08/31/16:30――田宮正和・男湯の雑談

「え? なに、ここ、お前の実家なのか?」

 まあねと、泡が出る湯船に浸かった茅は、田宮の言葉に肯定を示す。熱い湯が苦手な佐原は、縁の部分で両足を入れているだけだ。

「最近までずっと近寄ってなかったし、一人暮らしもしてるから。ちなみに、ここの女将は僕の五倍くらいの実力は持ってるから、気を付けた方がいいよ」

「いや、よっぽどないたずらでもしねえ限り大丈夫だろ……」

「僕たちは二度目の利用だ。以前も朝霧殿の訓練だった」

「聞いてるよ。しかし、田宮くんも佐原くんも、芽衣の訓練で音を上げないなんて、度胸があるね」

「一定ラインを越えた辺りから、音を上げたら負け、みたいに思えている」

「はは、なるほどね」

「茅、ちょい踏み入るから適当にぼかしていいけど、お前の仕込みってのは誰かに師事してたのか?」

「久我山は武術家なのだから、実家での鍛錬ではないのか?」

「お――キチョウ、そっちはいいのかよ」

「ああ、塩化物泉はあまり慣れん。だが切り傷にはなかなか利くからな、しばらく浸かっておくのもいいだろう」

「僕の実家はここだよ。でも、昔はまあ、母親や本家の大将に師事されてはいたかな。でも――そうだね、たぶん、師事した相手と言われて思いつくのは、僕を拾ってくれた女性かな」

「拾う?」

「その人は傭兵団の古株でね、僕は彼女に育てられた。生き残るための基本から、仕事を遂行するために必要な技術――簡単に言ってしまえば、僕は武術家として糸を持つことを教わってから、糸を扱う術を彼女に教えてもらったってことかな。実戦が多かったけどね」

「傭兵って……あー、あれか、兎仔ちゃんが学校にきた時、最初の内は妙に嫌な顔してたの、そういうこと?」

「ははは、兎仔さんは、同族嫌悪……とも違うけど、ほかにも理由はあるよ。田宮くんの言うことも間違いじゃないのは確かだ。何しろ、兎仔さんがいた軍部と衝突したこともあるからね。お互いに同僚を殺されれば、険悪にもなるだろう?」

「それは……」

「つーか、そんな感覚もわかんねえよ」

「いいだろうか」

「何かな、鬼灯くん」

「最近はよく耳にするが、それほどまでに戦場というものは、経験値が増えるものなのか? もちろん、想像はできるが、あくまでも想像の域から出ん。うちの学科に顔を出す〝炎神レッドファイア〟エイジェイに言わせれば、戦場に慣れることが最大の防衛行動だ、とのことだが」

「どこまでを慣れとするかは言及されていないようだけれど、経験値は増えるよ。とても増える。何しろ、ともすれば己の命を落としかねない状況なんだ――いや、そんな状況が戦場なんだよ。だから、そうだね」

 勘違いを訂正しておこうと、茅は笑って言う。

「そんな戦場から帰ってこれた実力を持っている――こう考えたいんだろうけど、実際はそうでもない」

「戦場では何よりも運が左右する……と、朝霧殿が言っていたな」

「そう。けれど、だからって実力がなければ死ぬだけだ。たぶん、エイジェイが言っている慣れっていうのは、運に左右されない状況そのものだと思うよ。幸運、不運という要素を排除しても、いや不運であっても生き残れるだけの実力。そこに境界線はないと思いたいけれど、目安としては、二年くらい戦場を身近に置いて生き残っていれば、僕くらいにはなれるよ」

「二年かあ」

「あの時……茅さんに対して、逃げることもできずに怯えていた僕は、想像もできない」

「いやいや、命がけになれば、なんとかなるってこともあるさ。それに、だからこそ、僕は止めておいた方がいいよと言いたい。一足飛びに経験すると、基礎が疎かになって良いことなんてないよ」

 それにと、茅は言う。

「君たちはチームだ。僕には、そう見える」

「それだ。佐原とも話してたんだけど、俺らはチームでいいのか? そりゃお前にも仲間がいるんだろうけど、なんつーか俺らから見たら、やっぱ一人なんだよ」

「そう見えているなら嬉しいよ。僕なんかでも、一人でいるのだと、そう見られているのならば、それは――甘受すべきものではなく、けれど否定すべきものではなく、僕がそうなれると、そんな指針にも感じるからね」

「……違うのか? 僕からもそう見えるけれど」

「断定はしないけれど、なんだか芽衣に近すぎるゆえの弊害かな。田宮くんは兎仔さんも、だけれど――いいかな。補い合うのは当たり前のことだ。専門分野があっても、得手不得手が存在するのも、自然なことだろうと、僕は思うよ。自分ができないことを誰かがやってくれるのなら、それは喜ばしいことだし、けれど任せきりにはしない。背中を守る誰かがいるだけで、負担は軽くなる」

 ただ、芽衣は違うのだ。

「あるいは僕も。いや、僕が目指しているものが違うのかな。チームを組んでいることを笑う連中は、チームの一員にすらなれないクズだ。けれどね、芽衣が――いやいや、僕が目指しているところは、そもそも、専門分野を持たないことだ。極論を言えば、不得手が存在しない領域に行くこと。それはつまり、補助を必要としない――それが、一人で在ることだ」

「目指してる領域が違うと、そう言いたいわけか。それはいわゆる、二日前の夜に朝霧が言っていた、ランクCとランクBの間に存在する境界線のようなものか?」

「ああ、その表現は的確だね、鬼灯くん。目指しているところが違うんだから、指標にするのは――どうだろう、間違っているとは言わないけれどね」

「そもそも、俺らとお前と、なんでこんなに差があるんだ? そりゃ生き方っつーか、経験っつーか……」

「いや、実際にはもっと簡単だよ。僕は今、こうなるように生きてきた。田宮くんたちは、今からこうなろうとしている。ほら、どう考えても差が生じるのは、自然だろう?」

「あー、そういうことかあ。そりゃ、差があるわな」

「そして経験に一足飛びはなし、か。ためになる話だ」

「やれやれ、男が四人も揃っているのに、女性の話にはならないもんだね? 堅苦しい話題よりも、そっちが先じゃないのかな」

「む……そんなものか?」

「って俺を見るなよキチョウ」

「僕は苦手意識の方が強いから」

「佐原も何気に逃げやがって! いいか、俺には心に決めた女性が――」

四十物あいもの花刀かたなさんのことだろう? いい加減、振られ続けているんだし、そろそろいいんじゃないかな、田宮くん」

「え……っと、なんのことデスカ」

「あれ? 気付かれていないと思ってた? 花刀さんだって気付いてるよ、女性避けのためにあえて花刀さんに惚れてるって態度を作ってるだけ、ってことに。今の田宮くんなら、そんな警戒は必要ないと思うけどな。最初は、狩人志望だから、傍に寄ってきた相手を危険に巻き込みたくないってことだったんだろう?」

「あの、それは、つまりだな、その」

「まあ、花刀さんが知ってるってことも踏まえて、だからこその判断だろうけどね」

「……俺、なんか勝手に暴露されてね?」

「この中じゃ田宮くんが一番付き合いが長いしね。鬼灯くんには鈴白さんがいるし」

「いや、すまんが俺は鈴白と付き合ってはいない。女性であることを忘れたことはないが、付き合っているわけではないからな」

「それは家族みたいなものかな、鬼灯さん」

「いやいや、それは違うよ佐原くん。家族じゃないさ」

「う……む、そうだな、家族といって顔が浮かぶのは憎らしい連中ばかりだが、あやめは違う。云うなれば他人だ」

「え、あ、すみません、言葉が足りなかった。家族ではなく、親しい相手ということに間違いはないのかと、そう訊けばよかったのか」

「そうだな、親しい間柄ではあるだろう。――俺は何故かあやめに怒られることが多い」

「鬼灯くんのことだ、自覚していそうなものだけど、言わぬが花かな」

「そう思うなら言うな」

「つーか、そういう茅こそ、芽衣とはどうなんだよ?」

「え? 今は他愛ない駆け引きを面白がっているところだよ? むしろ、今夜どうだと誘われたら、どんな裏があるんだと疑いたくなるね。もちろんそれは、芽衣もそうだろうけど」

「なんだその駆け引きとは」

「うん? 僕の趣味で選んだ下着を渡しておいて、たまに顔を合わせれば今日の下着はどうしているんだと訊ねる感じかな。二人きりでデートすると、硝煙の匂いがする場所に連れて行かれそうだし、まだその前段階だ」

「駆け引き、なのか……?」

「キチョウ、たぶんこれ違うぜ」

「よし、じゃあ田宮くん、風呂から上がったら芽衣を除いた女性陣の誰かに訊いてみるといい。今日の下着は何色かってね」

「ただの変態じゃねえか!」

「何色の救急車を呼べばいいかって問われれば、気が合っている証拠になるよ」

「どんな色の救急車がここに来るんだよ!? そんな意志の疎通なんてしたくねえ!」

「なるほど、そういう理屈なんだ」

「ああ、確かに駆け引きになっている」

「お前らも納得してねえで助けろよ!」

「どう助ければいいかわからない」

「そもそも面白いので止めようとは思わん」

「最初から助け船を出そうとは考えていなかったなあ。でもまあ、僕は女性で身を崩した野郎は何人か知っているし、軍部じゃベッドの中が一番情報が漏れやすいと言われてるくらいだからね。うん? いや、逆に言えばこんな状況だからこそ、気軽にできるんだからやってしまえと、そう言った方が助言になるのかな?」

「知らねえよ、俺の方見て言うな」

「田宮くんに言っているんだから、仕方ないじゃないか。無茶を言うなあ……あ、ちなみに、女性に対して、月が綺麗ですねって言葉を使う場合、玉砕を前提じゃないと意味がないって話」

「漱石だったか」

「さすがに、鬼灯くんはすぐわかったね、そうだよ。なんにせよ意思表示ってのは難しいからね、相手に合わせるのか相手に合わさせるのか、そこが問題だ。田宮くんの場合は、なんていうか結構弱気だよね。冗談とか、軽い状況なら良いのに」

「うるせえよ。どうせ俺はお調子者だよ。一人を相手にするより、大勢でわいわいするのが好きなんだよクソッタレめ」

「いいじゃないか、画面の中に彼女がいるよりはよっぽど良い」

「そんなのと比べんなよ! いや知り合いにいるけどさ!」

「あはは、田宮くんのクラスは、変人が集まってるからね。ちなみに田宮くんは、受けと攻めとどっちの派閥が多いの?」

「温泉の中で怖いこと言うなよ!」

「……? よくわからないけど、田宮さんはいつも楽しそうだ」

「それは俺も同感だ。ちょっと落ち着いたらどうだと言われたことはないか?」

「それこそうるせえよ!」

「切り替えはできているんだけどね……おっと、電話だ」

 温泉の縁に近づいた茅は、念のためにと配備しておいた零号剛糸〝ファントム〟を使って、脱衣所から携帯端末を引っ張る。小さな音を鳴らすそれを勢いよく手元に飛ばして受け止めた。

「防水だから大丈夫だよ」

「いや、んなこと訊いてねえし。……思ったけど」

「ん……――はい、待たせたね」


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