06/25/18:00――朝霧芽衣・誇るべき友人
私の友人といえば、
――隠し事が多すぎる。
同僚であるロウがよく私に対して口にする言葉の一つがそれだ。実際にその通りであるし、隠すために私は
かつて別れの時、鷺城は私に、日本へ〝戻る〟ことがあれば、
一歩、その場所に近づくたびに躰が疼く。まるでその一歩ごとに、私の調子が上向きになって、忘れていた全てを思い出すかのような感覚だ。
その場所を発見することは容易く、囲いを突破することの難易度は低く、これはまた日本庭園だなと思えるような敷地に足を踏み入れれば、途端に感じる純粋な水気に口元が歪む。
「ほう……家主か」
「――」
なるほど、武術家にはそういう存在があると聞いてはいたが、和装の女性であることは認識できて、その〝強さ〟を感じれば鳥肌が隠しきれない。この世のものではないと思うほどの存在には、今まで私が出逢ってきたモノとの違うを痛感させられる。
「すまん、さすがに言葉まではわからなくてな。この酒は貴君へ献上するためのものだろう――おそらく、これから場を借りることになる。よろしく頼む」
二本の酒を女性に向けて放り投げると、上手にキャッチ――そして、視線を戻した先に居た。かつてとは違う。お互いに成長している――姿も、実力も。それでも私は学校の制服で、彼女は黒色のコートを着て、胸の下と腹部、腰にあるベルトで前を閉じていた。
左足を前へ――多重の結界が展開する。
前傾姿勢、だらんと下げた私の両手に無骨な、やや曲がった大振りのナイフが組み立てられる――眼前には槍。
遅かった? 否、同時だ。一テンポ遅れれば、私が踏み込んでいた。つまりこちらの攻め気と彼女の攻め気はほぼ同時にぶつかったことになる。
一手凌ぐ、逸らす。回避ではない、軌道を眼前から横に動かしただけの最低動作。無駄はない、添えるように左手を動かしただけで、刃物を触れさせることすらしなかった。視線は前へ、広く。意識は外側へ。
――外? さて、どこまでを内と区切るかが問題か。
踏み込みを一歩、既に目の前を埋め尽くす槍は十五本、上空に六本、足元に二本、背後から八本。焼き鳥を作るにしては多すぎる。スクラップを作るにも多すぎる。――人を殺すにも、多すぎる。
総じて三十二本――どの槍も同一性が見られないと判断した私は、これはまだ続くのだと判断。継続する術式において必要な要素は、場を整えることが第一だ。たとえ、この槍が千本まで続くとしても、手に持って放つのではなく、自動的ならば。
「――クッ」
二歩目の踏み込みで私の領域を広げる。
三歩目まで踏み込みの速度は変わらない。口元の笑みを自覚するよりも先に、視界に飛び込む彼女の笑み。手にしているのは――刀?
四歩目は不可能だった。退くことはなかったが、私は前傾姿勢から伸びあがるように上半身を動かし、三度の斬戟を両手のナイフで受け流す。まだ刀の届く範囲ではないというのに届く刃は、致命傷の三文字を頭に浮かばせるには充分だ。
途端、するりと間合いに入ってきた。思い切り右からの踏み込み、左腰に持った刀、鍔を押し上げる親指、右手が柄に触れる。
――居合い。
抜刀の速度を基本とした最速。停止からの爆発的な踏み込みが更に速度を上げる、彼女の躰が邪魔で回避もできない。受け止める? それでは防戦に回るだけではないか。
ならば、自分を組み立てるしかないか。
刃が腹部をすり抜ける、紙吹雪になって消えた私は既に彼女の背後にいる。
それが私の術式だ。自分自身を組み立てることなど、造作もない。自信の把握は魔術師の第一歩、素材など戦場にいくらでも転がっていた。
だが、背中を刺した彼女の躰が紙吹雪になる。組み立て? 否、解体の一種だ。彼女は組み立ての術式を、それほど強くは使えない。物真似に近く、だが何より真に近いそれを、こちらと同様の手段を見せつけるような行為を、私は知っている。
だから構わずに右足を上げ、足裏に組み立てたナイフで縫い止め、右のナイフを心臓付近に縫い止め、左手で触れることによって〝組み立て〟てやれば。
成功したのならば、解体途中のものを組み立ててしまえば、致命傷とは言わずとも、彼女を死に体にできたはず。だがそれは成らない。ああ、そんなこと、十年も前から知っている。
一瞬の
術式で回避――逃げた鷺城鷺花は、ようやく、その表情から笑みを消した。
「――腑抜けたか?」
私は笑う。そうとも、いつだって笑うのは私で、鷺城は仏頂面で考え事をしていた。それもそうだろう、彼女は最初から試したいだけだ。私は挑むだけなのである。
「力を抑えてでも死の際を感じないからそうなる。それとも、私では貴様に届かないとでも高をくくっていたか?」
「……十年前を思い出したわ」
「遅い」
「まったくね」
足が地面を僅かにこすって音を立てる――さすがは鷺城だ、たったそれだけの動作で私の踏み込みの先を封じられた。投擲される針は八本、一テンポ遅れながらも引きずられるように私は改めて踏み込む。
そうだ、いつだってそうだった。
私たちはこうやってお互いを殺し合った。
鷺城鷺花は己の技術を確かめるために。私はそれを突破するために。
戦闘だが、これは戦闘ではない。一歩間違えれば死ぬのは一緒、武器を振るのならばそれは戦闘になる。けれど、だとしたら鍛錬は戦闘なのかと問われれば否、訓練だとて違う。
身に着けた技術を、術式を、それらの効果と組み合わせから発展系を考えて、それを実践して把握するために鷺城は踏み込み、私はそれを打破して首を切断するために前へと足を出す。
それでも、あの頃とは違う――私は今までこの組み立ての術式の〝本質〟を常に隠して生きてきて、あろうことか鷺城は体術を仕込んでいた。術式ではなく、対するのはあらゆる得物を使った、そう、武術だ。
であるのならば私も体術で応じるしかない。両手に組み立てられた刃物は、エグゼエミリオンの三番目の刻印が記されており、これは存在自体が組み立ての術式になっているおかしな得物だが、その特性の中には相手の魔力を喰うことが含まれている。そこにも問題はあるのだが、それこそ十年ぶりに握るというのに、その感覚に誤差がなかった。
死の際で一度、ナイフを振るたびに馴染む。それどころか、気を抜けばナイフに私が使われるような状況にすら陥るような錯覚もあった。鷺城はそれを見抜いて攻撃してくる。
一年間、こうして私たちは殺し合いを続けた。私が何度、殺しそうになったのをぎりぎりの領域で押しとどめ、安堵したか。数えてはいなかったが、何度もあった。きっとそれは、鷺城も同じだろう。
殺さない殺し合い。だが一つの油断で、どちらの命も失うぎりぎりの
そこで、私たちは、お互いに成長した。
懐かしさを感じるほど昔のこと。師匠の私有地で、いくつかの山に囲まれた田舎風景。あとになってやってきた同僚たちは、まさかその内の二つの山を崩したのが私と鷺城であることを知らないし、平地だと思っていたところが、私たちが消した山の跡だなんて気づきもしなかった。
手の内を明かせるのは、心を許した相手だけ? いやいやまさか、私は鷺城に許してなどいない――だが、手の内は明かした。明かさざるを得なかった。死の縁に身を置いて、奥の手なんて隠し事をしたら、そのまま暗闇に落ちるだけ。だから数日間の死闘を終えた私たちは、反省会をお互いにして、次に始める時までに新しい何かを身に着けた。
恨みはない。妬みはあった。悔しさをバネに、感情を抱き、死を背にして私たちは殺し合う。人の目など気にしている余裕があるなら攻撃を、気遣う余裕があるなら防御を、汗を拭う隙に一歩前へ、血反吐を捨てる時間で一手を防ぐ。
狙撃時における集中力など、鷺城と対峙する時間と比較すれば、なんと容易かろう。照準器を覗き込み、精神を張りつめた状態の、なんと余裕のあることだろう。
衣服が切れる、肌に傷がつく、血が流れる。
私たちは人間だ、そんなことは当たり前。高揚の
腕が吹き飛べば、すかさず〝組み立て〟て復元するしかない。そのために二手を捨てる結果となるならば、一手で回避すべきだ。それでも回避できないのならば組み立てよう。無数の知恵の輪を一つ、一つ外すようにして戦闘を構築しながらも、死を回避して死を与え続けた。
私は笑う。
ああ、そうとも、楽しいじゃないか。愉しいじゃないか。
また一つ、私は死を回避した生き残った。
また一つ、死を与えて回避された。
極限の状況下で、挑もうとする私がいる。応じる私がいる。素晴らしい! まだまだ成長の余地があると突きつけられた時の、なんと気分の良いことか!
そして、ああ、なによりも。
なによりも、この私では届かないと示す、魔術師――鷺城鷺花の存在が、その存在を今ここで私が証明していることが、どれほど嬉しいか!
――何時間、戦っただろうか。
愉悦の時間、喜悦の時間、これ以上ない楽しい時間も、やがて終わる。以前は時間が区切られていたり、師匠が止めたりしたものだが、逃げる場所もなくて止める人間がいないとどうなるのか――かつて疑問に思ったことが今、証明された。
踏み込もうとした脚から力が抜け、前のめりに倒れる。受け身をとる余力さえなかった私は肩から地面に落ち、荒い呼吸を繰り返しながら仰向けに転がった。情けない、私が先に倒れるとは。
「は、は、――は、終わり、で、いいわよね」
「見ての、は、通りだろう、は」
息も絶え絶え、怪我だらけ。汗と血が滲んで水に落ちたような有様で、起き上がる力もないときた。雨の打ちつける行軍で匍匐をしている時よりも嫌な状況だ。
「は――」
情けないと忸怩を噛みしめた直後、近くにまできていた鷺城もまた、地面に倒れた。肩からではなく顔から一直線、顔の形が変わるだろうと変な心配をしていたら、同じように仰向けで呼吸を整えようと必死だ。
情けないのも、お互い様か。
それからしばらく、お互いに呼吸を整えることに集中した。空は黒――いや紅か、余裕ができて時計を見れば二十三時を既に回っている。私がここへ来たのが十八時頃だったのだから、やれやれ、六時間近くぶっ通しか。
「水いるかー」
母屋からの声に視線を動かせば、袴装束の男性がいる。あれが本当の家主かと見当をつけると、鷺城が手で招くように誘ったかと思いきや、上空から飛来した強い滝のような水が私と鷺花をびしょ濡れにした。
「まったく――乱暴だな。呼吸もできん」
躰を起こし、座り込んだ私は血と汗が流れた姿で、やれやれと吐息する。鷺城も髪を振って水滴を飛ばしていた。
「ふむ」
「ん。相変わらず防御主体で攻撃は不得手ね」
「不得手とは言ってくれるな……これでも随分と改善されたはずだが」
「改善? それで? 二十一手目」
「あれは三十六手目の布石だろう――」
「それをあっさり受け流されて言うわけ? 最大効力を一撃に賭けられないで、ギアがかかるのを待って? 冗談じゃない、その隙がいつか致命傷になるって言わなかったっけ?」
「ほう、では致命傷になったのかと問いたい。だいたいなんだ、お前の武術の真似事は。手数が多ければ勝ちか? どうなんだ鷺城」
「取捨選択はしてるわよ。芽衣――でいいか」
「む……違和感はあるが、まあいい。いやちょっと待て、反省会の続きはともかくとして、あちらは家主なんだろう? 挨拶くらいさせろ」
「必要ねェよ、朝霧芽衣。俺ァ
「
「うっさいわねえ……知らないよりゃよっぽど良いでしょうが」
「だったら最初から徹底しろ。なんだ、中盤からの術式封じは」
「ちゃんと解除できてたじゃない」
「やり方が陰湿だと言っているんだ。あれのお蔭で五手も遅れた。なんだ? それともあれか、五手遅らせなければお前の体術では対応できないと、そう私に教えてくれたのか?」
「あんたの言った通り真似事の武術じゃ対応に差が出るから足止めのために、解除前提で術式展開したんでしょうが。封殺しなかっただけ、ありがたいと思いなさいよ」
「ほう、攻撃が苦手だと言う癖に、自分の攻撃に非はないと言いたいのか? 防御の観点から物を言わせてもらえば、足止めとして有効かどうか怪しいものだ」
「五手遅らせたでしょ」
「遅らせておいて突破できない現状の証明をしたかったわけか。なるほど、私の防御もそれなりに成長しているらしい」
それと、術式もだろう。真っ先に口を開いたかと思えば、言及したのは戦闘スタイルと技術へだ。昔はまず術式からの流れだったのだが、一番にこない程度には上手くなっているらしい。成長の実感とは、なかなか良いな。
お盆を手にして暁が戻ってきた。それぞれに熱い茶を渡す。
「聞いちゃいたが、なかなかやるじゃねェか朝霧。鷺花も血を見たのなんざ久しぶりだろうに」
「うっさいなあ……防御術式そのものが、こいつの前じゃ役に立たないってだけ。役に立たせようと思ったら、攻撃を自己封印しなきゃいけなくなるし」
「私をなんだと思っている。鷺城の防御術式はかなり厄介だ。私が覚えている限りだと、百と五十パターンほどざっと数えてあるが、増えたのだろう?」
「増えたっていうより、組み合わせの幅が広がったってだけ」
「なるほど、充分ではあるが、試すには制限になるか。手の内をさんざん明かし合っているのに、よくもまあ続くものだと、昔は師匠に呆れられたな――む、懐かしみついでに一ついいか、暁殿」
「あァ? 俺か、なンだ」
「アキラ大佐殿はお前の関係者か?」
「どうしてそう思うのよ」
「そこで鷺城が口を挟む理由も――まあ察することもできるがな。なあに、詳しくは聞いていないが、まずは雰囲気。特にこの場における水気はアキラの持つものと酷似している。その上、私が雨天に赴くが構わんかと言った時に、妙な顔をしていたのでな」
「妙な顔かよ、あの野郎……まだ
「――なるほどな。いくつかの疑問が氷解した。ついでだが、
「あァ……まだ野雨にいるぜ」
「そうか。知っているかもしれんが、私の師はジニーでな。彼らとは昔、よく遊んだと聞いている。早いうちに挨拶にいくとしよう。それよりもだ暁殿、鷺城が娘でも、雨天はご子息にしか教えていないのか」
「見ての通りだ。つっても、よく対応するもんだぜ。――ゆっくりしてけ」
「うむ」
その後ろ姿が消えてから、凄まじい手合いだと私は笑いながら言った。好奇心だけで挑みたくなるような相手だが、訓練の類でなければ逃げの一手だろう。
「で? 茅とはどうなの」
「あれか? はは、戦場で敵として相対した時、私が技術を隠してはいたが――繋がりを求められてな。野郎は私を殺したい、ならば私は茅を殺そうと約束した。お互いに殺意を抱き、その上で殺さないのではなく、最期を看取る意味合いを込めて、殺すと」
「私とは違って約束したのね」
「気まぐれだと笑ってくれ。それに――私は容易くとも、茅にとってはそうもいくまい。良い目印になればそれでいい。もっとも、人の成長を侮るつもりはないが」
「茅ならここんとこ、うちにきてる」
「ふむ。それが雨天家なのか、鷺城のところなのかは深く訊かないでおくが……これはさすがに聞いておくがな鷺城」
「なに、兎仔のこと?」
「知っているのなら話は早い。こうして改めて手合わせしてみれば、更に確証は得られた。貴様、兎仔に術式の訓練をしてやったな?」
「まあ、そうね、口止めはされてないけれど、一応そうなるのかしら。どうして?」
「兎仔とはよく遊んでやった――が、あれの成長に必要な要素をいくつか考えたのち、基礎の上に積み重ねた派生の〝癖〟だな。応じれば、どんな相手と敵対していたかくらい想像はできる。打倒する先に在るもの――いわば目標に、私と近いものを感じた」
「察しが良いわねえ……ん? 目標ってなによ」
「お前のことだ」
「芽衣が? 私を? ――あはは、冗談じゃない」
「なんだ、差は歴然、挑んで当然だと思っているが?」
「私は御免だって言ってんのよ。本当面倒臭い……」
「立場はきちんと理解しているとも。そう気軽に遊ぼうなどとは思わん」
「そうだったら何よりよ。で? 野雨西はどうなのよ――あ、思い出した。ディジットが珍しく汚い言葉で罵ってたわよあんた」
「エッダシッド教授と知り合いなのか」
「残念なことに私もコロンビアなのよ。教育学は一番最初に修めたし。言いたいことが山ほどあるのに、そういう時に限って顔を見せないってさ。だからってなんで私に愚痴るのかさっぱりわからない」
「私としては時間がなかったから、教育学しか修めてはいないんだがな。それと、野雨西に関しては今日が初登校だ。さっそく問題児として睨まれるような行動はしておいた」
「ん、それも正解でしょうね」
それでと、視線で促された私は、小さく笑って肩を竦める。
「さてな。推測はできているが、確証を得るのはもう少し先だろう。私としても、まずは日本――こと、野雨市という場に慣れたいものだ」
「そこらへんは一切心配してないわよ。余計な面倒を増やさないかって辺りは気にしているけれどね。間違っても私に尻拭いをさせないように」
「ははは、お前と私の間柄ではないか」
「私が尻拭いするようなデカいヤマにすんなって言ってんのよ。だいたいね、爺さん――彬が用意した身分が、潜入調査の一環だなんて間違っても思うことはないんでしょうに。あんたは忠犬で、〝かっこう〟じゃない」
「ただの休暇であったとしても、私から申請することもない。ここで、私がいたら面倒なことを起こそうとしていると考察するのは、いささか自虐的か?」
「その通りでしょ」
確かに軍部では、どういうわけか〝トラブル吸引器〟だなんて影で呼ばれていた私だが、自分で処理できないような荒事は起こしてきていない。いつだってそういう事件は巻き込まれるほうだ。
「それに加えて、察しているでしょうけれど、芽衣の居場所はもう随分と前からこの野雨にあったのよ」
「やはり、そうなのか。空いた隙間にピースがはまるように、逢う人間が片っ端から縁が見えるとなると、そうなのかもしれんとは思っていたが。ただし、私の影響そのものは、まだ少ないようだ」
「さすがにそこまではね。だいたい芽衣だって用意して、事前に情報は集めていたわけでしょ」
「たとえば、橘一族。あるいは軍部で出逢った東洋人の詳細、日本での立ち位置などか? あんなものは、事前情報というか、常識に近いんだろう? 表現としてはどうかと思うが、いつか戻ってくると、そう考えていたのは確かだ」
「誰に逢った?」
「
「ああ……そこらへんが起点になるとはね。動向を気にしてる連中は多いんだけど、その大半は私に任せたって放り投げるから頭が痛い」
「なにを言う。実際にこうして逢いにきて、昔を懐かしんだではないか」
「そりゃ幼い私が馬鹿な約束をしたからでしょ」
「そんなものがなくても、逢っただろうがな。ちゃんと覚えていて、早めに来訪した私を少しは褒めたらどうなんだ」
「浮き足立って、早早にきたがったのは芽衣でしょうに」
「それも確かにな。今の鷺城鷺花を確認したかったのも事実だ。ところで、田宮正和は知っているか?」
「ん? ――ああ、狩人志望でラルに何度か頭下げてたわよ」
「はは、なんだラルは拒絶か」
「望んでやりたいなんて言う子だものね。ラルはその辺り、よくわかってるのよ。軍部の演習なんかを紹介するくらいは、してたみたいだけれど」
「そうか。ラルもこちらにいるのかどうか、調べておかなくてはな。あちらで出逢った時は仕事で二度ほど一緒したくらいで、酒も飲んでいない」
「そう考えれば、芽衣の出逢ったことのある東洋人の大半は、野雨にいるわよね」
「――なんだ、私の活動記録でも記帳しているのか? それならば見せてくれと頼むところだ」
「それなら鈴ノ宮に打診なさい。軍人崩れは多いし、軍部の記録も流れてるはずだから」
「冗談のつもりが、ひょうたんから駒か」
「どうせ行くつもりだったんでしょ。ロウ・ハークネスも今日、赴任してるはずだし」
「耳が早いな」
ゆっくりと立ち上がった私は空になった湯呑を地面に置き、のんびりとした動作でストレッチをする。躰をほぐしながら、現在の調子を確かめるためだ――が、やるまでもない。いくら限定の条件下だとはいえ、本気で鷺城と戦ったのだ。見栄を張らなければ歩いて帰宅もできまい。
「あちこちを出歩いて顔合わせもいいが……」
「趣味じゃない」
「私の台詞をお前が言うな。だが、暇ができれば誰かを育てたいものだな。どこまで可能かはともかくも、多少の根性がなければ」
「一人よりも五人くらいがいいかもね。いいじゃない、マカロ・ホウが軍式訓練教官として赴任したんでしょ? 顔を出して根性がありそうなのを引き抜きなさいよ」
「ふむ、それも面白そうだが……反対はしないのか?」
「後進の育成は私たちの務めでしょ。そうは言っても、私には制限がありすぎるから」
「鷺城の場合は仕方な――と」
ふらりと倒れ、支えようとした脚の膝から力が抜け、尻もち。その様子に鷺城は笑わない。――いや、笑えないのが正しいか。
「私の行動を制限する意味で野雨西を選択したと思うか?」
「その意図もあるでしょ。だいたい芽衣が学園に配属されても、ほとんど顔を出さずに済ますのは目に見えてる」
「学力と言えば語弊もあるが、まあ高校卒業レベルなんてものは、五年も前に済ませていて、当然の知識だからな。娯楽小説を読み返すような気分でテキストは読めるだろうが」
「日本の高等学校授業に関しての考察は?」
「テストのための、いわば試験勉強などと呼ばれる類のものが横行しているのが、最大の問題だろうな。ともすれば、一時記憶だけで済ますこともできる。工程の中に、身に着けると呼ばれるものを挟めば充分だとは思うが、それを挟み込めるだけの余裕も技術も、教える側も教わる側も無自覚だ」
「だからこそ、学歴社会そのものの陥穽が大きくなる」
「それ自体を一つの目安とすることに間違いはあるまい。ただし、五百の人材がそれぞれ、均一の能力を持っていると考えることが間違いなのだろうな。結果を見なければ納得もできん状況の中、その結果すらもをその場凌ぎで誤魔化す手段が、技術が、ある意味で確立してしまっている」
「ん……だとして、学園の教育システムは?」
「ふむ」
話が逸れているような気もするが、構わないだろう。いわば雑談のようなものだ。
「在り方としては悪くはないのだろうな。固定観念にとらわれず、正しさを求めない教育機関は悪い方へと転びにくい――が、俯瞰してしまえば野雨西とどこが違うと思う部分もある。なるほど確かに、意欲のある人間にとっては最高の場であることに変わりはないが、有効活用できているのは結局のところ一握りだ」
「普通学科が最大の人数を抱えている以上は、そうでしょうね」
「その一握りは野雨西でも変わらん。成績が優秀なだけではなく、周囲の状況から意欲的に自ら抜け出す人間は、どこにでもいるものだ。逆に考えれば、それ以外を切り捨てていることにもなる。その他大勢にとっては、学園はそれなりに、やりにくい場でもある」
「そうね。理想論をかざしても、実践できる人間の方が少ないもの」
「仮に最大効果を望もうとするのならば、幼少期の教育内容から見直すべきだろう。前へ倣え的な教育指導など、十五になってからでも充分に間に合う。十にも満たない人間に強要すれば、それだけで個人、いや個性なんて呼ばれるものは均される。右に倣うことを美徳だとされるのは、命がかかった戦場くらいなものだろう」
「それはどうかしら。確かに可能性そのものを潰している結果は納得するところだけれど、幼少期の教育において一つの道を示しているのは事実よ」
「この日本において、一つの道を示すことが、ほかの可能性を潰すことへのメリットだとでも?」
「デメリットである事実はあるけれど、望んだ何かを選択できないのが幼少期よ。教育者の数は減る一方で、免許それ自体が試験の一つで済まされる。現場入りして成長できないような人間が上に立てば、マニュアル化した指導に終始するしかない。そうでなくとも三十から四十近い人間を相手に、管理を前提とした立ち回りができる教育者なんて、数えるほどしかいないでしょ」
「ふむ。だとしたらまずは、教育者の教育から始めなければな」
「それを言ったら話が終わらないでしょ。次は教育者を教育する教育者をって?」
「はは、それもそうだが、幼少期でなければ右に倣うことに疑問を抱けるだろう」
「どうかしらね。野雨西で触れた教員関連への感想として受け取って構わない?」
「ああ、構わんだろう。何かを教えることに関しては、いささか疑問視したくなるような授業内容だ。文庫本を片手に聞いていても、まったく問題にならない授業など、どうかしている」
「こっちもね、知識を持つ研究者が教壇に立つことが多いから、確かに知識量そのものは多く、最先端であることは事実でも、だからといってそれを教えることが可能かどうかが、まったく疑問よね」
「下見には行ったが、そもそも授業に身を入れていない教員が多いだろう。既定の情報をただ流すだけのようにも見えたな」
「その通り。学習そのものには問題がないけれど、高校レベルなんて教員にとっては退屈な基礎ですらないものね」
「ふむ。鷺城、私はな、結局のところ教育者と、される側に必要となるものは、学習能力そのものにあると思っている」
「それはディジットの言っていた、意欲の解釈?」
「確かにエッダシッド教授殿は、それを向上心などを含んだ意欲だと言っていたが、それならば学習意欲と言い換えた方がいいのかもしれんな。何を教えるか、何を教わるか、その望みが合致した状況こそ、進歩が発生する。だとして? そもそも、望みと呼ばれる選択肢すら把握できず、それを手探りすることすらできない幼少期における教育課程とは、そもそも何を欲するのか」
「現状だけを分析するなら、親の望みが反映されているんでしょうね」
「そこに問題があるとは思わんか? 当人の意思よりも、言い方は悪いが第三者の意図が介入した教育など、代理人を立てた口論と何が違う。求めた結果が出たのならばまだしも、大抵の場合は意図しない結果を抱いて、口にするのは不満だけだ。自分の行動を省みることすらせず、他人のせいにして溜飲を下げるために酒を飲むばかりだろう」
「ん。じゃあ、だとして、芽衣が誰かを育てるのならどうするのかを聞きたいのね」
「二十秒くれ」
ふむと腕を組んで思考する。何かに没頭するには区切りとなる時間が必要になるとは、師の教えであり、私はこの二十秒での集中思考を身に着けた。これが一つの区切りの時間であり、そこで一度結論を出す。結論を改めるにせよ、まずはそこで区切るわけだ。戦場においても、ぎりぎり余裕を持って使える時間というのも、そう長くはないため、二十秒ほどの区切りは実に私に合っている。
「時間を度外視した理想論を語るのであれば、基礎を叩きこんだ上での育成だな。器を大きくすることは困難で、資質に左右されるが、相応の汎用性……対応の方法はいくらでもある。弟子を作るのでなければ――ふむ、思いのほか、前提条件が多いらしい」
「質問を変えるけれど、どこまでなら育てられる?」
「やはり時間が問題にはなるが、私が育てたと胸を張って言えるレベルとなると、最低でも今の北上のレベルだな」
「今の、ね。アレ、〝炎神〟エイジェイが遊んでやったのよ」
「ほう……学園にいるらしいことは聞いていたし、アレの火気は隠そうと思って隠れるものでもないから後回しにはしてあるが、――突破に傾倒しているあたり、北上の性には合ったのだろう。しかし、チェックしているんだな」
「あんたの関係でしょうが、調べずにおいたら私の落ち度になるのよ」
「気が抜けん生き方だな。私にも同じことを求めるなよ鷺城。お前の周辺を調査するだけで一年はかかりそうだ」
「求めないわよ、そんなの――ああ、そういえば狙撃のセンスがあったのには驚いた」
「センス? まさか、あんなものは遊びだ。わかっていて聞くな鷺城、一定の技量を持った人間はどんな得物を持とうとも、それなりに使える。お前同様にな」
「対物は使ってなかったわよね」
「はは、使えないことはないが、メイリスと比較されるのも困る。あの女、クソッタレな年増の癖にレコードだけは残していやがるからな」
「メイファル・イーク・リスコットンね。あれもなんで
「なんだ知らんのか? 好んでいるわけではない、単純に対物が入用の現場に投入されるだけだ。戦車殺し、城壁潰し、……半分はやっかみだな」
「いいように使われてるだけの結果が、あとからついてきただけね」
「まったくだ。調子に乗るなと今度逢ったら言ってやれ。ははは、レコードすら面倒だと思っている渋面が顔に浮かぶがな。狙撃は、なかなか面白い。あれだ、昔にあっただろう、遠距離から延延とお前に攻撃され――……思い出したら苛立ってきたな」
「鴨撃ちの的になってたのはあんたの技量でしょ。三日も狙い通しで生き残ったのは大変によろしい」
「致命傷を避けながら、あれはなかなか大変だった。ようやく射線ではなく攻撃意図を含んだ視線を感覚で掴んだのが四日目で、腹いせにこっちから狙撃してやれば、一時間で対応したな」
「魔術師だから。半径一メートル以内の周辺は私の
「そこまで織り込み済みで、三日間は遠距離攻撃を中心にして煽ったんだろう……反省会でそれを聞かされた私の、妙に八つ当たりしたい気持ちは、次の日に山を消失させたことで晴れたと思っているのならば大間違いだ」
なにしろあれは、八つ当たりというよりもむしろ、お互いに拮抗して山が消失したのであって、一歩間違えればどちらかが死んでいたのだ。内心ではひやりとしていたとも。
「今回もそうだ。先に倒れるのが私とあってはな」
「そう? 私が血を見たのなんて、それこそあれから五回もなかったもの。随分と久しぶりだし、芽衣の前じゃなきゃ終わってからも無様に倒れたりしないわよ」
「私はていのいい当て馬か何かか」
「少なくとも私の知ってる馬鹿二人じゃ、拮抗しないのは確かね。むしろ拮抗させるには、街一つくらい壊しても良い場じゃないと」
「そんな化け物と一緒にしないで欲しいものだ」
ぐっと力を入れて立とうとする鷺城はしかし、力を入れただけですぐに座り直す。回復系の術式を使ったところで、消費した体力そのものを回復させるには、不可能ではないにせよ、割に合わないことを知っているため、使わないのだろう。その辺りの講習は以前の反省会で聞いた。一時的な誤魔化しならまだしも、それ以上となると回復よりも復活に近く、代償が大きくて使う気にならないらしい。
おそらく、対価にするのは技術面での複雑さや魔力消費量ではなく、時間そのものだと私は睨んでいる。長時間をかけた蓄積を、一瞬で使うようなものだ。
「術式の研究なんて、よくできたわよね」
「知っているとは思うが、単独行動の時はそれほど隠してはいなかったからな。さすがに三番目の刃物を使うのは避けたが」
「それもまあ、正しい判断かもしれないわね……。まあいいわ、明日は空いてる?」
「十六時半頃なら学業も終わるが」
「じゃ、予定は入れないでおいて。迎えの車を出すから」
「ふむ。それは構わんのだが……珍しいな」
「なにがよ」
「いつもならば本題を先に済ます鷺城が、ここまで引っ張ったことにだ」
ああと、相槌を打ちながらも鷺城は空を仰いだ。
「……ま、そうね。たまには私だって、会話を引き延ばしたいと、そんなことを思うことだって、あるのよ」
それはありがたいというか、嬉しいというか――いや、なんだな。鬼の霍乱というのを目の前にすると、こういう気持ちになるのかもしれない。
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