--/--/--:--――円つみれ・青色のやり方

 翌日のことである。

 珍しく蒼凰そうおう連理れんりから連絡がきたかと思えば、九時くらいに顔を出せ――とのことだ。やや呆れ気味に追加されたのは、どうやら連理の父、蓮華れんかがつみれを呼んでくれと持ちかけたらしい。

 べつにそれ自体は困ることではなかったものの、どうして、という疑問はあった。もちろんつみれは電話口でそれを言ったけれども、連理はよくわかっていないらしく、無理にとは言わない、なんてことを口にしていた。

 ともあれ無理もなかったし、ミルエナからの連絡もなく、授業に出ない日がちょっと続いてるなー、なんて考えながら指定された座標に到着したのが九時の十分前。住宅街の一画で、ほぼ同じ敷地で区切られた中、外見だけが少し違うそこに、蒼凰の表札が出ている。そういえば連理先輩は学園に行かないのかなー、などと思いながらインターホンを押せば、十一月も近いというのにワンピース姿の連理が顔を出し、中へと誘う。

「あんがとねー、きてくれて」

「いいんだけど……連理先輩はミルエナ追わなくていいの?」

「ああ、そっちは適当にやってるから問題なし」

 あくびが一つ、なんだか眠たそうなのは、まだ寝起きなのだろうか。もう九時になるのだけれど。

「んー、昨夜はちょっとね……」

 映画が面白くて、なんて続けられると、ぽかんとした表情が出てしまう。なんというか、ありふれた、当たり前のような事情に、その裏を探りたくもなる。だがいかんせん、連理のことだ、本気だろうこともわかってしまう。

「まあしばらく父さんの相手しててー。そのうち復活するから」

「あー、うん、まあ、うん」

 なんと言えばいいのかわからないが、ともあれ案内されるがままに玄関から比較的近い位置にある扉を開けば、そこは二箇所にソファを置き、テレビを挟むよう大型のステレオシステムを鎮座させたリビングだった。

 そこに、居た。

 青色だ。

 蒼である。

 そして、それはきっと、藍でもあるのだろう。

「よお、待ってたよ」

 んじゃね、とつみれを置いて去る連理は、たぶん薄情だと思う。まあ座れよと言われるがままに腰を下ろせば、ステレオの正面。右側にいる青色の中国服を着た男は、自己紹介は必要ねェよなと、笑った。

 見た目は随分と若く見える。小柄でもあるし、童顔でもあるのかもしれないが、細めが目がなかなかに鋭く、雰囲気こそ柔らかいものの、つみれは蒼凰蓮華の名を知っていた。

 稀代の策士。

 たった一度、厳密には二度しか動いていないのに、隠居を余技なくされた人物。

「一応、知ってるっス」

「おー、俺もまあそれなりによ。ちょっと待ってろ、茶を淹れる。緊張はいらねえよ、どうこう注意するッて話じゃねェからな」

 言いながら、蓮華はお茶の用意をするらしく、テーブルの上に乗った茶器に手を伸ばす。よくわからないのだが、蕎麦のためのせいろに似たものに、いろいろと乗っていた。

「これ、なんのお茶なんすか」

「ん? 烏龍茶だよ。礼儀は気にすンな、そういう場でもねェしなァ」

 湯呑には既にお湯らしきものが入っていて、これは湯呑を温めてあったのかなーとは思うものの、手順は初見だ。茶葉を淹れ、高い位置からお湯を注ぐのだが、急須からお湯が溢れるまで入れるのだから、やや慌てる。しかし、気にした様子もなく蓋をしたかと思えば、更にその上からお湯をかけた。

「え、え?」

「きっちりした手順もあるンだけどよ、簡単な手順だし覚えといて損はねェぜ。つーか、リリィ・エンじゃ当たり前みてェに見る風景だよ。行ったことねェか」

「ないっス」

「まァそうだよなァ。あそこ、一応は高級料理店なんだよな、これが」

 一分ほどそのまま蒸らし、湯呑にあったお湯を捨てて茶を注ぐ。熱いから気をつけろと言われて飲めば、紅茶のような香りと風味に、あれこれ本当に烏龍茶なの? とか疑問を思うが、確かによく味わえば紅茶とはやや違う。茶葉の作り方が似てるんだよ、とこちらの思考を読んだかのように蓮華は言った。

「俺だって普段は適当に済ますよ。ただ、俺が呼んだ俺の客が相手なら、これくらいはな」

 テーブルの下に道具を片付け、そこから茶菓子を取り出して置く。

「食えよ」

「はあ……あの、というかなんであたし、呼び出したんすか?」

「お前を気楽にさせるために言っちまえば、俺が暇だったからだよ。不満か?」

「えーっと、暇潰しの相手に丁度良いってことっスか」

「そうだよ。実際にそれは嘘じゃねェし――べつに、だらだら会話がしたいわけじゃねェのよな、これが。まァ連理に言わせりゃ道楽よ、道楽。つっても今の俺が錆びついてると思われちゃァ適わねェ――円、お前ェチェスと将棋、どっちがいい」

「へ? えっと……ルールはどっちも知ってるけど、義父さんとよくやったのは将棋っス」

「じゃあ将棋な」

 立ち上がった蓮華は壁際の引出しから、折りたたみ式の盤面と駒を取り出し、つみれの対面によいしょと、あぐらをかくように腰を下ろした。

「あのー」

「気にすンなよ。やりにくかったら、お前も下に座ってやりゃいいからよ。とりあえず何回かやるから覚悟はしとけー。長考もいいけど、適当にな」

「わかったっス」

 というかこれのために呼んだのだろうかと、首を傾げながら駒を並べる。ぱちぱちと音を立てて――見れば、蓮華の方も同じように並べていた。

「蓮華さんは慣れてるんすか?」

「将棋のことなら、しばらく触ってなかったよ。何しろ相手がいねェ、爺連中に逢うにゃ外に出なくちゃならねェともなりゃ、機会は少ねェよ」

「ふうん……」

「後先、どっちだよ?」

「じゃあ先で」

「んじゃ始めるかよ」

 ぱちりと、一手を動かして。

「――あれ?」

 盤面が既に変わっていることに気付く。相手の蓮華は手を伸ばし、自分のお茶を手元に引き寄せているところだ。

「どうしたよ」

「あ、ああ、えっと、なんでもないっス」

 ただ、既に蓮華が駒を動かしていていただけで、それに気付かなかっただけだ。

 二手目、またぱちりと音がした時には蓮華側の駒も動いていた。どういうことだと思って、今度はゆっくりと自分の駒に手を伸ばして持ち上げると、その瞬間に蓮華は手を伸ばしていて、つみれの手が下りて駒を動かし終わった頃には、蓮華の手が引っ込んでいる。

 なるほど、現実的には理解できた。できたが。

「あのう」

「続けりゃわかるだろうがよ」

 本当にそれで打てているのかどうかを問おうとしたのだが、なるほど確かにその通りだ。けれどそのつもりなら、こっちも早目に打ってやろうと行動の短縮化を図る。

 ――五分後。

 既につみれはお茶に手をやることもなく、ソファから降りて盤面を凝視していた。

「――ないっス」

「だよな。一手前までなら三通りだけ道を残しといてやったんだけどよ、気付いてねェみたいだし」

 だいたいわかったと言って、蓮華は茶菓子を摘まんだ。

「どこまで伸びるかが問題だよなァ――よし、先に制限だけかけるか」

「えーまだ理解が追いついてない状況なんすけど」

「うるせェよ。まず、俺は取った駒を使うの禁止な。どうなるよ?」

「蓮華さんが取ったら、二度と盤面に戻らない死に駒になる。つまり、蓮華さんに増援はないけれど、逆に言うと駒のリサイクルも発生しない」

「よし。んじゃ円、今から俺が使う駒選べよ。時間かけていいぜ」

「――へ?」

「だから俺の駒だ。ちなみに玉は外すなよ」

「えっと……じゃあ角と銀、それと桂馬」

「へえ? まあさっきの一戦じゃ、俺がわかっても円にゃわからねェよなァ」

 ひょいひょいと、指定の駒を三つと玉を手元に寄せる。

「じゃ、お前は規定枚数を好きに配置していいよ。残りの駒のどれでも」

「え――どれでも!?」

「ただし、先にそっちが配置よな。しばらくはこの設定で回すから、最初は普通でもいいよ」

「あ、うん、うっス」

 さて、ここで長長と将棋の話をしても仕方ないだろう。ともかくも、二度寝を終わらせて十一時を回った頃に連理がリビングに顔を出せば、いつもの父親と、頭を抱えて蹲って、心なしか暴れたような形跡があるつみれがそこにはいた。簡単に言うと髪のセットが台無しだ。

「おはよ、連理」

「うん、おはよう父さん。……ああ、結局将棋にしたの」

「丁度いい、代われよ。昼飯作るぜ」

「はいよー」

 代わりはできないけどねと、蓮華のいた場所に座った連理は、茶菓子の残りを口の中に放り込んだ。

「ふうん。で、結果は?」

「二十六戦二十六敗……!」

 先ほどからずっと、頭を抱えて今までの打った盤面を思いだしながら打開策をひねり出しているつみれは、処理能力の限界まで思考をしている。ここ一時間は、打開策を見つけて盤面で再現して、それを打破されるの繰り返しだった。

「つみれ、あんたね……」

 よくそんなに長時間できるなあ精神的に、などと思いながらも、それだけの回数をやっても根本的な部分に気付いていないようで、連理は呆れの吐息と共に頬杖をつく。

 確かにやっているのは将棋だ。しかし、蓮華を相手にした場合、ルール改変をしたのならば、それを将棋だと思ってやると痛い目に遭うことくらい、連理だとて知っている。そもそも盤面上のことを戦場だと仮定した上で、駒の動きをそのまま人の制限か得意な部分として把握している蓮華を相手に、ルールに縛られては勝てるわけがない。

 その上蓮華は、駒が揃ってるだけ現実よりゃ随分と楽だ、なんてことを平然と口にするのだから、少なくとも将棋という観念を一度外して、やり方を変えなければ負けるだけだ。それであっても、蓮華の方は勝った気でおらず、あくまでも一戦が最終的な道筋への過程なのだ、その時点でお手上げだろう。

「つみれ」

「あーうー、なにー先輩」

「一戦目は負けたのよね。普通のルール?」

「そう」

「負けを認めた時の盤面、表現して」

「いいけど……」

 ぱちぱちと並べられた駒の配置を見て、連理は眉根を寄せる。

「――なに。つみれ、かなりできるじゃない」

「え、そお?」

「私が相手なら勝ててたかもしれないケド、一般ルールなら。いい? ちょっと思考をこっちに寄せる」

「はあい……ん、よし。で、どうかな連理先輩」

「どうかなっていうよりも、よいしょ」

 脇に置いてある駒をどけて、連理は盤面を百八十度回転させた。

「え?」

「これ、現実で実用レベルに必要な必須条件なんだケド。――つみれ、この状況できちんと負けること」

「――ええ!?」

「あのさあ、負けることを考えないから勝てないのよ? 相手の筋を見抜くってのはそういうことなんだケド」

「え、でもぜんぜん思考を回す方が違うじゃん!」

「んだねえ。でも、実際に動く時はそこから考えるのは基本でしょ」

「そう、だけど……」

 白井が動いて、ミルエナを動かす時にはそうだった。何が最悪かを考えて手を打って、落としどころを複数思考しつつも状況に対応する。だからその中には、負けても命を失わない最低ラインがあったはずだ。

 それを盤面で表現する――のは、難しくない。

 だが、完全に勝ちが確定している状況から、負けなくてはならないなんてのは。

「……あ」

 盤面上ならともかくも。

 ――現実ならば、ありえる。

 そんなことに遅く気付かされた。

 負けることが落としどころになることだって、あるじゃないか。しかし、前の作戦で、そこまで気が回っていたかと問われれば否だ。信用していた部分もあったし、死んだらそれまでだと腹をくくっていた部分はあったにせよ、誰かにあとを任せることは考えていても――それが通用しない現実だってあったはず。

 けれど、でも。

「負ける……」

 わかりやすい。将棋は、玉がとられたら負けだ。

 なんだか、じゃんけんで負けた方が良い、と言われているような複雑な気分で苦笑したくもなるが、ついと動かした連理の駒を見て、息を呑むようにして盤面に食い入る。

 連理の一手は予想できていた。それは、負けを先延ばしにする防御のための一手だ。それをやっても詰むことが理解できていたからこそ、つみれは参ったを口にしたのだから。

 ――まず。

 深呼吸をして落ち着く。

 ――まず、相手に勝てると思わせられるだけの道筋を作らなくちゃいけない。

 玉をただ差し出すだけでは自暴自棄だ。まるで意味がない。先の作戦で言えば、つみれが出頭するだけである。つまるところ、事態は最悪に転がるだけ。

 ならば?

 状況として考えられる最善は、つみれが出て行っても構わない落としどころ。事態を終わらせるつつも、しかし敗北を前提としていて――そう、相手を納得させた上での出頭だ。

「父さん、先に摘まめるものないー?」

 なんて呑気な言葉を右から左へ聞き流しながら、考える。

 道筋を思考する。

 結果のための過程を模索する。

 ぱちり、と一つ動かせば、すぐに連理が駒を動かした。蓮華ほど早くはないが、実際には楽なものだ。何しろ相手に合わせて勝つことだけを考えればいい。

 もっとも――つみれはまだ知らない。

 ここにいる、面倒なことが嫌いで動きたがらない蒼凰連理は、実のところ過去において、蒼凰蓮華に将棋で勝利していることを。

 ルールを変えてでも、勝ったことがある。

 しかし、残念ながら、連理本人はそれを、凄いことだなんて思っていなかった。


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