06/23/15:20――朝霧芽衣・寮生たち
俄かに騒がしくなった気配に階下へと足を向ければ、リビングから庭を見る男性を発見した。作業着、いわゆるツナギと呼ばれる服装には油汚れが少しあり、背丈は男性にしては小柄な部類なのだろう。私とそう変わらないよう見えた。
背後から庭を注視するが特に気になるものが存在しているわけでもない。視線の先を様子見ても小鳥が羽休めをしていることもなく、だとすれば庭自体に意味を見出しているのか。芝生や花壇、あるいは桜の木や隣にあるのはタラの木だろう。
「――庭の手入れに問題が?」
「ん……?」
振り向いた私を視認した表情は、どこか眠そうだ。それが地なのか、あるいは本当に眠いのかは判断できなかったが、私は彼の隣に移動して改めて庭を見る。
「整っている、と私は見る」
「そうか? ロードローラーで均された道路と比較してみりゃいい。ろくに手入れもしてなきゃこうなる見本だろ」
「だが少なからず手が入っているだろう。もっとも、セントラルパークのような状況とは違うが」
「マンハッタンか」
「一ヶ月ほど滞在したことがある。外周がだいたい十キロほどの距離でランニングには丁度いい。惜しむべきは、存外に騒がしい場所だということだ」
「なるほどな。ま、どっちにせよ芝の手入れは面倒だ。あとは馬鹿になるしかない」
「桜を切る馬鹿、柿切らぬ馬鹿か」
「そういうことだ」
上手く拾ってやったのが良かったのか、男は皮肉じみた苦笑を浮かべ、庭の桜から視線を逸らして、またこちらを一瞥した。
「あんたが朝霧芽衣か……」
「ふむ。もう二年以上は火遊びをしていないらしいが、情報網はまだ生きているのか? 六六は知っているだろうが、隠したいことなら言ってくれ。気を付けるとしよう」
「ここじゃ、いちいちプライベイトを話さない。教会の懺悔室だって聞かれやしねえよ」
「はは、聞かれた時は裏を読め、だな。気分を害したのなら悪かったな、私も日本へ戻ったばかりで、いろいろと気を張っている」
「張ってるなら、そういうことを無暗に口にはしねえだろ……呆れた女だ。酒場で隣に座られたら、迷わず金を払って店を出る手合いだな」
「ふむ。ところで、唯一の男ならば転寝夢見で間違いないんだな?」
「今さらか。ちなみに、VV-iP学園に通ってる。平日でも折を見て庭の手入れをするくらいには楽しんでるよ」
「なんだ、学園つきの寮には行かなかったのか」
「身動きのしやすさなら、天と地の差だ。もちろん天国はこっちだ――おっと六六さん、夕食後のデザートサービスはいらない。俺の本心だからな」
キッチンの方にそう声をかけると、苦笑のような返答があった。なかなかの眠たそうな顔だが冗談を嗜んでいるようだ。
話を聞くところによると、どうやら学園側が用意した寮というのは私が経験した合同宿舎に限りなく近いらしい。まあ、同様の規則であるはずがないとは思っていて、その通りだったが。
「学園か……明日辺り、暇があったら見学をしたいが、誰に許可を取ればいい」
「その言いぐさだと、まるで余所の高等学校に行くように聞こえるな」
「私は野雨西だ」
「なるほど? 校舎内に立ち入るくらいなら、許可なんぞ最初からいらねえよ。ただし各教室に入るためには認証が必要だ。どこだって同じだろ、文句があるなら責任者を呼びつける」
「外堀を埋めてから本命に手を出すこともあるがな」
「しかし、あんたは自分の経歴に疑問を持つなと言ったことはあるか?」
「言って欲しいか」
「いいや、酒場に連れて行かされて酒を頼むなと言われる気分を味わうだけだ」
「ふむ? それほど私の目つきは悪いか」
「自覚があるならいいってもんじゃねえな。悪臭の漂う公衆便所に入ったって、そこまで険しくはならねえよ」
「ははは、なるほどな。だが視界は良好だとも、意図してやっているわけではない。細かい字が見えなくなっているだろう六六とも事情は違う」
「だろうな。だが新聞を遠ざけて読もうとする六六さんと似たり寄ったりだ」
「まったく難儀なものだな。変なプライドを持つからそういうことになる。とっとと老眼鏡を買って、自分が老いていることを自覚すればいいだけのことだ」
「明日からやろうってダイエットに成功の試しなしってな。ようやく気付いた時にゃ既に手遅れか」
「それとなく老化を気付かせてやったらどうだ? 新顔を酒場に連れていくなら、私だとて事前にそれとなく内情を教えるが」
「十ドル札を用意しとけって言われて、すぐに店を思い出せる野郎ならそうするさ。大抵は金を持ってこいと言ったって、なにに使うんだと面倒な問いを口にする。だったら最初から遠巻きに眺めておくさ」
「――楽しそうだね」
「なんだ、飲み物のサーヴィスか、気が利くな。四十代に足を踏み入れてどれくらい経つかは知らないが、頭頂部が薄くなるのと同じで誰もが似たような悩みを抱えているものだ。そう気にすることはない。なにより、今ここで転寝と私が初対面なのにも関わらず、共通の話題で盛り上がり、警戒が薄れたところだ。良かったな」
「俺もいい加減酷いと思ったが……なあ六六さん、こいつ大丈夫か?」
「せいぜい、やり込められないよう気を付けるよ、僕はね」
それも賢明な判断だろうなと、転寝は苦笑して珈琲を受け取った。
「――でだ朝霧、あそこで虫垂炎でもこじらせたような女がいるぜ」
「なんだ、トイレに行くなら許可を取れと調教しているのがお前じゃないのか?」
「よせよせ、そんな面倒なことをしたいとは思わねえよ。サディストでもなし、だったら部屋だけ与えてここから出るなと言えばいい。そこが便所なら尚いいな。どうせ陣痛でもきたんだろ」
「誰も妊娠なんてしてないわよっ!」
文句と共に開けられた扉から四十物谷が顔を見せた。肩で呼吸をし、頬がやや上気しているように見える。
ならば。
「なるほど、諒解した。咳も出ているのだろう? 風邪に似た症状だがおそらく気管支炎だ。呼吸が辛いだろう」
「いや、そうじゃなくて、あのね……」
「朝霧、それくらいにしておいてやれ。女には知られたくない持病くらいあるもんだろう?」
「そうか? まあ躰を売る商売ならエイズであったところで隠し通すだろうが……そうだな、聞かぬが花か」
「だからっ、ちょっと話に耳を傾けてたら面白くて笑いすぎてただけだってば!」
疲れたように這ってきた四十物谷はソファへと腰を下ろし、六六が緑茶を持ってきた。数が三つであるところを見るに、当人は夕食の仕込みでも続けるのだろう。まだ私は先ほどの飲料を飲み干してもいないのだが。
「しかし、これといって面白い話をしていた覚えはないんだがな」
「朝霧、座れよ」
「隣にか? それとも対面か? 返答によっては態度を改める必要はある」
「花刀さんの隣にだ」
「ふむ、落ち着いたようだな四十物谷」
「ああ、ええそうね、落ち着いてるわよ。それと私のことは花刀でいいから」
「私のことも好きに呼んで構わない。自分の姓に対して嫌悪感を出すのには事情があるんだろうが、言及しない方が警戒を生まずに快い関係を築けそうだな」
「……ユメ、よくこの人の相手してたね。そんなに話してたのも珍しいし」
「珍しい? いつもは作業着の人間がスーツを着たからといって、中身が変わるわけじゃない。変わるのはいつだって外側だ、営業にだってたまには顔を出さなくちゃならねえ」
「まったくだな。お前はあれか、規則破りの連帯感を一瞬にして喪失させる面倒な女か」
「とにかく馬鹿にされてることはわかる……」
「一つ賢くなったな。おい朝霧、面白い話を聞かせてくれ」
「そうだな、これはアメリカにいた頃の話だ。洒落た酒場にはダンスホールなんかが設置されている。これがまた陽気になって踊っているとだな、たまにぶっ放す馬鹿がいる」
「は? ぶっ放すって?」
「おい転寝、こいつは馬鹿か?」
「ふん、こんなんでも野雨西の生徒会長をやれてるんだ。わかるだろ」
「呆れたものだな。拳銃の話だ馬鹿女、なにをぶっ放すと思ったのか聞いてやろうか」
「ぬう……」
「で、続き」
「ん、ああ、ちょうどタイミングよく三人ほどぶっ放してな。このタイミングを語るにはかかっていた音楽から話さなければならないが、しかし、残念ながら私には音楽の啓蒙がない。とにかくタイミングが良かったのだ」
「上手い具合にドラムとでも重なったのか」
「そうとも――実に上手い具合で天井の配管に穴をあけた。ガス管でな、しばらくして気付いてみれば、天井のシャンデリアも不安定だ。まあともかく慌てて外に飛び出してみれば、綺麗に爆破してなあ……誰か、爆破解体のために手入れをしてたんじゃないかと噂になったくらいだ」
「それ、面白いの……? 私にはよくわかんないんだけど」
「ああ、俺もどうかと思う」
「まあ聞け。私たちがお叱りを受けたのは当然だが、後日、気になって見てみれば、明らかに一般用に販売されていない銃器の残骸が、ごろごろと出てくるではないか。頭にきて叱った野郎を見つけて言及すればこうだ。棚から餅が落ちてきたのを、拾ったのは俺だ。貴様らじゃない――気に入らなかったから、禿頭を磨いてやったのは良い思い出だ」
「ははは、そこだけは笑い話だな」
「芽衣は外国にいたの?」
「なんだ、私に興味があるなら夜、ベッドの中で教えてやってもいいが――そんな顔をするな、冗談だ。六歳の時に出て行って以来の帰国でな」
もっとも、仕事では何度かあるが……それも、日帰り程度のものでしかない。
「基本的にはバージニアのクアンティコ。その前はカリフォルニアのサンディエゴか。もっとも、各地を転転としていたので住居は持っていなかったがな」
「はっ、なるほどな」
「え、なにが?」
「なんでもねえ。六六さんが引きこんだんだ、いちいち警戒なんかしてられるかよ。だいたいな花刀さん、あんた頭は大丈夫か?」
「あんたね……」
「こうやって二人揃ってるのを見てるこっちの身にもなってみろと言ってるんだ。クソガキと腹違いの姉が一緒に並んで三者面談か? 冗談じゃねえ、俺はいつから担任教師になった」
「そういえばネクタイくらい、そろそろ外しても良かったな」
「口が悪すぎるって思ったんだけど、え、なに、芽衣はあっさり対応しているし」
「口が悪い? ははは、なにを言っているんだ花刀。下ネタも絡まない上品な会話じゃないか」
「まったくだ。デパートの案内アナウンスを期待してるなら、今度録音でもしておいてくれ。上手く使ってやる。――さてと、俺はそろそろ着替えるか」
「最後の一人が帰宅したようだからか?」
「さあな」
つなぎの首元を緩めながら、転寝はそのままリビングを出て行ったが、隣で刀が首を傾げる。
「なんだ、ダイエットの秘訣は運動しかない」
「いやそうじゃなくて、九が帰ってきたの?」
「ああ、戻ってきた。だが、私という存在が異物として紛れ込んでいる以上、対応は迫られる。それを思考する時間と探る時間が必要だろう――聞こえたか? 玄関が開いた」
靴を脱ぐ気配があり、すぐに扉が開く。ワンピース型の女子制服を着た長身の女性がそこにいた。
「ただいまあ」
「おかえり」
「凡庸な反応だな、橘九。今日からしばらく三〇四を使うことになった朝霧芽衣だ」
「ああ、そうなんだ。自己紹介しなくて済んだぶん、楽かな」
「ふむ。――いい発育をしているな。やはり秘訣は運動だろう?」
「うんそうー。ベッドの上でね」
「毎日ならそれなりの運動にはなる。もっとも、男の耐久度が低いと話にならんが」
「芽衣、そこ突っ込むところじゃないの……?」
「おかしなことを言うな? 突っ込むのは男の仕事だろう」
「あーもうやだ常識人って辛い」
「駄目だって花刀、自分でそういうこと言うから信憑性がなくなるじゃん」
「まったくだ。まあ私のことは、せいぜい調べてくれ。ところで橘」
「九でいいよ」
「なんだ、貴様も自分の姓を嫌っている人種か。なるほど、花刀とは事情が違うようだが似たようなものか。ちなみに、警戒を促すために言っているわけじゃない。私はもともとこういう性格だ」
「余計に性質が悪いんじゃないかしら、それ」
「安心しろ、今までで花刀がため息を落とした回数を数えるほど暇じゃない。それよりもだ、九のそれは制服なのだろう? どうだ花刀、私に似合うと思うか」
「また難しいことを聞くなあ……感想は明日、見てからね」
「芽衣もうちと同じがっこ?」
「ああそうなる。馴染めるまでは頼むぞ」
「いやあ、私だってまだ二ヶ月くらいだし、まだ馴染めてないよ?」
「ふむ。まあそれでも構わん、私よりは理解してるだろう」
「花刀に頼ってるけどねー。ね?」
「うん、べつに嫌いじゃないからいいんだけど」
「――とりあえず、今のところはこれで全員か」
「そうね。でもそんなんで、前の学校は大丈夫だったわけ?」
「ああ特に問題はなかった。成績も、まあ悪くはなかったな」
「それ、自分で言うことかしら?」
「おかしいか? 編入試験も合格したことだし、悪くはないと思うのだが」
そもそも、前の学校は成績が悪ければ尻を蹴られて補習を追加されるだけだ。ゆえに、否応なく成績が良くなければ次の段階に進むこともできない。
「明日は日曜日だったろう? 私は明後日からの編入だ。すまんが、朝の案内は頼む」
もっとも、こと野雨市において迷うなんてことは、まずないのだけれど。
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