08/31/21:00――久我山茅・棺桶屋

 連日の顔合わせというほどではないにせよ、三日ほど空いたとはいえ、そもそも年に一度ですら逢うことのなかった相手ならば、たった三日の空白で再びコンタクトをとってきたのだから、茅がそんな気持ちを抱くのもおかしくはないだろう。

 差し迫った緊急連絡ではないにせよ、こうして呼び出されたのは事実なのだから、裏を読みたくもなるが、相変わらずの笑みが表面に浮かんでおり、そんな内心を察することはできない。

 三日前はこちらから場所を指定したが、今回は相手からここ、喫茶SnowLightを指定された。あまり立ち寄りたくはない場所ではあるし、懐中時計を懐から取り出せば時刻は二十一時になろうかとしている頃合いだ、閉店まで一時間はあるとはいえ、好ましくはない。

 それなりに急いだので袴装束のままだったのを気にしつつも、中に入ると激しいロックがステレオから流れており、ちょうどディスクが一枚終わったのか、すぐに妙な静けさと、大型スピーカーから洩れる残留ノイズが耳につく。

「いらっしゃいませ」

 黒のエプロンをした鷺城鷺花が定型句を言い、それに対して小さく会釈をする。視線で誘導された先、道路が見える位置のテーブル席に座った二人の男性がこちらを見て軽く手を挙げた。

「酒を出してる?」

「馬鹿言うんじゃないの」

「じゃあ適当に、彼らと同じものでもいい。悪いけれど鷺城さん、場所を借りるよ」

「はいはい。なにか聴く?」

「趣味じゃなくてね」

 男性としてはやや背が低く、また線も細いのは、茅を含めた三人に共通している部分だろう。癖が酷い髪の毛をした男は嬉しそうに立ち上がり、茅が傍に来るまで待ってから、軽く握った拳を前に出した。

「久しぶりだなあ、親父!」

「やあ、シルヴァン。元気そうで何よりだ」

 同じく、茅も拳を軽く当てる。猫族と呼ばれる異種族の血が混じったシルヴァンは、爪そのものが武器になるため、収納していても鋭いことに変わりはなく、握手やハグなどの挨拶を好まないため、いつだってこうして拳をぶつけ合っていた。

 親父。

 彼は団長ではなく、育ててくれた茅のことをそう呼ぶ。こうして親しむことは珍しいことで、団の中では彼だけだったはずだ。今はどうか知らないが。

 もう一人は――相変わらず、笑みを浮かべている。

「リレラは、久しぶりってほどじゃあないね」

「まあね。でも、久しぶりに参ってるのは確かだ」

「やっぱり別の本題があるわけだ」

「すまないね」

「いや、そいつは俺が言うべきことで、リレラさんが――」

「何を言ってるんだシルヴァン、僕だって先輩だ。そして、後輩であるシルヴァンの責任は先輩の俺の責任だ」

「話が見えないよ――いや、見えてはいる。直接、詳しく聞かせてくれ」

「でかいミスがあってね、棺桶屋は、散ったよ」

「すんません」

「謝罪はいらないよシルヴァン、傭兵団なんてのは、遅かれ早かれ、いずれ散るものだ。ほかの傭兵団に比べて、棺桶屋はよく続いたものじゃないか。そこは誇るべきところだよ。けれどだ、いいかな」

「なにか……?」

「お前の後輩はどうした」

 その声色に、シルヴァンの背筋が伸びる。昔、黙ったまま戦闘訓練が終わった頃に、ようやく口を開いた時はいつだって、こんな声色だった。びくりと身を震わせるほど怖く、重圧を感じるのは変わらない。だがそれでも、彼は正面から受け止めて言った。

「――五日間、行動を共にして、関係筋に預けました」

「うん、ならいい。僕もまた、君を育てたことを誇りに思う」

「……ありがとう、ございます」

 親父に認められた――その事実に軽く目頭を押さえたシルヴァンは、深呼吸を二度ほどして感情を落ち着かせる。昔から感情が揺れやすく、昔の自分を見ているようで不安ではあったのだが、どうやら茅の教育はきちんと成果が出ているらしい。

 過酷な逃亡劇だったのだろうことは、予想もできる。そして、逃走後であっても五日間は安全確認のために、自分が育てていた後輩の傍にいた。それは、本心から、嬉しいと思えることだ。

 けれど。

「リレラ、被害は?」

「ん? ん……チガー、黙ってるわけにはいかないか」

「僕を仲間じゃないと切るなら、いいよ」

「できるわけがない、酷いね。……姉さんが、全てを担ったよ」

「……そうか。なんだろう、悔しさもあるし、悲しくもあるけれど、僕は、なんだか嬉しいよ。棺桶屋は身内贔屓だ、なんて言われていたけれど、それを今、僕は良かったと、そう思えている」

「僕もだよ、チガー。ただ、埋葬してやれないのが残念だ」

「そうだね。――いつ?」

「十日前になるのかな。僕は単身でこっちに来ていたから、情報が随分遅れたよ。コンタクトができたのは、ちょうどチガーと話をした翌日に、シルヴァンがこっちに来てからだ。世間的にはもう沈静化していたし、どうやら残党狩りをする軍部もない。というか、ほかの傭兵団が僕たちを排除する動きだったらしくて――そこに感付くのが遅れた結果だよ」

「……通達はした?」

「必要ない、と僕が判断した。姉さんは彼らを逃がしたんだ、それは生きろという意味だと、仇討など考えるなと、そう仲間は受け取るに違いないと、そう思ってる。もちろん僕も望んでなんかいない」

「そうか。……やりきれないのは、みんな一緒だろうね。団長が亡くなった時とは、また状況も違うし」

「再編をするつもりはない。これは古株である僕の考えだけれど、チガーはどうかな」

「半分は抜けた身だし、賛成するよ。一番若いので何年だったかな、シルヴァン」

「二年だ。俺の後輩がそうだったから」

「うん、ならば一人で生きていける。戦場じゃなくたって、職場はある。お互いに連絡しなくても、生きてさえいれば、また逢える」

「一応、プールしていた金はそれぞれに分配しておいたよ。さすがに当面の生活費は必要だろうからね。口座の特定まではされてないだろうと、そう思うのは楽観かな?」

「緊急時の資産扱いは教えてあるんだろう? きっと大丈夫さ」

「それでだ、まあその報告もあったんだけれどね、この国はチガーの母国だろう? 僕たちみたいなのは、生きやすいか?」

「難しいことを聞くね。僕程度の実力者なんて、ごろごろいるよ」

「親父のレベルが……!」

 ふうんと、そんな声が頭上から放たれ、慌てたようにシルヴァンが振り向き、一瞬だけリレラの動きも停止する。もちろん茅も、いることはわかっていたが、さすがに動揺を抑え込むのに必死だった。

「あ、ごめん、お待たせ。珈琲ね」

「……?」

「ああ、シルヴァン、気にしなくていい――って、何をしてるのかな、鷺城さん」

「へ? うん、まあ、話しを続けていいわよ」

 手近なテーブルの椅子を掴むと、背もたれを正面に向けるようにして腰をおろし、組んだ腕をその上に乗せた鷺城鷺花は、自分のぶんの珈琲を手元に寄せた。

「チガー、紹介してくれるかな。ステディな関係じゃないのはよくわかった」

「彼女は――」

「鷺城鷺花よ」

「――という名前で、……化け物だよ。この人に挑むくらいなら、ホワイトハウスの核発射スイッチを探し出す方が難易度が低いくらいだ」

「恐ろしい人なのはわかるよ」

「さっきから逃げろって、頭の中で鳴ってんのな、俺。なんでだ……? さっきは全然、そういう気配すらなかったのに」

「センスがあるわね、その子。話はだいたい聴いてるし、情報も流れてきてたから、余計なお世話でもしようかと思って」

「情報って、鷺城さんのところに?」

「ある程度は仕入れるわよ」

「サギ――うん、サギでいいかな?」

「どうぞ」

「サギは僕たちの素性も知っているみたいだ」

「現役の時から傭兵団の名前と所属してる人間は、全員覚えてたわよ。こっちにあんた、リレラが来た時からは一応、追ってたし」

「チガー、なあチガー、この国の人間は、こんなことを当然のようにしてるのかな?」

「まさか、冗談にしてくれ。鷺城さんが特殊なだけだよ。それより、余計なお世話って?」

「就職先、斡旋しようかって話よ」

「僕はまだサギのことを信用できていないよ」

「じゃあセツでも連れてきましょうか? あのクソッタレなら、悪口を十五分も言ってりゃすぐ来るから」

「――」

「……? リレラさん?」

「いや、すまない。ただ……僕は今さら、どんな顔をして」

 どうもこうもないわよと、呆れたように鷺花がため息を落とす。その意味には誰も気づかず、ただ、背後からリレラの頭に誰かが手を置いた。

「よお、でかくなったな、てめーは」

「――っ」

「躰だけじゃなく、一人前になったじゃねーか。どんな顔をして、なんてくだらねーこと言ってんじゃねーよ」

 その小柄な少女は、リレラの頭を掻きながら、言う。

「生きるために生きろ、それしか教えてねーのに、リレラも、レリラも、生かすために生きるようになってんじゃねーか。それでいいんだぜ」

「……そうか、僕は、これで、良かったのか」

 顔を上げる、それはいつもの笑顔で、けれど、瞳の端から雫をこぼしながら、振り向く。

「――セツ、僕は、生きているよ」

「おう。つーかてめー、男がそう簡単に泣くなって教えただろーが」

「はは、簡単じゃないさ。あれ以来、初めてだよ」

「久我山の、ちと借りてくぜ。おらリレラ、こっち来い。サギ、オレはフリーランスな」

「ばぁか、酒はないって言ってんのよ」

「わかった。じゃあ酒に似た何かで頼むぜ」

 まったくと、立ち上がった鷺花は腰に手を当てた。

「茅、必要なら鈴ノ宮に連絡を入れなさい。私からはもう話を通してあるから」

「その時には、そうするよ。――どうかしたのか、シルヴァン」

「……驚いた。俺、リレラさんがあんな感情を表に出すの、初めて見た」

「彼だって人間だよ。それに……まあ、僕は知っていたけれど、彼女はリレラが昔に拾ってくれた恩人のようなものだからね」

「俺にとっての親父みたいな?」

「同じじゃないけれど、近いよ。それに、随分と逢っていなかったみたいだ……と、それはともかくもシルヴァン、これからどうするつもりだ?」

「まだ、わからないですよ。俺は、俺にできることを今までやってきた。そうありたいと思ってきたんで、どうだろう。仲間のためにできることがねえなら、やっぱ自分のために何かやった方がいいとは思ってるんだけど」

「この国のルールも、まだわからないのが現実か」

「それもある。サギさんが親父に言ってた、鈴ノ宮……とかってのは、なんかの組織か?」

「組織とは少し違うよ。なんだろう、仕事としては荒事もあるし、書類仕事もある……はずだ。ルールを守れば安全は確保されて、その対価として仕事をする? なかなかうまい表現が見つからないな」

「寄り合い――ではないんだな?」

「違うよ、頭もいる。野郎は元軍人なんかが結構集まってるね」

「ははは、軍人の中にいちゃ、俺みてえな傭兵はまずいでしょう」

「そうでもないよ? 元海賊もいれば元盗賊もいるし」

「――は?」

「ああ、そうそう、黒の蛇に所属してた元傭兵もいたかな」

「なんなんだ、そこは……」

「僕も繋がりはあるし、鈴ノ宮は魔術師の家名でね――うん、そうだね、見学ができるよう手配することもできる」

「じゃ、頼みます。仕事がどうのってのは別にして、興味がある――と、すんません親父、俺そろそろ行きます」

「構わないけれど、どこに?」

「宿は取ったが、携帯端末の契約がまだなんで、今日中に済ませときたいんですよ。リレラさんとは同じ宿だから、そっちに連絡入れておいてもらえるか? 俺から折り返すんで」

「いいよ、そうしよう。わかっているとは思うけれど、しばらく二十三時を過ぎたら出歩くことのないようにね」

「それ、リレラさんにも言われたよ、わかってる。じゃあ親父、また、今度は近いうちに」

「その時はちゃんと酒でも飲もう」

「安い酒なら」

 お互いに笑いながら別れると、すぐに鷺花が戻ってきて、今度は茅の対面に腰を下ろす。そして肘を立てて頬杖をつくよう、僅かに顔を寄せた。

「聞く?」

「頼むよ」

「詰まらない、毎度のこと。ただ規模が大きかった。スプリングロールの一人が裏切り、身を隠すために頼った馬鹿が、痕跡を消すためとか言って情報操作。結果として棺桶屋を四つの傭兵団が攻撃、排除の動き。その結果は聞いての通り、今のところレリラって女の死亡は裏が取れてる。それ以外は聞かない」

「……」

「ただ、裏切りが発覚してスプリングロールが三つの傭兵団に殲滅させられ、残り三つに関しては沈静化。もう拠点をそれぞれ移してる。お互いにもう顔を合わせない約束もあるみたいよ。で、――悪いけれど」

「うん? 悪い?」

「そう。べつに私が謝罪する理由はないのだけれど、裏切った馬鹿と扇動した馬鹿、そこに協力した馬鹿は兎仔がもう処分してる」

「――いつ?」

「七日前に済ませて、戻ってきてるわよ。あのへんの動きは〝槍〟も探っていたから情報が早くてね、メイリスと二人で組ませた。ああ、言い方はこうだけど、私の指示じゃないわね、これも」

楽園の王キング……かな」

「そうよ。何人かでフォローも回してるから、生き残りは全員、どこかしらの場所で新しい仕事を見つけられるでしょうね。――わかってるとは思うけれど、オフレコよ。末席とはいえ、あんたも槍だから教えてるだけ」

 それと、そう言って苦笑した鷺花は付け加える。

「黙ってると、茅の場合は報復行動に出そうだから。言い訳は、そうね、気分が晴れるからってところ」

「お見通しか。いやいや、僕だってそんなことはしないよ。今は違う意味で、鍛錬の最中なんだし、そう勝手な動きはできないさ」

「言うじゃない」

「言うよ。だって僕は、シルヴァンが生きていて、あいつの後輩を助けたと聞いた時に、本当に満足だったんだ。それ以上を求めるのは手に余るよ。けれど、まさかキングが関わっているとは思わなかった」

「理想的な傭兵団の条件はね、長く続くことよ。ただそれだけの仕組みが評価される。おもちゃに対する愛着にも似てるかしら。それに、レリラとリレラがそうだったように、セツが関わっていて、茅も槍にいるんだから、気にして当然――ってのが、私の見解よ」

「そうか。もし機会があったら感謝を伝えておいて欲しい。もちろん、叶うのならば、僕がしたいものだけれど」

「気にしないでいいわよ。ただまあ……あんたもいよいよ、これで傭兵とは縁が切れたわね」

「うん……少し、淋しいかな。それでも僕は僕だ、変わらないよ。負い目もあるしね」

「――しばらく、子供の世話でもしてなさい。雨天には私から言っておくわ」

「ありがとう。……ああ、僕も実家に戻らないとなあ」

「なに、あっちから来たのね。芽衣も一緒?」

「今日下山したばかりだよ」

「そう。芽衣は、魔術も教えている?」

「うん? いや、教えていないよ。使わせているだけだ」

「……確か、言術を使うのが一人と、魔術が二人いたわね」

「そうだね、いるよ。一人はエスパーだ」

「だったらその三人、十日くらい鈴ノ宮にぶち込んでやりなさい。私がそう言っていたと、芽衣に伝えれば、あとはあいつが手配するだろうし」

「わかったけれど、いいのかな?」

「いいのよ。前線に出る世代が出遅れているようなら、――尻を蹴飛ばすのが」

 私みたいな立場の人間なんだからと、鷺花は小さく笑った。

 田宮たちには申し訳ないが、鷺花から見れば茅もまた同じ扱いなのだ。こればかりはどうしようもない。

 ただ。

 古巣を失って、妙に空虚なこの感覚は、しばらく消えないのだろうという予感がある。

 だから、大事にしよう。

 いつか消えてしまうのならば、消えない内は、そっと抱いておけばいい。

 引きずられないように、前を向いて、それでも。

 それでも茅は、感情を失ったわけではないのだから。


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