09/12/07:00――浅間らら・鈴ノ宮での訓練

 十日前後、まとまった時間を作り、泊まり込みで鈴ノ宮に顔を出せと言ったのは、訓練教官でもある朝霧芽衣だ。

 てっきり登山訓練と同様に全員なのかと思っていれば、どうやら佐原さはら泰造たいぞう戌井いぬい皐月さつき、浅間ららの三名らしい。つまりそれは、言術を扱う佐原、魔術を扱う戌井と浅間が、術式に関しての知識、経験を積んでこいとの理由だと気付くのは、もっと後になってからになる。

 野雨のざめ市にある鈴ノ宮邸は、豪邸の一つとして知っていた。前を通りかかれば、誰もいない門が設置されており、軽く中を覗くくらいのことはしていても、中でどんなことが行われているのかは知らなかったし、それは中に入ってもわからないことの方が多かった。

 学業が始まった九月とはいえ、そもそもVV-iP学園は授業に強制力がない。登山訓練も八月の終わりに行われたということもあって、その熱が引ききらない内にやっておこうと、多少の無理をして短期休暇を話し合って作り、赴いたのは中旬に入ってからだ。

 日時を芽衣に伝えたこともあってか、行くと門の前にフォーマルスーツの男性が一人待っていた。白色の手袋までしていることに、妙に浮いていると感じながらも挨拶をすると、彼は丁寧に頭を下げた。

「いらっしゃいませ、戌井皐月様、浅間らら様、佐原泰造様。お待ちしておりました。私は執事をしております、哉瀬かなせ五六いずむと申します。どうぞ中へ、朝霧様より用件は聞き及んでおります」

 かなり丁寧な口調に、対する言葉は「はあ」といった気の抜けたものになってしまう。そもそも、テーブルマナーですら知識の中にしかない彼らが、高級料理ならまだしも、格式高い屋敷に足を踏み入れようというのだ、対応に困るのは当然だろう。なにしろ、違う世界の住人だと、当人たちは思っているのだから。

 案内されたのは邸宅――本邸ではなく、詰所と呼ばれる隣の、無骨な白色のコンクリートで造られた建物だ。中に入るとそれなりの男性がいて、書類仕事をしている。妙に肉付きが良いなと思いながらも、無意識に姿勢を正していた三人の前に、五六は軽く声を上げた。

「誰か、手の空いている者は?」

「――ああ、俺はどうだ」

「ジェイル、丁度良い。彼らを地下へ案内してもらえますか。例の件です、詳細は?」

「あとで知ってるやつに聞く。地下でやることは訓練なんだろう、とりあえずはそれでいい」

「では任せます」

 そう言って五六は、また後ほど顔を出すと言って去り、すぐに三人は地下へ案内された。

「うわ――」

 唯一、手荷物を持ってきた浅間は、ごとごととカートを引きずってきていたものの、階段が続いたため両手で持っていたのだが、それを足元に置いて、広大な空間に感嘆の声を漏らした。

 手前に灯りがついており、奥はまだ暗い。横幅だけで百メートルはあるだろう、空洞と呼んでもいいくらいの地下室だ。等間隔に設置された石柱が支えになっており、それ以外は特に何も見つからない。

「うわ、うわ! なにここ、すげー!」

 久しぶりに嬉しさが許容量を上回り、ぃやっほぅ! などと言いながらその場で飛び上がる。

「あっち! あっちの隅、使う! 使わせて!」

「ん? ああ、何をするのか知らんが、たぶんいいだろう」

「うひひひひ、いいなあ、楽しいなあ!」

 ちょっとこの子、大丈夫かしらと呆れた様子で見る戌井は、放っておいてもいいのかと言いたげな佐原の視線に首を横に振った。勝手にさせておけ、だ。

 カートを引っ張り、バンドを外す。ぐるぐる巻きになっていた布のようなものの中からビニルテープを取り出すと、準備運動とばかりに全力疾走をする。奥行きはおよそ千ヤード、壁に到着してから頷き、時計を見るために左腕を軽く上げた。

 これは先日の登山訓練の後、芽衣からプレゼントされたものだ。ボタンを軽く押せば、バックライトが点灯し、湿度と温度が表示される。試しにとGPSにアクセスするが、どうやら届いていないようだ。

 歩いて戻りながら、浅間はテープを柱につけていく。当然だが、テープは下を向いており、風速はほぼ零の状態だった。

「千ヤードもある! 屋内なのにすげえ!」

「もともと、複数人で使う訓練場だ。ある程度の術式使用にも耐えられる」

「ふんふん」

 戻ってきた浅間は、彼の言葉にうなずきながら、紐でくるんであった布のようなものを広げる。それは小さなクッションだ。

「――ほう」

 続いてアタッシュケースを開き、そこにあった狙撃銃を取り出し、すぐに組み立てる。最後に照準器を乗せ、調整を一度フラットに戻した。それから最後の、ビニルテープでぐるぐる巻きになっている箱を開けば、そこには7.62ミリの弾丸が三百発ある。かなりの重量で持ち運びには苦労したが、芽衣から貰ったものだ、その中身は想像していたし、嬉しくも思う。

 しかし。

「――あ、的がないや」

「マンターゲットでいいか?」

「へ? あ、えっと」

 問われ、マットに寝転んだ姿勢から再び立ち上がり、ようやく自分が浮かれていることに気付いた浅間は、直立姿勢で狙撃銃を脇に抱えた。

「は、失礼しました。自分は、浅間ららであります!」

「挨拶が遅れたな、俺はジェイル・キーアだ。気を楽にしろ。それと、どういう理由かは知らんが、楽しむのは良い」

「ありがとうございます、サー」

「ターゲットはどうする?」

「サークルでお願いします!」

「サイズは?」

「ノーマルで。自分はこうした状況下での千ヤード狙撃は、初見であります」

「わかった、すぐに投影しよう」

 近くにあったパネルを操作すると、すぐに遠方にターゲットが浮かび上がる。それはただの円形が重なっただけの的だ。それを照準器越しに確認し、弾装に弾を詰め込んだ。

「俺が見てやる。そっちの二人は――少し待っていろ、すぐに誰かくる」

「は」

「諒解であります、サー」

「ふん、若いのに躾けは行き届いているのか。詳細を知りたいものだ」

「キーア殿、よろしいでしょうか」

「構わん、好きなタイミングで撃て」

「諒解であります」

 一発目を薬室に叩き込み、伏射の姿勢でゆっくりと呼吸を行う。まだ照準器を見ないのは、己の呼吸を確認するためだ。特に伏射では、心音がダイレクトに伝わりやすい。

 ――観測射撃に期待をするな。

 そもそも観測射撃とは、調整をするための一発だ。銃のコンディション、自分のコンディション、そういったものが今日はどうなのか、それを調べる。その行為は戦場で行う前にやるものだし、作戦任務の前にやっておくべきもので、時間が取れるのならば、たっぷりと時間を浪費してでも、自分に合ったやり方で済ませるものだ。

 照準器を覗きこみ、ターゲットを映す。揺れる視界そのものを自覚しながらも、肺から空気を吐き切って、三を吸って停止。照準が合わさったタイミングを見計らって、落とす。

 その反動には慣れている。ただ、やや暗めに設定されている室内では、マズルフラッシュが妙に眩しく感じた。

 着弾を確認、誤差を修正。すぐに照準器に手を伸ばし、ダイヤルを動かして微調整を行い、吐きだされた薬莢をウィークアイで確認してから、そちらの目を閉じる。

 弾装が空になるまで撃ち続け、終わってから顔を上げた浅間は、転がった薬莢を手で集めつつ、それを荷物の隅にまとめて置き、立ち上がった。

「――良い腕だ」

「はっ、ありがとうございます」

 ターゲットの確認に走り出そうとしていた浅間は、声をかけられて振り向き、背筋を伸ばす。すると、ちょうどその正面に先ほど撃っていたターゲットが浮かんでいた。

 映像の投影。この地下では、そういうことも可能らしい。

 見れば、中央のサークルに掠っているのが一発、残りはその周辺に散らばっていた。この腕ならば、間違いなく人の頭は吹き飛ばせるだろう。けれど、瞳を狙って撃ち抜けたのは一発だけ、という結果だ。

「どう見る」

「情けないと」

「……何故だ?」

「無風、湿度六十四パーセント、距離千ヤード、コンディショングリーン、生理痛に顔を顰めていても当てられる距離です。しかし、どれも弾痕が重なっていません。自分はどれも、中央を狙ったものです」

「気に入らんのか?」

「自分はまだ、良い結果を自分の手で生み出したことがありません」

「いいだろう。狙撃は誰に習った? まさか独学ではないだろう、見るからに学生が、銃器所持をしている相手は何人か知っているが、そういう気配もない。誰かの庇護下に入っていると考えるのは自然だが?」

「は、自分は朝霧芽衣元上級大尉殿に、基本を教わりました」

「――なに?」

「ジェイル、資料を持ってきたよ」

「ん、ああ、マーリィ、すまん」

 数枚の書類を受け取り、少し待てと浅間に片手で示す。それをぺらぺらとめくりながら、ジェイルはその内容に普遍的なものを感じつつ、口を開く。その様子を受けながらも、侍女服を着たマーリィは直立不動の浅間を見てから、紅色の瞳を僅かに細める。髪は肩までで黒色だが、瞳の色が違うことでわかるように、半分はイギリス人の血が入っている。

「そっちの二人は、誰が?」

「とりあえずローテで何人か回すつもり。戌井はとりあえず私で、佐原の方は……ちょっと不安だけど、夜重やえが」

「ああ……確かに不安か。ついでに頼みたいんだが」

「なに?」

「俺の装備を一式、誰かに持ってきてもらいたい。訓練の使用許可はまだとってないが、その辺りの処理も」

「……それ、隊長に言える?」

「じゃあこうしよう。マーリィが誰かに言う、俺はマーリィに珈琲を淹れる。どうだ」

「どうだ、じゃないでしょまったく……じゃ、新入りのシルヴァンにやらせとく」

 それも経験だなと言って、書類から目を上げたジェイルは、にやりと、口元に嬉しそうな笑みを浮かべた。

「一つ問う」

「は、なんでしょう」

「その銃――L96A3の個別番号は?」

「は、〇〇六〇一であります、サー」

「ほう……その意味を知っているか?」

「いいえ」

「そうだろうな。それは、かつてメイが所属していた組織での識別番号だ。つまり、お前はメイに守られていることになる――おそらく、そんな意味合いを持たせたのだろう」

「失礼ながら、キーア殿は、朝霧殿とお知り合いでしょうか」

「ああ――古巣では潜水艦の艦長でな、その折にメイには訓練を見てやったことがある。それなりの知り合いだ、俺も気に入っている。もっとも海兵隊上がりで、海軍で出世したのも俺くらいなものだろう。ちなみに、狙撃は俺の得意分野だ。洋上でメイとはよく遊んだのを覚えている」

 なるほどと、浅間は頷く。無条件に背筋が伸びてしまったが、これはどうやら、田宮のことを笑えそうにない。

「なるほどな、学園での軍式訓練の一環、いや特別補習として組まれた訓練か。メイのやりそうなことだ、良い素材は余所から引っ張ってくるに限る」

「そんなもの……ですか」

「そんなものだ。アサマ、バイポッドの使用経験は?」

「ありません」

「では、電子制御に関してはどうだ」

「電子制御、でありますか?」

「知らんか。狙撃任務では、照準そのものに対して電子機器で制御する場合がほとんどだ。もちろん、それだけの情報を得られる場合に限り、だがな。もっとも雨天時の狙撃以外では、それほどの悪条件はないだろう」

「知りませんでした」

「一般生活で経験できるものではないな。ここに、お前の術式は弾丸を生成すること、と簡単にある。事実か?」

「は、大きく間違いはありません」

「ひとまず、生成に関しては禁じる。あるだけ、弾は7.62ミリを使え」

「はっ」

「では訓練内容を説明する。今から千二百ヤード程度の標的を出す――つまり、先ほどのものよりも、やや小さいものだ。表示位置は柱から柱の間、確認しろ」

「およそ四十ヤードですね、確認しました」

「標的が出現したら、必ず撃ち抜け。いいか? 当たらないと思う時点での発砲は許さん――が、一定時間を経過、および撃ち抜いた時点で標的は消える」

「消える……となれば、自分の最速を求めろと?」

「そこまで限定はしない。だが、弾丸を生成する以外ならば、術式を使っても構わん。使わずにできるのなら、それでもいいが」

「諒解であります」

 ジェイルが何を望んでいるのか、どのような結果を出すべきなのか、そんな考えがよぎったが、すぐに打ち消した浅間は、弾装に弾を詰め込む作業に入り、伏射姿勢をとる。

 上官が望んでいることを察するほど、浅間はまだ、余裕がないのだ。まずは結果を出してから、それからゆっくりと考えよう。

 そうして訓練に入った浅間を置き、さて佐原泰造はどうしているのかと問われれば、真っ赤なチャイナドレスに両スリットの入った、やや長身の美女に連れられ、中央付近にまで移動してきていた。

「私の名は夜笠やがさ夜重やえだ、覚えておかなくてもいいぞ」

「は――いえ、覚えておきます」

「敬語もいらないけれどね、まあいいかどっちでも。とりあえず私の目的は、お前を……ええと、なんだったか」

「佐原泰造であります」

「佐原か、よし、佐原だ。そう、佐原を喰ったり吐いたりできなくすることだ」

「は」

「なんだマゾか?」

「――いえ、違います」

「だったら条件反射か……まあいい。最近になってようやく、私は〝手加減〟することを覚えた」

 なに? 今、非常に不穏なことを言ったのだが、気のせいだろうかと思いながらも、佐原は直立のまま表情は変えない。

「いつも私の戦闘は相手が行動する前に済ませてしまう。対応された場合は、相手の隙を作り出すために〝受け〟に回っていたんだけど、最近はそうもいかなくてね。相手に合わせて戦闘を長引かせる手法はまあ、なんとか取得できたんだけど、その手加減ってやつがなかなか、難しくて。つまり――」

 言って、右手にナイフを持つ。いつ取り出したのか、どこから取り出したのかがわからない。けれどそれは、ひどく奇妙で、なんだか鉄板をくりぬいて握りを作り、刃を打ったような無骨なものである。ただし、大きな包丁には見えなかった。

「――ここの、いわゆる峰で叩けばいいんだろうと豪語したら、違うと言う。これはどういうことだ? 相手を多少傷つけるが、最小限で済み、そしてなんと命まで助かるという結果なんだ! と、まあいろいろ紆余曲折あって、上手い具合に行きつつあるわけだ。その実験台になってもらおうか――いや、違うな。これは佐原の訓練だったか」

 この時点で顔は強張っている。さすがに不動ではいられなかった。なにしろ身の安全の保障がどこにもないのだ。

「いや、安心していいよ。つまり、相手の実力を完全に把握してしまえば、ここまで行けば殺すんだ、という境界線が見えるだろう? それは見えている……いや、見えてくるはずだ。となれば、あとは私がお前をどこまで破壊……傷つけるか、その程度が問題になるんだろう?」

「今、破壊と言いましたか」

「言ってないよ」

 いや、間違いなく言っていた。

「お前の実力と同レベルで、ないし少し上の実力で相手をすればいい。気を付けることは殺さないことと、次に後遺症のある怪我を与えないこと。これが手加減だ、間違ってないね?」

「逃げてもいいでしょうか」

「私から? 逃げる? はははは、この空間内部でそれが可能なら、見せてくれよ。追いかけっこはよくやった、全勝はしていないが、勝率はそこそこ良い。おっと、ジェイルがやっている狙撃空間に立ち入るなよ? 入っても構わんが、ぶち抜かれると死ぬからね。ははははは。ああそれと、言術は好きに使っていいよ。どの程度使えるかも見ておかないと――」

 夜重は言う。

「――明日への引き継ぎに困るからね」

 そうして、佐原の逃避行は始まった。

 若い子は元気がいいなあと、その光景を見ながら思うマーリィもまた、ほとんど年齢が変わらないのだが、それは棚上げしておくとして、手元の資料から顔を上げる。先ほど、こちらから敬語の禁止と軍式の態度は止めろと言っておいた戌井は、自然体で佇みながらも、浅間や佐原の光景を眺めていた。

「戌井」

「え、と、なに?」

「魔術についての研究はしたことある?」

「……ないわ」

「そう。じゃ、基礎からか。周辺情報の取得は、あくまでも〝置換リプレイス〟術式に関しては補助でしかない。元来は何かと何かを入れ替えること。それはいいね?」

「ええ」

「よし。まったく……なんでメイの尻拭いをしてんのかなあ」

「――朝霧殿とは」

「え? ああ、軍にいた頃からちょいちょい。酒を一緒に呑むくらいの相手ってだけ。さて、このボールを使おうか。サイズは野球のと同じくらいね。色は、赤、黄、緑、青、白、黒の六種類。好きな色は?」

「――黒」

「じゃあはい、持ってなさい」

 残りの五つは適当に放り投げる。その内の一つを佐原が踏みつけ、転びそうになった躰を強引に制御するために夜重が脇腹付近を蹴り飛ばす。かなり良いタイミングで、足を挫く可能性を排除する動きだった。

「最高だクソ侍女!」

「黙れファッキンチャイナ、一人で便所にもいけないの!?」

「ははははは!」

「……随分汚い言葉を使うのね」

「え? ああ、そう? こんなものよ、軍人も傭兵も多いから。――さて、一番奥までだいたい一キロ。近いのから順番に〝置換〟をすること。距離における魔力消費量の推移と、連続使用における負荷、それから置換完了までにかかる所要時間、この三つをまず確認すること。いいね?」

「わかったわ」

 最後に、戌井の訓練も始まる。まだ初日だと、マーリィは思っているが、さて、当人たちは――どうだろうか。

 それは、明日になればわかることか。


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