11/10/11:00――鷺城鷺花・鈴の音色
家――つまり、ベースから離れた鷺花は、一番手近なポイントで仕込んであった術陣を稼働させた。足元にうっすらと浮かんだ術陣に視線を落とし、すぐ顔を上げると周囲の景色が変わっている。
転移というよりも、これは転送に近い。方法としては単純で、布陣した場所それぞれに対し〝
もっとも、現実世界を書き換えてしまう
転移先は二つ目の山頂。朝霧が鷺花を〝誘い込む〟ために移動してきている山だ。
――丁度いい。
昨日、この山に仕掛けた内容をざっと頭の中で反復した鷺花は二度ほど頷いてから目を細めた。
「ん……目視はさすがに無理か。〝
だったら別手段だと、術式を組み立てて映像を構築する。立体図として把握した地形を元に、朝霧の現在地を割りだし――足音、動き、それらを把握するようにして繊細に、映像を浮かばせた。
けれど、映像の中の朝霧はぴたりと停止している。リアルタイムで更新していないから――ではない。その証拠に瞳だけは不満そうに左右へ動いていた。
つまり。
「こっちの〝視線〟に気付いてるのか。こりゃ観察も難しいわよね」
まあ映像それ自体を術式で発現できることも、細かいことだが確認できてよかったと映像を消す。利便性を求めるのなら、展開式同様に視覚化することは非常に有用だ。忘れないようにしておこう。
――そろそろ気付く。
適当な岩場がなかったので木の上に飛び乗って腰を下ろし、おさらいを始める。この山に仕掛けた罠は三十六――ただしそれは本命の数で、布石を含めれば八十一だ。
この数を少ない、と鷺花は捉える。
だから。
「あちゃあ……」
最初から引っかかってくれると、詰まらない。
「っと、待て待て。詰まる詰まらんじゃなく、かかったなら事後経過を見ないとね」
昨日の朝霧も同じような気持ちだっただろう。対応できたとはいえ、彼女の作った自然のトラップに鷺花も引っかかったのだから。
つまりこれはお返し――だ。
今回仕掛けた鷺花のトラップのすべては、中心にいけばいくほど具体性を持つ性質がある。簡単に言ってしまえば、主要の部分は最初から隠していない。一般人であっても生存本能が警笛を鳴らして足を止めるほどの魔力が込められている。
見れば、わかるだろう。どんな作用があるのか。
仕込みは連鎖起爆だ。内容はすべて違うけれど、一つが起動すればすべてが連鎖的に稼働して現象を引き起こす。そして、そのカギは――中心にない。
そもそも、朝霧レベルの魔術師では気付いた時には手遅れだ。
最初から複数に重ねた術陣の中に、相手に気付かせる作用を持つ術式を入れてある。気付いた時、その存在を確認した時、両足はもう起動鍵まで踏み込んでいる――それが鷺花の仕掛けた、様子見のトラップだ。いや、だったのだが、というべきか。
朝霧は既に鍵を起動してしまった。
朝霧が持つ自己魔力が自然界の魔力を集積していた術陣に、停止動作を行わせてしまったのだ。そこがファーストアクション。
もちろん状況に応じて鷺花から撃鉄を落とすことも可能だが、その必要はないだろう。ただ、そろそろ朝霧の奥の手を出させようとは思っていた。最高の――極限まで追いつめてやる。
そのためのトラップだ。
一つ、二つ、三つの連動する術式に朝霧は気付いているのだろうか。いたにせよ、いないにせよ、連動は止まらない。それは山の半分を覆うほど広がり――そして。
そうして遅く、朝霧は事態に気付いて〝逃走〟を選択した。
それがラストアクション。術式の内部から出ようとした直後、その連動は実際に稼働を開始する!
山が鳴った。
悲鳴だ。
「死なないでよね朝霧」
そうして、山は一斉に崩れ始めた。木も、岩も、何もかもを巻き込んで――朝霧を飲み込むようにして。
鷺花はすぐに倒れようとする木から飛び降りて術式を起動、隣の山まで一瞬にして転送を成功させた。様子見をしながらも、自分の影に手を入れてそれを取り出す。
コートだ。
黒のそれを羽織り、ベルトで胸下と腰の付近を留める。内部生地には温度コントロール、外部生地には簡単な防御術式が重ねかけされており、重さは基本的に普通のコートと変わらず、それでいて実物の武器などを隠し持てるようなポケットもいくつかある。
武装――というよりは、気を引き締めるための装備だ。今から戦闘をする、という装備。
だからこそ、戦闘意識に切り替わったからこそ、――遅く、鷺花は気付いた。
袖口から引き抜こうとした手がナイフの表面に触れ、その冷たさに拒絶を感じ取って止める。
「――何か用?」
無理だ。
とても、困難だ。
どんな状況であれ――この人物と〝敵対〟することはできない。
できたとしても一瞬、あるいは刹那。
たったそれだけの時間敵対できて、すぐに殺される。
それほどまでに、圧倒的では表現できないほどに、差がある――。
「誰だ……と言っても、答えてくれそうにないわね」
振り返れば、岩に肘を乗せるようにしてリラックスした青年が、何気ない瞳でこちらを見ていた。背の丈もそれなりに高く、カーゴパンツにジャケットといった格好で、前髪で左目を隠している。隠れていない方の瞳はどこか疲れたような、眠いような視線だが――むしろ隠れている方に鷺花の意識は最大レベルで向いていた。
「――ジニーも気付いてはいない」
「知ってるわよ。そんなヘマをあんたがするとは思えない」
気付いていないのは当然で、気付かせていないのだ。
気付かせず、ここまで来た。たぶん鷺花に逢いに。
「鷺城鷺花に朝霧芽衣、か。……なるほどな、くだらねえとは思ったがそうでもない。暇を見て来たのが正解だ。俺のことはベルでいい」
「――〝雷神〟ベル」
「そう呼ばれることもある。おい、隣に移るぞ。どこまで見込んでるかは知らないが、こっちも半分は呼応して崩れる。それに俺は朝霧にまで顔を晒すつもりはねえ」
「オーケ……」
ゆるりとした動作で岩から躰を離し、今も崩れ続ける山に背を向けたベルは、落ちるように隣の山への移動を開始する。それはとても、緩やかな動き――ひどく言えば緩慢な動作ではあったが、それは。
「――っと」
呆けていても仕方ないのに気付いて再び転送を。隣の山は中腹地点にあったため、そこから更に上へ――行こうとする前に、ベルが合流してしまう。
「山頂よりもこっちのがいい」
「ベル」
「あ? なんだ、別の場所にするか?」
「そうじゃないわよ、……そうじゃない。ベル、あなたは自覚してるのよね、それ」
「何のことだ、ととぼけても無駄か」
わからないはずがない。
動きを見てすぐにわかった。ベルの肉体――おそらくは細胞などが壊死しているのだろう、動かない場所を無理やりどういう手段でか動かしている。そこには想像を絶する痛みがあるだろうに、ぎこちなさなど一切見せてはいない。
「どの程度だ?」
「今の段階で……三割。義手と義足を使ってるけれど、換装しないの?」
「わかるだろう? しても無駄だ。俺は躰を失ったわけじゃない、ただ死んでいるだけだ」
「酷使のし過ぎよ……」
「まだ過ぎてねえよ」
まだなと続けたベルは煙草を口に咥えると、電気を発生させて先端に火を点けた。
「ベルの人生に口出しするつもりはないわ」
「そうしてくれ。よって他言無用ってな……ま、知ってる連中もそこそこいる。同業の馬鹿共は俺を〝
「特別? 私には――張りつめた市販の風船にしか見えないわよ」
「それが正解だ。正解だが、俺も下手に偽装はしてる」
「偽装せずとも、だからこそ届かない……少なくとも今の私じゃ駄目ね」
視線を切り、崩れる山へ向ける。まだ数分、地鳴りは収まる気配を見せない。
「何をしに? きっと今のあなたは、本当に最低限の仕事しか――してないんでしょう」
「厳密にはしている素振りを見せている、だ。俺に回ってくる仕事の大半はブルーか、エルム辺りが投げてくる。後は気ままにだ、楽なもんだな」
「だったら尚更、自分が動いてまで私にコンタクトをとる理由が気になるわよ」
「縁が合った、じゃ納得しないか?」
「縁を合わせにきた男を相手に?」
「口が悪いのはレインの影響か……あの馬鹿も、もうちっと落ち着けばいいんだが」
「落ち着いてるわよ?」
「……まあ、文句が五百メガバイト程度減ってはいる」
「あは、苦労してるね」
まったくだと、ベルは小さく苦笑した。減ったのがその数値ならば、文字情報だけできっと一ギガバイト程度はあるのだろう。読むだけでも大変な労力だ。
「様子見だ。……いや見極めか。翔花に頼まれてな」
「小波に?」
母親だが、対外的には姓で呼ぶようにしている。――いや、するようにした、と言った方が正確か。
「前の帰宅で思うところがあったんだろう。――あの女のやり方は巧妙だ。数ある中からピンポイントで俺を選択してきやがった上、ブルーの後押し。つまり選択肢の中で俺が適任――過ぎるのを見抜いた、いや、縁が合っている相手を、か」
「限りなく正確に可能性を導き出すこと」
「特質したものじゃない。現にお前だって使ってるし、かつて俺も学んだものだ」
「……そうね。そんなのは当たり前のことで、ただ意識そのもののベクトルを変えるだけ。でもその〝当たり前〟ができないのも人よ」
「朝霧芽衣もまだ、思考能力でお前には劣っている」
「躰は私よりも戦闘向けよ。この程度の土砂――ま、潜り抜けてくれることを祈るわ」
「最悪の場合は穴を発生させてあいつを埋めることが対処か。昨日の今日でよくやる。まあどんな戦場でも〝見〟は重要な要素だ。いい筋ってのも、お前にとっちゃ褒め言葉にはならんか」
「経験が足りないのは自覚してるわよ……」
「そう落ち込むこともねえよ。あのレインが、いくら実験だとはいえ、お前の魔術研究に巻き込まれるのは嫌になると、そう言ってたからな」
「――なに、私の情報も握ってるってわけ?」
「人を知るのは狩人にとって初歩だ。情報は鮮度の如何を問わずして所持しているに限る。それが手を打つってことだ――特に俺たちはな」
「周到ね。や、まあ張りあおうって気はないのよ」
「そうか? 俺らはともかく、セツやウィルは随分とお前を評価してる。つまり、連中に言わせればお前は肩を並べられる相手だと」
「そうなった時に考える。今言われても重荷にしかならないわよ、もう」
「それをわかって言ったんだ」
「……腰に提げてるナイフ、それ、四番目でしょう。エミリオンの」
「これでも一応、鞘で封じてはいるんだがな」
「封じてるから、わかるのよ。気配を隠すのに術式を使えば、その術式が感知されてしまうのと同様に……ついでに、その左目も」
「楽園の住人との繋がりはセツよりも俺の方が太い」
「……」
ベルは、壊れている。それは意識やあり方ではなく、実際に躰の内部が――だ。同様に現役を退いているジニーの場合は老化現象に近く、それに伴う負荷がかかり躰が壊れている。
二人の違いは、なんだろうか。
同じようにも思えるし、まったく別物のようにも思える。
破裂しそうな風船と。
部品を一部失った機械と。
壊れているのは、同じなのかもしれない。
「思った通り、朝霧は三番目の担い手だな」
「――ええ、そうよ」
特殊な携帯性を持ち、そして魔力を〝喰う〟ことで術式を無力化する二本の――二刀での扱いを前提としたナイフ。
エミリオンの刻印が入った三番目のナイフ。
五本の中でもっとも所持者の特定が難しい一本だ。
「いつから?」
「以前の持ち主の時から知ってる。現物を見て得心がいった――どうして譲渡されたのか、その理由がな」
「ふうん。その確認もあったわけね」
「さてと、俺はジニーに顔を出してから戻る。お前も戦場に戻れ」
「ここがそうよ。そして、どこでも戦場じゃない。ジニーとは?」
「それもそうか。ジニーとは、あー……そういえば俺が認定試験を受けた時以来かもしれん」
そんな繋がりもあるのかと、鷺花はベルよりも先にその場を動く。
「じゃ、――また野雨で」
「――……おう」
再び転送術式を使って隣の山まで戻れば、地響きが収まりつつある。木木は倒され、流れ、埋まった山下の通路さえ見渡せると思えるほどの景色の中、その。
ナイフを二本手にして、袖口で顔についた泥を拭う鋭くも強い生気を抱いた二つの瞳が。
朝霧芽衣が、千三百ヤード先からこちらを、間違いなく。
睨むようにして見ていた。
まだ今日は始まったばかり、ここからが本当の意味でのスタートだ。
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