05/14/14:00――鷺城鷺花・祖父への面会
どうやってそこまで到着したのか、鷺花はよく覚えていない。
いや覚えてはいるのだろう。間違いなく午前中に喫茶店に顔を出して鷹丘少止と刹那小夜と会話をし、
けれど、どこかぼんやりとしていたのは確かで、〝
中に入ると空調が利いているためか、暖かさを感じた。まあどこの建物もいまどきは室内管理システムで温度も湿度も完全管理されているので当然なのだろうけれど。
受付ホールはそれなりに広い。厳つい男たちが並んでいるわけではないのが救いだろうけれど、ここは軍部だ。下手な動きは己の身を危うくするが、知ったことではない――そう思って受付に近づくと、厳つい男が左の通路から歩いてきていた。
いるじゃないかと思って見れば、知った顔だ。
「――ん? なんだ、サギか?」
「ジェイル。久しぶりね」
元は海軍に所属していたジェイル・キーア少佐は現在、鈴ノ宮に所属している。海路を利用した輸送、その中でも深海探査などにおける潜水艦操作などが得意――というか、好みの男だ。趣味は狙撃で、これまた腕が立つ。何しろ昔は海賊だったのだ。マストの上で狙撃をよくしたらしい。
そして何より、小夜や――槍に所属しているケイオス、メイリスとは同期なのだ。といっても海兵隊訓練校時代の、だけれど。
「こんなところで、どうかした? 出向ってわけじゃないだろうし」
「いや、……海が怖くなってな」
「へえ――」
笑うのでもなく、ただ受け入れて納得した鷺花の様子にジェイルは驚きに目を丸くする。何よりも海の傍にいたがる彼がそんなことを言えば、大抵は笑い飛ばされるのに。
加えて。
「――魔物にでも遭った?」
まるで見てきたかのように。
「いや、魔物というより化け物か」
言いながら鷺花は僅かに目を細める。
「違う?」
「……合っている。いや、あれを遭ったというべきかどうかもわからん」
「ちなみに、どんな感じだったのよ」
「いつものように深海で泳いでいた時、俺はソレに気付いた。何がどう……と、言葉にするのは難しい。だが俺はそれ以上、動けなかった。何かがいる。ソレがそこに存在している。だが動いてはいない。俺たちはとっくに発見されているが、素知らぬ振りをしている……と、今なら思う。あの時はどうしようもなく、俺は無意識に緊急浮上を行っていた。戻ってみればこのていたらくだ、怖くて海に近づけもしない」
「幸運ね」
「なにがだ」
「遭えたことが、よ。もちろんジェイルの行動もね。ってことは、あれか。その話を嗅ぎつけた彬が、似たような知り合いがいる。解決策にはならないけど、話し相手くらいにはなるだろうと、そんな話を持ちかけた――って感じかしらね」
「正解だ。さっきまで話をしていた……が、大佐殿とは知り合いか?」
「まあ、ね……っと」
本題を思い出した鷺花は受付に向かって声を上げる。
「ちょっと、彬に直通連絡して。鷺城鷺花が顔を出しにわざわざ来たってね。居留守を使ったり逃げようとするなら、それなりの損害覚悟をしろと言いなさい。今の私はコートを着ている。いいからそれだけ、確実に伝えなさい」
「……乱暴だな。どういう知り合いだ」
「こういう手続きが面倒なのよね……術式で飛んでもいいけれど、場所が場所だもの。彬は、あれよ、まあ隠してないけど、血の繋がった私の祖父」
「――似てねえな」
「あの人ほど不器用じゃないわよ、私は。それに技術を持ってるわけじゃない」
「いや、そうは言うが俺は納得した方なんだが」
「そう? それはそれで心外だけれど、まあいいわ。それより――」
「――鷺城様、彬大佐が通して構わないとのことです」
「ああ、ありがとう。場所はわかるから案内はいらない。……で、ジェイル」
「なんだ?」
「朝霧芽衣は知ってるわよね?」
「メイ? ああ、何度か艦から海に叩き落としたことがある。見どころのあるヤツだ」
「いつになるかはわからないけれど、野雨にくるから、そのつもりで。直接の被害はないでしょうけれど、みっともなく動揺なんてしないのよ」
「わかってる。いや、違うか。ありがたい助言だ」
「いいのよべつに。ま、余計なことか。――じゃあまた」
「おう。ほどほどにな」
何かやらかすこと前提みたいで、なんでこう小夜といい別れ際の挨拶に棘が混じるというか含ますというか、今度きっちり言及してやろうなどと思いながら右側の通路から階段で六階まで昇り、三つ目の部屋をノックして返事より早く中に入ると、テーブルに投げだした両足を戻すところだった彬がこちらを見て、二秒ほどにらめっこしていると後ろで扉が閉まる。
雨天彬は無精ひげを隠そうともせず、小さく吐息して内線の端末を耳に当てた。
「――おう、来客だ。紅茶のセットを二つ、ガトーショコラ、チーズケーキ、マロングラッセを二つずつ。それとアミノ酸にブドウ糖の……そうそう、顆粒のやつ。一人分でいいぞ。おう、頼む」
そう言って切った彬は立ち上がると来客用のソファに自ら座り、対面を視線で指した。
「座れ鷺花」
「どういう気の回し方よ」
「馬鹿、誤魔化してることも筒抜けだって気付け。頭回ってねえだろ……疲労が顔に浮かんでんだ。しばらく寝てねえだろ」
「……」
その通りだったので反論も浮かばず、対面に腰を下ろす。すると自然に肩から力が抜け、吐息が落ちた。
もう二日か三日ほど十分な睡眠が摂れていない。その間に術式を使用した大規模な戦闘も挟んでいる鷺花が疲れているのは当然で、それはそれで自覚していたが、どうやら彬には誤魔化しきれなかったようだ。
「セツが何も言わなかったのは、わかっててのことよね……」
「ああ、あいつならそうかもな」
それだけ言葉を交わし、しばらく無言の時間が過ぎる。彬はその間に煙草を二本ほど消費し、頼んでいたものが運ばれて女性が退室するまで次の言葉はない。ようやく口を開いたのは、目頭をほぐしていた鷺花に彬が紅茶をポットから注いで渡した時だ。
「ま、そう簡単に割り切れはしねえだろうが、根を詰め過ぎだ。
「あー……母さんだと、確かに面倒かも。とりあえずブドウ糖」
砂糖の隣にある小さなビンから、同じ角形のブドウ糖を紅茶に四つほど入れてかき回し飲む。それからソファに委ねていた身を起こし、影に手を入れる。
「エルムからよ」
「……また、そんな掘り出し物を」
一振りの刀を渡すと苦笑する。鷺花にとっては今の軍服のような恰好が見慣れているけれど、彬は間違いなく雨天なのだ、袴装束だった頃もあるはずで。
その映像を見た鷺花であっても、似合わないと思えるほど受け取った彬の手に刀は馴染んでいないように見えた。
「それ、爺さんが作ったって?」
「おう。五月雨を創ったのは俺って話はしたか?」
「直接はまだ。知ってるけど」
「その副産物みたいなもんだ。今の暁になら扱えるが、あいつは五月雨を持ってるからな。こいつは俺の専用……に、なるんだが、そうか。エミリオンに預けたまま、それをエルムが保管してたっけな……」
雨天家は多くの武器を所持しているが、五月雨と銘が打たれたものは現状、暁だけが使えるもので、暁の専用だ。それは父である彬が創った、暁のための刀という意味でもある。
五月雨――雨天流抜刀術の奥義に、その奥義のための刀。
「つーか、エミリオンの傍にはいなかったんだっけな。そんなに疲労して何をしてた」
「何って……」
ちらりと部屋の監視を見て、携帯端末をポケットの中で操作した鷺花は簡単な電磁フィールドを張り、覗き見を防御しつつ、偽る必要はないとばかりに疲れた表情で言った。
「魔術師協会を潰して、じーさんが亡くなったのを見届けた後に教皇庁を潰したのよ」
「おいおい……お前がやったのかよ」
「私と、セツとウィル」
「なるほどなあ。いつかはそうなると思ってたが、そうか、潰したのか」
「驚かないのね」
「納得が先だろ、こういうのは」
「ちなみに、昨日眠れなかったのは別のこと。――じーさん、エミリオンと戦ったって?」
「また昔の話を……俺が軍部に入る前、いや音頤機関に所属する前のことだぞ? あれが切っ掛けで、エミリオンにゃこういう組織を作ってみたらどうだって打診して作ったのが音頤なんだ。もちろん、俺が五月雨を仕上げるのに使おうって意図もあるっちゃあったが」
「師匠からの手土産で、その時の映像を貰ったのよ。昨晩はその解析で寝てないの」
「あいつ……記録してやがったのか。というかアレ、解析できるのか? 映像記録だろ?」
「魔力を肌で感じれない以上は、結果から探るしかないから時間がかかるのよ。まだ半分ってところ。良いのは一時停止が可能なことくらいね」
無茶な戦闘だったのだ。目で追うのも一苦労なくらいに、一手が短い。
それに加えて。
「爺さん、雨天を使ったでしょ。最初は鉄扇を使ってたけど」
雨天を使う。
雨天流武術とは、つまり
だから、雨天流の根源は無手にある。
無手で刀のように斬り、槍のように突き、薙刀のように薙ぎ、小太刀のように扱う。多すぎる手数から最善の一手を選び取れる思考があってこそ、雨天は完成するのだ。
そして、雨天を使えるのは――雨天であることを認められた人間だけ。
相手が妖魔ではなく雨天を使えるのは現状でただ一人、雨天家が師範である静と、その静を打倒した彬だけだ。
つまり彬は、――師範なのである。
「どっち?」
「なにが」
「だから、使いたかったの? それとも、使わざるを得なかったの?」
「残念ながら後者だ。というかケーキ食え、ケーキを」
「あ、うん。いただきます」
糖分の過剰摂取にならないだろうかと逡巡したが、それなら運動なりなんなりすればいいかと思って食べる。感想は甘い、の一言に尽きるが、そういえばしばらく何も食べていなかった気もした。
「ええと、イギリスで食べ歩いてローマの宿……では、昼食か。それから屋敷に戻って翌日の夕食で……それ以来? まあ、食べてるわよね、うん」
「食べてるかどうかより、消費カロリーを計算して言え。まったく……」
「そんなに疲れて見える?」
「俺にはな。……話を戻すが、まあエミリオンの仕上げは厄介でな。戦闘を見てわかる通り、手数が多い癖に大雑把でな」
「大雑把?」
「取捨選択が難しい状況での対応が〝範囲〟なんだよ」
「ああ……そういえば、確かにそうだったかも」
「なんだ、全部解析したわけじゃねえのか」
「時間が足りないからまだ。一通り映像を見ただけじゃ、さすがにね」
「元よりあいつは戦闘を専門にしたくねえって話だったろ。だから俺に話が回ってきた――ん? ありゃジニーのクソッタレが俺に押し付けたんだっけか? まあ、そんな感じだ」
「爺さん、率直に聞くわよ」
「なんだ?」
「私と全力戦闘する場があったとして、爺さんは雨天を見せる?」
「そりゃ見せるだろ。事情は度外視して鷺花となら、見せずに終わらせられるか。隻眼だって呼ぶぜ」
「――それ爺さんの天魔よね」
「おう、百眼が一つな」
「一対っていう意味?」
「片目って意味じゃねえことは確かだ」
「そっちの領域には――」
「踏み込んでるだろ。暁には内緒にしてるみたいだが、クソ爺連中が苦虫を噛み潰したような顔をしてたぜ」
「口下手ばかり集まってるから、じゃあ実践してよとお願いしてるだけよ。――父さんには内緒でと、口止めはきっちりしてるけど」
「報復準備しとけ……」
「え? 誰が漏らしたの?」
「爺連中が集まってるところに暁が行った――らしい。たぶんお前、帰ったら見せろと言われるぞ」
「それ、今度私も使ってやろうかしらね」
「ははは、そりゃ面白い」
「爺さん、私はエミリオンの戦闘技術結晶を貰ったのよ」
「へえ――使ったのか?」
「うん。教皇庁の時に、セツとウィルを相手に」
「それこそ、見せろって感じだったんだろうぜ。どこまで扱えた?」
「最終的には二歩、届かなかった」
「さすがだな。いくら譲渡可能な技術結晶とはいえ、そう簡単に扱えるもんじゃねえだろうに」
「褒め言葉にはなってないわよ」
「そうか?」
「二歩手前。――それじゃ爺さんは雨天を見せないでしょ」
だから問題なんだと吐息を落とすと、対面で苦笑が落ちた。
「……なによ」
「エミリオンはこうだったと――そう言える人間になりてえのか」
「ええそうよ。少なくとも、まだ届かないと言える人間になるには、せめてあと一歩は近づきたい」
「そりゃいいことだけどな、……俺の話はまた、ちゃんとしてやる。今日はまず休め。見てらんねえよ」
「ん、わかった」
「素直でいいことだ。にしても――」
懐かしいなと言いながら、左手で掴んだ刀の鍔を軽く押し上げて、その光沢に彬は表情を緩める。そうした仕草は鷺花の父、暁にひどく似ていた。
「これを創った頃にゃァ、使う機会がなかったッけよゥ」
「――大爺さんみたい」
「……あ? ああ、いや、おう、……忘れてくれ。気が抜けた」
気が抜けたというよりも、刀の気配を感じた天魔が彬の内側で動じたので、そちらに話しかけたのだが、つい昔の口調が出てしまったようだ。
「クソ爺の影響でな、昔はそういう口調だったんだ。ま、家を抜けてから矯正した。どっかの誰かと似たように見られるのが癪だったからな」
「わかるわかる。――そういや、爺さんの若い頃って何してたの? ジニーとも知り合いだったみたいだし」
「暁とそう変わらんだろう。家を抜けるまでは鍛錬中心だったし――ああ、まあ、暴れてたのは確かだな。暁は高校中退後から戦場を走り回って経験を得たが、俺は並行作業でやってた。ジニーとはよく遊んだもんだ」
「でも、家を抜けてすぐくらいに――五月雨を創ろうとしたわけでしょ?」
「構想は前からあったんだよ。そっち系に興味もあったし、素材は
「
「午睡の親父だな。俺があいつを使ってたのも、そういう理由だ」
「なるほどねえ。あの人は素材調達やってたってこと?」
「旅の資金を集めるのに、趣味と実益を兼ねてだ。つってもほとんど国内に限りってところだけどな」
「今のあの人からは想像もできないわね……」
「俺だって似たようなもんだろ」
「ちょっと居合って見せてよ爺さん」
「……見せるだけだぞ?」
「やってくれる爺さんは甘いのなあ。嬉しいけどね」
「ちょっと待ってろ、感覚が戻るかどうかもわからねェ――」
立ち上がった彬は刀を片手に、迂回する形でソファからやや離れる。出入り口付近のスペースに停止すると、軽く周囲を見渡してから手元の刀に視線を落として苦笑した。
「さてと」
表情はそのままに肩の力を抜き、左の親指が鍔を持ち上げる。それを示したのはこれから居合うと鷺花に見せるためで、それから右手を柄に添えた。本来その手順は逆になる場合も多いのだが、あくまでも鷺花の視点に合わせる形だ。
「――え?」
「駄目だなァ、こりゃァ戻すのに一苦労するぜ」
それにしてもと、鷺花の方へ顔を向ける。
「見えたか?」
「見えない。ただ感じただけ」
居合いの速度は鷺花の知覚の外。むしろ刀など抜いていない、と考えた方がいいくらいで、それなら笑って済ませられる。
だが、鷺花の五感は確かに居合いを感じていた。
暁が見せる居合いの、僅かに柄を握った手が動くような微動も見えなかったのに、確かに居合いを行ったのだ。
「凄い……空気を斬らなかったのね? いや違うか、空間の隙間を切った……本来あるべき空気の切断現象が発生しなかったのは〝
「感覚を戻すにゃァ丸一日かからァ――と、ん、まあそんなもんだ」
「ん、ありがと爺さん。そりゃ父さんがまだ足りないって言うわけだ」
「足りない、ねえ。まあ言うなれば、俺はいつか暁を仕上げねえとな。できれば、だが」
「やる気があれば、の間違いじゃなくて?」
「うるせえよ」
「ん……爺さん、今時間ある?」
「なんだ眠くなってきたか? 部屋の守りは俺に任せて寝ろよ。用事があっても今日くらい、キャンセルしたって問題はねえ」
「ありがとう。じゃあちょっと寝る――」
ケーキも食べつくして気持ちよくなってきた鷺花は、そのままソファに横になる。すぐに飛来した睡魔に抗うことなく身を委ね、暗い気配が身を包むよりも前に。
「爺さん……」
「なんだ鷺花」
「……私が起きるまで、どっか、行かないでね」
おゥと、短い応えが聞こえたような気がした。
でも、それだけで充分だ。
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