10/11/15:40――鷹丘少止・複雑な人間関係

 外に出ると残暑の日差しに眩しさを覚えた田宮たみや正和まさかずは、帽子を目深にかぶる。目の前には今しがた行われていた歌の感想について言い合っている二人がいて、しばらく浅間ららの横顔を見ていたが、吐息と共に帽子のつばを倒して表情を隠す。

 ――守ることはできない。

 現実として突きつけられたその言葉を否定することはおろか、すんなり受け止めてその通りだと認めてしまった田宮は、まだ、その先を知らないでいる。

 芸術には詳しくないけれど、素直に感動したのならばそれは、理由など必要もなく、ただそういうものだと受け止めた方が良い。そこまで詳しい考えはなかったけれど、ただ、歌というものに込められた魔力に対し、普段からは気付きようもない強さを、雨天うてん紫花しかは感じていた。

 外の明るさが眩しさとして受け入れられないのは、環境の変化に対して迅速に対応してしまう武術家としての性質がそうさせるものだけれど、ただ、中と外との明確な境界線はわかる。

 ――怖い、か。

 やや背後の位置にいる都鳥凛みやこどりりんの気配を感じながらも、恐怖という観念について考えを走らせ、そのことが無意味であることを悟るのは、ずっと先のことだ。

 ちなみに、このあとにすぐ、花ノ宮はなのみや紫陽花あじさいに確保されるのも、まあ先のことだろう。

 するりと人を抜けて外に出た久々津くぐつ鞠絵まりえは、うんと大きく伸びをして空気を胸一杯に吸い込んだ。随分と久しぶりに、こうして一人で行動することに違和感はなかったけれど、それでも新鮮味があるのも確かで、けれど逆に一人であることを自覚できてしまう。

 いつだって一人で行動する時は、他人の目を気にしなかった。気にすれば、逆に相手にも感付かれてしまう。知られても構わない、と思っているわけではないが、気にしないのが正解だけれど。

 ――ヤなのがいたぞ。

 しかも一人じゃない、複数人いた。なにが嫌なのかはわからない、わからないが、それは危機的な状況を彷彿とさせられた。しかし、その理由も、それが何なのかも、やはり、鞠絵にはわからない。

 そんな鞠絵の背中を見つけ、二村にむらひとしはため息を一つ。もちろん足を止めることもなければ、意識を強く向けることもないが、実に無防備な背中だと自分を棚上げして思った。

 陽ノ宮ようのみや旗姫ききは感動の海から未だに抜け出せないようだと、鈴白すずしろあやめは思う。腕を組みながら難しそうな顔をして歩いている前崎まえざき鬼灯ほおずきにしても、歌と呼ばれる効力に関しての考察でもしているに違いない。

 ――複雑な人間関係。

 それは直感に似た、いわゆる閃きに酷似した、現状把握から導き出されたあやめの結論だ。まるで、繋がりを三つ辿れば誰もが知り合いになれるような、複雑さが感じられた。

 未熟さを痛感するのは、いつだとて、戦場ではなく――日常の中だと、久我山くがやまちがやは知っていた。

 出口に向かう三つの列を眺めながら、席を立ったまま動かず、ただ未熟さを思う。その心境の複雑さを理解できる人間はきっと、同じ想いを抱いた人間だけだ。

 ――まったく、どこまで遠いんだ。

 けれど、追いつかなければ始まらない。意欲だけは常に前を見ている。ならばこそ、茅は足を前へ出して歩き出すしかなく、外の出口に向かった。

 腕に抱き着く梅沢なごみの感触こそ、自分の守るものであることを実感しながらも、気付かれないようにしてひづめ花楓かえでは軽く瞳を瞑って己の内側に問いかけをする。

 この状況下で、複数人の特質な存在に気づきながらも、いつしか消えていた者がいた。それはつまり、今の花楓では掴みきれない人種であり、自分には届かない位置にいる者たちであることに、違いはなかった。

 ――それでも、私は、守る。

 鷹丘少止にとって雨音火丁がそうであったように、花楓にとってはなごみが全てだ。そのための努力は惜しまないし、それをなごみに見せるつもりもない。

 一ノ瀬いちのせ聖園みそのは周囲に誰もいなくなり、隣にいた心ノ宮しんのみやこころに声をかけられて初めて、自分が呆けていたことに気づき、慌てた様子が席を立つ。頭を下げるのは謝罪ではなく、感謝のためだ。

 聖園は自分が弱いと思っている。自覚している。そして、雨音火丁の強さを目の前で見せられて、そのことばかりを考えていた。

 ――私は。

 どうなのだろうか。このままで良い、なんて思ったことはなくても、現状維持と呼ばれる甘美な言葉に、頷いてはいなかっただろうか。

 外に出て日傘を広げると、ひょいと自然な動きで中に入ってきたたちばなここのに対し、四十物あいもの花刀かたなは文句の一つでも言ってやろうと思ったが、やめておいた。なにを言っても聞かないだろうことは付き合いから知っていたし、優先順位的には自分が先だ。そこは譲らない。

 鷹丘少止たかおかあゆむも姿を見せたことには驚いたが、火丁との様子を見て、花刀は一切心配することをやめた。彼らはもう、花刀がどうこうするような人ではないと、悪く言えば見切りをつけたのだ。

 ――大丈夫。

 自分よりもしっかりと地に足をつけていると感じられた。九がどう考えているのかは知らないし、さっきから少止の姿を探そうとして首を動かしているのには気付いていたけれど、花刀としては、もう逢わなくても構わないとすら考えていた。

 相変わらず迂闊な妹だ、とたちばなよんは闇に紛れたまま、呆れたように口の端を歪ませた。自分の行動を隠そうとせず、意図をはっきりと伝えてしまう行為は、自身における内心を吐露しているようなものなのに、それにすら気づいていない。

 甘やかされて育った九には酷なことだろう。そして、そこから選択した道も違うのだから、文句を言うのは筋違いだ。けれど、やはり呆れてしまう。

 ――生き残れますか、あなたは。

 伝えたい言葉は飲み込む。闇に溶けるのと同じだ、苦にはならない。これからがどうであれ、自分の理解者は一人いればいいのだと、四はふらりと姿を隠す。

 横にいた四が移動したのを感じながらも、五木いつき裏生りきは己の身を隠しながら、ステージの上で話し合う鈴ノ宮すずのみや清音きよねと、理事長の五木しのぶを視界に入れていた。

 父である忍の姿を見るのが久しぶりで、意図して避けていたわけではないにせよ、あえて逢おうとは考えていなかった裏生は、変わらない気配と雰囲気に、投げる言葉を失う。

 ――届かないな。

 自分の持つ強さと、忍の持つ強さはまったく別物だと改めて実感する。理事長の席に座り、デスクワークをしていて長い忍であっても、まだ、届かないのだ。それは悔しくもあり、そしてまた、誇らしくもあった。

 転寝うたたね夢見ゆめみは出る前にちらりと背後を一瞥してから、足を止めずに陽光の下に出た。面倒な連中に話しかけられなかったことは僥倖だったが、果たして、本当にそう言いきって良いのかどうかが、疑問として胸の裡にぐるぐると渦巻く。

 皆、前へ進んでいる。早かろうが、遅かろうが、一歩を確実に踏み出している現状で、夢見は相変わらず、そのままだ。

 ――そうまでする理由か。

 きっと、そういうことなのだろう。そして、理由が今の夢見にはない。どんな些細なものでも、大きなものでも、進む理由が見つからないまま、迷子のままの子供だ。

 佐々咲さささき七八ななやはステージ上に上がり、学生会長としての挨拶をしておく。野雨での行動でお互いに顔見知りであるし、儀礼的なものであり、目的としては一番最後に退出できる、それだけの理由だった。

 なにを意図してのものか、問い質したい気持ちはあったが、会話の流れを聴く限り、それは無粋だと判断する。だから、結果だけが重要だ。

 ――縁が合った、だったか。

 つまりはそういうことなのだろう。イベントが一つ発生し、そこに縁が合って集まった。お互いにお互いを知らなくとも、そういうことが以前に一度だけあった。今回のそれもその状況に酷似した、しかし、まったく違うものだ。

 マリーリア・凪ノ宮なぎのみや・キースレイは最後まで残っていた火丁の傍で、歌の改良に関する見解を聞いていた。もちろんマーリィにとっては専門外だが、気持ちに関することが多いため、助言することもできる、それはいつもの行為だった。

 いつもの、と呼べるほどに火丁は家族となってしまっている。悪いことではない。火丁もきっと、それを感じているだろうから。

 ――私は、どうなの。

 見つけたい人がいる。顔もおぼろげで、ただ、自分のことをリアと呼ぶたった一人の相手を。それがどこにいるのか、今なにをしているのか、それすらも知らないままに、ただもう一度逢って話がしたいと願う。

 彼らは。

 彼らは、知らない。

 時間が有限であり、それは確実に発生し、彼らは直面するのだと――知らない。

 前へ踏み出した足の先が、崖になっていることが、強制的に突きつけられることなど、想像すらできないでいた。

 潦兎仔であったところで、その日がいつなのかを、言い当てることはできない。

 できないが、わかる。

 彼らはその時、前線に立つ者たちであると。

 残りの時間は、もう半年すらないのに。

 ――彼らは、未熟なまま、その刻を迎えることになるのだ。

〝Next Stage----End Genesis, Breakdown and Breaking day by day.〟

 ぽつりと、最後に、誰かが。

 誰かが、笑いながらそう言った。


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