10/13/22:30――鷺城鷺花・旅の宿で

 予想は当たっていたというべきか、あるいは鷺花の行動先を連理が読み取っていたのか、最初から鷺花は教皇庁にある禁書庫もついでに覗いておこうと思っていたものの、連理から先にそれを提案されたのは、しかし当然の帰結とも言えるだろう。

 イギリスでは丸一日を過ごし、裏書庫を出たのが翌日の夕方であり、最終便でローマに直行したものの、バチカン入りする前に近くの宿を取ることにした。雨の多い土地であるが故に、それを事前に知っていた鷺花は気にしていなかったけれど、連理は嫌そうな顔をしていた。

「――というか、レンは雨嫌いなの?」

「好きな人って変でしょ。濡れるし、路面は悪くなるし」

「一般的な解釈どーも」

「え? 違う解釈あるの?」

「雨天行軍は敵の目を欺けるし匂いも消せる。水属性の過多でバランスが崩れることもあるけれど、それも逆手に取れるし、そもそも雨に濡れて嫌がるのはどうかしら。それを心地良いと取るか、それとも笑って受け入れるかが大人の対応じゃない?」

「でも子供は楽しがるじゃん」

「――どうかしら」

 雨を好む野郎を二人、父親と紫花がふと頭に浮かんだので断定は避けておいた。

「でもこっちは夜に移動しないの?」

「連日の移動でレンが疲れてるんじゃないかと思ったのが一点と、こっちは夜より日中のが簡単に済むのよ」

「ふうん……」

「わかってないわね、下調べくらいなさいよ」

「してるんだケド、一応。バチカンでしょ?」

「宮殿に行っても何もないわよ。目的地はサン・ピエトロ大聖堂地下ね。まあ実際にはバチカン全体がもう教皇庁――厳密に言えば教皇庁魔術省の領域よ」

「ん? 教皇庁って……」

「いわゆる組織よ。日本の内閣と似たようなものね。教皇庁の下に諸省があって、その下に局がある。たとえば国務省外務局、なんてね。裁判所や評議会も含まれるわ。もっとも魔術省なんて表向きに存在しないし、基本的には裏向きにも存在しないのよ」

「しないって、あるじゃん」

「あるけれど、裏向きであっても――まさかローマ法王すら駒のように扱う省が存在していいはずがないでしょうに」

「あ、そっか」

 本当に理解しているのかと、やや硬いベッドに腰を下ろしたサギは吐息を落とす。脱いだコートはそのまま影の中へ入れた。

「え――なに、どこ消えた」

「レンね、ちょっとは術式を感知するような手段を持ちなさいよ」

「えー、だってサギの場合、やってもわかんないし」

「ったく……ま、いいけどね。これはただの格納倉庫よ。自身に付随する影に対して、術式を組み込むことで入れ物にしてるだけ」

常時展開型リアルタイムセルよね?」

「そうなるけれど、この術式自体にかかる魔力は普段生活している最中に外部へ漏れる微量だけで稼働するから問題ないわ。手に持てない袋なら紐をつけて引きずるしかないけれど、影ならもう紐はあるわけで、後は袋の役割を与えればいいだけのことよ」

「にゃるほど、だからいつでも出し入れ可能なんだ」

「もちろん私の影である以上、私しかできないけれどね。確か影を扱う分野では闇ノ宮やみのみやが得意だったはずよ。ほら、昔話で影を売った男の話があるでしょう」

「うん、男が手放してしまったのは当たり前と呼ばれるものだってオチで」

「その買った側の男が闇ノ宮ね。受け継いでる人がいるかどうかは知らないけれど」

「おー、サギってやっぱ博識。十一じゅういち紳宮しんぐうにも明るいんだ」

「明るいというか……ま、縁が合って一通りはね」

 それは鈴ノ宮の繋がりと、母親が元鷺ノ宮さぎのみやということと、屋敷に凪ノ宮なぎのみやの血統がいたからだ。鷺ノ宮に関しては神鳳雪人も関係者か。

「そもそもさ、サギは協会にも所属はしてないんでしょ?」

「もちろんよ」

「在野ってことだろうケド、それでもやっぱ教皇庁とは仲悪い?」

「あー……そこからか」

 頭の痛い話だが、さすがに理解させずにつれて行くのは問題だ。というか、そのくらいのことは蓮華も教えておけばいいのに。

「そもそも魔術に対する考え方が違うのよ。協会は、魔術を技術だと認定している。もちろんそれが世に広まることには否定的で、その理由は自己において完結するものを利用すること、されることを嫌っているのね。もちろん高ランク狩人は術式も使うけれど、無暗やたらと使うわけではない」

「一般的にも広まりつつあるケド」

「それは別ルートよ。ほかに理由があるの。――ともかく、協会は魔術を研究することを推奨しているのね。研究し解明することを半ば義務づけているくらいに。まあ世代を渡ってまでやるんだから、義務でなくとも求めるのが普通なんでしょうけれど」

「世界に挑んでるって感じ?」

「間違いではないわよ。対して教皇庁は、魔術を奇跡としたのね。つまり、神から与えられたものだと。それは研究によって磨くものではなく、信仰によって得られたもので、信仰心そのものであると――捉えているのよ」

「うわあ……」

「嫌そうな顔をしてるけれど、宗教なんて日本が特殊なだけで、そんなものよ。だから一般的に広まることに関しては、教皇庁の方が否定的ね。強く、否定する。だから各地に錠戒じょうかいなんて組織を作って監視して、危険性があれば排除するなんて乱暴なこともしてるわ。昔は日本にもあったのよ?」

「え、そうなの? でも今はないじゃん」

「だから、宗教の多様化が認められる日本じゃ、そもそも特定宗教の信仰が曖昧で、選択権があるから馴染まなかった――と、これが表向きの理由ね」

「表向きかい。納得しそうになったんだケド」

「実際は、錠戒の組織を利用して作られた狩人育成施設があってね、それは隠れ蓑として最適だったんだけれど、施設を無事に出ることができた狩人がそのまま親の首にかみついたのよ」

「うげ……なにそれ」

「親を越えた証明をするため、かしらね。あるいはほかに理由があって――というか理由なんて山ほどあるんでしょうけれど、たった一日で日本の上から下まで全域の錠戒が壊滅したわ。乱暴といえば、こちらの方が酷いでしょうね。一方的だったようだし」

「一日って、想像もつかないんだケド」

「しかも五人で――厳密には四人かしら」

「はあ? え、なに、その五人だか四人って今でも現役?」

「あのね……数でピンときなさいよ。それが〝五神〟が世に出た最初の一件よ。ああいや、当日に狩人認定試験があったから、厳密には二件目かしら。本当にとんでもないけれど、ちょっと調べればすぐわかることよ」

「ああ、ベルさんたちがやったんだ」

「あら知り合い?」

「うん。父さんがたまに逢ってるの見たことあるから」

「だからって、そこはあっさり納得するところじゃないんだけれどね。ともかく、そんなこんなで教皇庁と協会は仲が悪い。悪いけれど、在野に対する感覚としては上下はあれど同じ扱いね。だからこそ在野の魔術師は生き残るのが難しい。下手を打たなくとも刺客が送られてくるし、表向きだけでも所属するのが一般的ね。鈴ノ宮だって一応は魔術師協会に所属しているのよ」

「へえ、そうなんだ」

「頭が痛くなってきた……日本の状況もまだ覚えていないわけ? 最近気になることなんて起きてなかった?」

「気になる――あ、伯父さん夫婦が養子をとったっていう」

「……――それは一人?」

「え、これでいいの?」

「いいかどうかはともかく、誰よ」

「二人で、養子っていうより世話をしてる、みたいな? ほら、伯父さんは刑事だし家にあんま戻らないから。男の方は同い年くらいで、鷹丘少止たかおかあゆむ。んで妹――女の子が雨音あまね火丁あかり

「鷹丘は母方の姓だったわよね」

「うん。せんりさんの」

「……そう」

 やはり、同世代の調査は必要かもしれない。本格的にこれは世代交代の時期だ。

 ――そこに、自分や連理が含まれるのか?

 ふいに浮かんだ疑問は苦笑だけで吹き飛ばす。

「それで? 裏書庫の方はどうだったかしら」

「あー、結構揃ってたね。適当に読んでるけど、参考になるのは少ないかな」

「そりゃそうでしょうよ。まあ禁書庫だって似たような――ん、ああ、そうか、教皇庁か。ちょっと……ん、レン、知り合いに連絡入れるけれど、黙ってなさいよ」

「はいはい。食事の後ってこう、なんでか眠いんだよね」

 あくびを一つ。確かに眠そうだ。昨日も結構な労働だったろうし、何より魔力を使うと疲れるのだ。特に連理は日常的に使っているわけでもなし、眠いのも当然だろう。

 携帯端末を取り出した鷺花はそれを耳に引っかける。ディスプレイも小さく軽量化を主体とした、いわば電話機能のみの利用を目的としたものだ。もちろん、メールくらいはできるけれど、画面が小さいので向きではない。

 コールはそれなりに長かったが、不在かと思って切るほどではなかった。

『おう、どうしたサギ』

「時間いい?」

『……? 別に構わんぞ。今は屋敷に戻ってるしな』

「そか。じゃ、アクアも戻ったかな」

『一緒にな。どうした、忘れ物でもあったか?』

「あったら昨日の内に寄ってたわよ。さっきまで協会の裏書庫に入ってたから」

『なんだ、お前トンボ返りか』

 笑い混じりに言われたので、しょうがないのよとため息で返した。

「一応、依頼だもの。最寄りのクソ師匠殴っといてくれると助かるわね――と、それで今はバチカン手前のホテルなんだけれど」

『……ああ、俺に手を貸せってんなら切るぞ』

「じゃなくて、誰かに伝言でもあるのかってこと。たかが教皇庁を相手にジェイの手なんか借りないわよ」

『ふうん、誰かそこに居るのか。閲覧目的ってことか?』

「まあね」

 公的の呼び方を使ったため見抜かれる。まあ隠してはいないので、軽く流れだけを説明しておいた。

『また面倒を起こしてんだろ、どうせ……』

「ちょっと、私をなんだと思ってるのよ。可能な限り穏便に済ませてるわよ、当然じゃない。面倒なんて私の方から遠慮したいもの。それで?」

『ああ……そうだな、司祭殿、ああ、いや、たぶん今だと司教殿になってるか。俺の名前を出していいぞ、生きてることを伝えておいてくれ。名前を忘れたんでな』

「そう。物分りは良い?」

『どうだろうな。少なくとも俺みたいな異端の監督をしてたんだ、言葉の通じない石頭じゃねえのは確かだぞ』

「場合によってはジェイの名前で通しておくわ。なんとかなるでしょうし」

『ほどほどにしとけ。――と、ああ、マーリィのことなんだが』

「ん、どうした?」

『上手くやっちゃいるが、どうもな。気にかけておいてくれ。以前――……そうだな、いいか?』

「……いいけれど」

『おう。以前、蒼の草原で接触したことがある。今はコンシスの後継の位置にいる野郎だ。名は佐々咲さささき七八ななや、橘の分家』

「それが?」

『あっちもマーリィに接触する気はなさそうなんだが、逆にマーリィは探してる。好きにさせるつもりではいるけどな……サギが日本に居を構えるなら、影響もあるだろう』

「つまり、忠告ね。ありがと」

『余計なことはすんなってこともな』

「わかってるわよ。でも、同世代については探るつもりだから、良い忠告になったわ」

『そうかい。ま、何かあったら連絡しろよ』

「そっちこそ、仕事があるんなら遠慮なく連絡なさい。――受けるかどうかは別だけど」

『諒解だ。じゃ、伝言頼む』

「またね」

 これなら協会よりも簡単に済みそうだと思って通話を切ると、連理はベッドで小さく丸くなって寝息を立てていた。

 わざわざ起こす必要もないと思ってみれば、窓を叩く雨音が耳に入る。

 ――少し、外に出よう。

 この近辺に居を構える音頤(おとがい)機関もあるし、内情を先に探っておいて損はない。そもそもサギはまだ眠たくない上、術式を使えば短時間でも充分な睡眠が摂取できる。

 時間は有効に使うべきだ。――だからこそ、今の鷺花があるのだ。


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