03/16/14:00――鷺城鷺花・魔術戦闘

 たまには外に出ろと言われてから五日後、勝手に置いていった語学の本を完全に己のものとした鷺花だったが、しかし。

「じゃあこれ、ジュニアスクールの一般レベル教科だから覚えておくように。終わったら適当に卒業試験を持ってくるからそのつもりで」

 などと、エルムがまた勝手に本を山積みにしていったので、こんにゃろう地獄に落ちろと言い放った鷺花はエントランスまで足を運んだわけだが、そこにゴシックと呼ばれる衣装に身を包んだ少女が内装を見渡していた。

「あ――レインじゃない」

「おやサギ、久しぶり……というほどでもありませんか。元気にしていたようですね」

「うん」

 ゆっくりと階段を下りるが、まだ鷺花の歩幅では階段の方が大きいため、少しばかり注意が必要だ。

「レインはどうしたの?」

「これの調整です」

 言いながら、レインは背中から大剣を外してみせる。鷺花にとってもそうだが、レインの背丈以上の大きさを持つ一八○センチほどの大剣で、幅も三十センチはあるだろうか。

「あ、もしかしてこれ、じーさんの?」

「……ああ、そうです。エミリオンの製作です。ここに刻印があるでしょう」

「ほんとだ。ExeEmillion No.Ende……最後なのね。――あ、なによう、干渉遮断系の術式を常時展開してるじゃない。でも遮断されてるなら、それを無効化せずに、遮断そのもののパターンを見てやれば……わかるかなあ」

「ふむ」

 次次に発生する展開式を、レインはさして慌てた様子もなく見る。最近の鷺花は分析を主体に動いているため、屋敷にいる人間はもう慣れたものだ。驚きもしない。

 理解できているのはきっと、エルムとウェルくらいなものだが。

「くそう、やっぱりじーさんの術式って、なんでこう、うぬ……」

「天属性系列に該当する術式は基本的に混合と複合を重点的に利用しますから、今のサギでは解析それ自体が困難でしょう。もっとも、エミリオンがスペシャルだ――そう言ってしまったも良いのですが、当人が自覚していないことをもっともらしく口にするのは嫌な女のすることです」

「良い女のすることは?」

「当人が自覚していないことを当人の前で言って自覚させるのですよ」

「なるほど」

「――おいレイン、妙なことを吹き込んでんじゃねえよ。サギも鵜呑みにしてんじゃねえ」

「あれシン……珍しい、服着てる」

 中国服を着た禿頭のシン・チェンは、普段から風呂好きでよくバスローブ姿でうろついてはアクアに説教を食らっているのだが、今日は違うようだ。

「またお前は展開して……とりあえず閉じとけ。まだ保存はできねえんだったか?」

「あ、うん、できないことはないけどね。元となる要素がないと、一度消しちゃうと難しいんだ。どうも私の術式になっちゃうみたいで……」

「しょうがねえ、と諦めるのは簡単だけどな、まだサギにゃ早すぎる。それを決めるのは俺じゃねえが、な」

「どうやらここに馴染めているようですね」

「うん。――あ、セツ元気?」

「そのようです。兎のようにあちこち走り回っていますよ」

「あのなサギ、そこは親のことを訊くとか、そうじゃねえのかよ」

「え? 両親なら大丈夫でしょ」

「その通り――翔花は寂しそうでしたが」

「母さんは子離れができてないだけ」

「それもそうですね」

「お前ら……」

 もう少し実年齢を考えて発言してくれとも思う。

「レイン様、こちらにいらっしゃいましたか」

「どうしましたガーネ」

「いえ、まだ時間はありますが昼食をどうなさいますか」

「そうですね……では、鷺花の部屋へ。積もる話もありますから」

「かしこまりました」

「……レインは何しにきたの?」

 頭を下げてガーネットの宝玉をつけた侍女が去るのを見ながら、ふと思って問うと、意味合いが伝わったのかレインはやや苦笑した。

「ええ、しばらく居座ることになりそうです」

「そっかあ」

「それではシン、外へ出ましょう」

「おう」

「私もついてっていい?」

「構いませんよ。今回の調整も戦闘ですが……」

「ふうん? 戦闘のがいいんだ」

「得るものが多いんだよ。とはいえ俺なんかご老体だ、とっくに前線からは退いてる。やれやれだ」

「え? でも、シンだってたまにししょーから仕事貰ってるじゃない」

「そりゃお前、自由になる金が欲しい時くらいは働くぞ」

「前線から退いても現役なのだと、どうしても認めたくはないようですよ、このご老体は。まったく、負ける時の言い訳をやる前から口にしてどうするというのですか。情けない」

「お前ら現役と比べられたくねえだけだ」

 外、といっても庭でやるらしく、何やら準備をしているエルムを発見した鷺花は、ふと屋敷を振り返って仰ぐ。二階のエミリオンの部屋の窓が開いており、家主が顔を見せている。ちなみに二階に位置するテラスは、厳密には三階の高さになっているため、二階部屋の窓には通路が接していない。

「で、ししょーは準備してるんだ」

 ひょいひょいと近づいていって後ろから蹴飛ばそうとするが、ひらりと回避される。後ろに目でもついているのだろうか。

「僕がやらなくてもいいんだけれど、ジャックがまだ出ているし、庭を破壊するとシディの恨み言が大変なことになるからね」

「ふうん……地面に直接描いてるわけじゃないけど、えーっとこれは、ん?」

「魔術陣だ。名称だけでも覚えておくといい」

「わかった。やるのはシンとレインね。ふんふん」

 エルムの術式の中へ入って行く二人を見て、小さな深呼吸を一つ落とした鷺花は思考を切り替える。

 父の名は雨天暁。日本の武術家で筆頭とされる実力の持ち主であり、技術こそ弟に任せているものの、鷺花だとて基礎を学んでいないわけではない。そもそも、鷺花はそうしたことへの好奇心も持っていたからだ。

 短い時間だったけれど、教えられたことを忘れるわけもない。

 ――技術も体力もねえ、それ以前にまずは〝ケン〟を覚えろ。

 それは一朝一夕で覚えられるものではない。見――それはいわゆる様子見であり、相手の動きをきちんと把握・理解することだ。それでも鷺花は己なりに、できることをやる。今この瞬間を無駄にしないために。

「起きなさいアンブレラ」

 声を引き金にして背負った大剣の拘束がばちばちと音を立てて解ける。どうやって引き抜くのかと思っていたが、どうやら背中に当たっていない側は皮バンドをボタンで留めているだけらしく、そもそも引き抜くのではなく振り抜くようにして刀身は顕になる。

 十二歩ほど離れた距離、対峙したシンは禿頭を撫でてから視線を足元に落とし、右手辺りの空間から一振りの槍を引き抜いた。

 術式だ、とは思うけれど間近でなくては分析もままならない。けれど感覚的には、どこかから取り出したように思う。

 細い。

 その槍は、レインの大剣と比べればあまりにも細く、脆く感じる――が、それが強さでないことを鷺花は父から聞いて知っている。

 ふわりと槍が軌跡を描いた瞬間、空気が軋むような音を立てた。まるでガラスに爪を立てたようだ――それを捉えた直後、周囲に凄まじい重圧を与える。エルムが背中に移動して乱暴だが両足で支えてくれていなければ、鷺花は飛ばされていただろう。膝が当たって痛かったが。

 ――空気が怖がってる。

 槍の切っ先に触れるのが怖いかのように、怯えて我先に逃げているようだ。鷺花が以前に見たものは、空気それ自体が停止して何が起きたのかわからない、そんな状況だったけれど。

「――レイン。今の俺じゃこの辺りだ」

「ならば、その限界を引き上げましょうか」

 大剣の切っ先が地面から僅かに上がった直後、鷺花は思わず膝から力を抜いて一気に頭を下げる。だが姿勢は崩さずに頭一つぶん下がった時点で停止した。

 直後、怖がっていた空気がレインの大剣の微動によって逃げ場を求めるように走りだし、攻撃的になったそれは鋭利な刃となって結界にぶつかる。鷺花が頭を下げておらず、結界がなければ直撃コースだ。

「――属性を呼んでる。あ、違う。起因にしてる?」

 次次と完成する術式が大剣から放たれる。その仕組みを目で追いながら、時折鷺花は躰をふらふらと揺らすようにしていた。

「おお、おおお」

 術式の規模が大きくなっていき、それを凌いでいたシンが一歩前へ出ると同時に、レインが僅かに躰を横へ動かす。

「あ、そか。あくまでも大剣の試験かあ」

「ふむ。――そうだ鷺花」

「え、なにししょ――うおっ」

 僅かに視線を切って背後にいるエルムを意識した瞬間、脇を抱えられてそのまま戦闘の――結界の内部へと放り投げられた。

「生きろ。その熱意を僕は無駄になどしない……」

「うおおおお! 死ねクソししょー地獄へ落ちろ!」

 頭から投げ込まれたため空中で転身して足から着地した鷺花は、躰を起こしながら背後に飛ぶようにしつつ袖口からナイフを引き抜いて右手、逆に掴む。背中は結界にぶつかって止まった。

「くそう、くそう、いつか殴るいつか殴るいつか殴る……」

 文句は言いながらも頭の中は実に冷静だ。まずは見ること。己の手に余るものと、捌けるものを選別しつつ、更にその中で回避できるものは避け、できないものは受け止める――いや、正面から受け止めるのではなく、あくまでも受け流す形だ。

 ――最小限の動きをするにはどうすりゃいい。

 戦闘の際に生き残る方法くらいは教えられている。そのために必要なことも、ある程度までは身につけた。それが今回役立ったことは、若干一名のクソ野郎が原因だ。やはり殴るしかない。

 こうした場面における疲労の蓄積は必ず意識しなくてはならない。つまり体力を最小限に消費するコツは、大げさに動かないこと――それは迫りくる危機に対して、回避可能な領域ぎりぎりまでひきつけることだ。

 ……あれ?

 ふと、飛来する疑問。

 躰を動かすだけならば、それほど時間を要さずできる。だがこれに魔術を加えた場合、どうしても術式の発現までにタイムラグが発生するはずだ。手数は増えるが、一手遅れる。

 これは考えておかないとなと、記憶しておいて目の前のことに集中した。

「ぬお! ちょっ、こんにゃろ……!」

 最初は風の動きだけだったが、火や土系の術式も発生し、更には雷属性も加わった上で衝撃が絡み合う。視界の隅にレインとシンを捉えており、彼らの動きから場の変化を読み取ろうとはしているものの、片手のナイフだけでは防御行動にも制限がかかり、追い込まれつつある。

 というか、レインとシンはこっちを気にしていないのか。覚えてろ。

「ん? ――っと」

 背後、いや上部から飛来した何かを回避しつつ空いた左手で掴みとると、結界を破ってナイフが一本飛んできたのだとわかる。

 同系統? 形は同じだが手にした瞬間に流れた魔力が奇妙な動きをしたため、すぐに手から放して地面に落ちる前に蹴り上げた。

「へえ、すごい」

 ナイフそれ自体が魔力――を含む術式の避雷針になっている。逆に言えば寄せ付けることにもなっているが、それがわかっていれば使いようもあるわけだ。

「よっ、とっ、ほっ――あれ?」

 お手玉のように安全地帯を作りながら凌いでいたら、妙に術式の数が多いことに気付き、それから遅く。

「――おい待てコラ」

 視界の端に映っていた二人がこちらを見て、得物の切っ先をこちらへ向けていた。

「じょーだん……」

 キツイなあ。

 乱打されていた術式が消えたのを見計らって、お手玉していたナイフを左手で掴みとる。それから右手を返して掴みを順手に変更した。

 今の鷺花には戦闘経験がない。つまり、自分の頭で考えてどうにか対応していく程度のことしかできないのである。ざっと頭の中で使える術式を羅列しながら、それを使うタイミングと所用時間も計算しておく。

 倒そう、などとは思わないし思えない。何しろ鷺花はまず生き残ることを父に教えられていたからだ。後は弟がやっていた鍛錬を見ていた時に得た知識がどこまで役立つか。

 いい機会だ。

 自分がどの程度できるのか、試してやろう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る