05/11/00:40――蹄花楓・ESPの暴走

 その時間は楽しかった。そこに嘘はない。けれど、楽しさの全てではなかったのだと、のちに花楓かえでは思うことになる。そう、楽しみなど、たまにある程度で構わず、それを中心にして動いたのならば、きっと人は駄目になるのだろう。

 だから、その時間が終わりになったとしても、寂しさはあったけれど、それ以外がどうでもよくなる、なんてことはなかった。楽しみの一つがなくなった。それがいつかまた、次に訪れるだろうことを、それこそ楽しみにして、日日を続けて行く――そして、できるのならば、そのいつかが訪れた時に、自分が成長していればと、思う。

 その日は、雨だった。

 それほど濡れることを嫌うこともなかった三人は、杜松ねず市の郊外を歩いていた。かつては大きな自動車工場があったものの、芹沢の自動運転システムに押され、日本最大とも呼ばれていた自動車産業の会社は国外に拠点を移し、国内生産そのものをほぼなくしており、あまり人気のない場所だったのは、そう、――僥倖だったのだろう。

 ふいに、夢見が立ち止まったのを、視認していた。

 俯いていたのか、空を見上げていたのか、そこまではわからない。けれど五歩ほどは気にせずに移動し、けれどついてこない夢見を振り向いて、確認して。

「逃げろ――」

 腹の底から、強引に絞り出したその声を聞いた瞬間、少止を中心として水が一気に拡散するかのような〝感覚〟と共に、初動を予知することもできず、思い切り花楓と少止あゆむは吹き飛ばされていた。

 地面すれすれと、水平に飛ぶだなんて経験は、これが初めてで、きっと次はまずないだろう。だが、その勢いを感じたのならば、そのまま障害物にぶつかればどうなるか、想像するのもおぞましい結果になる。

 花楓はまず、速度を己のものにした。ただ吹き飛ばされるのではなく、あえて足で地面を蹴るようにして、更に加速し、受動的から能動へ移す。結果だけ見ればただ速度が増しただけだが、それが己の行動か否かは、非常に重要なのである。

 跳ねるようにして動き、直撃は免れたが、いくつかの打撲を代償にして、建物影に隠れる。一時的なものだ、あくまでも核となっている夢見との射線を切ったに過ぎない。

「なにが――」

「エスパーの暴走だ」

 かちり、という音に横を見れば、少止はこの状況でありながら、煙草に火を点けていた。

「あの馬鹿は逃げろと言った。選択は二つ。何がどうなっているかは後回しだ。どうする?」

「どう?」

「だから、逃げるか――止めるかだ」

「止めるよ」

「死地だ、命を賭けることになる」

「それは夢見も同様だ。違うかな、少止」

「違いない。この規模だと二キロくらいの範囲は被害領域だ。盾にしてるこのビルもすぐ持たなくなる。時間もない。可能な限り小さい範囲で結界を張れ――得意だろ」

「やるさ」

「オーケイ」

 少止は、煙草を吐き捨てる。

 同じだ。

 人の命など、自分の行動など、煙草をこうして捨てるのと同じである。

 だから。

「死ぬなよ、花楓」

「ああ」

 良い返事だと笑った少止は、そのまま衝撃の中へと突入した。

 〝意志〟が乗っていないとはいえ、拡散された衝撃波はそのまま強さとなってぶつかってくる。それを潜り抜けることは指南であり、己の躰が傷つくのは当然だ。吹き飛ばされるのではなく、突き進むのだから。

 低姿勢で、面積を減らしながら疾走する。視線を送るまでもない、いつものように、花楓が自分の後ろ、衝撃が緩和された空間でついてきていた。

 そうだ。いつもの連携だ。

 頭を抱えるようにしてうずくまった夢見が見えた。次第に遅くなる移動速度に舌打ちをしたくなるのを堪えれば、まずは左肩が外れた。擦過傷はいいが、関節が外れるような〝面〟の衝撃は非常に厄介だ。もっとも、これだけの威力、夢見の意志がそこに乗っていたのならば、近づくことは困難どころか、不可能に近かった。

 だが、到達する。

 踏み出した左足、膝が伸びるような感覚があるが、構わずに、踏む。

 夢見の〝影〟の端を、捉えた。

 影を食うことも、奪うことも、今の少止にはできない。だが、簡単な影縫いくらいならば、相性が悪い相手であっても――。

「花楓!」

 何をしたのかまで、わからない。だが、衝撃が緩んだとも感じず、いや、それを確認する時間も取らず、飛び出した花楓は手持ちの飛針の全てを、自分を含めた三人を囲うよう地面に突き刺す。数十個の針を支点にして、花楓が使えるあらゆる結界を張る。角結界、支点は三つ。それを無数に、複数、重ねるように。

 だがそれは――。

 ESPの〝力〟を、結界内部に凝縮する結果になる。

「夢見! てめえ寝ぼけてないで、どうにかしろ! 全員死ぬぞ!」

 結界が軋み声を上げる。躰には擦過傷が増える。表面を傷つければ、次は内部を傷つける力は、結界の内部を暴れまわって。

「――封じることもできねえのか、てめえは!」

 もう一度、強く、少止の足が影を叩いた。

 花楓に認識できたのは、そこまでだ。気を失ったわけではない、ただ、その時間だけが切り取られたように。


 ――雨だ。


 水滴を感じた。それと、雨粒が地面を叩く音が耳に届く。

 気付けば、そう、気付いたのだ。長く、どこまで続くのかと終わりを待ち望んだ時間は、きっとほんの数秒のことでしかなく、おそらくそれは地続きで、少止の行動からそのまま、現状――つまり。

 夢見が地面に倒れて意識を失っていて、自分たちがまだ生きている現状が、あっただけのことなのに。

 その間に、何かが挟まっていたのではないかと思えるほどの静寂が、周囲には落ちていた。

「――は」

 己の呼吸が聞こえれば、そのまま、尻餅をつくようにして倒れてしまった。手近にあった針は半数以上が折れており、もう使い物にならない。周囲をぐるりと見渡してみれば、がらがらと音を立てて崩れる廃屋もある。

 馬鹿が、と吐き捨てた少止が煙草に火を点けた。この雨の中では、長く吸えないだろうに、気にした様子もない。

「少止」

「ああ、まだ生きてる。私も、お前も、夢見もな。安全装置セイフティが働かなかったんだろう。自己封印できるだけの余力が、こいつにあって助かった」

 言いながら、面倒そうに携帯端末を取り出し、無事であることを確認してから耳に当てた。付属のインカムを使わないのは、長話をするつもりがないからか。

「――私だ。悪いが頼む」

 一件目は、たったそれだけ。

「少止?」

「ん? ああ、杜松ねずの管理狩人だ。状況は既に把握してるはずだから、あとは私が頭を下げれば済む」

 改めて。

 たったその一言で済ませられる少止と、自分との立場の差を思い知る。いや、そんなことはわかっていて――甘えていたのだろうか。

 一緒にいて楽をしているのならば、それは良い。お互いに支え合っている証拠でもある。けれど、それが過ぎれば、ただの甘えだ。役割分担――なるほど? 分担した方が効率が良いのか、分担しなければならないのか、その差は非常に大きい。

 続けて、少止は携帯端末を耳に当てて、吐息。

「――仕事だ。杜松の管理狩人に連絡して直通で来い。最優先。てめえの荷物だ、運べ」

 そうして、携帯端末をポケットに入れた少止は、座ることもなく。

「花楓、自分の足で帰れるよな?」

「あ、ああ、私は問題ない。少しすれば動けるようになるよ」

「そりゃ良い」

「そっちは?」

「この程度の怪我なら慣れてる。脱臼は自分で治すし、血が足りなければ身体活性と増血剤で済む話だ。それだけで済む? ――冗談だろ。知り合いに見つかれば、間抜けと言われるのがオチだ」

 クソッタレと、少止は毒づく。

「〝この程度〟の処理もできないのかと、笑われて終いだぜ。今から陰鬱な気分を隠せそうにない。酒を飲んで誤魔化しているところを確保されりゃ、更に面倒だ」

 つまり。

「私はその程度だってことだぜ、花楓。笑っていいところだ」

「いや、笑えないよ。私だってこのざまだ」

「夢見の性格から推察するに――あれこれ考えて悩みながら、封印の調子をどうにかしつつも、前線を退くだろうな」

「……そうだね。危険性がそこにあって、それが自分ならば、夢見はその可能性を限りなく低くしたいと思う」

 ともすれば、己の中に抱え込んで出さない。

「まったく、それは誘った私にも責任のあることだろうに、露ほども考えないんだろうね」

「そういう野郎だからな。代わりがいないってことも、気付かない。まあ――良い契機になっちまったと、そう思う」

「契機?」

「お前らがいなきゃできなかった仕事が、できるようになったんだと、認める時が来たってことだ」

「……そうなんだろうか」

「そうだろ。自分に足りないものが見えてきて、どうすればそれをフォローできるのかは、お前らがやって見せた。あとは、それを自分なりにどうやればいいのかを考えて、錯誤すりゃいい。なに、べつに縁が切れるわけじゃない。そろそろ、自分なりの仕事を見つけろと、アルバイトをしている高校生に、卒業後の進路を考えるよう勧めるようなものだ」

「――はは、その皮肉めいた一言は、夢見の癖だね」

 けれど、そうだ。

 大学に進学したところで、花楓は名を継いだ武術家である。遊び場の河岸を変えるくらいのことは、あるのだ。

「寂しくなるね」

「そうか? まあ――好んで逢う時間がなくなるんだ、そういうものかもな」

「それでも」

 躰に力を入れて、立ち上がる。

「次に、戦場を同じくした時、足手まといになるようでは、私自身が許せなくなる。その時を楽しみにしていれば、鍛錬にも身が入るよ」

「馬鹿、てめえの守りたいものを守れと、そう言ってんだよ」

「そう聞こえてるよ、大丈夫だ」

「言うじゃねえか――遅いぞ、クソッタレ」

 瞬間移動の気配は花楓にもわかった。だから驚かず、その女性を見る――いや、見なくてもいい。

 どうであれ、あまり関係がない。知ってはいても、関わりはないのだ。

「これでも、かなり無茶してきたんだけど……?」

「間抜けの証明ができたな、スイ」

「うわあ……こりゃまた、ひどいね。封じたの?」

「封じたのは夢見だ。私らは何もしちゃいない」

「そんだけの怪我をしといて?」

「割に合わない労働なら、報酬の要求を先にしてる。――運び屋、あとは頼む」

「いいの?」

 その問いは、花楓へ向けて。だから苦笑して、軽く首を横に振った。

「私には何もできませんから」

「そお? ふうん、そっか」

 のんびりしたような、緊迫感の薄い声。けれど、その視線が氷のように冷たい。焦りや驚きの感情はないけれど、状況を的確に把握しているのはわかった。そして、両手腕で抱えるように持つ時に見えた、優しさの片鱗も。

「連絡、あんがとね」

「借りにしたくないなら、それとなく仕事の手伝いでもしてくれ」

「考えとく。じゃあね」

 一歩、踏み出すような動作と共にテレポートで消えた。腕を組もうとしたが、痛みがそれをさせず、既に血が止まっている状態で、花楓は空を見る。

 雨脚は、強い。

「三人ならば、一人前の振りくらいはできる――か」

「そうだ。こうならなくても、私たちはもう、一人前になれるだろ。少なくとも、どうすりゃなれるかは、もう見えてるはずだ。――振りをすることも、な」

「そうだね」

「だが、お前は夢見と話をしておけ」

「――、そのつもりだったけれど、少止は?」

「私には必要ない。今後の展望も、夢見の決断も、改めて聞いたところで、結果自体を見れば一目瞭然だ。それに、本腰入れて片付けなきゃならない仕事もある上に、一応、私たちの遊びは〝終い〟だと、報告もしとかなきゃ、面倒が起きるからな」

「ん、ああ、そうか、仕事を引き受けていたのはいつも少止だったから、そういうことも、あるんだね」

「大した仕事じゃねえよ。花楓、派手な仕事は慎めよ? 言っておくが、私には筒抜けだからな。余計な心配をかけさすな」

「はは、諒解だ。またいつか――そうだね、酒でも飲もうか」

「その頃までに強くなっておけよ」

 それは酒に対してか、それとも立場的なものなのか、あえて花楓は問い返さなかった。

 ここで終いだ。

 けれど、少止の言った通り、縁が切れるわけではない。

 ただ――契機として、これは起きてしまって。

 彼らは、それぞれ違う道を、改めて歩き出すだけのことだ。


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