06/28/08:30――朝霧芽衣・生活必需品

 生活必需品といえばなにか? この問いに対し、携帯端末だと答える日本人は九割以上を占めるだろう。

 日本人が通貨を持ち歩かなくなったのは、随分と前、もう四十七年ほど前になる東京事変により、東京一帯が立ち入り禁止区域となった頃からだ。主要都市である東京が壊滅するに当たり、今では名古屋を都庁として定めて動いている日本だが、随分と当時は混乱した。しかし、二村と呼ばれる政治家が台頭して混乱を修めた――と、これを続けると歴史の話になるので割愛しておこう。

 ともかく当時に、未曽有の危機に瀕した日本から世界に対し、新しい通貨を要請した。それは二〇一一年当時でも利用されていた電子通貨そのものを、ラミルと呼ばれる通貨単位として申請。それはいくつかの手順を経て許可され、今では世界基準として使われている。

 世界共通通貨単位ラミル

 もちろん、今でも日本円は使われているし、日本人はこちらの単位でものを見ることも多いが、支払いのほとんどが電子通貨でまかなっているため、携帯端末がないと不便なのだ。実際の金を持つこともできるし、銀行で手取りすることも可能だが、使うにしても時間がかかる。自販機などは硬貨を入れる場所がないものも多いし、大きな店でも専用のカウンターに行かなくてはならない。

 金銭だけではない。情報の取得や連絡にも携帯端末は必須だ。であるからこそ私は、朝霧芽衣は、個人で動くようになってから――いわゆる事務所に所属せずにフリーになったようなものである――まず携帯端末を入手しようと考えた。

 機械工学を専攻しているという、同じ寮に住む転寝夢見うたたねゆめみに打診したところ、お前は端末専門店に行って車を調達しろと言うのか、なんて返答があり、芹沢なら調達するだろうと返したところ、知り合いというのを紹介してもらえた。

 といっても、期待はしておらず、雑談の域だったのだが、まあいいかと私は学業を放置して朝から芹沢企業開発課に足を運んでいた。服装は制服だ。あとはスーツしかないが、用事が済んだが学校に行くのだから問題あるまい。

 それなりに早い時間だったが受付はもう開いているらしく、入り口から足を踏み入れた私は正面のカウンターへ。アイウェアを頭に乗せて口を開く。

「こちらに二村仁にむらひとしがいると聞いたが、きているか?」

「――はい。いらっしゃいますが……」

「個人的に依頼があると、伝えてくれ。すまん、私の名は朝霧芽衣だ。もしも渋るようなら、転寝夢見の名前を出しても構わない。それと、エリザミーニ・バルディが今日は出勤日ではないようだが、間違っても呼び出すな。頭の固いドイツ人のツラなど見たくもない」

「はあ……では、こちらにお名前を。少少お待ちください」

 反応は戸惑いか。私としては普通の対応をしたつもりだが、ううむ、問題があるのだろうか。

「ふむ。要点を端的に伝え過ぎて不信感を煽っているのか?」

 隣にいた女性に目を向けて言うと、返答は苦笑だ。答えにくい問いだったらしい。

「――お待たせしました。エレベータより四階へどうぞ」

諒解だアイマァム

 階段は非常用だけなんだろうなと、相変わらず退路などを考えつつ乗り込み、四階へ。そこに白衣を着た青年がいた。

「誰だお前」

「朝霧芽衣だと名乗ったつもりだが?」

「知らねえって言ってんだ。妙に目付きも悪いし、夢見の名前を出しやがる。文句は野郎に言えってことか?」

「それは困る。私は私の用事でここへきたわけだからな」

「客か」

「上客ではないかもしれん」

「こっちだ。――あんた、狩人か?」

「そう見えるか」

「雰囲気でな。狩人じゃなきゃ軍属か何かだろう。何より目付きが悪い、人殺しの目だ」

「ふむ、慧眼だな。そうした人間と付き合いがあると見える。ご察しの通り、私は現役狩人で元軍人だ」

 元、とつけるのに違和感はないが、内心では苦笑している。これからは、これが普通になっていくのだろうが。

 案内された一室はがらくたの山だった。廊下よりは話しやすい空間なのだろう、キャスターが分解された椅子を蹴り飛ばし、細かい部品が乗ったテーブルに彼は腰を下ろす。

「二村仁だ」

「聞いている。学生会で会計をしているそうだな――ああ、転寝からの情報ではない。視察した際に仕入れた情報だ。技術者としての二村の考察はあとにするとしてだ、用件を先に言おう。携帯端末を新調したいのだが、量販店では痕跡が残る」

「面倒事じゃねえだろうな……」

「お前に迷惑をかけようとは思っていない。ただ芹沢ならば、多少の融通は利くだろうと思っての打診だ。なに、本体が欲しいだけだ。断るなら中古品を購入して、時間はかかるが中身を自作しなくてはならん」

「狩人なら知識はあるってか」

「専門には負けるとも。だからこそ、こうして打診にきた」

「偉そうな態度の割に、持ち上げるじゃねえか」

「事実は事実、そうやって認めることが最初の一歩だ。ちなみに今まで使ってきて、好んだものはタッチパネル形式だ。バックライトは取り外したが」

「へえ……理由は?」

「バックライト一つで夜間では敵に発見される危険性がある」

「殺伐とした仕事をやってきたみてえだな」

「知っているのだろう? 店舗は出していないが、武器流通の〝音頤(おとがい)機関〟に所属している二村仁が、利用者の私を知らないとは思えん。でなければ門前払いのはずだ」

「……ふん、よく見てやがる。確かにそうだ、名前も経歴もある程度は知ってる。どういう人間か見てやろうって思って通しだ。だからこその疑念だ。お前ならほかに頼りようもあったろ」

「これから野雨で活動するに当たって、そう悪くはない選択肢だと思うが?」

 言うと、ため息と共に視線を逸らした二村は頭を掻いた。

「――うちの回線を使えよ」

「なんだ」

狩人認定証ライセンスを持ってりゃ契約できる。表向きは存在しないラインだ。利用者もそこそこいるが、ほぼ独立ライン」

「エリィに気付かれないようなら、それでもいいんだがな……」

「……あ。おう、あの新入りか。システム開発の生真面目で融通の利かない女。ブロンドは馬鹿だって聞くが、仕事はなかなかやるぞ」

 実に的確な表現で思わず笑ってしまった。

「ドイツ人らしいと言ってやれ」

「普段はそうでもねえのに、仕事となるとな。べつに悪いとは言ってないが。まあいい、とりあえず請け負った。いくら出す?」

 言いながら、二村は既に散らばった部品を拾い上げて作業台の上へ載せている。こちらの提示する金額など気にする様子もないらしい。技術者というより研究者気質なのだろうと判断し、私はワンピースのポケットに手を入れた。

「大方の金は通帳だが、所持金の大半はまだスーツケースの中だな。現在所持しているのは……ふむ、二百には足らんか」

「あ? ――おいおい」

 封の切っていない百万円の束と、切られて少なくなっている束を取り出すと苦笑が返ってきた。

「なんだ足らんか」

「銭の扱いをなんだと思ってんだ。携帯端末がねえからって、そんな大金を裸で持ち歩くなよ。待ってろ、完成してから請求してやる。とりあえずはしまっておけ」

「お前も物好きだな。出した目の前の銭を受け取らんのか」

「受け取るさ。必要経費はな」

 つっても余った部品が多いからなと二村は言う。とはいえここにある部品はかなり多い。

「まずはサイズだ。どの程度にする?」

「希望を言えば手のひらサイズだ。ポケットに収納される限界付近だろう」

「どこのポケットだよ。スカートか、ズボンか。専用のホルダーを使わないってことだろう?」

「そうなるな」

「スペックは?」

「DoubleCrackCrankを四重起動しても問題ない程度だ」

「また敷居を上げるんだなお前は。あんな一般向けハックツールなんか使わないって顔だぜ」

「目安として挙げただけだからな。できないか?」

「一般販売されてる携帯端末の三倍程度の性能なら簡単なもんだ。底上げはしておく。耐久性は?」

「気になるのは電池性能だな」

「フル充電で、そうだな……三十六時間連続使用でどうだ」

「私の言った目安での話ならば、それでいい」

「またハードルは上がったけどな」

「耐久性は振動だけ気にしてくれればいい。戦闘中の動きで性能が不安定になるようならば問題だが、衝撃で壊れるのならば納得しよう」

「……あんた、俺が技術者だってのを知ってて言ってるんだよな?」

「もちろんだ。私の納得するレベルでの技術で満足する人間かどうかも試している。まあ見たところ、現状維持などという馬鹿げた妄想に取りつかれた愚者ではないと、私は評価しているが?」

 挑発にも似た言葉に手を止めた二村は顔を上げると、にやりと笑う。

「上等だ。連絡先を聞いておいて損がねえと思わせる程度のモンは作ってやるよ」

「ああ、頼む」

 私でも作れるような技術ならば、それこそ受け取るだけ受け取って使わないつもりだったが、どうやらその必要もなさそうだ。

「つっても、多少の時間は貰うぜ」

「構わんとも。手持無沙汰は否めないが」

「ふん――」

 眼鏡をかけた二村は一瞥を私に寄越してから、作業を続ける。かなりの精密作業だと思うのだが、随分と手慣れていて早い。おそらく頭の中には完成までの行程が描かれているのだろう。

「昨夜の件もこっちにゃ情報が流れてる。その上、携帯端末の補充にきたとなれば、想像力も働くってもんだ」

「そう悪くはない客だと自負しているが」

「プライベイトに突っ込むかどうかは、それぞれでな。俺はまだ商人としちゃ経験が浅い。余計な警戒をするもんさ。あんたは実際、俺のことをどの程度知ってるんだ?」

「明言を避けるのも話術の一つでな。レインとは行動を共にしたこともあると、そう伝えれば警戒を促せるか?」

「オーケイ、充分だ。除外する機能は?」

「バイブレータは必要ない。通話はインカム式だな――いや、そのあたりは私があとでやるつもりだったんだが」

「よほどの手間じゃなけりゃやってやるよ」

「では、昼までに終わるようなら頼むか。ノート型端末はあるか? 今使っている部屋の端末に遠隔でアクセスしたいんだが」

「これ使っていいぞ」

「作業用だろう? 遠慮なく使うが……ソフトウェア方面は?」

「それほど詳しくはねえってことにしておいてくれ」

「ふむ。とりあえず基本OSを作ってあるから、入れておいてくれ。タッチパネルの液晶にはサファイアを一枚噛ませたい。カメラを外して軽量化と強度を増しておいてくれ。スペックの向上に記憶容量そのものが邪魔なら度外視していい。そのうちにサーバを作ってバックアップに回す。そちらの手配もできるなら頼みたいところだ。とりあえず一本で頼む」

 先ほどの札束を一つテーブルに置き、端末を操作する。多少の手間はあるが、回線速度もあるし、ツールの入手からアクセスまでに、そう時間はかからない。ふと顔を上げると、二村が携帯端末を耳に引っかけていた。

「――俺だ。お前んとこ、サファイア入りのタッチパネル液晶なかったか? ……は? ダイヤ入れた? 馬鹿だろお前! 採算がどうのっていうより売れんだろ! 経費で泣いた? 泣いたのは経理だろ……」

「構わんぞ」

「寄越せよ、返し八割だからな。カッティングもしといてくれ、携帯端末の基準Aできっちりだ。――ガワも余ってる? 素材は」

 やれやれ、技術者の集まりというのは、こういう会話が自然とできるから羨ましい。分野が違っても専攻は同じ。時には反発して、今のように分野が重なることもある。

 さて、とりあえず、昼までに登校できればいいのだが。


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