09/15/13:50――田宮正和・悪巧み

 蹄花楓から連絡を受けて応答しつつ、体育館の周囲を回って安全を確認した後、久我山くがやまちがやは中に入った。

 野雨西高等学校の体育館は一つだが、入り口は二箇所。そして、体育館に入る前に通路がある。楕円形に伸びる通路の先はお手洗いに繋がっており、片方は体育倉庫にも繋がる。そしてもう片方はステージ上に繋がっているので、たとえば小さなコンサートをしたところで、それほど混雑はしないわけだ。ちなみに通路の上部は観覧席となっており、椅子が並べられている。

 二つの出入り口には二名ずつ見張りが立っており、インカムを耳につけて内部との通話を可能としていた。彼らに片手を挙げた茅は、今のところ問題ないと伝えて、中に入った。

 人が、居た。いや学生だ。

 人数はたかが百五十人程度。集まっているのは情報処理学科の全学年で、男女比としては女性の方が多い。それぞれが小声で雑談をしているものの、やはり雑音としては響く――が、小声を意識しているが故に、外まで漏れない。もしこれが普通の声量ならば外に漏れていてもおかしくはないし、マイクを使っても同じことだろう。

 幾人かが茅を見て、訝しげな視線を送るが、どれも一学年の連中だ。二学年は茅と同級生であるため、どうしてここにいるかを知っているかどうかはともかくも、普通科である茅を受け入れるような気配があった。三学年ともなると、気軽に声をかけてくる。それらに軽く応答しながらステージ脇にいる、三学年情報処理学科所属の、田宮たみや正和まさかずと朝霧芽衣のところまで行ってから、足を止めた。

「よっ、そっちどうだ?」

 なぜか、夏休み中に頭を五分刈りにしてしまった田宮は、日に焼けた肌を隠そうともせずに言う。実際に夏休み最後の登山では顔を合わせていたし、今日のことも相談はされていた。隣にいる朝霧芽衣は変わらず、制服を着ているのか着られているのか、よくわからない違和感を持ったまま、腕を組んでいる。

「とりあえず、感付かれた気配はないね。それと、知り合いから鎮静剤と睡眠導入剤を確保しておいたから、後で田宮くんの部屋に送らせるよ」

「事後承諾かよ……つーかそれ、使うのか?」

「さあ? それは田宮くん次第、芽衣次第ってところかな」

「ふむ。その知り合いとは誰だ?」

「田宮くんの先輩だよ」

「――へ? 卒業生かよ」

「そういうこと。さて、隠れて物事を運ぶのなら、とっとと済ませるに限る」

「オーライ。んじゃ、やるかねえ」

 ひょいと檀上に飛び乗った田宮が、二度ほど手を打つと、一気に全体が静まった。全員が姿勢こそ楽にしているものの、注目しているのはわかる。だから田宮は、小声から普通の声量に戻して言う。

「よく集まってくれたな。明日も授業だから、手っ取り早く済ませちまおう。体育祭の時もそうだったが、まあ儀礼的に、俺ら三年が指揮を執るのが一般的だが、そいつもこの文化祭で終いになる。こん中にゃ、なんで三年が――と、思ったことがあるヤツもいるはずだ」

 ゆっくりと、言葉を切って全体を見渡してから、田宮は続ける。

「いいか? 三年が持ってて二年、一年にねえもの――そいつは、横の繋がりだ。ここにいる久我山茅が副会長なのは知っているだろう。そして、今までには何度も助けられてきた。もちろん、相応の代償は支払ってる健全な間柄だ。――裏取引はするけどな」

 そこで、僅かに笑いの気配が広がる。それをしばらく感じてから、両手を見せて落ち着くように示した。

「好き勝手やるだけじゃねえってことは、お前らもよくわかってるだろう。けど、上手くやる方法ってのは、なかなか難しい。そこで恒例でもあるんだが、どうやりゃ上手くやれるのか――それを、最後に俺らが動ける文化祭で、可能な限りお前たちに教えようと思う。今年、二年のやつは去年もそうだったろ? けど、今じゃたぶん見え方が違うはずだ。だからまあ、素直に受け取ってくれ」

 諒解、とは誰も言わない。ただ肯定の証として、全員が拳を握って斜め前へ突き出した。それを見て笑い、頷き。

「――ありがとな」

 三年を代表して、田宮もまた拳を軽く突き出した。

「よし。じゃあ、知っているとは思うが結果から話そう。夏休み中にそれぞれ足を使って、お互いに情報交換をした結果、今回の文化祭では運動場全面を貸し切った、緊急時における救護実習になった。――表向きの理由だが、ちゃんと通ったぞ。まあそれも、副会長が手配してくれたおかげでもあるけどな」

 ただと、田宮は言う。

「悪いが細かい部分は俺ら、三年に任せちゃくれねえか。何しろ最後の文化祭だ、派手にいきてえ。もちろん、やり方ってのはちゃんと教えるし、お前らにだって仕事を頼むこともある。加えて、できるだけ文化祭実行委員の補助として、ここにいる奴らの割合が多ければ多いほど、上手くことは運びやすいんだ。おっと、だからって意見をするなってわけじゃないぜ? 否定意見だっていい、そういうのは歓迎だ。けど、なんつーか、俺らの顔を立ててくれって頼みだ」

 よろしく頼むと、軽く頭を下げるが、しかし、田宮は口元に笑みを浮かべた。

「けどま、――それぞれ参加はしてもらうからな。覚悟しとけ。……さてと、これ以上はそろそろマズイな。外から連絡があって、教員が感付いたってさ。試験が終わって、文化祭の雰囲気になったらいろいろと動こうぜ、お前ら。んじゃ、おいお前ら、三年、きっちり一人で三人は確保して、それぞれ所定のルートで逃走しろ。経路確保の説明したら解散して、各自好きにしとけ。じゃあ――散開!」

『おう!!』

 体育館を揺らすような応答の声と共に、一斉にわらわらと散る。それを眺めながらも、田宮はステージ下に降りて、頭を掻いた。

「茅、こんなもんか?」

「うん、逃走の仕方を教えるのが今回の目的だから、いいんじゃないかな。ついでに通達もできたし。それに気付くのは、説明されてから、だろうけど」

「しょうがねえって」

「ちなみに、ある地方ではしゃーにゃーじゃーにゃーや、と言うらしい」

「……は? 何言ってんの朝霧」

「九州の方だね、熊本だったかな」

「うむ。こんなこともわからんのか、田宮」

「へいへい、そんなパスに付き合えるかっての。それよか、学園での軍式訓練ってやっぱ中止扱いにしてんのか?」

「なんだ、連中が気になるか」

「そりゃまあ、どうしてるかなって」

「安心しろ。――時間を作って鈴ノ宮に行けと、あの三人には言ってある」

「しかし、なんだってまた」

「段階を踏むためだ。なあに、無事に終わらせられれば、次の訓練は田宮、お前と同じレベルでできる。戦闘形式でな」

「そんなもんか……つーか、一足飛びじゃね?」

「馬鹿な、基礎は教えているとも。それに、いくら鈴ノ宮とはいえ無茶はしまい。――根拠はないが」

「ねえのかよ!」

「ふむ、だったら迎えの手配はお前がやれ田宮、目視確認すれば安心するだろう。それに、あそこには同世代……とは言わんが、前線に出るべき人間が揃っている」

「とか言いながら、俺に余計な仕事押し付けてね?」

「ははははは」

「否定しろよ!」

「まあ、しばらくは祭りの手配だがな」

「僕もそっちの作業を、生徒会室でやらないとね。花刀さんがいない内に、最悪を備えて手配しておかないと」

「悪いな」

「――しかし、逃走経路の確保やら何やら、教え込んであるのか?」

「いや? 俺らが教えて貰ったことは、逃走に適したルートと、逃走に際しては、隠れることじゃなく、見つかったらどう誤魔化すかって、そんくれえかな。集まってることを悟られないくらいには、できるぜ」

「なかなか、手が込んできているけれど――おや」

 一テンポ、空白があり、そして。

「こ、こらあ! あなたたちは何をしてるんですかっ……あれ?」

 情報処理学科三学年の担任が、小柄な体躯で重い扉を両手でどうにか開き、勢い込んで入ってきたものの、既に内部には三人しかいない。拍子抜けしたような顔で、中学生にも見える成人女性は近づいてきて、まず先手を打つように茅は頭を下げた。

「酒井先生、こんにちは」

「はい久我山くん、こんにちは。どうしたんですか?」

「何か集会のようなものがここで行われている、という情報を得たので、生徒会として看過するわけにもいかず、こうして見回りにきたのですが、見ての通りの状況でして、残っていたこのお二人に話を聞いていましたが、特に異常はなかったようです」

「ああ、そうなんですかー」

 嘘は言っていない。見ての通りの状況であることに間違いはないし、話をしていたのも事実。また、そもそも茅が手配していたのだから、正常であり、異常ではない。

「じゃあ僕は戻りますね。お邪魔しました」

「いや、構わんとも」

「おう、なんか悪かったな副会長」

 ぺこりと頭を下げた茅が去る。先手を打って身の潔白、いや、お互いの繋がりを悟られる前に姿を晦ます――やはり、こういう人材が生徒会にいると助かるなあ、などと田宮は思いながら、ステージに背中を預けて笑った。

「景子ちゃんもご苦労さん」

「あ、はい……って、先生にちゃん付けはしないように、田宮くん」

「けど、どうしたよ? みんなもう、帰宅してんじゃね?」

「そういう田宮くんと朝霧さんはどうなんですかあ。試験は明日まであるんですよ、勉強しないと」

「夏休みの学習内容のおさらいだろ? 問題ねえって。なあ朝霧」

「ふむ。そういえば詳しく聞いてはいなかったが、担任殿、この時期に試験を行う理由は一体なんだ? いや、田宮が言うように内容は理解しているとも。ただ一般的に、ほかの市立高等学校と比較するに、この学校は試験の数が多い」

「はい、それはですね――」

「つまりそれは、試験勉強と呼ばれる一時的な知識の詰め込みに対して、特殊状況下における記憶力ではなく、継続して知識とするために必要な過程を踏むことを目的とし、いわば反復練習と同じく、より深い部分で知識を蓄えることで、それらの知識が無駄になる状況を排除しよう、などといった試みか?」

「――うう、言葉を取られましたよう」

「簡単に言っちまえば、学園の逆だろ? あっちは試験、一回限りだしなー。こっちは回数を多くすることで、最終的な卒業試験的なやつの、総合知識をきちんと教え込もうって、優しい判断だよな」

「無論、成績の評価に関連するものもあるのだろう? 試験回数が増えれば、単一の点数だけに囚われず、連続した結果から上昇傾向、ないし下降傾向などが見てとれれば、個人的なアドバイスもしやすくなる。もちろん、それ自体が評価にもなるが」

「実際、俺の先輩ってのが、一学期に修得した知識のみ、それに類する項目だけを記して、点数度外視で行った結果、一年間における平均点数とそれに伴う成績評価ってのを実践して、翌年の夏休みの宿題にあった研究報告として出してたぞ?」

「ふむ、時間があればこその選択ではあるが、教員側には顰蹙を買っただろう」

「個人が研究した内容に対して、実験そのものを否定する論理、っていう研究題材をほかの人が出してたから、何もなかったぜ」

「……担任殿、なにを泣きそうな顔をしている」

「ううう……去年、その研究発表で、教員が持つべき威厳とその効果って内容で、ものすっごく、先生をフォローしてくれたのを思い出したんですよう」

「あれは駄目だった。結局、景子ちゃんの評価は上がらなかったし、給料明細も一緒だったろ?」

「はいぃ……――って、なんで田宮くんが先生の給料明細を知ってるんですか!」

「いいか景子ちゃん、シュレッダーにかければオーケイ、みたいな発想は今すぐ止めるんだ。それと、飲み屋に入る時に免許証を出さないといけないって理由で、焼肉屋を選択するのはいい。けどな? 料金を支払う時に給料袋から直接ってのはいただけねえよ……」

 目頭に手を当てて、田宮は首を横に振る。口が開いたまま閉じない景子は、何かを言おうとするものの、芽衣が片手を頭に置いたらうなだれた。

「なんだ貴様、免許証を出して暴言の一つも吐けんのか、だらしない女め」

「とどめ! とどめですよこれ!」

「仕方ないな……よし担任殿、今日のこれからの予定はなんだ?」

「先生の担当試験は終わりましたからねー、採点作業が中心です」

「ならば終わりは、十七時か。静かな酒場と騒がしい酒場、どちらが好みだ?」

「え? ええ?」

「即答もできんのか、この女は。まあいい、ついでに高校生が背伸びしているくらいには見えるような助言もしてやる。貴様、スーツは持っているか?」

「えっと、先生をですね、貴様って呼ぶのはどうかと……」

「いいから答えろ」

「うぐ、……朝霧さんは強引ですねえ。先生にだって出張くらいありますから、スーツ持ってますよー」

「ふん、どうせ色気の足りん無難な似合わんスーツだろう。田宮、見たことはあるか?」

「中校生の入学式じゃあるめえし」

「いい感想だ、そして私の想像通りだ。よし、とりあえず仕事の後は楽しみにしていろ」

「あのう、先生の意見は通りますか……?」

「なんだ言ってみろ」

「できればそのう、あんまり高いお店は」

「なんだそんなことか、気にするな。――支払いの時になって頭を抱えろ」

「嫌ですよう!」

 もちろん冗談だが、これで暇な夕方からの時間も埋まったなと、芽衣は頷く。それをまるで理解していたかのように、田宮は呆れたように肩を竦めて天井を仰いだ。


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