10/04/12:30――サミュエル・昼食時の薄闇

 自分の行動の単純さにはうんざりする。

 サミュエル・白井は夏休み期間の終了と共に、再びプレハブ棟の部室に足を向けながら、小さく吐息を落とす。深入りをするつもりはないと思っていて、その考え自体は今も変わっていないのだが、それでも白井の中にある小さな好奇心と、彼女の素性がわからない以上、ある程度の行動理念などを把握しておかなければ、危険性が高いままだと、そんな言い訳を付け加え、再び来訪することになってしまった。

 自らの意志で行動を起こすのは、面倒だ。そう思って大抵のものは除外しているのに、今回はそうもいかない。危険性を言い訳としたが、確かに放置しておくと立場が危うくなるのは確かなのだから。

 そもそもノックをする、なんて行動が染みついていない白井は、到着と同時に扉を開く。すると珈琲を飲んでいた少尉と視線が合い、驚くこともなくそのままテーブルにカップを置けば、口元を笑みの形にする。

「来たか。遅くないか?」

「そっちの都合は知らないな」

「都合というよりも、なに、そろそろ美味しい珈琲が飲みたいと思っていたところだ。特に機材は変わっていないとも、淹れてくれミュウ」

「なんでまた俺が」

「そっちの都合は知らないが?」

「……」

 先に知らないと言ったのは白井だ。これを拒絶したのならば、自分の言葉にすら責任が持てない子供と同じになる。そう捉えられても一向に構わないのだが、いやしかし、弱味を見せると付け込まれるといった、昔からの習慣がそれをさせず、白井は無言で準備を始める。

「よくもまた足を運んだな」

「疎外されている俺は、いつも昼食を摂る場所を探してる。その一つが、つい数日前に追加されたんでね」

「もう十日も前のような気もするが、美味しい珈琲が飲めるのならば理由なぞなんでもいい。どうだろう、私は珈琲メーカーに嫌われていると思うんだが」

「素直にインスタントにしたらどうだ」

「あれは手軽過ぎていかん。美味しいと不味いの中間だからな、それならば不味い方がマシだ。飲料にせよ食事にせよ、刺激が大事だとは思わんか?」

「慣れれば、どれも同じだ」

「慣れぬよう、刺激を求めるからこそ、大事なのだがな。食への拘りは、ミュウの持つ袋の中身が同じジャムパン二つであることから、推測も立つ。ここの珈琲は無料だ、気にせず飲め」

「そのつもりだ」

 といっても、普段は外食で済ませる白井は、自宅に珈琲メーカーなどない。淹れ方を知っているのは、過去の経験だ。

「できたぞ」

「うむ。……ああ、やはり美味いな。そこらの喫茶店で出しているのは飲んだことがないから、比較はできんが、まあ美味いから良いだろう。どうしたミュウ、座れ。久しぶりの話し相手だ、付き合ってくれるんだろう?」

「……さあな」

 以前に座った席に腰掛け、パンを食べる。もちろん千切って口に入れるような真似はせず、そのまま噛みつく形だ。

「栄養補給だ、と顔に描いてあるが?」

「奇遇だな。さっき、蛍光ペンで書いておいた」

「ははは、一本取られたな。しかし――どうなのだ、あの仕事への態度は」

「なんのことだ?」

「気付いていないのか……いや、あの態度ならば気付かずとも当然だろう。何しろ、与えられた任務以外の情報はいらんと、態度に出ていたからな」

「だから、なんの話だ」

「ミュウを含めた人員輸送のシーナイトを操縦していたのは私だが?」

 かなり昔に使われていた輸送ヘリであり、実際にあの時に白井が乗っていたのも、シーナイトと呼ばれるヘリだった。鈴ノ宮ではそういった古い型のものが多くあり、どれも現役で使われている。軍のお下がりというのもあるが、骨董品を趣味で保存していた元軍人が所属しており、そうした彼らは使用することでの劣化を好み、放置を嫌うタイプが多いのだ。

 だから、少尉の言葉に偽りが混じっている可能性があるにせよ、鈴ノ宮に深く立ち入っているか、情報を得ているのは確実で、ゆえに。

「俺のことを知っていたんじゃないのか?」

「いや、あれから興味がわいて調べただけだ。いかんせん、私にはあまり調査能力というものがないからな」

 だからこそ、操縦士として同行することになったのだと、彼女は言う。

「そうでないのならば、座ったままで情報は得られただろう。まったく、学生というのも難儀な立場だな……」

「……警戒しか浮かばないな」

「なにを言っているんだミュウ。お前は最初から私に対しては警戒しか、していなかっただろうに。それは今も変わってない」

「あんたは隠し事が多すぎる」

「ははは、言われてしまったな、これは。隠している、うむ、なるほど。であればこれは、私の職業病のようなものだ。ミュウが躰に染みこませた癖と同様にな」

「わかったふうに言うな」

「わかったことしか言っていないのだから、間違いないだろう?」

 揚げ足を取られるというか、口が上手いというか――しかし、どういうわけか、負けたとは思うものの、不快にならないのは、一体なんなんだ。

 二つ目のパンに手を伸ばしたところで、予期しないノック。おいおい、こんな場所に来客となると教員か何かかと思う。

「入れ」

「あのさ――」

 入ってきたのは少女、いや、女性だ。小柄な部類で丸顔、二つに括った髪が印象的でもあるが、何より釣り目がちな瞳が白井を視認、けれどすぐに少尉へと顔を向ける。

「――その入れっての、止めない? ものすごく偉そうなんだケド」

「えらいのだから仕方あるまい。どうだレン、珈琲を飲むか。そうか待っていろ、すぐに器に移そう」

「あんたのクソ不味い泥水はお断り」

「ははは、それなら問題ない。何しろミュウが淹れた美味い珈琲だからな、遠慮するな。美味しいぞ」

「ふうん」

 それ以上断ろうともせず、彼女は迷わず上座の二つ目の席に腰を下ろす。ちょうど、白井とは対角線上だ。ちなみに順序とは、入り口から一番遠い一人席、少尉が座っている場所を上座とし、対面が二番目。三番目が彼女の席、四番目がその対面、そして入り口にもっとも近い位置である六番目が白井の席だ。

 もっとも、あくまでもビジネスマナーであるため、白井は特に意識していない。警戒している以上、出入り口の傍が最も良いと判断したまでだ。奥の窓側は、狙撃などの危険性がある。

「で、あんたはなんでコイツに付き合ってるわけ?」

「好んで付き合ってるように聞こえる物言いは止めてくれ」

「確かに、まだ入部届はもらっていないが、見ろレン、どうだ、お前は物好きなどいるはずがないと断言していたが、こうして一人来た以上、前言撤回ののちの謝罪を要求するが?」

「あーはいはい」

「……おい、おいミュウ、どうだこの反応。愛情が足りないと思わんか?」

「俺の応答に愛情があるような物言いも止めろ……」

 なんか妙に疲れてきた。

「まあなんだ、その際にレンとは、総勢三名になったら四人目になる言質を取り付けているのでな」

「ちゃんと覚えてる。嫌だケド」

「レンの照れ隠しは可愛いなあ」

 あ、美味しいと、珈琲を飲んだ彼女、蒼凰そうおう連理れんりは呟く。その間に二つ目のパンも食べ終わった白井は、軽く目を伏せる。

「おっと、――おいミュウ、そういう態度はいかん。話は聴いているだろうが、応答がおざなりになるからな。ちゃんと知っているとも、うむ」

「ちっ……」

 どうやら、以前の仕事に同行していたのは本当だったらしい。

「へえ、珍し。マルヒト、この子に入れ込んでるじゃん」

「そう見えるか?」

「だって追跡からの侵入まで仕事したんでしょ。馬鹿じゃないの」

「おいおい、物騒なことを言うものだな」

「へ? いやここってそういう場所でしょ」

「レン、いいかレン、勘違いをしている。ここは物騒な企みをする場所ではない。学生が集まって珈琲を片手に閑談する、そう、いうなれば娯楽室のようなものだ」

「はあ? あんた馬鹿でしょ。ああ知ってたケド」

「ふむ、いかんなあ。どうもレンのことは好きになり過ぎていて、意地悪ができん。素直に頷いてしまいそうだ」

「あんたは少尉殿の詳細を知っているのか」

「は? 私が? 詳細は知らないけど、こいつのことは知ってる」

「どうだ、これが私の理解者だ。羨ましいだろうミュウ」

「まったくないな」

「理解してないんだケド」

「ははは、レンだけではなくミュウも照れ隠しか。もしかして最近の流行か? まあいいが、しかし、どうしたレン。なにか用事があって来たのではないのか」

「あー様子見だったんだケドね」

 言いながら、購買部で販売しているサンドイッチを取り出した連理は、封を切って食べ始める。

「マルヒトが寂しくなって死ぬと後味が悪いし」

「……そんなタマか、こいつが」

「でも餓死はありえるから」

「ああ……」

「何やら酷い言われようだな。しかもミュウ、そこは納得するところではない」

「食料がある時に食っておけってのが鉄則だ」

「では、自身が探られている相手に対しては、どういう鉄則がある?」

「……なんの話だ」

「なにこの子、察しが悪いの? それとも誤魔化してんの?」

「茶化すなレン」

 子供扱いされるような呼称も、白井にとってはどうでもいい。お互いに名乗っていないのも、話が通じる以上、あえて仕切り直す必要はないと考えている。もっとも、連理がどう思っているかまでは定かではないし、興味もない。

 ただ。

「俺の周辺を探ってるヤツがいるってか?」

「それは程度に依るな。ちなみに、これは純粋な疑問だが、私がやった行為は周辺を探るという部分に抵触するのか?」

「少尉殿の場合は周辺を探るよりも、尾行や追跡に近いだろう……監視行為と言った方がしっくりくる」

「あんたね……や、まあいいや。私に実害があったら怒るからね? 説教入れるからね?」

「ははは、そう強く言わずともわかっているとも。――ご褒美があるなら、きちんとやるとも」

「こいつ馬鹿だー。あははははは。おいあんた、そこらへん首輪落ちてない?」

「あったとしても、紐を持つのは御免だ」

「私もだー……」

「なぜ肩を落とす。――もっとも、私に首輪は似合わんが。それよりもだ」

 ああと、珈琲を片手にテーブルから少尉へと、視線を投げる。

「興味本位で俺のことを探っている、その程度のことだろう?」

「おそらくな。いや、あるいはだな、私という存在に接触した――厳密には逆か、私が接触したからこそ、お前だけではなく、私に対する興味かもしれんが、まあ探られているのは事実だな。何がどうと、説明する気にはならんが」

「放っておけばいいだろう」

「ほう、それがミュウのいつもの判断か?」

「探られて困ったことは、今までない。実害があったら処理すればいいだけのことだ」

「それはそれで物騒な話だが――しかし、ここで一つ問題がある。否、問題というよりは判断に困っているのが実情だがな。探りを入れている相手を、この私はどういうわけか、知っているわけだ」

「知っている? なら手を打てよ」

「なるほど、では手を打とう。現在位置はまだ確認していないが、なあに、時間を要すればわかるかもしれん」

「ああ、勝手にしろ」

「うむ。では勝手にやるが――ミュウ、対象への接触はよろしく頼む。なあに、今のようにただ会話をしてこればいい。好きにして構わんぞ。何なら、ここに引っ張ってきてもいいからな」

「――はあ?」

 なんで俺がと言おうとするが、勝手にしろと言った手前、勝手にされた結果に対し、断る言葉が浮かんでこない。

 結局、少尉がどうというよりも。

 白井の方が迂闊だったのかもしれない。


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