07/15/11:00――安堂暮葉・いつものこと

 六月から強くなる日差しは、七月に入ってもまだ弱くなく、今日のように天気が良い日にガラス温室などに入っていれば、首に引っかけたタオルが重くなる。二時間程度の作業では、仕事をしたという気分にもならないが、一段落を見た安堂暮葉あんどうくれはは、温室の外へと出た。

 VV-iP学園の道場横に位置する場所に、この温室はある。内部から移動できるが、二棟あり、もう片方はこの時期、冷房を入れていた。また更には、パイプのビニールハウスもあり、ともかくこの三つが部活動のメインの場所だ。もっとも、本格的な活動は夕方からなので、時間外労働にも似たものである。一人の作業も大して苦にはならない。

 腕時計に目を走らせた暮葉は大きく伸びを一つ。一八○には届かない背丈だが、痩せすぎだと思えるほどの体躯であり、赤色のツナギを着ている。やや白く見えるような坊主頭であり、無精ひげが少しある。三日に一度剃るくらいなもので、自然に伸ばしているが、それほど汚い印象は受けない。赤色の偏光がかったアイウェアも、いつものことだ。こうして室内に入れば、頭の上に乗せるようにして外す。

 そろそろ午前の授業も終わる頃合いだろうか。いずれにせよ静かな廊下を歩き、普通学科一学年棟の学食に赴いて、自販機でお茶を購入した。濃い、とラベルに表記されている緑茶である。しかし、暮葉はそれを小脇に抱え、隣の自販機で紙コップの珈琲を購入した。そして、適当に空いている席を探して、腰を下ろす。

 熱いのも、冷たいのも、暮葉は苦手なのだ。極論を言えば、常温でもいいくらい。だから、喉の渇きがあっても、猫舌である事実も加味して、飲み物には手が出せないのだ。

 手荷物はハウスに置きっぱなしにしていたことに気付く。盗まれて困るようなものは入っていない、簡単な書類のようなものばかりだ。けれど、消耗品の発注作業ができないなとは思う。思うが、先に喉を潤すのが先決である。昼にはやや早いが、まあ、元より空腹をあまり感じない性質であるため、早かろうが遅かろうが、あまり気にはしないのだが――しかし、手持無沙汰なのは、確かだった。

 携帯端末を胸のポケットから取り出してテーブルに置き、タッチパネルを操作。学内ネットワークにアクセス――と。

 コミュニケーションツールが、連絡の通知を伝えてきた。先にそっちを見るかと思って操作すれば、理事長である五木忍いつきしのぶから、いつでも構わないので折り返しの連絡を、とあった。未読のままだったそれを、暮葉が既読にする。通達そのものは部員全員が見れるもので、基本的に対応は既読にした人間がやる、というルールになっていた。とはいえ、大抵は暮葉か、部長なのだけれど。

 携帯端末の右上から小型インカムを引き抜いて耳にかけ、登録してある番号に連絡を入れれば、三コールで繋がった。

『はい、理事長室』

「ハウス園芸管理部の安堂暮葉です」

『ああ、はい、早い対応ですね、安堂くん。頼みごとなのですが、よろしかったですか?』

「はい、なんでしょうか」

『贈呈用の鉢を二つほど、用意していただきたいのですが』

「贈呈用ですか」

 聞きながら、既に暮葉の頭の中は冷房室で咲いている花をリストアップしていた。

「今の時期ですと、胡蝶蘭くらいしかありませんが、贈呈用でしたら白の大輪にしますか?」

『そうですね、一鉢はそうしてください。ただもう一つは、和室で飾るとのことなので、上手く作れますか』

「でしたら、小輪の濃いラベンダーのものを、平鉢に寄せてみます。期限はどうでしょうか」

『準備さえしていただければ、夕方頃に取りに行きます』

「わかりました。書類を添えておきます。箱入れ作業もしておきますか?」

『いえ、仕立てていただければ、そのままで結構です』

「では、冷房室入り口のテーブルに置いておきます」

『はい。では安堂くん、よろしくお願いします』

「承りました」

 いつもありがとうございます、と言おうとして、止める。それは営業用だ、ここですべきものではない。

 通話を終えてから、コミュに仕事内容を書き込んでおく。夕方までならば、食事のあとでも充分に間に合う作業だ。もちろん一人でやっても、一時間とかからない。

 ハウス園芸管理部は、園芸部ではない。基本的にはハウスの管理であり、その中にある蘭の栽培がメインだ。どうしてそれがメインなのかと問われれば、蘭という花はいささか特殊であり、こと主流にしているカトレヤは、ほかの花と一緒に育てることが難しいのである。とはいえ、今では蘭全般、加えて簡単な観葉植物用のハウスまで、できてしまったのだが。

 作業それ自体は問題ないが、果たして自分が卒業したあとにまで管理ができるのだろうか、などと思いつつ、程よく冷えた珈琲に手を伸ばす。やや熱いくらいだが、飲めないことはなかった。しかし、微妙な時間に休憩をしてしまって、時間を持て余す。知り合いがやっている学内ラジオはまだ少し早い時間だし――と、そう思っていると、やや小柄な男が入ってきた。こちらに気付き、笑顔で軽く手を挙げる。

「やあ、暮葉」

「おう」

 ハウス園芸管理部の部長、三学年普通学科所属の波多野陣二はたのじんじだ。一応は先輩に当たるのだが、暮葉はあまり気にせずに対応している。

 陣二はお茶を買って、対面の席に腰を下ろした。気付けば、四人用のテーブル席だ。まあ、人が多くなれば移動するつもりだったので、構わないだろうと思いつつ、携帯端末をポケットへ戻した。

「仕事、受けたんだってね。ありがとう」

「何もかもが部長であるお前の仕事ってわけでもないだろ」

「それはそうだ。午前中、やってたんだろう?」

「ああ、秋咲き系統の支柱立てだけだ。全部ひっくるめて三千鉢くらいしかないんだし、楽なものだ。ああ、観葉系の灌水は済ませておいた」

「相変わらず手が早いなあ……」

「仕事なんて、とっとと終わらせた方が楽だろ」

「手分けして、と付け加えれば正解」

 それもそうだろうが、一人でできるなら、それに越したことはないだろう。とっとと済ませて、空いた時間で、退屈だとぼやく――それが、大抵の場合における、暮葉の生活だ。

「悪いな」

「いや、いいんだけどね。手間な仕事ばかり終わらせているし」

「面倒なことから片付けるのが癖になってんだよ。で? まだ昼にゃ早いだろ、どうしたんだお前は」

「今日は日曜日だよ、暮葉」

「……そうだっけ?」

「そう、一般的には休日だ。どうしたは僕の台詞でもある。いや、僕はそれなりにやることもあったし、授業を受けようかと思ってきたんだけどね」

「物好きだな……いや、この学園なら、そうでもないか。あーそうか、休みか。そりゃ部活もしようってことになるな」

「ほぼ毎日のように温室に通っている暮葉を見れば、どの部員だって、毎日のように遊びたくなるものだよ」

「遊んでどうする」

「遊びみたいなものってことだ。部活動なんてのは、楽しむのが第一だからね」

「運動部連中に言ってこい」

「彼らだって似たようなものだよ。ただし、第一ではないかもしれないけれど」

「どうだかな。飲み物を置いておくから、見ててくれ」

「どうかした?」

「書類をハウスに置いてきたから、取りに行ってくる」

「今度はこっちの飲み物を忘れないようにね」

「言ってろ」

 さすがにそこまで馬鹿じゃない、と思いながら席を立つ。ハウスから一番近いこの学食はよく使うので、きっとそれを見越して陣二は来たのだろう。どうせ必要になる書類だったので、手間が省けた――なんの手間だ――と思えば、それはそれで構わない。

 普通学科一学年棟を出てしばらく歩くと、温室を見ている女性がいた。スーツのように思えるような、ぱりっとした服装だ。さすがにこの暑さであるため、半袖であることは一般的で、暮葉のように常時長袖の方が珍しいのだろうけれど、彼女もまた、袖の長い衣服を着ていた。

「――失礼、どうかなさいましたか?」

 猫を被るのは手慣れている。営業用の微笑に似た表情で問いかけるが、アイウェアをしたままだったことに気付く。外すべきかと思ったが、振り向いた彼女の顔にも、似たようなアイウェアが乗っていて、少し驚いた。サングラスなら一般的でよく見るが、スポーツ用のアイウェアというものは、この日本では、運動時以外では珍しい。おそらくはマラソン選手などが印象深いだろう。

「いや、この学園にこんな場所があったんだと思って」

「ああ、そうですね、道場裏になりますし、そもそも、道場に立ち寄ることも少ないですから。かつては園芸部がハウス園芸、主にトマトなどの栽培をしていたのですが、季節のものを季節に作った方が自然で、美味しいことから調理部でも好まれまして、使われなくなったものを、今では花の栽培で使われています」

「へえ、主流は?」

「カトレヤ、胡蝶蘭、シンビジウム、デンドロビウムの蘭系統が主流です。そちらのビニールハウスでは観葉ですね」

「ああ、学園のあちこちで見かけるカトレヤはここで作ってたのか……なるほどね」

「目に留まっていただければ、作っている身としては嬉しいことです」

 そうねと、短く言った彼女は、アイウェアを鼻の先にズラすようにして目を見せ、こちらを見た。

「――いや、大変そうね。説明ありがとう、一等兵さん」

「あ、いえ――」

 一等兵、と呼ばれたことに動揺するが、しかし、小さな笑いと共に彼女はその場を去ってしまった。なんだったんだと思うが、その答えを持つ彼女はもういないと気付き、中に入って書類ケースを手に取る。中身は、今回のような依頼に関連する書類で、単に電子データを印刷しただけのものだ。いわゆる形式に則った空白の書類である。

 すぐに戻ろうと思ったが、その前に休憩室に立ち寄り、逆の胸ポケットから煙草を取り出して、火を点けた。まだ授業中――ああそうか、休日だったんだと思い出すが、やや狭い休憩室には誰もいなかったので、煙も少ない。とはいえ、常時換気されている部屋だから、よほどのことがない限り、煙が充満することはないのだけれど。

「――ん」

 休憩室の前を通り過ぎた女子学生が、そのまま後ろ歩きで戻ってきた。と思えば、まるでどこかの学校の制服のような服装の彼女は、頭の右側で結った髪を揺らして入ってくる。

「なにしてんすか暮葉先輩!」

「うるさいのに見つかったか……」

 入部してから、まだおおよそ三ヶ月の付き合い。喫煙家であることは、上手く隠してきたつもりだったが、まあ、見つかる時はこうしてあっさり見つかるわけだ。

 一学年農学科、姫野ことね。印象としては小柄で元気が良い。あとうるさい。やや丸っこい顔で愛嬌がある――と、これだけは陣二の言葉だ。

「え、なに、先輩って煙草吸うんだ」

「見ての通りだ。お前は止めとけよ、似合わない。税金が積まれて今じゃ一箱で七十ラミル――と、円換算だと七百円くらいか。嗜好品としては高すぎる」

「うわあ、そういうイメージ持ってなかったわあ……あ、でも、吸うってわかると、イメージ的には外れじゃない気がするなあ」

「うるせえよ」

「いや先輩、本当に目つきが悪いですって。マジで怖い。怖すぎる! 恐怖の象徴!」

「十の災いには遠く及ばない」

「え、なんですかそれ」

「恐怖とは少し違うが、エジプトに対して神がもたらしたとされる十の災害のことだ。確かエジプト記……だったかにある。それは水を血に変える、蛙、ぶよ、虻を放つ、疫病を流行らせ、腫物を生じさせ、雹を降らせ、飛蝗バッタを放つ。暗闇で覆う、長子を皆殺しにする――と、まあ、そんな感じだ。その災害から恐怖を抱くには充分ってな……」

「へえ、物知りですよね、暮葉先輩って」

「こんなのは聞きかじった程度だ、調べたわけじゃない。黒い絵が恐怖や抑圧なんかの衝動から生まれる、なんてことと同じようなものだろ」

「いやそれも知らないですよ。恐怖の大王なら知ってるけど」

「だったらそれでいい。というか姫野、何しに来た」

「なにって部活ですよ! 起きたら十時近かったんで、昼食はこっちで――……ん? いや、というか、むしろなんで暮葉先輩がいるんですか?」

「俺がいちゃ悪いか」

「悪い」

「……おい」

「いや冗談ですよ。午前中からまたやってたんでしょ、先輩のことだから」

「大した作業はしてない。ちゃんと仕事は残してあるから、あとで陣二に聞けよ」

「なんで先輩って、そんなに仕事好きなんですか?」

「べつに仕事が好きなわけじゃない。おら、行くぞ」

「はーい」

 旧約聖書なんて、いらない話をしたと思いながら戻れば、暮葉が座っていた席に、ちょこんと腰かけた少女がいる。どこか眠たそうな、ぼうっとしたような表情。肩までしかない髪の上には、帽子が乗せられていた。

 一学年美術学科、喜多村静花きたむらしずか。これで四人全員、ハウス園芸管理部が揃った。

「波多野先輩、ちーっす!」

「やあ、姫野さんも来てたんだね」

「おい、俺の珈琲はどこだ。おい喜多村、俺の珈琲だ」

「……おー」

「おー、じゃねえだろ」

 両手で持った紙コップを渡されるが、当然のように中身はない。仕方ないのでゴミ箱に捨てて、新しい珈琲を買って戻る。四人掛けのテーブルが、これで一杯だ。

「って、喜多村。お前わざとだろ。その未開封のボトルは俺のだ。飲むな」

「大丈夫」

「何が」

「開いてないから飲まない」

「開いていても飲むな。ストリキニーネは耐性のない人間にとって少量であっても毒物だ、口の部分に塗られていた時点で、手遅れになりかねん。それに加えて気道感染症、結核などの伝染の可能性もある。人が口にしたものを飲むな」

「えっと、うん、わかった……?」

「疑問形で言うな」

「さっきのもそうだけど、暮葉先輩って博識だなあ」

「博識? 馬鹿を言え、このくらいのことは陣二だって知ってるだろ」

「そうだね、僕も知っているよ」

「さっき?」

「静花は十の災いって知ってる?」

「知ってる。怖い絵画もある」

「見ろ、知らないお前が間抜けなだけで、大して特別な知識ってわけじゃねえよ。そして、俺は飯だ。お前らはどうするんだ? 喜多村は来い。今買ったばかりの珈琲をまた飲まれるのは業腹だ」

「ちぇ……」

 カウンターに行けば、受け付けがまだ来ていないのか、厨房からコックが顔を見せる。暮葉は顔なじみではあったが、素知らぬ振りでクラブハウスサンドの注文を済ませた。支払いは各各が自分でする。学生なので当然だ。

「暮葉、僕が運ぶよ」

「頼んだ」

 先に席に戻れば、珈琲は無事だった。当たり前だ、静花は今しがた支払いをしている最中である。まだ熱かったので、防戦は必要そうだが。

「先輩って、小食ですよねー」

「なんだ姫野、お前も陣二に頼んだのか」

「静花が残ってくれたんで。まだ数回くらいですけど、痩せてるの食べないからじゃ?」

「痩せないのは体質だろうな。一時期は吐き気がする手前まで食ってた時期もあるが、太ることはなかった。小食なのは、その反動もある。お前だって、毎日ケーキばかり食ってりゃ、甘くないものが欲しくなるだろ」

「そりゃそーですけど。え、それって同じこと?」

「似たようなものだ。――っと、相変わらずコックは手早いな」

 手分けして運んでくるものを、暮葉は受け取る。そろそろ珈琲も冷めてきただろう。外は暑いが、心地よい温度に屋内は管理しているので、その影響もある。

「食べながらでいいから、今日の仕事を話しておくよ。まずは暮葉、理事長からの依頼に関して、改めて説明してくれるかな」

「ん、……贈呈用の胡蝶蘭を二鉢だ。一つは白の大輪を三つ寄せた大鉢でいい――が、そういえばお前らは初めてだったか」

「うん」

「そうっす。もっと言えば、理事長さんから依頼ってのも」

「そりゃそうか、たまにあるんだよ。なあ?」

「そうだね。それこそ、三ヶ月に一度くらいはあるかな。作れない時の対処なんかも、また教えておくよ。作り方は――うん、暮葉に頼もうかな」

「俺にかよ、面倒だな」

「適材適所だ。僕は今日、あちこち見回って手入れするからさ」

「だったら、教師棟は先に回っておけ。そろそろ乾いてるはずだ」

「……そういえば、ここにいるのって教員ばっかなのに、教師棟って名前なんだよね、あそこ」

「通りが良いからだろ、話を戻すぜ。もう一鉢は和室用、こっちは濃いラベンダーを浅鉢に寄せ植えする。イメージとしては、胡蝶蘭で作った、小さな梅の木みたいなものを想定してくれれば構わない。箱入れはなし、期限は夕方。聞いた話は以上だ」

「うん。温室の灌水は浅鉢だけ、植え替え作業はまだなし。だから今日は、贈呈用の仕立てを中心にしてやろう」

「はーい」

「わかった」

「ま、なんだかんだで暮葉の教え方は的確だから、そう時間もかからないだろうけれどね」

「去年はそう言って、先輩がやたら俺に仕事を押し付けて笑ってやがったけどな……」

「暮葉にとっては、それこそ、大した仕事じゃないんだろうしね。さて、そろそろ夏休み時期になるけれど、暮葉、今年はどうしよう」

「今年? なにかあるの」

「うん、去年は合宿をしたんだ」

「合宿? うちの部で? なんかやるんすか、先輩」

「――ははは」

「笑うな、陣二。といっても、笑うしかないけどな」

「え、なんなの、ちょっと暮葉先輩」

「去年やったのは、ただのキャンプだ。親睦会みたいなもの。とりあえず一泊とか言って始めたのに、結局は三泊もして行きやがった。冗談じゃねえ……」

「はは、場所は暮葉のところだったからね」

「……うん? 安堂先輩の、ところ?」

「学園じゃないんですか?」

「やっぱり、暮葉は何も言ってないのか。相変わらず隠し事が多いね」

「お前にだって隠したままだ」

「知ってるよ。隠していることを、僕は知っている。何か、まではわからないけれどね。だから僕からは言えないけれど?」

 だからといって、このまま黙っているわけにもいかず、そして、べつに明かすことが嫌だったわけじゃない。あえて話さないようにしていただけだ。

「少し想像して、疑問を抱いて調べればわかることだ。俺の実家は、安堂洋蘭園を営んでいる。カトレヤを主流とした農家でな、住まいからは少し離れた場所に温室があるから、そこの駐車場というか、空きスペースを使って合宿をやったんだ。うちの仕事も多少は手伝わせたが」

「いや、遊んでばかりだったけれど、実際に勉強もしたよ。生産現場を三日間も連続して見て、仕事の内容ややり方なんかを先輩たちも学んでいた。――彼女らは、素直にそうは言わなかったけれどね」

「どうだかな」

「って、え? そなの? 初耳なんだけど、静花は?」

「知らなかった」

「良かったな、今知ることができて」

「暮葉、どうだろうか」

「八月に入れば問題はない」

「わかったよ」

「あのう、暮葉先輩。どうして八月に入れば大丈夫なんですか?」

「ここの温室と同様に、この時期は春咲系統の電照抑制ものだ。秋に比べれば採花数は少ない。七月頭からの冷房室だが、八月になれば遮光抑制ものとの入れ替え時期もあって、手が空くんだよ」

「僕たちはその手伝いをして、暮葉のご両親は束の間の休み、といった具合だね。一応、やるよう進めておくから、八月の予定はそろそろ決まる頃合いだろう? 二人とも、都合の悪い日は僕に教えておいてくれ。うちは顧問がいないけれど、責任者には連絡しておくから」

「あ、れ? 波多野先輩、うち、顧問いない?」

「いないよ。責任者は理事長ということになっている……ん? 僕、喜多村さんに話してなかったっけ」

「先輩! 私も聞いてないっすよ!」

「おかしいな」

「たかが三ヶ月だ、活動内容の説明が中心で、そんなどうでもいいことは忘れていても仕方ないだろ」

 どうでもいい話じゃないかと、クラブハウスサンドを平らげた暮葉は、携帯端末を操作して学内ネットワークにあるラジオ番組にアクセス。音量を調整しつつ、胸ポケットに入れた。珈琲に手を伸ばせば、減っていない。よろしい。

『ほいほい。飲み物、食べ物、資料。ああ台本ないからねー、このラジオは。まったく。マイクチェック、ネット環境、そっち録れてる? はいオールオッケー。んじゃ始めようか。昼休みの生放送ラジオ、いつものパーソナリティだぜ! 待ってた? 嘘吐けお前ら! 知ってんだぞ、購買に走ってる最中だろ! いいからそっち優先しろ! 前の人にぶつかるなよ! ……ん? ぶつかった相手と恋? ないわー、まったくないわー。書き込む暇あったら周囲に注意を払えよ! さーって、まずは恒例となった学内情報からいきますか!』

 流れるような言葉を、それこそ聞き流すような感覚で捉える。いつも元気なようで、何よりだ。

「え、なに聞いてるんすか、先輩」

「学内ラジオだ、気にしなくていい。――おう、飯食ったら眠くなってきた。温室で昼寝してるから、仕事になったら起こしてくれ」

「えー、行っちゃうんだー」

「いつものことだろ」

 ほれ、と残った珈琲を静花の前へ置き、買ったボトルのお茶を片手に立ち上がった暮葉は、書類のケースを陣二に渡す。トレイを指定位置に戻したのならば、そのまま挨拶もせず、欠伸をかみ殺しながら温室へ向かった。

 それもまた、嘘偽りなく、いつものことである。


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