10/13/18:40――鷺城鷺花・裏書庫へ

 エミリオンの屋敷があるイギリスの空気は鷺花にとって馴染み深い。霧の都ロンドンの街を出歩いた回数は、と問われれば実際には少ないのだが、そもそも国外に出ることが初めての連理よりはよっぽどマシだ。

「まったく、旅行じゃないんだから……」

「え?」

「はしゃぎ過ぎって言ってるのよ。さっきから、というか空港降りてからあっちこっち見て……」

「えー……サギは落ち着いてるね」

「どんな場所でも私が私でいることに変わりはないもの。どこだって同じよ。タクシー……ああ、そうね、時間を気にする必要もなし、歩いて行きましょ」

「それはいいけど、夕方よ?」

「夜の方が都合良かったのよ。それでもレンは初めてだから、余裕をもって来ただけ――って聞いてるの? 聞いてないの? 放り捨てていくわよ?」

「聞いてる、ちゃんと聞いてる。だいじょぶ、共通言語イングリッシュくらいはなんとかなるから」

「……やれやれ」

 観光気分でもないのだろうけれど、いつもと違う場所に居るのが楽しいのだろう。そのくらいのことは鷺花にもわかる、わかるけれども、とうの昔に抱いた感情で懐かしみもほとんどない。

「で、大英図書館ってどこ?」

「その前に、まずはサザークのシティホールよ。パスもなしに裏側に入れるわけないじゃない」

「え、なにそれ。じゃない、どこそれ」

「議会場よ。タワーブリッジからもよく見えるし、すぐわかるわ」

 思えば。

 ――やはり、屋敷は魔術師協会の息がかかるほど近くにある。

 聞いた話を鵜呑みにするのならば、屋敷を構えたのは魔術師協会から離反する間際か、した後のこと。エミリオンが協会に所属していた時期は非常に短い――といっても数字を正確に聞いたわけではない――とはいえ、エミリオンほどの魔術師を協会が放っておくとは思えないのだ。

 それでもこの距離。

 絶対的な自信でもあったのか、それとも何も考えておらず立地条件だけを念頭にしたのか、詳しくは聞いていないけれど、どうなのだろう。

「サギ、その黒いコート似合ってる」

「ああこれ? 戦闘衣ドレスよ。臨戦態勢ってわけじゃないけれど、それでも一応ね」

「ふうん、たかが魔術師の協会に行くだけなのに」

「たかがってあんた――」

「実際そうでしょ?」

「そうだけれど、良い女はそれを見せないでおくものよ。約束の一つ目、覚えてるわね?」

「無暗に敵を作らない。式を使う状況に追い込まれても防御系だけ。状況の解決はサギに任せる」

「よろしい」

「いいけどさあ……私の法式、サギのより汎用性あると思うんだケド」

「あら、以前はその汎用性に関して疑問を浮かべてたじゃない。どういう心変わりよ」

「心変わりじゃなくて成長なんだケド」

「わかってるわよ」

「サギみたいな魔術師も珍しいんだろうね」

「そ? 似たようなのはいるわよ。五木裏生なんかは珍しい〝複写ピクト〟の特性を得ているようだし……といっても、訓練教官として私の代わりをするのはまだ無理でしょうね」

「複写? 真似事?」

「そうねえ……彼の場合は奪取ロバートの特性にも限りなく近いのだけれど、簡単に言ってしまえば対象の術式を一時的に封じておいて、それを自分のものにして使うことができるのよ」

「えーっと、水筒にお茶を入れておいて、後で飲むみたいに?」

「また簡単に言うわね、間違ってないけれど。だったら難点はわかるわよね?」

「んっと、あ、使ったらそれで終わり?」

「そうじゃないわよ。レン、法式に甘えてばかりいないで座学もきちんとしないと、戦場で置いていかれるわよ――と、そうか、うん、置いていかれるか……それが本筋なのかもしれない。忘れてちょうだい」

「意味わかんないんだケド」

「わからなくてもいいのよ。いい? そもそもあの術式の絶対条件は、誰かの術式を使わせなければいけないの。このくらい犬でもわかる」

「犬って……あーそっか、たくさん複写しなくちゃいけないのに、やればやるほど知名度が上がってできなくなるっていう」

「矛盾ね。まあそれならそれで、私みたいな規格外に頼めばいいだけのことなんだけれど、あっちは私の存在なんて知らないだろうし、知ったところで頭を下げられても私ならしないわよ。若い内の苦労は買ってでもしないとね」

「裏生って、確か同い年だったと思うんだケド」

「え? ああ、そうね。レンも買ってでも苦労なさい」

「いやサギのこと言ったのに……」

「残念ながら、私の苦労は誰かが押し付けるものよ。レンたちと違ってもう社会人と同じ扱いね。今回だって似たようなものじゃない」

「ぬう、サギには勝てない気がしてきた」

「勝ち負けなんか気にしてどうするのよ、まったく……」

「大人の物言いだ……あ、そだ。サギって確か法式も持ってたよね?」

「一応ね。普段は使っていないけれど」

 厳密には意識していない、だ。

「どんなの?」

「自分で確かめなさい。ほら、握手でいいでしょ?」

 それはまあと、握手をしてその接触面から鷺花の内面を探ろうと連理は意識を働かせる。連理の法式は実際に稼働していないけれど、そもそもその身に担っているのだから小さな制御くらいなら意識と連動させるくらいで簡単にできるものだ。

 ふいに、肩の力が抜けた。

 なんだろうか。まるでシャワーを浴びている時、肩から脇辺りに流れる水滴を妙に強く感じた時のような――。

「うわっ」

 接触時間はおよそ三秒ほど。振り払うようにして連理は手を離して一歩退いた。

「ふうん? 短時間でよくわかるわね。成長したじゃない」

「――」

 冗談ではない。ほんの三秒、その時間で連理がわかったのは。

「逆に読み取られた……」

「レンみたいな魔法師は意識しなくてもガードしてるから、基本的に接触しないと読むのは難しいのよね。まあでもこの場合はお互い様かしら」

「お互い様じゃないんだケド」

「いい経験をしたと思いなさいよ。せっかく褒めてあげたのに」

「え、あれ、短時間でよくわかるねって――」

「私の逆感知によく気付いたわねって意味よ。人と接触して探る場合はこういうこともあるの。暇があったらきちんと対策しておきなさい」

「ちぇー。というか、どんな人生送ってんのサギは」

「別に特殊じゃないわよ? それに考えればすぐ可能性に気付くじゃない。対策なんてしておくに越したことはないのよ。ったく、魔法師って連中は研究もしないから困る……ま、レンはマシな方ね」

「じゃ、接触しなければ」

「――やってみる?」

 立ち止まり、口元だけで笑いを示した鷺花が振り向くと、連理はそれを正面から受け止め――られずに、視線を逸らした。

「やめとく」

「あら、退くのね」

「だって丸裸にされそうなんだもん」

「それも賢明な判断ね。ただそれじゃ進歩がないから気を付けなさい――と、ごめん聞き流して。レンの育成をしているわけじゃないものね」

「うぬ……なんかあしらわれてる感じなんだケド」

「どうかしら――と、見えてきたわね。あれよあれ」

「おおう、でかい。で、あそこが何なの」

「……まあいいわ、ついてきなさい。約束は覚えてるわよね」

「うん。サギに任せる」

「じゃ、誤認モザイク系の術式張るから五歩以上離れないで。行くわよ。ああ会話は問題ないから」

 正面入り口から堂堂と中へ。受付もすっ飛ばして階段を上がる二人はあまりにも異物ではあったが、鷺花の術式のお蔭で誰にも発見されることなくその扉の前に。

 扉を開いて、光のない内部へ入るその光景はまるで上映中の映画館に中途参戦するかのような錯覚があるけれど、どういうわけか光は中へと入らず、不思議そうに連理は締まる扉を見て、そして。

 ホールの内部を見る。

 中央は円形で階段状に椅子が並べられている。まるで闘技場のような雰囲気だが、熱気は少ない。

「――ねえサギ」

「うん? 別に小声にならなくてもいいわよ。どうしたの」

「真ん中にいる五人ってなに? っていうかこれ何なの?」

「いわゆる定例会ね。中央にいるのは魔術師協会所属の頂点と言われる五人で、あの五人が協会を管理しているから、揃って長老隠ちょうろういんと呼ばれているわ。若そうに見えるのが六十歳くらいかしら」

「ふうん……年寄りばっかなんだ」

「基本的に魔術師は年齢に比例して実力をつけるからよ。研究時間に比例するとも言うわね」

「えー? じゃ、サギがそんなふうなのの証明にならないじゃん」

「……さてね。それはともかく、これは研究発表会みたいなものよ。あの五人に対してそれぞれが研究成果や論理を発表するだけの場。もちろん、他人の発表を聞くことで誰もが自分の研究に役立てようとはしてるけれどね」

「ここにざっと五百人くらいいるの、全員?」

「協会所属の魔術師ね。しばらく聞いててもいいんだけれど、本を読む時間を考えればとっとと許可を得た方が良さそうかしら。どうせ夜更かしは苦手なんでしょ?」

「え、わかる? うん、十一時くらいが限界」

「素直でよろしい。さて……レンは動かないでそこに居なさい。問題ないとは思うけれど、ここで目立つと世界中の魔術師に認識されるからね」

「サギはいいの?」

「私は別にいいわよ。ここにいる全員を敵に回すつもりもないもの」

 それに、連理と違ってもう独り立ちを済ませているから、どうであれ自分で責任を負えてしまうのだ。

「――あ、巻き込まれないようにね」

「ちょおっとぉ、怖いんだケドそれ」

 ひらひらと手を振ってからコートのポケットに手を入れてゆっくりと階段を下りる。一歩、一歩と近づくたびに周囲の視線が集まるのは、誤認の術式を解除しているためだが、さして気にしない。

 一番下へ――長老隠の五人と同じ位置にまで降りた。

 本来ならありえないことだ。この場でなくとも、上だろうが下だろうが、彼らの前に――同じ高さで立つことなど、自殺行為に等しいほど、彼らは畏怖されている。

 発表していた一人も気付き、尻つぼみに声を消した。

 小さく、鷺花が吐息を落とす。二人が視線を投げ、二人はやや慌てたように席を立ち、一人は退屈そうに瞳を閉じ――ようとしたので。

「〝箱庭ガーデン〟」

 直後、最後の一人の周囲に一○七枚の魔術陣が高速展開、一秒にも満たぬ間で完成した術式は男を一辺が十センチほどの黒いキューブの中に封じ込め、それは彼らを囲むテーブルの上にことんと、音を立てて落ちた。

 ざわりと、周囲に声が立つ。振り向き、鷺花は。

「うるさいわよ」

 その一言で雑音の悉くを封じ込めた。空気の振動そのものを会議場の全域で停止させたのだ。解除も難しくはない術式だが、瞬間的に対応できたのはせいぜい一割。けれど、対応できたからこそ――彼らは黙るしかない。

「――と、ああ、危害を加えるつもりはないから安心なさい。そっちのは話を聞くつもりがなかったから対応しただけ。死にはしないわよ。自己完結型の小世界をいくら確立しようとも、それごと封じてしまえばいいだけなのに、気付かない馬鹿が呑気にしてたから対応しただけで」

 とはいえと、鷺花はいつものように苦笑する。

「私は二人だけ残ってれば問題ないんだけれどね? 大英図書館の裏書庫の鍵を借りにきたのよ」

「脅迫かね」

 立ち上がっていた一人が一歩を踏み出そうとして止め、ただ口を開いた。

「まさか、脅迫してどうするのよ。強盗じゃあるまいし。だいたい裏書庫の八割は写本だけれど読破しているわ。けれど、交渉をしに来たわけでもないのよ」

「許可するくらいなら逃げる、とは思わんか」

「どうしてわざわざ、こうして足を運んだのかも気付いてないわけ? 発想が貧困じゃない? ――そもそも入り口の暗号鍵が複製できないと盲信できる条件を教えて欲しいくらいね」

「……」

「なに、それともそっちの馬鹿みたいに、そっちの得意分野で示そうか? ったく面倒臭い――挨拶はこれでいい? 今から入って、そうね、とりあえず明日には出るからそのつもりで」

「待て」

 待てと声を出した男の身動きを封じる。周辺情報、また肉体構造の情報を一部置換することで本来の機能を正常から異常へ〝変更リチェンジ〟してやった。

「承諾はするの? しないの?」

「――もう、いいだろ。俺は許可する」

「しかし」

「ここまでの魔術師を相手に、どうするってんだ。鍵はいらねえ、自分で解くと言ってるんだ。最初からそれができるんなら、ただの挨拶に来ただけ。これ以上俺らに何ができる?」

「……――わかった。儂も許可しよう」

「そう。二人分の許可があればまあ充分ね」

「名を、教えてはくれんか」

 問いに、右足で床を叩いて変更を解除。同時に絶対隔離の術式も解除して箱庭から出してやると、椅子を倒して最初の一人が床を転がった。

「鷺城鷺花。この名と私の行動を、エルムに伝えておきなさい」

 やっぱり大したことはなかったと、鷺花はすぐに背を向けて連理と合流、その場を後にした。小賢しくも目印をつけた聡い魔術師がいたため、術式でとっとと洗浄してしまう。

「敵に回すつもりはないとか言ってたくせに」

「してないわよ。だいたい、エルム――うちの師匠は協会の長老隠なんて、一言で動かせるもの」

「じゃ、最初から出せばいいじゃん」

「それじゃ師匠の庇護下にあるみたいで嫌よ。それに挨拶は必要なのよ? ――これで、私に対してちょっかいかける魔術師の数は極端に減っただろうしね」

「あー、自殺行為だもんね」

「そこまで乱暴じゃないわよ。……ま、対処はその時に決めればいいものね。誰か一人でも犠牲が出ればすぐに理解するでしょ」

「……乱暴じゃん」

「ん、――おいでレン」

「ん?」

 周囲に視線を走らせてすぐ、およそ一歩の距離にまで近づいたレンと一緒に術式を行使。夕闇に紛れての空間転移(ステップ)、もちろん転移先の安全も既に確保してある。視線がないのも先に確認していた。

「おお、綺麗な外観ね」

「閉館はまだ先みたいだけれど、行きましょうか」

「おっけい」

 中に入り受付を通り過ぎてから、鷺花は一度足を止めた。そして。

「ん、ルート構築はできた。こっちよ」

 棚と棚の間を移動しながら、時折背表紙を撫でる。そうした移動を十五分も続けただろうか、やがて突き当りに向かう時、連理の手首を掴んでそのまま前進した。

 狭い通路がある。――壁の中に、それはあった。

「え? なにこれ」

「特定の経路と信号を取得した場合のみに開く扉よ。裏書庫全体が〝格納倉庫(アーカイブ)〟の術式になっているのね。こんな単純なやり方、どうかしてる。封印し直してやろうかしら」

「あー……次の人が困るからやめた方がいいと思うんだケド」

「次の人――ああ、それなら大丈夫ね。やっておきましょう」

「あれえ?」

「いいからとっとと――あ、正面扉か。やっぱり三人がかりの術式構築、その上で鍵は二つか。なんて甘い……仮にも魔術師の最高峰を謳っている組織の書庫なのに。……ん、そうね、レン」

「なに?」

「コレ、解除なさい。ここまでは私がやったけれど、そもそも用事があるのはレンも同じだものね。労働力はできるだけ均衡を保たせないと」

「いいケド、法式使っていい?」

「ご自由にどうぞ。ただし私が見てることを忘れないようにね」

「んぐ……サギに対して隠すとか無理そうなんだケド。――ま、いっか」

 その見切りの早さが吉と出るか凶と出るかはともかくも、今回においてその判断は好ましくない。もちろん鷺花は連理と敵対しようとも危害を加えようとも思ってはいないが、事実として、そもそも鷺花は魔法に対して明るくはないのだ。

 どんな法式が存在するのか、くらいは知っている。どのような効果なのかも学んではいるが、それを実際に行使することも目にすることも今までほとんどなかった。それが魔術と魔法における違いだ。

 魔術ならば試すことが可能だけれど、法式はそもそも個人が担うものであるが故に、それを実際に目にしなくては分析も難しくなる。

 これまで何もかもを見透かしていたような素振りも布石にはなっていたし、何よりも労働力の点で今まで鷺花ばかりが動いていたのも事実――それを利用して連理の法式を見ようと思っていたのも現実だ。

 いや。

 そもそも今回の件を引き受けたのも、半分はそれが目当てである。どうやら蓮華には見透かされていたようだが。

「対法式についてはともかく、対魔術かあ……だいじょぶかなあ」

「弱気ねえ」

「何か問題あったら言ってよ? 目的を前にして挫折なんてヤだからね、私は」

「私にできる範囲ならね」

 とはいえ、本気で全てを任せるのは性に合わない。そう思って鷺花もひそかにアプローチを開始する。

「とりあえずこれって鍵があれば開くのよね?」

「そうよ」

「おっけ。んじゃ分析してみるかあ」

 連理の周囲に三つのコンソールが出現した。携帯端末の投影でないことは明らかで、強い凝縮された魔力をそこから感じる。色は黒、紅、碧の三種だ。

「――ちょっと、隠しなさいよ」

「いいじゃん」

「私にとってはその方が都合良いけれどね」

「ふうん」

 黒のパネルに勢いよく文字列が並び始める。その瞬間に鷺花は全ての作業を止めて、そちらに集中した。

「……」

「えーと、あ、ここまでか。スクロールいらないってことは大した情報でもないんだ。詰まらないなあ」

 羅列されたのは圧縮言語レリップだ。一文字の情報量が文字情報におけるテラバイト単位ともなる、世界の事象などを記録する際に利用されるものであり、鷺花にとっては馴染みもある。何しろ魔術武装品を作る際に読み漁った、情報蓄積関係の書物の中で最も効果的なものであったし、何よりも両薔薇は圧縮言語を基礎にしてある。

 けれど、紅のパネルで操作をすると、圧縮言語が順次解体されて読みやすくなる。つまり今の連理は圧縮言語をそのままに読み取れない。

 何度か頷いた連理は最後、碧のパネルに向かって指を叩き、しばらくして紅を撫でると入り口の扉が自動的に開いた。

「よしっ」

「はいはい、こんな簡単なもので満足しない」

「褒めてもいいのに」

 中は円柱形を刻んだようなホールになっており、無数の本が並んでいる。その空気には圧倒するだけの力を持ちながらも、しかし二人には通用していない。

「おー……」

「約束、覚えてるわよね?」

「面倒を起こさない。だいじょぶ、魔術書を読む時もちゃんと気を付ける。フィルタ入れて直接干渉されないようにするし」

「わかってるならいいわ。好きになさい」

「はあい……って、本当にサギって同い年に思えないんだケド」

 大きなお世話だ、と苦笑して手近な椅子を引っ張って腰を下ろしたサギは、両薔薇を起動する。名称こそ状況把握の青薔薇、情報蓄積の黒薔薇となってはいるが、両方共に見た目は黒色だ――が、陽光に当たればわかるし、魔力を通せばそれが紅色であることに気付くだろう。

 既読、未読ではなく魔術師協会が保管しているだろう魔術書のリストを呼び出し、術式を広範囲展開グランドハウスすることで書物を確認、参照させてその差を調べる。この辺りは青薔薇の処理であるため鷺花にはほとんど負担がない。

 ――それよりも。

 三つのコンソールを展開したままあちこちを移動しつつ背表紙を確認する連理を一瞥してから頬杖をつく。

 黒は分析、紅は実行、そして碧は創造だ。

 分析は法則に限らず、術式にも効果を発揮する。とはいえ術式とはそもそも法則に内包されるものなので、法式よりも簡単だろう。実行とは法式そのものを稼働するためのもので、保存ないし特定の法式を実行するためだけのもの――いや、あるいは、保存そのものも担っているかもしれない。

 そして創造。まるで端末でプログラムを作成するかのような仕草、容易さで創られるのは間違いなく法式そのものだ。それが秩序と呼ばれる器の中でしか発生しないものだとしても、概念の領域に届かなくとも、それでも法式を作成可能な法式など、笑い話だろう。可能性については考えていたものの、鷺花だとてこの目で見なければ納得しなかった。

 〈全から初へラスト・バイブル〉――統括のための魔法師。

 最初からそこには総てがある。だからこそ統べる、統べて括ることができる。

 一つがあってすべてを抱こうとした鷺花とは真逆だ。結果としては似ているかもしれないけれど、根本的に違う。

「――と」

 三冊ほど該当なしだったため、席を立って移動する。黒薔薇のリストにない以上はアンノウン扱いだ。ここを調べておかないと次はない。

「あ、いや」

 そうでもないかと移動しながら、今度はリストを現在する魔術書、魔導書にして参照をしてやると、二つ合致した。となれば不明扱いは残り一つ。

 階段を上って四階、十三番目の棚に移動してその背表紙を見た鷺花はぎくりと躰を硬直させる。それから二秒ほど費やしてから。

「あのクソ師匠……!」

 その本は、かつて鷺花がメモ帳代わりにしていたものだった。見れば最初にエルムから渡されたものだとわかり、中をぺらぺらとめくると基礎段階の考察や仕組み、そこから己の魔術へと発展させるための発想が記されている。

 ――確か屋敷に保管してあったはずだけど。

 いくつかはチョイスして所持しているが、最初のものは置いてきたはず。しかし、まあ、これも初心を忘れるなとの忠告だと思えば、なんとか殺意も収まるというものだ。

「ったく……」

 本が書庫全体の魔術に関係していないことを再確認してから影の中に放り込む。そしてすぐに、全体の術式走査に入った。

 入館記録を見たかったのだ。

 ――八年前に一度か。

 この場所は基本的に内世界干渉系の術式を中心にして、内へ内へ向かうように仕込んである。最悪、事故があっても内部消滅だけに留めるためだろう。逆を言えば内部にいる以上はそれなりに安全なわけだが。

 さて、だからこそ記録を少ないと見るのか多いと見るのかは、難しい。

「あら、なに、読書記録リードレコードまで残すようになっているじゃないの」

 いくつかの術陣を展開して介入、記録の改ざんを行っておく。なかなか面白い構成をしていたが、介入だけなら簡単なものだ。エルムが施した封印を解除する訓練の方がよほど難しく大変だった。

 連理は片っ端から読み取っているらしく、法式の発動を強く感じる。おそらくは読み取るというよりは一時記録、いわば複写を行っているのだろう。それを後で読むのかどうかはさておき、手近な一冊を手に取ってぺらぺらとめくる。

 写本はエルムの書庫に多くあった。それでも写本ではないものを読んでおくのは悪いことではなし、ついでに言えばなかったものもここにはある。時間がある内は読んでおき、足りなくなったら連理のように複写しておけばいい――後は、連理が無茶をしなければ無事に済む。

 ただ、これで満足してくれればいいのだが。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る