10/10/12:00――シシリッテ・上官のてほどき

 組織名を〝見えざる干渉インヴィジブルハンド〟――誰がそう名付けたのかは知らないが、軍部に間借りする形で存在するこの組織は、軍の規律に沿ってはいるものの、厳密には違う形としてある。

 大抵は、アメリカ海兵隊訓練校に入れられ、前期後期を終えてから、二等兵として組織に属することとなる。そこからは完全実力制度――と言えば語弊はあるが、基礎訓練を行いながらも、仕事を回され、武器を手にして戦場へ行く、なんて日常を過ごす。

 仕事の内容もさまざまだ。一応、適正を見て仕事を回しているらしいが、よくわからない子供のお守りだったり、米軍の手助けだったり、一日中電話待ちをして終わりだったり――と、そんなものもあれば、暗殺や最前線への投入、ゲリラ掃討など、本当にいろいろとある。

 だからだ――六○部隊の〝忠犬〟は、雑用係などと揶揄されるのは。

 一番目の〝槍〟は文字通り実行制圧部隊。

 二番目の〝百足〟は電子戦闘を専門にする部隊。

 三番目の〝かっこう〟は敵地潜入の専門家の総称。

 四番目の〝ハヤブサ〟は上空制圧の戦闘機部隊。

 五番目の〝ホオジロ〟は海域潜水の専門部隊。

 六番目の〝忠犬〟は少数精鋭の特殊部隊。

 七番目の〝蜘蛛〟は情報操作専門の侵入部隊。

 組織は大きくこのように七つにわけられるが、三桁ナンバーと呼ばれる人間だけが、実際の部隊員となっている。けれど、実際にはそれだけで回っているのではなく、四桁ナンバーという、いわゆる候補生もまた存在しており、シシリッテ・ニィレもその一人だった。

 海兵隊訓練校では、身長が足りないことと、年齢が低いこともあって、いわゆる見込み入隊。扱いは同じだが、いわゆるミソッカス扱いだ。それでも幼少期からの経験が辛い訓練を生き抜かせ、どこの現場に配置されるのかと思えば、ここへ来ることになった。その頃はこんな組織の存在も知らなかったけれど、最初はまだ基礎訓練かと面倒がっていたが、少なくともシシリの赤毛を皮肉って〝ジンジャー〟などと、気軽に呼ぶ連中はかなり減ったので、そこは気楽になった。

 そもそも、ここの組織では、階級が意味を持たない。だったらどうして存在しているのかと問われれば、軍部との折衝の際には必要となるからであって、それ以上も以下もなく、成績次第ではあっという間に階級は上がってしまう。少なくともシシリが所属しているこの六○部隊の三桁ナンバーは、最低でも少尉クラスだ。もちろん、それは軍部において、そのクラスで通じて、役目を担い、その責任を負える――ということである。

 少数精鋭の特殊部隊。

 仕事の多様性からその意味合いは察することはできるが、四桁ナンバーの宿舎においても、それなりに少数だ。しかも、仕事があれば出て行くので、多くても十人いるかいないか、といったレベル。暇を持て余すというよりも、むしろ、誰かと何かをすることは少なく、そのぶんトラブルもない。訓練がサボれる――なんて思ったこともあるが、その結果として回された仕事に失敗でもすれば、そのまま死に直結するのだから、いかんともしがたいのだが。

 しかし、問題となるのが食事だ。人数が少ないこともあって、大なべで大量生産、美味くはなく食えないこともない、カレーの日が一番ほっとする、白米だけが腹にもたまった安心だ、なんて言われる食堂がここにはない。それなりに保存が利くものや、彼ら軍人にとっては量が少ないと言われる――味はいいんだが――いわゆる、一般的な弁当などが購買で売られており、それを食べることになっている。

 金銭そのものは、問題ではない。こと少数の六○などは、サイン一つで買い物ができて、あとは自動引き落としだ。海兵隊訓練校時代とは違って、仕事の報酬は自由に使えるため、紙幣やカードも所持している。さすがに無断で夜飲みにでかけることは問題になるが――まあ、それなりに使い道もあった。

 ともかく、食事である。量が多かろうが少なかろうが、それは食べる側が決めればいい。けれど一年もすれば、選択する幅が非常に狭いことにも気付くし、現実的にはそうでもないけれど、毎日同じようなものを食べている気分にもなる。

 いつものように、十分ほどですべて平らげてしまったシシリは一人、食堂とは名ばかりの歓談場にて、自分で落とした珈琲を飲んでいたのだが、そんな折に、東洋人が一人で顔を見せた。

「お――よう、シシリ。二人か?」

「馬鹿じゃねえの、ケイミィ。あたしの隣に誰がいるってんだ」

「ジョークに対して真面目に返すな。あとケイミィやめろ、ジンジャー」

「うるせえな、学がねえのは承知してるっての。あと、東洋人の名前ってのは読みにくいんだ。慣れてくれ」

 六一八三、シシリッテ・ニィレ。

 六一一一、北上響生きたかみひびき

 この数字は、組織に入る際に与えられた数字であり、よほどのことがない限りは上下しない。けれど、だからって入る時期が大きく違う、なんてこともなく、適当に空白だった部分に差し込まれることも多い。だから、四桁ナンバーの中でも、末尾が一桁の――たとえば○九、○八などの人物以外は、目安にはならない。

 とはいえ、北上の方が半年くらい早かったくらいか。お互いに同じ組織の四桁であるし、訓練もたまに一緒にやっている――というか、この宿舎にいる人間は大抵、そういう相手だ。あまり上下なく、ただの一個人としての対応が普通だ。軍部ならば徹底した上下関係に加え、嫌味や皮肉などが飛び交うもので、とりあえず、気楽は気楽である。

「飯か?」

「おう、今買ってきたとこ。そっちは?」

「見ての通りだ。五日前に仕事終えて、しばらくのんびりしてる」

「のんびり、ねえ」

「ケイミィは仕事だったんだろ?」

「おう、戻るのに一日使って、さすがに今日は休息日だ。ハコも戻るだろうから、酒でも飲みにってな」

「ハコ、軍部出向して座学がどうとか言ってたな」

「まだ続くらしいぜ、あれ」

「……そういや、ハコとお前の関係って、なんだよ?」

「んぐっ――変なこと聞くな。ただの同期だ、同期。くされ縁。あとはまあ、あいつの本名が七草ヘイキュリーでな、つまり半分は東洋人の血が流れてンだよ。そういう縁」

「へえ? それにしちゃ、仲が良いとは思ってたけどなあ」

「うるせえよ。そういうお前こそ、同期とかどうなんだ?」

「こっちに来た同期はいねえから。仕事以外でつるむ相手も、お前らがせいぜいだよ」

「ああ、なるほどなあ。そう言われりゃ、俺もそうか。相変わらず味気ねえなあ……日本の飯が食いたくなるぜ」

「聞いた話じゃ、かなりのモンらしいな?」

「よし、お前は日本にきて驚け。マジで一ドルの握り飯に涙が出そうになっからな!」

「ははは、冗談だろ」

 それが冗談ではなかったと知るのは、まだ先の話である。

「――あ」

「んだよ、ケイミィ」

「そういや……噂なんだけどな? あくまでも、噂」

「おう」

「なんでも、兎仔軍曹殿が退役するとか聞いたんだけど、お前、なにか知ってっか?」

「軍曹殿が!? いや、あたしは何も聞いてねえ。マジか?」

「だから、噂だって念押ししただろ」

「あー……」

 潦兎仔にわたずみとこ軍曹、六一○九――彼らにとっての上官であり、訓練も見てもらうことのある相手だ。ここには住んでおらず、別所にてほかの訓練を受けていたという噂は聞いているが、定かではない。というか、そんなプライベイトに突っ込めるほどの度胸が二人にはなく、けれど、階級がどうのというよりも、その生き方に、志に、素直に尊敬している相手だ。

 軍部にいた頃の上官とはわけが違う。厳しいし、きついことも言われるが――二人が戦場で得ることができた〝成果〟を、勝ち取るための訓練をしてくれる人なのである。

 得意を伸ばす、という簡単なことではなく、無茶な訓練をされたけれど、その成果そのものは、きちんと戦場で納得できる。だから頭が上がらないし、尊敬しているのだ。

 逆に言えば――彼らにとっては。

 三桁ナンバーなど、見たことはあって、話したことがあっても、どこか雲の上の存在といった感覚に近い。

 だから、その反応も仕方ないと思う。

 食べる手を完全に止めた北上が、ごくりと飲み込んだあと、口を半開きになって停止する。それを対面で見ていたシシリは、こいつはついに頭が悪くなったのかと、いや悪くなければ海兵隊になんか入らないか、なんて結論を抱きつつも、視線の先を振り返るようにして確認して、出入り口付近を見れば、やはり口が開いて、停止する。

 アイウェアこそつけているが、そこに、腕を組んだ六○一……つまり、忠犬のファースト、最大の実力者であるところの、朝霧芽衣がいた。数秒間、その姿勢で固まってしまったのは、これが夢ではなく現実であり、彼女が当人であることを認識するための、いわば猶予時間だ。

「あ――」

 先に声を発したのは、先に見つけていた北上。慌てた様子でシシリもまた、そこに追随する。

「朝霧中尉殿!?」

 胸を張った直立。両手は揃えて左右に、やや顎を引いた姿は今にも頬に一発入れられても問題ない、どうぞどうぞ、といった様子だが、軍ではありふれた姿勢である。

「うむ、私が朝霧芽衣だとも。――はは、どこの部署もそう大差ない棲家だな。まあ楽にしろ、楽に。肩肘を張られても困る。なんだ珈琲ではないか、貰うが構わんか?」

「はっ、どうぞ! 自分が淹れたものであります、味が悪くて申し訳ありません!」

「ふむ……なんだ、そう悪くない味だ。珈琲屋を開いた時は教えてくれ。それと、重ねて言うがここは私の士官室ではない。畏まるなと命令はせんが、場所を弁える柔軟性はあるだろう? 貴様らだとて、中尉なんて肩書が便所の紙と同じ類だと知っているだろうに」

「は――しかし中尉殿。自分たちは兎仔軍曹殿より、迷惑をかけるなと厳命を受けております」

「む、兎仔か。しかし北上、そうは言うが、食事の最中だろう。いいから続けろ」

 いいえと断るべきか、頷くべきか逡巡する。食事の重要性については軍部の頃から強く語られている。まずくても食え、食わなくては動けないし成長もない。加えて、上官がどうのと、そういうことを除けば、邪魔をしたのは芽衣のほうだ。

 だから、北上は頷き。

「恐縮です、マァム」

 そう言って腰を下ろした。やや離れた位置に芽衣も座ったので、やや迷ったようにシシリも椅子へ。

「ああ、兎仔の話だが」

「は、なんでしょう」

 受け答えはシシリが行う。北上は食事をしている最中だ――といっても三分もあれば終わるだろうけれど。早寝早飯は軍部での必須技能である。

「おそらく来年にはなると思うが、組織を抜けることになる」

「聞いておられたのですか……」

「聞こえただけだとも。とはいえ、厳密には予備役扱いだがな。配属先は――と、これはまあ、黙っておくとしよう。もし遭遇した時のサプライズになるからな。兎仔も途中からは、ややうちの手に余る物件になりつつあるのでな」

「そうなのですか? 自分は、いつか三桁として働くのかと思っておりました」

「いや、あれほど癖の強いやつを三桁に上げたら、私の仕事がなくな……ふむ、シシリは良いことを言うな。それはいいかもしれん」

「いいかもしれん、じゃないでしょう、中尉殿」

「おお兎仔、きたか」

「様子見ですよ。――おう、お前ら。あたしにも挨拶はいらねえよ」

「お疲れ様であります、兎仔軍曹殿」

「ん。つーか、あたしの退役のことはともかくも、中尉殿。本題はまだ?」

「おっと、歓談にきょうじようと思ってもいたんだが?」

「口出しはしませんが、中尉殿の場合は長くなるでしょう」

「まったく、卒がないというか。では用件だ、シシリッテ・ニィレ」

「は、なんでしょう」

「三十分後、第三訓練室にこい。遊んでやろう」

「は――、諒解であります」

「それとお前の珈琲は充分に美味い。もっとも、私の知る限り、ジェイル・キーア少佐殿の珈琲が一番だがな。はははは」

「あたしは上へ連絡しときますよ」

 やや慌ただしく二人がいなくなれば、いつもの空気に変わっている。どこか拍子抜けのような感じもあるが、肩の力を抜くには時間がかかった。

「ごっそさん。俺も珈琲、もらうぜ」

「いいぞ……ああ、いや、なんだこりゃ」

「喜んでいいことだろ? 軍曹殿じゃなくて、ファーストの朝霧大尉殿が訓練を見てくれるって言ってんだぜ」

「んなこた話の流れを聞いてりゃわかる。けど、なんであたしなんだ? しかも大尉殿が……わけがわかんねえ」

「あー、まあ、そうだろうな。俺もわかんなかった」

「ああ?」

「睨むなボケ、怖くねえよ。ちょっと前に、俺も見られたことがあるんだよ」

「……どうだったんだ?」

「先入観は与えたくねえなあ」

「正直に、てめえの無様さをさらけ出すにはプライドが邪魔してますって言えよクソッタレ」

「お前ね……いや、そんくれえの罵詈雑言は慣れてるけど、一応女なんだから、ちゃんと使い分けろよ。あと、妙に素直っつーか、思ったことをすぐ口にする性格も」

「てめえはセラピストか何かに転職予定か? いいから言えよ」

「俺なら、中尉殿に一発当てるくらいなら、千八百ヤードを対物で当てろって言われた方がマシだね。けどま、良い経験にゃなるし、必死で食らいつけよ。少なくとも俺はそうしたぜ」

「必死に、か。……お互い探りを入れちゃいねえが、あたしら忠犬ってのは、そのほとんどが術式を使えるだろ」

「ん、暗黙の了解にはなってるけど、そうだな。軍曹殿に言わせれば、ただそれだけであって、俺らは魔術師じゃねえと、そういうことになる。シシリもこれ、聞いたか?」

「ああ、軍曹殿に言われたことがある。そうじゃなく、そこまで込みでやったのかと思ってな」

「……――ああ、そこまで込みでやった」

「マジか? 軍曹殿相手でも、そこまではやってねえんだろ」

「そりゃあな。意味合いが違うんだろうぜ――」

 潦兎仔は、間違って殺しそうになるから、止めろと言っていて。

 朝霧芽衣は、自分が殺されることはないから使えと、そう言うのだ。

 きっちり三十分後、片づけを終えたシシリが訓練室に向かうと、三十畳ほどある縦長の屋内には、兎仔と芽衣の二人がいた。

「シシリッテ・ニィレ、きました!」

「うむ、時間通りだとも。では早速と言いたいところだが、兎仔。上はなんと言っていた?」

「ああ――そのまま伝えますと、大笑いした挙句に〝朝霧が殺されるなら忠犬どころか組織の終わりだな〟と言っていました」

「あの野郎は私をなんだと思っている……まあ、死にはせんが。シシリッテ、これから訓練をするが、ふむ。そうだな、兎仔、マグチェンジは三度ほど許そう」

諒解イエスマァム

 そこから、いつ抜いたのかもわからない状況で兎仔の右手にはP229が握られており、ざっと三十発以上の速射が放たれた。以前の訓練では弾頭がゴムだったとはいえ、この射撃を嫌というほど食らったわけだが――しかし、かなりの近距離だというのに、三十発を終えて。

「ふむ? なんだ兎仔、加減したか?」

 右手にナイフを持った朝霧芽衣は、そのすべてを回避し、あるいは受け流していた。開いた口が塞がらなくなる、パートツーだ。

「してませんよ、そんな怖ぇことしませんって。っと、じゃあ、あたしはまだ仕事が残ってるんで、シシリを頼みますよ、中尉殿」

「任せておけ。終わったら報告くらいはしてやるとも」

「助かります。――シシリ、死ぬ気でやれよ。もし中尉殿を殺せたら、五日間はパーティだ。あたしのカードを使い切るぞ」

「はっ」

 ふむと、兎仔が去ってから芽衣は腕を組んだ。

「一応、仕事の履歴だけは目を通したが、暗殺向きらしいな?」

「は、上層部は自分をそのように見ているようであります、マァム」

「しかも、対多数戦闘を正面から突破……か。暗殺の補助、あるいは始末屋の類か。まあいい、では始めるか。なあに、難しいことはせんとも」

 朝霧芽衣は、笑う。

「――私を殺害対象だと思って、かかってこい」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る