2058年

02/09/21:00――刹那小夜・遠々路紗枝

 その日は、雪がちらつくような寒い日だった。

 愛知県野雨市は太平洋側に位置するため、実はあまり雪が降らない。いや、降ったとしても、年に二日くらい積もる日があるくらいで、交通に支障をきたすほどの積雪があるのは、数年に一度というレベルだ。けれど、体温を奪う強い北西の風が吹く日が多く、雪が横に流れて行く様子だけで、できる限り外出は控えようと、そんなことを考えるものだ。

 だから、刹那小夜のように、白色の長そでシャツにネクタイを締め、チェックの短いスカートという恰好は、コートでも忘れたのかと思うほど、軽装であった。それで鳥肌の一つも浮いていないのだから、そこに気付けば違和感も覚える。

 ガキだから基礎体温が高いんだよ、なんて、小柄な外見を引き合いにして冗談でも言えば、二度と口が開けないほど殴られるような結果になると知っているのは、彼女を知っている人間だけだ。いや、知っていたのなら――近寄らないか。

 ランクD狩人〈瞬刹シュンセツ〉であり、名を刹那小夜せつなさよ。彼女にとっては仕事とは生活で、生活が仕事のようなものだ。時間を見つけては依頼を探して引き受け、解決したら報酬と共に、少しばかりの休息を得る、なんて一般的な狩人とは違い、複数の依頼を引き受けながら、同時に、日常的に解決を続けている。それが生活だ。

 そんな生活の合間に、するりと、それは挟み込まれた。

 野雨は小夜の庭である。けれど、だからといってその全てを把握しているわけではないし、仕事と関係ない情報であったり、調べればわかることは、それこそ調べる必要がある時に得れば良いと、半ば放置している。そうしなければ、面倒ばかり背負い込んでしまうのだと、知っているからだ。

 だから、その動きも知らなかった。

 二十三時までには、まだ二時間もある。早い店は閉店作業に入っているが、街灯はまだあり、遅い帰宅時間でもあるため、人通りもそれなりにあった。そんな中で不穏な気配が一つ――。

 ここでの選択は、関わるか否か。けれど、気取られるような間抜けでは話にもならないし、こと〝殺害〟が目的ならば時間的に早すぎる。加えて野雨では、屋外での殺しは筋を通さなければいけない、なんて暗黙の了解ルールがあるとなれば、関わらない、なんて選択肢を小夜は持たない。

 どういう仕事なんだと、路地に曲がる振りをして空間転移ステップの術式でビルの屋上へ飛ぶ。煙草に火を点けながら、携帯端末に触れて〝仕事〟のリストに目を通す。最重要項目、つまり屋外における殺人許可リストには、該当するものがなかった。

 身分証――。

 当たりをつけて術式を使えば、伏射姿勢で狙撃銃を構える人物の持ち物が手元に転移してくる。もちろん、未だにトリガーには指が添えられているだけで、絞っていないことを確認してのことだ。仮に、術式の最高速度でも間に合わない場合、コンマ以下でトリガーが最後まで引き絞られるような状況であったのならば、小夜もこんなにのんびりとはしていない。

 面倒だ、と思って携帯端末を操作し、画面を投影し、本体をパネルにして右手で叩く。とっくに陽が沈んでいる時間なので鮮明に空中投影されているが、逆に言えば発光もしているので発見されやすい。

 偽造身分証から辿るまでに二十秒。本人から仕事の内容を辿るのには、やや時間を要するので、この男がいわゆる〝外注〟と呼ばれる軍人崩れの傭兵であり、傭兵団には所属していない時点で、CZ75と呼ばれる自分の自動拳銃を一発、弾丸そのものを心臓に転移させて殺害した。

 手を離せば、空間転移して拳銃は消える。回収の手続きは野雨にいる狩人へ依頼として出しておき、小夜は再び地上へ。

「……遠々路紗枝とおえんじさえ?」

 標的の名だが、もちろん知らない。となれば一般人なのだろうと思いながらも、免許証の取得履歴から参照して顔写真を入手。やはり知らない顔だ。在籍しているのはVV-iP学園の蓄積学科三学年――と。

 そこで、歩いている当人を発見する。どうしたものかと、歩行速度を上げて近づき、声をかける前に小夜は気付いた。

 気付いたから、頭を掻き、人を避けるようにして隣へ。

「――おい、遠々路紗枝」

「はい?」

 ドレス、にも似たような服。一定の歩幅に、周囲の人へ道を譲るような気配り。育ちの良い人間に見られる傾向であり、また、相手を立てるやり方は、特に次女に見られるような落ち着きだ。己を抑制し、姉を立て、あるいは妹を好きにさせるような――つまり、我慢ができる育ち方である。

「てめー、殺し屋に尻尾を掴まれてるぜ」

「――」

 直截した時の反応は、驚きである。だが、それは継続しない。すぐに目を伏せるようにして悲しみが浮かんだかと思えば、苦笑に切り替わった。

 苦笑。

 それは、諦めだ。

「そうですか……ありがとうございます」

「知っていて放置か?」

「……」

「なるほど? クソッタレな事情が関与しているってか。来い、話がある。断るな」

「しかし――」

「うるせえ」

 手ごろな喫茶店と言えば、喫茶SnowLightだ。混み合う時間は終わったが、閉店作業が済んでいる可能性もある。それでも、渋る彼女を引っ張って来てみれば、まだ店内に灯りがついていた。

 中に入れば、出迎えたのは鷺城鷺花だ。黒色のエプロンをしており、まだ仕事中なのだろうけれど、小夜の後ろについてきた人物を見て、営業用の笑みと共に、奥の席へ案内した。いつもは大きな音で鳴っているステレオも、今は小さな残留ノイズが聞き取れるかどうか、といったところだ。

「オレは珈琲だ。てめーは?」

「いえ――」

「紅茶でも持ってきてくれ」

 ふんと、鼻で息をした小夜は、携帯端末を取り出し、先ほどのように映像を投影させ、ぱたぱたとパネルを指で叩く。

「あの、あなたは」

「刹那小夜だ。狩人。てめーを狙ってた馬鹿をさっき殺してきたから、とりあえずは安心しとけ」

「――、殺した、のですか?」

「そうだ。駄目だったのか」

「それは……、けれど、殺人と呼ばれるものを、私が許容することはありません」

「へえ? そりゃ、オレに対して、狩人だと言ったオレに、人を殺すのはいけませんって説教してるわけか?」

「あるいは、そうかもしれません。けれど、刹那様の行為を否定したわけではなく、私自身の問題です」

「たとえ、自分を殺されたとしても、か?」

「はい」

 志の問題だ。それは尊重すべきものであり、誇るべきなのだろうけれど、しかし。

「……そうやって、我慢してりゃ状況が動くんなら、誰だって苦労しねーよ」

 鷺花が持ってきた紅茶と、珈琲。それから小さなサンドイッチが八つほど。一瞥だけしておいたが、どうやら関わろうとはしないらしい。

 ため息が一つ。

「おい」

「はい、なんでしょうか」

「いいか、最初に言っておく。今、てめーの周囲に起きている事態、全てをひっくるめた状況、そいつは、てめーが原因だ」

「……はい」

「わかっていて放置か? それとも、ようやく気付いたのか」

「気付いた時には、もう、手遅れだった……のでしょうか。そういった感覚に近いです」

「で、諦めたのか」

「私は――……恩を仇で返すような真似を、したくなかっただけ。ただ、臆病だっただけなのです」

「だったら、こいつをオレが解決しても、いいんだな?」

「それは――……」

 否、と言おうとしたのだろう。強い視線を向けたかと思えば、彼女はすぐに肩から力を抜いて、やや俯き加減に紅茶へ手を伸ばす。

「わかりません」

「なに?」

「わからないのです。もう、私がどうすれば良いのかも」

 小夜自身にはない感覚だが、それは人として、持ち得る感情なのだと思った。それこそが面倒の原因なのだが、一般人からはそう外れていない相手に向かって、切り捨てろと気軽にも言えず、小夜は香草巻きに火を点ける。

 事情は、第三者から見ればそう複雑なものではない。

 蓄積学科――あらゆる知識を蓄えて積むだけの技術を教え、それを実践するための学科である。VV-iP学園では異質な部類であり、もちろん就職の役に立つとは思えないし、進路と呼べるものもない。しかし、三年間在籍している時点で、優秀の二文字だけは、間違いなく遠々路紗枝は得ているだろう。

 入学当時に五十人いたとすれば、三ヶ月で普通科に移動する人間は三十人。半年目で二十人は脱落し、一年目を終えた頃には十人残るか否か、という学科だ。教員ですら、教壇に立って吶吶とつとつと知識を語るだけであり、それを学生が得ているかどうかなど、当人次第といった具合なのだから、仕方ないのだけれど。

 紗枝は優秀過ぎたのだ。

 当人はこうして見ての通り、優秀さなど自覚すらない。直截されても、いいえと否定するだろう。たぶん、そうした性格込みで、――嫌悪の対象になった。

 没落貴族なんて言葉を使えばいいのだろうか。静岡県にあった遠々路家は、おおよそ十年前に潰れている。当時の事情、金の流れ、そんなものまで追ってはいないが、そこそこの企業が一つ潰れたところで、このご時世だ、珍しくはない。その社長が遠々路だったとしたのならば、両親が蒸発して娘である紗枝が残されても、それほどの特異性はなかった。小夜に言わせれば、売られなかっただけマシじゃないか、といった具合だ。

 ただ、匂うのは、紗枝が引き取られた経緯と、そこに〝誰〟が絡んでいたのか、だが――さておき。

 紗枝は拾われた。今の養父は芹沢の重役であり、稼ぎはそれなりに悪くない。けれど、馬鹿な姉が二人いる。紗枝の優秀さを含めた性格を毛嫌いするような、馬鹿だ。自分で稼ぐこともなく、父子家庭であるためか、父親も甘やかし、金を使ってどうとでもできる、なんて思いこむような――姉だ。

 その姉たちの行為がエスカレートし、今回の傭兵を金で使うようなことに繋がるわけだが、さすがに度が過ぎている。

「口を噤んでいる理由は?」

「私は……その、私の事情に関しては」

「今しがた一通り調べた。予想を言えば、拾われたお前が、そのことに対して感謝しているから、口に出せないとか、そんなクソッタレな理由だろうと思ってる」

「……はい。私を拾ってくださり、今まで育てていただいたことは感謝しております」

「育てる? そりゃどういう隠語だ? ――金を支払ってくれて、だろ」

「そうかもしれません。けれど、それだけではなかったかと」

「そう思いたいだけだ。違うか?」

「……、そう、かもしれません」

 責めるような口調になってしまったが、小夜としてはべつに、いらだっているわけではない。

 ただ――情けないとは、思う。

「オレに対して、殺しはいけませんと言った口調で、言えばいいだろーが……面倒な女だな、てめーは」

「……そのようなことを言われたのは、初めてです」

「だったら自覚すべきだな。ったく……」

「あの」

「なんだ? 煙なら文句は受け付けねーよ」

「いえ、その、どうして……私の事情を?」

「ああ。――その鞄に入っている一冊の本がなけりゃ、オレだってここまでの世話は焼かねーよ」

「――っ」

「ジェイの匂いだ。となりゃ……影複具現魔術トリニティマーブルの書か」

「どうしてそれを……」

「ふん、この程度で驚かれてもな。そこにいるエプロンをつけた店員なんか、オレよりも詳しく察するだろうぜ。てめーが、魔術書を〝読む〟ことができても、術式を使ったことがねーことも、どう使えばいいのかすらわかってねーこともな」

「……私が拾われてから、ずっと持っていたものです。今ではお守りのように」

「へえ? 誰に貰った?」

「わかりません」

「覚えてねーのか」

「はい。貰ったのかもしれませんし、かつての遠々路家の書斎から持ってきたものかもしれません」

「いや、所持者はてめーだ。間違いはねーよ。ただし、魔術師になるのか否か、そこまでは知らねーし、そもそも魔術師であることもてめーにはわかんねーだろ」

「それは、……そうです」

 そういう話は後だと、煙草を消した小夜はサンドイッチに手を伸ばす。

「いいか、よく聞け。野雨じゃそもそも、殺人行為にすら制限がある。詳しくは説明しないが、さっきてめーに向かって銃口を向けていた馬鹿は、現実に発砲していなかったとはいえ、その行為だけで〝殺害対象〟になる」

「――、そう、なのですか?」

「野雨にいる狩人で知らない馬鹿はいねーよ。関わったのはオレじゃなけりゃ――てめーも含めた全員が〝同罪〟で留置所にぶち込まれてもおかしくはないレベルだ」

「……」

 僅かに口を開き、驚きに紗枝は硬直する。だが、現実的には間違いない。実行者も、依頼主も、その影響のある範囲が全て粛清対象のようなものだ。もちろん、ある程度の猶予は与えるが――それも、状況によりけりで、そこまで説明するつもりはない。

「そして、オレも、同じことをする。何故? ――簡単だからだ。面倒がなくて済む」

「……はい」

「サギ!」

 はいはいと、カウンターで珈琲を飲んでいた彼女は、エプロンをつけたままこちらへ来る。もう閉店だろうし、時間的猶予はそれなりにあった。

 だから。

「なに?」

「こいつを鈴ノ宮に預けろ」

「手続きはそっちでするわけ?」

「ああ、やっておく。おい、あー、紗枝だったか」

「は、はい」

「てめーが支払うのは〝証明〟だ」

「――え? それは、どういうことでしょうか」

「言っただろ? てめーは、殺しを許容しねーと。だから、それを証明しろ。オレの行動に対する報酬は、それでいい。今は理解するな、覚えておけ」

「はい……わかりました」

「ん。サギ、頼んだ。答えられる範囲だけでいい、適当に説明も」

「はいはい。セツは?」

「オレは、もうちょい世話焼く。じゃあな紗枝、またすぐに逢うから、いろいろと整理しとけ」

「あの、刹那様!」

「小夜でいい。なんだ?」

「……姉は、姉たちは、どうなるのですか」

「二人は狩人留置所へぶち込んで強制労働。父親は、たぶん更迭」

 言いながら、小夜は立ち上がった。

「てめーの姉は、二度と世間に出ることはねーよ」

 残念ながら、誰かを殺すだの、殺さないだの、それを依頼にするような連中たちは、そういうルールで生きている。

 自業自得、だ。


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