10/13/08:30――鷺城鷺花・早速の仕事

 アクアのお蔭もあって新生活は滞りなく無事にスタートを切った。今まで腰をどこかに落ち着けて生活をしていたつもりはないが、拠点は重要であるし、何より戻る場所があるのは安心するのである。

 ひとまずの猶予は一年とした。厳密には再来年の四月、VV-iP学園に入学するまで、である。その間にやるべきことはそう多くないけれど、まずは野雨に慣れることと知ること。そして父親の雨天暁に呪術とそれに伴う身体能力を教わることだ。

 まずはそのことを伝えるために実家に戻って母親にも挨拶をした後、そのツテで蒼凰そうおう蓮華れんかへ連絡をしてもらい、今日は逢う約束のため鷺花は街を歩いていた。

 野雨市には学園以外にこれといった観光名所はないが――いや学園も名所だが観光は似合わないか――人口は多く、鷺花にとってはどの国であっても買い出しにでかける時はこのような風景を見ていたため、馴染むことは問題ではなかったけれど、それでも日本という国はどこか閉鎖的で、どこを見ても日本人しかいないような風景には苦笑させられた。

 もちろん、鷺花もその中の一人だが。

 蒼凰の家は住宅街の一画にあった。表札にもそう出ており、三階建ての何の変哲もない、いわゆる普通の家だ。庭は菜園をするほど広くはないが木もあり、犬も飼えるくらいの広さはあるけれど、手入れはされていながらも動物はいなかった。

 以前に来たことがある――それは事実だ。けれどもう十年近く前だろうし、鷺花の記憶はもう薄れていて確証が持てない。そうだった気もする、というやつだ。

 蒼凰蓮華、稀代の策士。そうであるが故に、彼が策を弄したのはたった二度と言われている。それ以降はなく、それだけ恐れられており、だからこそ野雨に居座る彼に逢いたいと鷺花は思ったのだが。

 インターホンを押してしばらく、返答は電子機器を通してではなく玄関が開いて、当人が顔を見せた。小柄な男性で青色の中国服を着ており、髪もまた同色だが薄く、一房だけが白色に染められていた、なかなか派手な外見だ。

 それなのに、やはり、記憶は薄く過去と現実との実像が結ぼうとはしなかった。シナプスが繋がっていないのか、それとも最初から繋がりは薄かったのか。

「よォ、鷺花。待ってたぜ」

「じゃあお待たせ、と言うべきかしらね。それとも久しぶり?」

「お前ェにとっちゃ、初めましてッてのも間違いじゃねェよな? 上がれよ、さっき茶を入れたところだ」

「お邪魔します」

 玄関から中に入っても、妙な気配はない。それこそ一般家庭にお邪魔した時とさして変わらない、実に平凡なものだ。

 座って待っていろとのことだったので、リビングのソファに腰を落ち着ける。真空管のアンプが棚にいくつも並んでおり、テレビの代わりにスピーカーが鎮座している。喫茶SnowLightよりは小さいシステムだが、レコードも用意されている辺りがかなり年季を感じる。

 そういえばステレオ関係はまだ家に用意していなかったなと思う。小型のものなら部屋にも置けるかなと考えを巡らせていると、蓮華がお茶を片手に戻ってきた。

「烏龍茶だけどよ」

「ありがとう」

「にしても、行動が早ェよな。昨日の今日じゃねェか。引っ越しは一段落したのかよ」

「アクアが手伝ってくれたおかげよ。設置したあとの掃除まできちんと終わらせてから戻ったもの」

「さすが、徹底してやがるよなァ。それでも、すぐに俺ンとこに来なくたッていいじゃねェかよ。居を構えて早早に暇なのかよ、おい」

「今の野雨は落ち着いてるってこと?」

「――おいおい、もしかして恨み言を投げつけにきたのかよ」

「五年前ね……恨みはないわよ。使われる方にも原因はある」

神鳳かみとり雪人ゆきとな。まァ――あいつァよ、いわゆる俺らの負債よな。ずっとやり残してたのよ。恨み言なら――神鳳のに、山ほどぶつけたかったンだけどな」

「したの?」

「するわけがねェッて顔に書いてあるぜ」

「少なくともあかつき小波さざなみは――ああ、ま、父さんと母さんはしないだろうと思ってね。あの人たちのことだから単純に、おかえりと迎えただけじゃない?」

「よくわかってンじゃねェかよ」

「そりゃ、両親のことだもの。相変わらず正月には顔合わせしてる?」

「おゥ、毎年のことだよ。咲真さくまもたまにゃ顔を見せるし、しのぶンとこは――ん? あァ、入れ違いかよ。ちょうど槍に入ったところなんだけどなァ、いい筋してるぜ?」

「聞いてるわよ、五木いつき裏生りき橘四たちばなよん。忍さんとは面識がないけれど、七さんはね、まあ、ちょっと話を聞くつもりではあるけれど。蓮華さんは相変わらず隠居生活?」

「変わらずだよ」

「いいことね。――蓮華さん」

「いいよ、構うことはねェ。好きに言えよ」

「三人。蓮華さんと、マーデと、遺憾ながらうちの師匠と」

「遺憾ッて何だよお前は。別に嫌ってるわけじゃねェンだろ?」

「師なんて誰でもそういう扱いなのよ」

 三人。

 たぶん、世界という理の中でこの三人だけが――策士と呼ばれるだけでなく――ただ、器を越えた地点に限りなく近くにいる。

「でも二人は魔法師」

 法則を担っているからこそ近づけた。それは上り詰めたのではなく、借り物の力で押し上げられた――に、近い。

 だからそれは。

 ――いつか一方的に奪われる。

「まァ俺らだって同じ方向を見てるわけじゃァねェのよな。エルムにゃァ任せちまうことになるが、今すぐッて話じゃねェのよな、これが」

「そう、じゃあやっぱり納得ずくなのね?」

「そうだよ。つーかンなこと心配すンなよ、俺に言わせりゃ鷺花の方が心配だぜ? そろそろ、兆候も出てンだろ」

肉体時間の停滞オーディナリィループ

 掌に視線を落としても、それはわからないけれど、それでも魔術師である鷺城鷺花が己自身のことを、まさか知らないなどとは言えない。

「結局、師匠が拾ってくれたのはそういう意味もあったんでしょうね」

「拾ったッて――ああ、そういや覚えてねェか」

「え、なに、言いなさいよ」

「魔法回路の暴走。つっても、常時展開が許容量をちょっと越えただけで、制御ができなくなっちまったッてだけよな。覚えてるかよ」

「そのことは、まあ、師匠のところに行く前日……よね」

 他人の意識を読む――簡単に言えば鷺花の法式はそういったものだ。けれど制御を離れれば、それは酷い雑音の中に身を投じるのと同じである。

 雑音――なら、どれだけマシか、身をもって経験した鷺花にとっては切実だ。何しろ意識というよりも思考は、元より曖昧なものなのに、それでいて強い感情も含まれるものだから。

「俺のところに連絡がきた。エルムと繋げろッて一方的にだよ」

「はあ、そう、それで?」

「運び屋の転寝うたたねは知ってるか?」

「スイよね、知ってるわよ。こっちに戻る時に使ったし」

「あいつの親父に連絡入れて、俺がエルムに連絡している最中にESPで飛ばしやがった。お前ェが雨天家を出た瞬間から衛星八基が一時的に処理落ち、運搬にセツの車を使ったのは覚えてるか?」

「まあ……」

「その間、通信網も全域ダウン。ここまでがベルの仕業で、目視を遮るカーテンは紫陽花がやったな。その間、二十分だぜ、おい。まあ翔花しょうかにゃ笑ってやったけどよ」

「聞かなきゃ良かった……どういう手際よ。拾ったんじゃなく、半ば押し付けたんじゃない」

「エルムだって承諾はしたんだぜ? 翔花のことだ、それも見越してたんだろうよ。まったく……俺に手配させりゃ、余計な荷を背負うこともなかっただろうに、時間と勝負でもしてたんだろ」

「好んで背負ったんだもの、別にいいのよ」

「なんだつまらん、多少は気にしてやれよ」

「充分にしてるわよ。――蓮華さんに感謝を、ね」

「ッたく……」

「雪人さんはどうしてる?」

「気になるかよ」

「かなりね。もう実家に戻ったかしら」

「いや――実際、ここ五年くれェはずっと野雨にいるよ。野郎にとっちゃ思い出の土地だ、辛いこともひっくるめて受け止めてェンだろ。最近は落ち着いてきたし、それでもまァ、逢いにくるだろうよ。鷺花のことも気にしてた」

「あら、嬉しいわね」

「あー…………ま、いいか」

「何よ」

「――間違いなく、神鳳のはお前よりも先に逝く」

「……そうね」

 割り切ってはいない。納得もしていない。理解はたぶん、できているけれど実感はない。だがそれが事実である以上、鷺花は常に意識しなくてはならないのだ。

 けれど、でも。

「今はまだ、考えられないわね……」

「ふうん? ま、いいんじゃねェかよ。ようやく歳相応の言葉も聞けたしな」

「あのね、私だってまだ十四歳よ? 相応じゃなく何だってのよ。詐称なんてしてないんだけれど……そういや、槍にいた頃も言われてたわよね」

「意図してやってんじゃねェのかよ」

「私は私なりにやってただけよ」

「で? 当面はどうすんだよ」

「とりあえずは最低限の付き合いを作っておいて、やり残したことをやって、後は……どうしようかしらね」

「その辺りは心配しなくてもいいんだよな、これが」

「……ちょっと」

「まァ決めるのはいつだってお前だよ。だから気にするな。今の野雨は鷺花にとっちゃそう難しい場所でもねェが、派手なことはすんなよ?」

「私ももう子供じゃないし、試したいことはもう試してきたもの」

「いざとなりゃ、どこへでも行けばいいしな。学業はどうすんだよ」

「カレッジまでなら履修してるわ。一応、VV-iP学園には来年辺り入学する予定ではいるけれどね」

「なら好都合か。エルムからの伝言もあるし――ん?」

「あら」

 廊下を通りかかった娘の連理れんりは、客人が来ていることは知っていたのだろう、軽く会釈をして過ぎようとしたのだが、相手が鷺花だとわかって足を止めた。

「あれ……サギ、だよね?」

「ほかにどう見えるのよ。レンも久しぶりね。なあに、おさげにリボンなんかしちゃって……って、そうね、そういうお年頃か」

「お年頃ってあんた……いいケド、聞かれたくない話?」

「いいえまったく。座ったら? というか今日って休日だったのね」

「そんくらい気にしようよサギは」

「日本じゃ国旗が上がってるところも少ないからわかりにくいのよ。……ふうん、落ち着いてはいるけれど、五年前より格段に何かが変わったってことはなさそうね」

「え? なにが?」

「起点にはなったよ。そりゃ間違いじゃねェ」

「そりゃそうでしょうけれど、……まあ私が口出しすべき問題じゃないわよね。レンだって特に仕事をしているわけじゃないんでしょ?」

「学校にいくのが仕事なんだケド。義務教育よ?」

「そうよね。――ああ、そうか、学園は確か下見もできたわよね。一度行っておこうかしら」

「忍に話をつけといてやってもいいぜ?」

「蓮華さんに頼まなくても、渡りをつけるくらいなら何とでもなるんだけどね。――ま、今回は素直に受け取っておくわよ、どうせ面倒なことがあるんでしょうし」

「お前、そういう先読みすんなよ……」

「いいことでしょう? あ、そうだレン、この辺りのブティックでいいところある? 服も適当に買っておきたいのよ」

「あ、いいよ。今から行く?」

「待て待て。つーかまだ早いだろうがよ。昼前だぞ」

「そういえばそっか。って、サギ戻ってきたの?」

「住居はマンションだけれどね……なんでレンが嫌そうな顔するのよ」

「だってサギ、性格悪いもん」

「お前も相当だけどな……」

「父さんは黙ってて」

「黙らなくてもいいわよ。私が性格悪いことを否定しなかった釈明をしなくちゃいけないから」

「まったく誰に似たんだかよ。まずエルムからの伝言だ」

「まずってところが気になるわね。なに?」

「以前に申告して断られただろ? 協会と教皇庁の書庫、もう今の鷺花なら出入りしてもいいッてよ。伝え忘れてたらしい」

「またそんな嘘を……」

 それならそうで、伝言を頼む相手が違うだろうに。どうせ鷺花の行動を読み切って伝えたに決まっている。

「でだ、――連理を連れてけ」

「え? いいの? やった!」

「……本気?」

「必要だろうし、何より連理が望んでることだからよ」

「親馬鹿」

「うるせェよ」

「でも、まあそうね……もとより私が行くつもりだったし、構わないわよ。航路の手配も、別にお忍びじゃなし、必要ないでしょう。レンはいつなら空いてる?」

「いつでもいいよ? ね、父さん」

「ああ、学校にゃ俺が手配しといてやるよ。こういう手配もできるようにならねェとなァ」

「父さんがやってくれて助かってる」

 甘いなあと、鷺花は苦笑顔だ。だが厳密に蓮華は師ではなく父親なのだ。甘くなっても仕方ないとも思う。かつて鷺花にとってアクアがそうであったように。

「じゃあ早い方がいいか。今から買い物済ませて、発ちましょ」

「え、いいの? 野雨に戻ったばっかなんでしょ?」

「いいのよ。次に戻ってくるのもここだもの。ただ、いくつか約束は守ってもらうからそのつもりで」

「おっけい」

「じゃ、頼んだよ鷺花」

「はいはい。これっきりにして欲しいけれど、まああと二度くらいなら許すわ」

「おっかねェ」

 戻って来て早早にこれかと呆れる気分もあったが、そもそも野雨に居る人間からの依頼であるのならば、それはそれで新鮮だ。元より鷺花の目的でもある。同行者が一人増えたくらい、問題ではない。

 ――たぶん。

 一応、最後にそう付け加えた。


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