07/13/17:20――朝霧芽衣・通称はネボスケ

 その日、学校から寮へ戻ると、ガレージが半分ほど開いていた。六六は車を持っていなかったようだし、私はてっきり物置になっているのかとも思ったが、ふらりと中に入るとつなぎに軍手を装着した転寝夢見が、油で汚れながら単車の整備をしていた。

「――? 朝霧、帰ったか」

「うむ、今戻った」

「あんま近寄るなよ、汚れるぜ。簡単に落とせない汚れを好むのは、自虐趣味だけで充分だ。今時、深い傷だって男の勲章にはなりゃしねえよ」

「大型だな。しかもカウルつき、スポーツタイプか……転寝が転がしているわけではないんだろう?」

「姉貴の単車だ。オーバーホールはいつだって俺の仕事。いつの間にか専属の磨き屋だ、手にするのが研磨剤だけで済まない辺りが面白い」

「やはりそうか。昔、ライザーが転がしていた裏に乗ったことがある。似たような形状だったのでな」

「姉貴なら中にいるぜ。今頃、リビングで寝てんだろ」

「そうか」

 それは面白いと、私は口元に笑みを浮かべながら寮の中へ。鞄は玄関に置いてリビングに顔を出せば、小さく丸くなって彼女は寝ていた。

 ――いや、少し違うか。

 ぱっと見れば寝ているが、ライザーの場合は熟睡できないが故に、半分意識を残しながらも、うつらうつらしているだけだ。私の侵入にも気づいているが、あえて気付かないように振舞っている。これがほかの場なら、こんな姿も見せないのだが、つまり無防備ではない、ということだ。

「ライザー、おい起きろネボスケ。襲うぞ」

「んぅ……うるっさあい」

 酷く間延びした声と共に、ごろりと背もたれ側に顔を突っ込む。

「納品なら二日前に済ませたじゃんかあ……次の仕事はしばらく受けないって言ったんだから、忘れな――」

 そこまで言って、ぴたりと躰を停止させたライザーは、ゆっくりと上半身を起こして私を見た。寝ぼけた瞳ではない、既に覚醒して私を認識している。この切り替えもまた、彼女の持ち味だ。

「――メイじゃんかあ」

 残念ながら、この間延びした声は変わらないのだが。

「久しいなライザー、私のことは聞いていなかったのか? しかも貴様、ライザーではなくシェスタだというではないか」

「あーうんー、私はほらあ、前にここ使ってたし……今は部屋ないけど、花刀がいるじゃんかあ」

「ふむ。どうしてそこで転寝の名前が出ないのかは謎だが」

「夢見はほら……厳しいし」

「厳しい? 姉の貴様がそんな態度だからだろう。だが私から見るに、身内にはいらん苦労を背負わされるタイプだ、そんなものかもしれんが。仕事は一休みか?」

「うんそう。でっかい仕事はしばらくなさそぉだったし、休暇もたまには取らないとねえ」

 丸顔でこの口調、柔らかい雰囲気を持ちながらも、私を見る瞳が氷のように冷たい。なにかを探ったり、文句があったり、特に仕事の時はいつだってこんな視線を受けていた。

「メイは?」

「解体騒ぎに一枚噛んでいてな、一時的な宿としてここを借りている。今はいろいろ遊びながら、セーフハウスの契約をこっそりと水面下で進めている最中だ――ふむ」

「げ……」

「ん? どうしたライザー」

「条件反射。メイが腕組んで頷いた時ってさあ、なあんかヤなんだよねえ」

「悪巧みというほどではない。起きたのなら私の部屋だライザー、少し聞きたいこともある。ちなみに三〇四だ」

「あいおー」

 返答があった直後、姿が目の前から消える。移動したというより、いなくなった――のだが、予備動作もなければ魔力波動シグナルすら感じない。まったく、ESPでのテレポートはこれだから厄介だ。

 六六に一応、ライザーの夕食の準備はあるのかと聞いたところ、作っているとのことだ。その確認だけして、私は自室の扉の鍵をあけて中に入ると、ベッドの上にちょこんと座って待っていた。

 鍵も必要のないテレポート。分解から構築ではない、空間転移ステップに限りなく近いのだろうけれど、どちらかといえば存在律レゾンそのものを移動させる方法に近いのではないかと、私は睨んでいる。

 鞄を置き、隣のキッチンに配備されている冷蔵庫からお茶を取り出して、それを放り投げて渡す。それから、テーブルに設置してあるノート型端末を稼働した。

「――で、なに?」

「なんだ、もう目が醒めたか。どうせなら三発くらい撃ちこんでやろうと思っていたが」

「仕事モードに移した方がいいかと思って」

「私の方は冗談だ、それほど切羽詰った話ではない。以前はあまり詳しく聞けなかったが、熟殿には時間がなかったようなのでな。そもそも、ESPは感覚で扱うものだと聞いてはいるが、実際にはどんなものだ」

「その前に。なんで?」

「対策を考えるのは基本だろう。加えて、私が育てている小僧が、どうもESPを使えるらしくてな。まだ見ていないし、どうなのかはわからんが、知識を仕入れておいて損はない。今週の土曜、できるのならお前に試して欲しいものだ」

「んぅ、たぶん仕事なかったと思うけど……」

「海辺でのバカンスだ。そのあとは温泉だな」

「いいねえ。でも、実際には……かあ。感覚というか、イメージ。これが人によって違うんだけどねー」

「ふむ。察するに、行使する際に安定させるため、何かしらの形状をイメージすることで、透明なものを器に入れるというか、制御しているのか?」

「うっわ、メイってそゆ理解がおかしいよなあ……」

「そうか?」

 鷺城との会話では当たり前どころか、昔は馬鹿にされていたので、そうは思わないのだが。この辺りの理解力や発想に関しては、どちらかといえばエッダシッド教授から学んだ部類かもしれない。

「うむ、そうであったところで鷺城ほどではないな」

「――ちょっとぉ」

「なんだ、急に泣きそうな声を――おいライザー、目端に浮かんでいる涙はなんだ。情緒不安定な時期に入ったか? マタニティブルーならば対処のしようもあるが、コントロール・ブルーに関連する青色ならば畑違いだと言うが」

「なんでサギの名前が出るのよぅ」

「私と鷺城が友人だから、だが……なんだ、そんなに嫌な相手なのか?」

「逆らえないんだもん、あの子!」

「そう、か……? 私はあの女に逆らうことは、ふむ、ぱっと思いつかないな。利害が一致する場合が多いし、どちらかと言えば私の言葉に嫌だと否定されることは、あるな。はは、とはいえざっと十年ぶりに、最近逢ったがな」

「え? っていうと、槍の教官やってた頃の知り合い?」

「いや――おそらくその前だ。時系列を追うだけで、足跡までは調べていないが、一年ほど殺し合って技術を磨いた間柄なのでな……おい、だから泣くな。話が続かん」

「あ、うん、ごめん……」

「良い歳した女がマジ泣きするな、貴様はラルか。いや、あの女はヒステリックに喚くほうだが」

「ふぇ……もぉやだあ。明日ラルと飲むのきっと愚痴だあ」

 だから何故、そこで泣く。わけがわからん。

「で? お前のイメージはなんだ」

「うん、あのね、手でね」

「――なるほど、上手いな。手ならば持って移動することも、殴ることも可能だ。汎用性は高い。高いが……そのイメージにはおそらく、個人特有の把握方法があると見るが、そう簡単に変更できるものでもないな?」

「そぉだねえ、強引な変更は不具合あるし、相性とかもあるし」

「となれば、最初にそれを確かめるのが妥当か……ふむ。よしライザー、次の土曜日は朝から空けておけよ。いくつか条件は出すが、試してくれ。田宮と言えば、ラルが知っているから聞いておくように」

「はあい……うぅ、なんで逆らえなくなったんだろ……」

「泣き言なら私のいないところで言え。だいたい、ESP対策をしたいから私と一戦交えろと要求しているわけではあるまい」

「んぐっ、ヤ、それはヤだ!」

「一度試してみたいと思っていたのだが……しかし、私の感覚で言えば転寝、貴様の弟の方がよっぽどESPの扱いが上手いと思うのだがな」

「せ、正解だけど、本当にどんな感覚してんのよぅ。でもESPは、暴走の危険性を常にはらんでいるものだから」

「感情が高ぶるのと同様に、か?」

「そんなもの。超えるのも過ぎれば、手に終えなくなっちゃうじゃん。私も経験したことあるし」

「幼少期か?」

「えっと、どうして?」

「加減を知らんのは、せいぜいそのくらいだと思ってな。あるいは初回での使用だろう。限度を知っているとすればそれは、ESPに限らずとも、一度は爆発したことのある者だけだ。もっとも――例外は、あるが」

「そうだけどぉ……」

「その不満そうな顔はなんだ貴様」

「理解力が高いと、ぜんぶ見抜かれてるみたいでヤだ。あと、便利に使われてるみたいですっごくヤだ」

「ガキみたいなことを言う……まったく、ラルもラルだ。飲みに行くならどうして私を誘わないんだ。ちなみに場所はどこだ?」

「それ、教えなきゃ駄目かなあ」

「それはつまり、今から調べ上げて当日に合流するサプライズが必要だ、という催促と受け取って構わんか?」

「……」

 ぴたり、と停止したライザーは、どうやら超高速思考でどっちが自分にとって被害が少ないかを考えているようだ。どうしてそこまで真面目な反応をするのかが、よくわからない。冗談だろうと笑ってくれれば、話はここで終わりで、あとでこっそり私が調べるのだが……。

 むしろ、探られてたまるか、くらいの気概はないのか、こいつに。

「……一緒する?」

 やれやれだ。

「あとで場所を教えろ、時間が空いたら行ってやろう」

「え? いま暇じゃないのお?」

「時間を作るのは得意だ。よくストレッチもしている――ん? 入れ!」

「えらそうに……」

「芽衣? 私だけど――あ! やっぱりいた!」

「やっほー、花刀」

「やっほー、じゃありません! まったく、ユメに聞いて真偽を確かめてみれば、本当にいるし! いいですか午睡まどろみ先輩、来るならちゃんと連絡してくださいよ! いっつも私の部屋で寝るんですから!」

「ふむ」

「い・や・だ! 花刀の部屋で寝る!」

「私の言葉を先読みするとは、賢くなったものだな……」

「まったくもう……じゃあ準備しておきますから」

「お願いねえ」

 冗談だ、と付け加える前に否定されるのも癪だが、まあいいか――などと思っていると、妙に冷えた視線を送られる。

「なんだ」

「まさか、ガキを育てるためだけに、野雨に留まるなんて馬鹿なこと、言わないよねえ?」

「理由がないと不安なら、お前が逃げればいいだろう?」

「運び屋が先に逃げてどーすんのよぅ」

「なんだ、本当に仕事はしばらく休みか」

「き、急な仕事が入らなければ……サギとか、メイとか」

「休暇中だからと断ればいいだろう? ――なんだその悔しそうな目は。言っておくがな、鷺城もおそらく、そうだろうとは思うが、私は自分ができないような仕事を他人に回すような真似はせん」

「え、じゃあなんで仕事回すのよぅ」

「お前を試す場合もあるが、大抵は時間的な問題だな。優先順位の問題でもあるが。それともなんだ、お前の仕事を奪って、役立たずだと自覚したいマゾヒストならば、これから喜んで私は仕事を代行してお前の居場所を失くしてもいいが? それくらいのことをやる余裕もある――」

「やめてぇ!」

「だから冗談だ、泣くな。いい歳した女が本気で泣きやがって……そんなに泣き虫だったのか貴様は」

「メイが泣かせてるんじゃんかよぉ……」

「張り合いのない女だ。さて、訓練スケジュールを作る間、話し相手になれよライザー。一人で黙黙とやってしまうと、作業が早く済んでしまうからな」

「それっていいことなんじゃ……」

「なにか言ったか?」

「べつにぃ」

 こんな女が、仕事だけはきっちりやって、それなりに名の売れた運び屋なのだから、世の中どうかと思う。……お前もだ、と鷺城ならば言いそうだが。


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