」

 握る力が弱ければ、逆に上方向へ抜ける――この場合は、たとえば刃物の切っ先を蹴り飛ばした際に見られる現象だが、むしろ今のは違っていて、切っ先を踏みつける行為に近い。

 もっとも、踏みつけたわけではなく、無手でそれを行って奪ったのだが。

「ん」

 肘と肩を使って右側で回転させた鷺花が、取っ手を向けてフォセに返す。

「術式を使わないなら、その程度なのね?」

「――」

「私は見せろと言ったのよ。師匠が認める、言術の領域を少しは発揮するつもりがないのなら、こっちにも考えがあるけれど」

「げ……」

 つみれの隣にいる兎仔が、表情を強張らせて一歩退いた。逃げるための行動だ。

「鷺花さんって……やっぱ、凄い人なんだなあ」

「お、おい、フォセ聞こえてるかてめー、悪いことは言わないから従っとけマジで。つーかやれ、頭吹っ飛ばすぞてめー!」

「怖がられたものねえ。なに兎仔、そんなに巻き込まれたいわけ?」

「ちげーよ! 脱ぐぞ!」

「はいはい――」

「――サギは、使わないの」

「ん? なにが?」

「術式を、えっと、使わないの」

「ああ……少なくとも今のフォセを相手に、使わなくても対応できることが今、証明されたわけだけれど、そのことに対して悔しく思わないのなら、――つみれ以下よ。兎仔が思いだしてトイレで吐くくらいには、あんたを潰してやるから覚悟しなさい」

 それトラウマなんじゃ……と思って兎仔を見ると、いつしか右手に回転式拳銃(リボルヴァ)を持っていた。額から流れる汗が見てとれるほど警戒している。目もマジだ。

「それとも、追い込まないと出せないかしら? それなら、初手で心臓を握りつぶされて殺される可能性に対策もしてないと受け取るけれど――ね」

 やれやれと肩をすくめた鷺花の右手に術式反応、三十五枚ほどの術陣が展開して物質を創造、輪郭から具現したそれは間違いなく、フォセの持っているハサミとうり二つだ。

 フォセが腰を僅かに落とし、空気を肺に入れる――。

 戦闘が、始まる。

「――水無月の晦の大祓」

 その言葉を鍵にしてフォセの周囲に術陣が展開する――言術、言の葉によって起動する強化の術式。

 強化をして行動する、それが一般的な使われ方だけれど、フォセはそれを覆す。

「集はり侍る親玉 諸玉、諸臣、百官人等、諸聞食へよとのたまう」

 謳う――いや、詠う。

 常に言葉を放ちながら、フォセは戦闘を行っていた。

 いわゆるそれが祝詞なのはつみれも理解できた。種類や、言っている意味はまったく理解できなかったが、日本のそれだ。そして、言術そのものの強度や使い方を、状況によって変化させている。

 たとえば踏み込みの際には足に力を入れながら、けれど移動中は強化を外して軽くする、そんなことをコンマ数秒のレベルで行っているのがわかった。

 つまり、言葉を延延と重ねることによって、フォセは言術を常時展開しているのだ。

 速度や力、その強化のレベルを変化させつつ、状況に対応する。それに対した鷺花は、術式を使うこともなく、流れるような連携を回避することだけに専念していた。

 いや、違う。

 ぞくりと背筋に走る悪寒に思わず両手で自分の躰を抱きしめると、肩に兎仔の手が置かれた。気付いて横を向けば、スティークは眉根を寄せて顰め面だったけれど、しかし、ジェイも兎仔も、苦笑いだ。

「素質、あるんじゃねーか? 初見でわかるとは思ってなかったぞ」

「まったくだ」

 つまり、この二人は知っているのだ。

「じゃあ、やっぱり、鷺花さんは……今、フォセさんを分析してるんだ」

「そんな生易しいもんじゃねーぞ。見ろ、あたしが知ってる鷺城は――」

 言う。

 兎仔は経験として知っている。

「――必ず、こっちを上回る」

 鷺花が口を開いた。

「高天原に神留まります。皇が親神漏岐神漏美の命以て八百神等を――」

 同じ芸当を、やってみせた。

 言術の常時展開、常時操作、そして大ハサミを使った戦闘方法。

 一手目で打ち合う、二手目でハサミを二つに別ける、やや遅れてフォセが対応のために同じくハサミを両手に持つよう分解し、そして三手目で既に後手へと回っていた。

「うそ……」

 見て覚えた、一朝一夕で身についたなんて口が裂けても言えないような状況で、それでもなお、上回る鷺花。

 いや、魔術師として鷺城鷺花が存在する以上、それが言術であっても術式であるのならば得意分野なのだろうし、そういう使い方があると知っていたとしてもだ、同じ領域に立って、あるいは落ちて、それでも尚上回るなんて。

 正直、信じられない。

 ――化け物だ。

 本気でそう思えた。先ほど、兎仔が見せていた反応が何の冗談でもないのだと理解できたのも、この瞬間である。

「――そもそも」

 どこか気楽な様子で、ジェイが口を開いた。

「戦闘って領域なら、相手に合わせる必要なんてもんはねえ。こりゃサギの癖というか、自負なんだろうな。相手に合わせることで行動に制限をかけて、それこそが相手のためになると思ってる。ガキの頃はそうでもなかったが」

 そうだ。

 もしもこれが単純な戦闘なら、いや戦闘訓練であったところで、相手に合わせる必要はない。己の得意分野で対応するのが一般的だろう。兎仔なら銃を使うだろうし、ジェイなら違う術式で対応する。

 けれど、鷺花は違う。

 相手の術式で対応する。

「だから、怖いんだぞ、鷺城は」

 まったくもって兎仔の言う通りだ。だからこそ怖い――自分と同じ技術を、使われた上で圧倒されるだなんて。

 未熟だと。

 それを自覚していたところで、他人に証明されるのとは、わけが違う。

 しかし、圧倒されているからといって、フォセが弱いわけではない。ただ、鷺花とは違うだけだ。

 ――どうする?

 どうすればいいのだろうか。

 盤上にもしも、駒としてフォセが位置していたら、どう対応すべきだ?

 ――優秀過ぎる駒ッてェのは、面倒なのよな、これが。

 ふいに、蓮華の言葉が脳裏をよぎる。

 ――いいか? 動かせる駒と、動く駒。この二つを見極めろ。

 フォセは、後者だろうか? 否だ、それはない。性格や言動、立場などの問題ではなく、個人の特性そのものが、動かせる駒であると証明している。

 手に余ると感じるのなら?

 ――そいつは、指揮力不足ッてやつよな。

「……」

 苦虫を噛み潰したような感覚を、味わった。クソッタレ、だ。

「しかし、なんだってこの場に円を呼んだんだ、サギは」

「わかんねーか? 案外、あんたも見えてねーんだな。つっても、当人だってよくわかっちゃいねえとは思うぞ。ただ、糧にはなるだろ……」

 聞こえていて、反応するだけの余裕がない。けれど今、鷺花がこちらを見た? いや、視線の先にいるのはつみれじゃない。

「ったく――」

 わかった、わかったと言いながら三歩ほど兎仔が前へ出た。

「――五百発までだぞ」

 鷺花がフォセの隣を横切るようにこちらへ来る、フォセが迎撃と防御を同時にしつつ、息継ぎのためのバックステップで距離を空ける、そこで兎仔と鷺花が入れ替わった。

「いくぞー」

「めんど……でも、いい。やる」

 オーケイと笑った兎仔が踏み込んだ直後、六発の銃声が響いた。おそらく回転式拳銃の性能限界ぎりぎりの早撃ち――狙いは、振り下ろされるハサミの真横へ、軌道をずらすためのものだ。

 同一箇所に連発したところで、せいぜい一センチ動くかどうか。けれど、ハサミが一センチ動いたのならば、兎仔自身が一センチだけ動かなくても済む。

 弾装をズラし、薬莢を落としてから、どこからともなく取り出した弾丸を六発詰め込むのに、おおよそ二秒ほど。自動拳銃と比べれば完全に遅く、ロスにはなるのだが、回転式拳銃としては早い部類なのだろう。まるで隙間を縫うようにして行われるその手際は、美しいとすら思えた。

「へえ、珍しいな。トコが拳銃の接近戦をするのは、数えるくれえしかない――サギはもういいのか」

「ん? ああ、私の方は初見と、一手目と、言術の使い方を見た時点でだいたい掴めたから」

 たった、それだけで見抜いたのか。悪い冗談の類だ。

「言術の使い方は知っていたし、考慮はしてたもの」

「――あのう」

 そこでようやく、つみれは口を開く余裕ができた。戦闘に慣れたのもあるし、兎仔とフォセという拮抗した二人を前に、読み取れる部分が少なくなってきたのもある。

「そもそも言術は、言葉を使って術式とする……んだよね?」

「続けて」

 相変わらずの促し方に、うんとつみれは頷く。視線は二人の戦闘に向けたままだ。

「魔術構成を作って魔力を使い、術式にする一連の流れの中で、言術においては言葉を利用するんだけど、それは発現段階であって、過程には含まれない。構成そのものは内部での展開を基本としつつも、何よりも言葉を鍵にするその方法だって、あくまでも声を耳から取り入れることの自己作用に限りなく近い。だから、自身の強化を前提とする――で、いいよね」

「そうね」

「それは、魔術って呼ばれる分類の中の一つでしかない――と、思っていたんだけど、当たっていて少し違うって感じたんだ。どうかな」

「キースレイおじさん、今の説明で足りないとこは?」

「俺に振るのかよ……スティーク、答えろ」

「汎用性よね、それ」

 その通りと、鷺花は頷く。

「私なら実用性と答えるけれど、つみれに対する返答なら汎用性で正解。言術はね、例外もあるのだけれど、基本的には誰でも使えるのよ」

「え――」

「言葉を使った肉体強化術式。構成そのものにオリジナリティを加えるとか、自分に合った使い方をするとか、そういう派生はともかくも、基本的なやり方はマニュアル化されているのね。極論を言ってしまえば、符式を手に持って、特定の言葉を放つだけで、自然界の魔力を使うことで肉体向上は可能なのよ」

「マニュアル化……?」

「まず、自身に合った言の葉を模索する。これは自己問答ね。たとえば言術研究所で作ったパターンの中には、そうねえ、たとえば〝破岩の静寂〟と言葉を放って右腕を強化したとする」

「うん」

「この場合、前半の文字は効果を示している。破岩ならば攻撃時の起点から発生までの強化、疾走なら下半身を主点にした行動速度の上昇、波紋ならば聴覚や嗅覚などの増幅における気配察知の向上、収縮ならば特定一点の補正――といった具合ね。そして、後半の文字は、いわゆる魔術特性(センス)に近いものがあるわよね。自己認識、自己暗示、自己陶酔、そういった役割を持つ」

「……派生させずに、逆に固着させた結果ってこと?」

「というか、派生が少なく固着させやすい術式が言術だった、という見解が近い」

 もちろん、派生もあるけれどと、鷺花は付け加える。それはフォセがやって見せた。

「魔術と明らかに違うのはどこ?」

「研究対象が自身じゃないこと、かな」

「よろしい。で、感想は?」

「うーん……短くまとめるのは難しいんだけど」

「まとめると?」

「――降参したい気分」

 けれど、それをしたくないから頭を悩ませているのだが。

「最大の問題はさ――鷺花さんはともかくも、フォセさんや兎仔さんが存在する状況、場面ってのが想像できないこと。あたしには経験も足りないなあ」

「そうね。少なくとも、つみれや白井、ミルエナじゃ対応できないわよね」

「や、対応はするよ? 足止め、時間稼ぎ、そういう類のものだけど……でも、それは直接顔を見て対峙して行うものじゃないし」

 外堀を埋めるというか、そういうタイプのものでしかない。対応できる駒が投入されるのを待つような、消極的な方法だ。

「――なんだ、イヅナの娘にしちゃ弱気だな」

「へ? いや、あたし義父さんには教えてもらってないっスけど……」

「そうなのか。はは、それもそうか」

「あの、義父さんって」

「そうね、イヅナがこの場にいたら、まず戦闘そのものを誤魔化すところから入るでしょうね。これが一番厄介なのよ」

「戦闘を――誤魔化すって、それ、戦闘にしないってこと?」

「その通り。どちらかといえば、盤面をひっくり返す意味合いが強いのだけれど……私に言わせれば、本当にイヅナと〝戦闘〟に持ち込むのは苦労するわよ」

「鷺花さんがそこまで言うってことは、義父さん凄いんだ……」

「珍しい類なのは確かよ? 何しろ――私が」

 鷺城鷺花が。

「一度の戦闘訓練で、私が最後まで把握できなかったのは、最近ではイヅナくらいだもの。騙されたというか、誤魔化されたというか……だから、今の私でもイヅナを再現することはできないわね。術式ではなく、体術そのものを」

「……少止(あゆむ)さんが弟子なんだよね?」

「ああ、本人に逢っていたのよね、つみれは。継承率は私が見たところ三パーセント程度ってところかしら。適性はあると思うけれど」

 というか、義父がそんな人物だったのかと思うと、今更ながら恐れ入る。鷺花の言葉もそうだが、ジェイもそれを認めている節もあるし、とんでもないことだ。

「――あ」

 と、そんな話をしている間に戦闘が終わってしまい、兎仔が拳銃を突きつけた時点でフォセは大の字になって寝転がっていた。呼吸が上がっているのはお互い様だろう。

「五百だ」

 最後の一発をフォセの顔の横に向けて撃つと、最後の薬莢を床に落とし、兎仔は拳銃をスカートの中に入れてしまう。太ももの外側付近だ。

「これでいいだろ、鷺城」

「ん、及第点ね。上行って休みましょうか。おじさんはつみれと話もあるし」

「おう」

「それとスティ」

「――うおっ」

 瞬間的に展開した術陣の数は何枚だろうか。それらはスティの足元から胸付近までを円柱のように囲った。

「フォセが動けるようになるまでに解除しときなさいよ。できてなかったら笑って師匠に報告しとくから」

 二度目なんだから対策くらいしときなさいよ、なんて駄目押しまでした鷺花は、間違いなくサディストだと思った。


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