04/06/11:30――シシリッテ・同僚たち

 うん、と両腕を上へ伸ばしてから、一息。やや高い椅子の上で片胡坐になったシシリは、頬杖をつきながら最前列、左隣にいる才華に声をかけた。

「ようやく終わったかー」

「だね。どうかな、まだ入学式だけど」

「ちょっと気分が悪ぃ。きっちり揃って並べられて、ご高説を聞かされて、こりゃ忍耐力のテストか何かか? 前の学校を思い出して吐き気がしたぜ」

「その割には、ちゃんとしてたじゃないか」

「見た目はしっかり話を聞いている態度で、右から左へと聞き流すなんてのは、昔に覚えたからなあ。――ヘイ! お前ら、興味があんなら話しかけて来いよ! 難しい言葉はまだわかんねえけど、ヒアリングくれえはできるぜ!」

 教室内に呼びかけるが、反応はまちまちだ。愛想笑いがほとんどである。

「日本人はシャイだなー」

「まったく、乱暴な……俺だって、大半は初対面なんだ。どう対応しようか悩むよ」

「へ? さっきそこらのヤツらと話をしてたじゃないか」

「だから、お互いのことを知るために、会話をしてただけだよ」

「つっても、さっき一通り自己紹介したじゃねえか」

「したけど、あれは基本的に、名前を憶えてもらうためにやるもの――くらいなものなの。だいたいなんだよ、嫌いなものは仲間を裏切るやつ。好きなものはたくあんの缶詰って」

「コンビーフと迷ったんだよなあ」

「そうじゃないだろ!」

「たくあんの缶詰を馬鹿にすんな! あれ美味いんだぞ!」

「そうじゃないよ! シシリの食事改善はこれからじっくりと時間をかけてやってあげるから!」

「マジでコンビニって便利だよな。けど安心しろ、あたし太らねえから。つーか、もうちょっと肉つけたいんだよ。食ったぶんだけ運動するから、なかなかつかねえし」

「それ、完全に女子を敵に回す発言だから気を付けた方がいいよ」

「え、マジか?」

 ぐるり、と周囲を見渡しながら言う。

「なんなら、あたしのダイエット方法を教えてもいいぜ? 最初の三日くらい、まともに食事が喉を通らなくなるけど、間違いなく痩せる」

「それ危険な状況だろ……」

「体力もつくんだけどな――っと、もう終わりなんだろ?」

「うん。あ、俺はバイト先に顔を出していきたいんだけど」

「おう、そうしとけ。あたしも会社に顔を出しておくつもりだし」

「――そっか」

 それ以上の突っ込みはないことを、ありがたく思う。一応、朝霧家には事情を通しているから明かしているが、対外的には軍部は〝会社〟であり、仕事は〝バイト〟だ。訓練校などは〝学校〟と名称をぼかす。とはいえ、経歴自体はそれほどいじっておらず、サンディエゴからクアンティコへ移住していて、そこから日本へ飛んだかたちだ。

 校門で別れたシシリは、すぐにタクシーを捕まえた。クレジットカードを取り出して渡し、名古屋の住所をたどたどしく伝えると、すぐに走り出す。話しかけられるのも面倒だったのは、軽く瞳を瞑って腕を組んだ。

 それほど時間はかからずに目的地へ到着したので、鞄を手にして降りる。ロビーで受け付けに軽く挨拶をしてから、まずは化粧室へ行き、学校の制服から軍服に着替える。最期に軍帽をかぶって鏡で身だしなみのチェック、腕時計に視線を走らせれば十二時を回った頃合い。十二時半に呼ばれていたので、ちょうど良い時間だった。

 ロビーで荷物を預けて、エレベータで最上階へ。執務室の大扉の前で踵をそろえて立ち止まり、ノックを四度。それから二拍ほど空ける。

「六一八三号、召致に応じました!」

「――入れ」

「失礼します!」

 扉を開き、二歩ほど中に入った時点で扉を閉め、そこから動かず、胸を張ってやや視線を上へ向けつつ、肘を胸の横から離さずに顔の横へ持っていく、海軍式の敬礼。

「シシリッテ・ニィレ上等兵、きました!」

「ご苦労。楽にしていいぞー」

「はっ、諒解であります、アキラ大佐殿!」

 顎を引き、ようやく正面から無精ひげを残した男を捉え、胸を張ったまま両手は腰の裏で組む。

「で、朝霧家はどうだ」

「は、随分と良くしてもらっております。今のところ問題はありません――が、その」

「なんだー? 気にせずにいいぞ」

「ありがとうございます、サー。朝霧家に関してなのですが、うちの会社とは関係がないと聞かされておりますが」

「おう、関わりはねえよ。切れた、とも言えるけどな。詳細、知りたいか?」

「は、差支えなければ、お願いします」

「会社っつーより、俺の繋がり。年齢も五つくらいしか違わねえし、昔にちょいとあってな。俺の旧友との繋がりの方が強いんだが……以前、息子が軍部に入りたいと相談を持ちかけられたこともあった」

「サイカのご両親は、では」

「ん……うちの会社の、前の形ん時な。まあ貸し借りはないが、理解はある。あいつが今やってる仕事も、ぎりぎりうちの会社の範疇だからなあ……」

「そうでありましたか」

「そういうこった。ま、これは本人も気付いてないから黙っとけよ。組織が解体されて落ち着いたら、俺が驚かす予定だからな」

「イエス、サー」

「日本には馴染めたか?」

「そちらは誠意努力中であります、大佐殿」

「ま、それもそうだろうな。のんびりやってくれ。どうせ〝朝霧〟に関わる馬鹿がいたとすりゃ、うちの会社の連中だ」

「――それで、問題があった際には連絡をして下さると、そうおっしゃられていたのですか」

「まあな。そこらのハンターでも、そうそう立ち入れるもんじゃねえ。それと、前に話し忘れてたが、風狭かざま市を管理してるのはイヅナって狩人だ。こっちから話は通してるが、一応覚えておけ。夜に出歩いて死ぬタマじゃねえとは思ってるがな」

「諒解であります」

「よし。――ほれ、遅れたがお前の携帯端末だ」

「はっ」

 テーブルに置かれた携帯端末を差し出され、失礼かとも思ったが近づき、両手で受け取り、三歩ほど下がる。

「拝領致します」

「ん。本来ならビジネスとプライベイトの二つを渡すべきなんだが、お前の任務上、その必要はないと判断した。あるかどうかもわからんが、六一八三の番号からきた連絡は、可能な限り迅速に受けろ。十五分以内に応答がない場合、ほかの駒を動かさなくちゃならなくなる」

「諒解しました、サー」

「それを理解してれば、好きに使っていいからな。特に重要な情報も入ってないし、こっちの連絡先も登録の必要はない。――おっと、最後に一つ。昼食を食ってないだろうから、ここの食堂で食べてけ。組織の支社だが、うちは味が良いぞ。以上だ」

「イエス、サー! 六一八三号、任務に戻ります!」

「おう、よろしくな」

 踵を揃えて敬礼をしたシシリは、そのまま扉の前で立ち止まり、もう一度敬礼をしてから、失礼しますと言って退室する。扉が閉まるまで直立不動を貫き、閉まってから数秒を置き、再び歩き出した。エレベータに乗り込んだところで軍帽を脱ぎ、タッチパネル形式の携帯端末はポケットへ。そのまま食堂に入ったが、そういえばカードは荷物の中に入れたままだ。戻らないとな、と思ったら。

 ――そこに、懐かしい顔が二つあった。

「へ? おいおい、あそこにいる赤いの見ろよハコ」

「あら、どうしたの赤毛ちゃん。迷子? 残念だけど、預り所はここにはないのよ」

「――てめえら、ツラ見たかと思えばなんつー言いぐさだ」

 片方は完全な東洋人である北上響生、そしてもう片方は半分が東洋人の七草ハコだ。二人は同僚で、兵籍番号は北上が六一一一、七草が六一一六である。

「丁度いいぜケイミィ、お前の名前なんだっけ?」

「ついにボケたか……若年性かよ、苦労すんなあ。オーケイ、よく聞け。俺の名前は北上、響生だ。もう一度言ってやろうか? それとも、復唱するか?」

「うるせえよクソッタレ。ん、キタカミな。おいハコ、発音合ってるか?」

「そんな感じよ。馴染んだの?」

「馴染もうとしてるだけだ。おい、このあたしがキタカミ、お前の名前をきちんと発音できるようになった祝いに、飯奢れ。預けた荷物の中にカード置いてきちまった。てめえが一番美味いと思うやつ、とっとと持ってこい」

「くっ……相変わらず態度がでけえと文句を言いたいのに、ケイミィと呼ばれなくなった事実が俺の躰を動かしちまう……ああ、どうしてこうなった」

 ふらふらと注文に行く北上を見て、言い続けるもんだなー、なんてことを思った。

「つーか、お前らなにしてんだ」

「シシリッテと同じで、大佐殿の呼び出しよ。さっき、あんたがこっちで仕事してるってことを、ざっと話してくれたわ。初耳だったけど」

「へえ……だから、ここで飯食ってけって言われたのか」

「今日から私と北上も、予備役登録されたからね」

「はあ? 出張とかじゃなかったのか」

「ん、だから立場は似たようなもの。呼び出しには応じるけど、これから何が楽しいかもよくわからない学生をしましょうって話ね。こっちの活動は野雨のざめだけど」

「はああ……? てめえらが、学生? それこそ何の冗談だ? できねえだろ。浮くだろ。馴染めねえって」

「ん」

「ああ? なんだ、手鏡なんか常備してんのかよ、このクソ女。で、なんだ? 廊下の角の向こうでも覗き見してえのか?」

「さっきの台詞、鏡に映ったてめえを見て、もう一度言えってんのよ」

「いや、あたしはできるし。浮いてねえよ、馴染もうとしてんだよ」

「……」

 どういうわけか、鏡をずいと押し付けられたので、左手で押しのけておいた。

「しかし、上等兵が集まって日本に配属とか、どうなってんだ。なあ? 大して使えねえから問題ないってか?」

「あら、私は伍長よ」

「ああ? いつの間に昇格したんだよハコ」

「半年前くらいに。座学を軍部で教えるのに、その方が都合が良かったみたいよ。うちの会社、本当にそういうところ適当よね」

「――おう」

 カレーと漬物、更におにぎりとミルクをお盆に乗せてきた北上が、それをシシリへ。残った珈琲二人分は、自分と七草のものだ。

「階級の話な、あれ、うち――六○の忠犬だけらしいぞ、適当なの」

「あら、そうなの?」

「いやだって、よく考えてみろ。階級が上がりゃ、給料だって変わる。内部での扱いは、ほとんど番号で決まってるけど、階級は階級だろ。本来なら、いくら同僚だって、階級一つ違えば、部屋も違うし扱いも変わる。表向きじゃ、同期にだって敬礼しなくっちゃならねえ」

「そりゃ軍ならそうだろ」

「うちの会社も軍部だっての。忠犬の場合はその部隊性ってのも、あるんだろうけどな。何しろ――それで、文句が出てこねえんだから」

「文句ねえ……」

「まあ、文句はねえな。何しろ、給料だってあたしらは、階級じゃなく、ちゃんと仕事の難易度で支払われてるし」

「だよな。座学が中心のハコの階級を上げたのだって、結局のところ給料の関係だろうし。面倒な座学教えてんだからって配慮だろ。現場の方が楽だもんなー」

「てめえの命は賭けてるけどな。ははは――っと、マジで美味しいなチクショウ。日本にきてから、あたしがどんだけ、人生の潤いを失ってたか、身に染みて理解するぜ」

「慣れると戻れねえぞ、シシリ」

「朝のランニングを終えてから、朝食前にコンビニでつまみ食いすんのが日課になりつつあるんだよな……」

「わかる」

「わかってどうするの。駄目だこの子たち。金が余ってるから余計に悪い」

「給料の使い道って、マジで困ってんだよな、あたし。キタカミ、お前どうしてんだ」

「どうしてた、っつーか、どうするのかだな。9ミリ、飯、7.65ミリ、ガンオイル、飯、ナイフ、研磨剤、あとは飯くらいか?」

「その半分は、会社から出そうなもんだけどな」

「じゃあ飯だ」

「おう、そうだよな」

「こいつら……」

「で? シシリ、そっちの仕事は大変そうか?」

「いんや、たぶんお前らと同じだろ。仕事がありゃ電話一本で呼び出されて、あとは歳相応の生活ってやつだ。県内なら自由に動ける許可もあるしな」

「へえ、そりゃいい。飲みに誘うから連絡先を寄越せよ」

「おう……さっき貰った携帯端末な。正直、こういう機器の扱いはよくわかんね。マニュアルもねえし。登録しといてくれ」

「おう、ハコのも入れといてやるよ」

「あとマニュアルを作成して寄越せ」

「それはてめえでやれ!」

「おい、男の癖にこんなこと言ってんぞ。ハコ、お前ちゃんと面倒見てやれよ」

「知らないわよ、こんな男。というか、マニュアル作成してあんた読むの?」

「ん? 必要なら読むぞ」

「はあ? てめえがか? 書類一枚にすら、ろくに目を通さねえてめえが?」

「おう。これでも教材のテキスト、全部一通り読み終えたぞ」

「マジかよ!」

 がたん、と音を立てて北上は後ずさり、普通に席を立った七草は窓際へ。

「雨……は、ないわね」

「てめえら、あたしをなんだと思ってんだ」

「よしシシリ、いいかまずは俺の話をよく聞いて考えろ。半月前の自分に、今の言葉を言ってっみろ」

「ぶわっははははははは!」

「笑うんじゃねえかよ!」

「ひーっ、ひーっ! 飯食い終わっててよかったー! ごっそうさん! あははは! そりゃ大爆笑ものだ――つーか退屈が死ぬほ辛いんだよこっちは!」

「俺に当たるな!」

「ああ、読書に目覚めたわけじゃないのね。だったら雪は降らなさそう」

「うるせえ。つーか、高等学校の学習レベルって、あんなもんなのか?」

「――あら。わかったの?」

「わかったっつーか、覚えた。一通り頭に叩き込めばそれで済むだろ、あんくらい。大した応用もねえし、指揮官が覚える指南書に比べりゃ、あんなもんクソだろ」

「あんなものと比較しないでちょうだい……」

「なんだよハコ、あれ読んだのか?」

「座学の関係で一通りね。さすがに仔細までは覚えてないけれど」

「そりゃ給料も上がるわー。で? おいキタカミ、まだマニュアル作成はできねえのか」

「やらねえって言ってんだろ? ほら、返すぞ」

「おう。ハコ、レクチャー」

「自然な流れで要求しないで。北上は片付けと、珈琲もう一杯」

「あたしもー」

「こいつら……さては男をパシリか何かと勘違いしてねえか? ったく……」

 ぶつぶつ言いながらも、シシリが食べ終えた食器を片手に、カウンターへ行き、新しい注文をする北上である。

「あれ、ハコの教育の成果か?」

「なんでよ」

「はあ? だってお前ら、昔馴染みじゃねえのかよ」

「馬鹿ね、訓練校に入ってからの知り合いよ。厳密には、後期教育課程で、ベースが重巡艦に移ってから」

「マジか? てっきり、学校に入る前かと思ってたぜ。けど、もう寝たんだろ?」

「……まあ、寝たけれど」

「よくやるよなあ。あいつ、ああ見えて結構奥手だろ。二度目は知らねえけどな」

「二度目の方が大変だったわよ? 手を出させるのが」

「なるほどなあ。ま、わからなくもねえが、なんつーか人が良いんだよな、あいつ。あたしに言わせれば、よく戦場に出て整合がつけられるなと」

「お人好しだけど、ちゃんと区切りはできてるのよ、あれで。面倒見はいいけれど、――厳しいもの、自分にも」

「嬉しそうに言いやがるなあ」

「内緒ね」

「はいよ。秘密は良い女の持ち物だって、中尉殿も言ってたしな」

「あの人は秘密が多すぎる気がするけど……」

「背負った荷物が多いから、あの階級なんだろ。――おう北上、さんきゅ」

「へいへい」

「んで? あたしはともかく、お前らはどうなんだ?」

「ん? 似たようなもんだけど、お前と違って極秘任務中ってわけじゃねえからな。本気で学生やって、たまに出張するだけ。……だけ、で済ませるつもりはねえけど」

「体力の維持はともかく、技術の方はそう大っぴらにできねえからなあ。もしそういう場があるようなら、あたしにも連絡寄越せよ」

「わかった。さすがにそこらへん、切実だよな。ハコはそうでもねえけど」

「なによ。私だって座学ばかりじゃないのよ」

「んじゃ、そん時はハコも一緒にだな――はは、お前ら相手だと気が楽でいいぜ」

「はあ? 馬鹿じゃね? てめえが誰かに気遣いできる女かよクソッタレ」

「ハコ」

「はい」

「なんで俺の前に手鏡を差し出す……?」

 そのままの意味だった。

 けれど――ああ、けれど、シシリは違うことを納得していた。

 どうやら、少なくともシシリは、出逢ってそう時間も経過していない才華と過ごす時間は、彼らと……同僚と過ごすように、気が楽だった、ということに。


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