04/07/09:00――刹那小夜・停滞の楽園

 敷地面積の広さこそ違うが、同様の造りの邸宅だと、ヘリから放り出されて庭に着地した小夜は正面から屋敷を見て思う。ただあちこちの装飾など細かい部分は違う――が、それにしても鈴ノ宮と同じだ。

「――逆か。清音がこっちをモチーフにしたってのが順序だ」

 それにしたってなあと、小夜は不満そうに舌打ちを一つ。

「……なにか?」

「気に入らねーな。この場所は、停滞していやがる」

「停止ではないのですか?」

「違うね。滞ってんだよ……ったく、何を考えてんのかはともかく、よくもまあこんな場所を上手く作り上げたもんだ。つーか、あそこで見てる野郎だろ」

 視線を上へ投げると、二階部分のガラスがある。マジックミラー形式なのか、こちら側から中を見ることはできず、レインが僅かに目を細めてもやはり見えない。だが小夜に言わせれば、視線を感じるのだそうだ。

「そういや軍の仕事でも何度かイギリスに出張したな。SASってのも、映画の中だけじゃなくなかなかやる。とはいえ、その程度だけどな」

「軍、ですか。私も所属してみたいとは思っていますが、どうせならスペシャル扱いでナイン辺りに呼ばれたいものです。――訓練は面倒なので」

「面倒って言ってやるなよ。あれだって仕事なんだから」

「そういえば軍に所属していた頃の報酬はどうしたのですか? 主様から大金を受け取ったようですが、小夜にも資産はあるのでしょう」

「ほとんど手つかずで残ってる。だいたいオレの金の使い道なんてのは酒とたばこくれーなもんだからな。これから必要になりゃ使うぜ」

「では、当面は?」

「とりあえずセーフハウス……野雨はともかく、資材置き場としていくつか各所に保持しておきてーだろ。それから足だ。やっぱ車がメインで、単車もいいけどありゃオレの体躯だと難しいんだよ」

「なるほど――おや、もう出迎えが来たようですね」

 玄関の両扉は、二人の侍女によって行われていた。その中央、二人の正面にアクアマリンを胸元の装飾につけた長身の女性がゆるりと頭を下げる。

「――いらっしゃいませ、レイン様、刹那小夜様」

 優雅な仕草で顔を上げ、不快感を与えぬ笑みで言葉を作る。

「私は当屋敷を任されております、アクアと申します。こちらがガーネ、そしてシディです。よろしければ、お見知りおきを」

 背丈の順でいえば次に高いガーネットをつけた侍女、そして最後に小夜とそう変わらぬ極端に小柄なシディがぺこりと頭を下げた。

「へえ……おいレイン、てめーも初見なのか?」

「ええ、そうなります。……ああ、そういえば説明していませんでしたね」

「今わかったからいい。それに、可能性としちゃ考慮してたしな」

「そうですか。アクア、エミリオンとエルムはいらっしゃいますね?」

「はい。どうぞ中へ、ご案内致します。すぐに若様がいらっしゃいますので、エントランスでしばしお待ちを」

「ふん。お前ら、躰だけは人形だろ? あれか、魔術師の――人形師の、あれだ。なんつったか」

「はい、私どもは自動人形オートマタです」

「それだ。つっても、人と変わらねーな。いや人の方が不出来だ。好感が持てる。けどなおい、シディだっけか、てめーこっちこい」

「え? あたし?」

「おうそうだ、こっちこい。よーし、おうコラてめーら、近寄るなよ? べつに厳命じゃねーけど来るな。躰が人形つっても、なんつーかこう背丈で負けてる現実が妙に敗北感を刺激しやがる。あ、てめっ、オレよりちょっと背丈あるじゃねーかこのっ」

「うわお、髪もちゃんとセットしてるのにー」

 ぐりぐりと撫でまわしながら、さりげなく人形としての躰がどれほど精巧か探ってみるが、やはり口にした通り、彼女たちは人と大差なかった。その光景を見て、アクアはしょうがない、という感じで微笑む。

「ではガーネ、仕事に戻りなさい」

「はい。――失礼致します」

「アクア姉ちゃん、あたしは?」

「シディはそのままで構いません――、旦那様?」

 おうと、二階から階段を下りてくる無精ひげの男は白衣を面倒そうに肩にかけ、やや眠たそうな顔で頭を掻いた。明らかに東洋人、いや日本人だ。

「来たかレイン。ボディのデータは見たが実物は初めてだ。こっちも形だけは完成してるが細かいツメはお前の処理に関連する部分が多い、しばらくは俺の目に見える範囲で使って――……あ?」

 ようやく、そこでシディと戯れる小夜が視界に入ったらしく、ぴたりと足を止めてから眉根を立て、無言のまま近づいてくると小夜を見下ろした。

「おい」

「あー? んだよ?」

「出せ」

「主語を言え、主語を」

 文句を言いながらも、小夜はスカートの中に太ももの表面を撫でるようにして手を入れると、ソレを取り出した。

 小型、形状はスローイングナイフ。黒色のそれに特徴といえば、表面の中央付近にExeEmillion No.2の刻印が入っているくらいなものだ。それを柄を向けるようにしてエミリオンに――つまり、製作者に渡す。

「てめーが作ったんだってな。重宝してたぜ」

「今は、どうだ」

「あんま使う機会もなくってな。オレとの相性は良い」

「基本術式は何だ?」

空間転移ステップ

「やはりその辺りに落ちるか……もう十五年になる。形跡を洗うぞ」

「おう、いいぜ」

 そうかと頷いたエミリオンが術式を展開させて疲労蓄積などの内部構造を読み取ろうとする前に、旦那様、とアクアが声をかけた。それはやや硬い声だ。

「――わかっていますね、旦那様。お部屋以外での術式の使用は控えるようにと、以前よりそうお伝えしていたはずです」

「む、そう、だったな。すまん」

「まったく……刃物のこととなると没頭してしまう性質は理解していますが、事後処理が大変なことになるのでルールはきちんとお守り下さい。旦那様がそうして私の目の届かない場所で隠れてルールを破るものだから、若様がそれを真似るのです。私が言いたいことはおわかりですね?」

「おう……自室に戻る。こいレイン、お前は」

「刹那小夜だ。セツでもいい」

「ならセツ、後で俺のところへ来い。……いや俺だってわかってるんだ。たまに忘れるだけで。もう若くもねえし、昔みたいに隠れてこそこそやってりしてねえよ。ったくいつまでもねちねちと昔のことを引き合いに出しやがって」

 ぶつぶつと文句を言いながら来た道を戻るエミリオンに苦笑したレインは、小夜の肩を軽く叩いてからそれを追った。

「なんだ、苦労してんだなアクア」

「そうでもありませんよ。お気遣いありがとうございます」

「お前も仕事しろ。オレのことはシディが相手すっから。なあ?」

「え? うーん、アクア姉ちゃんほど上手くないよ?」

「べつにいい。それよか、さっきから呼んでるんだ。だからアクア、怒るなら呼んでる方にしておけよ?」

「――仕方ありませんね」

 堅物ってわけじゃねーんだなと笑った小夜は抱えたシディと一緒に空間転移を行う。場所は二階上部、庭を一望できる展望フロアだ。

 そこに、少年がいた。

「やあ」

「よお」

「――あれ?」

 まるで旧友のように挨拶を交わした小夜は、堂堂と彼の隣に腰掛け、シディの頭を撫でてから解放してやる。二人は間違いなく初対面だ。

「あれでアクアを怒らせると怖いんだ。できれば、押し付けて欲しくはなかったね」

「だったら面倒だと思わずに、オレんとこに足を運べばよかっただろーが」

「それを言われるとね」

「……えー? なにこれ、あれえ?」

「シディ、まずは紅茶を二つだ。いいね」

「あ、うん、わかったよ若様。うわあ……術式の感知が一切できなかったし、どうなってんのこれ。うわあ、自然すぎる」

「なんだ、シディは魔力残滓の感知はまだ不得手か?」

「残滓なんてなかったじゃん!」

「そりゃ最大効率求めてるけど、不自然さはやっぱあるんだぜ」

「わからなくても仕方ないよ。シディはまだ自然界の魔力と固有魔力との差に関しては瞬間的に把握できないからね。君は簡単に言うけれど、僕を含めて把握できる人数は限られるよ。君が思うほど、皆が日常的に臨戦態勢を取っているわけではないからね」

「戦闘が日常なのか、日常が戦闘なのかっつー区切りができてねーと、そう言いたいのか?」

「頭も回るし、思ったよりも魔術の研究もしているようだ。――初めまして、楽園の主をしているエルムレス・エリュシオンだ」

「オレの説明はいらねーだろ。……ふん、オレをその楽園とやらに誘うのは止めておくんだな。てめーらと似た人材を一人だけ知ってるが、オレは違う」

「知っているよ。いや、知らなかったというべきかもしれない。まさかあの状況下で君のような人物が生まれているだなんて、そこまで気を回す余裕はなかったからね。もっとも、どうせ蓮華の手管なんだろうと、そう予想がつく程度には頭の方は回ったさ。ちなみに、その一人は?」

「てめーらと同じく停滞してんのは、クソッタレな友人だ」

「へえ、君みたいなのに友人なんてものがいるのかな?」

「勘違いすんじゃねーよ。オレは孤独でもあれるってだけだぜ。快とは友人だし、同僚だっている。もっともオレが言ってんのはもう一人のクソッタレだけどな」

「わからないよ」

「そこまで下調べはしてねーってか? それともオレの口から直接言わせたいのか」

「両方だね。言っただろう? 君が生まれたのは鷺ノ宮事件当時だ。そして、間もなくバージニアに入った。海兵隊、なるほどベルの選択には失笑を禁じ得ないけれど、君にとっては良い経験を積めたんだろうと軽く受け取っておくとしよう。だから君のプライベイトについて、あまりにも情報がない。実は今回のことだとて、僕自身が君を呼んだんだよ」

「呼びつけだろーが何だろーが、オレは納得してここに来たんだ。負い目を感じる必要はねーし、言い訳にも理由にもならねーよ。ベルや、その蓮華? とかってのはたぶん、知ってるぜ」

「では少し訂正しよう。ベルは知っているだろうけれど、蓮華はまだ知らない。予想がついているのは確実だし、おそらくそれは事実なのだろうけれど、確認をしていないのならばそれは予想の、予測の範囲内だ。そして同様に、僕も――日本の今期狩人認定試験の惨状については耳に入っている」

「だったら言えよ」

「君の口から聞きたいと、そう肯定したはずだよ」

「素直に応えるとは言ってねーぜ?」

「言いたくないのかい、と僕が問うてもいいのならば、それで構わないけれど」

「言いたくねー、そう肯定するけどな。オレはいつだってそうだ」

「……本当に嫌そうに言うんだね、君は。それほど嫌っているのかな?」

「べつに、それほどでもねーよ。誰かにアイツを殺してくれと願う己への嫌悪も含めて、殺したいと強く願っていながらもそれが適わない現実に諦めて、その上で嫌悪自体を生み出す存在に対しては嫌っていると断言しても構わねーんだが、アイツ個人がどうのってわけじゃねーし、個人だったら認めてる」

「なるほど、複雑だね」

「複雑じゃねー人間関係なんてねーよ」

「――花ノ宮紫陽花。ベルの妹、か」

「わかってんなら、ぐだぐだ聞くな。オレの動向はだいたい把握してんだろーが」

「今のところはね。そして、それはきっと今までのことだ。これからならば、きっと君は僕の手が届かない場所へ行く」

「行かねーよ。行けねーな。わかってんだろ? オレはてめーらと違って、ただの駒じゃねーか」

「そこも自覚しているんだね」

「無自覚に喧嘩を売ってる時期はもうとっくに終わったからな」

「そうあってくれて助かったと、やれやれ、どうやら僕は本心からそう思っているらしい」

「お待たせ、紅茶だよ」

「おう。隣座れ、隣」

「ここは酒場じゃないんだけれどね」

「チップを弾まれたって嬉しくねーよな?」

「お金はいらないかな。でさ、えっと……いい?」

「いいよシディ、まだ本題には入っていないからね」

「ありがと。ほんで小夜の術式って、三次元式だよね? 前に若様がやったみたいに空間を歪めるタイプとはちょーっと違うかなって思うんだけど」

「おー、とりあえす続けてみ」

「えっと、場所指定をしてそこへ向かうって感じが一番妥当かなって感じた。厳密には空間把握を基盤にして、三次元的に空間を指定、そこと今の場所を繋げて向かう。んっと……次元移動に近いのかな? アパートの一階に足をつけていて、同じ床と認識される二階の一室と、今の場所とを〝同じ〟と定義することで移動可能にするやつ。そこで質問なんだけど、移動は直線的じゃないんだよね?」

「何故だ?」

「空間に作用してるから……走れば壁に当たるし、地形効果を利用したわけじゃないと思う。だから直線的じゃなく、曲線運動を利用してるんじゃないかなって」

「なるほどな。じゃあ訂正してやろう、今回使ったのは直線運動だぜ」

「――えっと……ん、待って。あれ?」

 魔術的な意味合いで使われる直線運動とは、己が動かずに周囲を変えてしまう行動である。先にシディが言った地形効果を利用した位置の変換、誤魔化しにおける移動――これも転移の部類には入るが、魔術師としてはそう難しい行為ではない。ただし、無動作で行えるかと問われれば難しいだろうし、けれど基礎をきっちり学んでいて論理を構築し、そこに魔術特性センスにおける適正がなくとも、補助的な儀式陣を遣えば、まず誰でもできるだろう。

 そして曲線運動と呼ばれるのは、自らが動く行動だ。これは障害物を迂回するためには真っ直ぐではなく迂回しなくてはならないことを起源としており、歩く方向が直線であっても、魔術師としては曲線として――迂回として、そう捉えることになる。

 首を捻るシディに対し、二元的に見てはいけないよと、軽くエルムが先を導くと、しばらくしてシディは気付いたように振り向いた。

「そっか。ここの停滞している〝空間〟の情報をそのまま利用したんだ。地形効果じゃなく空間効果」

「そう、だから物質を透過したわけではないんだよ」

「だから直線運動なんだ……でもそれって、やっぱり空間把握能力がないと難しいよね」

「あ? いや、あんまやってねーぞオレは」

「そうなの? だって――あ、次の質問にもかかるんだけど、目的地に障害物があった場合ってどうなる?」

「そりゃ転移するさ。以前、殺しに銃弾だけを心臓に転移させたこともあるしな」

「じゃあ壁の中とか……」

「まあ埋まる前にスクラップだな。安全装置セイフティをかけた頃もあったけど、随分前に外した。なったらそん時に考えりゃいい」

「だったら先に確認してるんだよね?」

「先っつーと微妙だけど、まあ確認はするぜ。んでも把握は、まあ、滅多にしねーな」

「え?」

「空間把握は感知系術式に近いものだから、僕のような人間が簡単に逆感知してしまうんだよ。隠密性に欠ける――とでも言えばいいのかな。逆に探られる危険性が最も高い手法になる。だから、それをせずに把握する手法を人は磨くものだ」

「――あ、もしかして、転移してる最中とか、してから確認してるってこと?」

「そんなもんだ。ほかは?」

「うーん……話しぶりからして曲線運動もできるんだよね」

「そっちがメインだろ、どー考えても」

「後で構成とかちょっと考えてみよっと。ありがとね小夜、勉強になったよ」

「意欲的なのは悪くねーよ」

 さてと、紅茶を口にした小夜は美味いと素直な感想をシディに向けて言ってから、背もたれに深く腰掛けた。

「で? てめーにとってナインは何だ?」

「それは僕が先に訊きたいよ。同じことをね。コニーが随分と参っていたと聞いているし、まあこれからを考えればコニーにとってはよい経験だったろう。今回のことがあれば、次がいくら困難でも、今回ほどじゃないと思えるだろうからね」

「もちっと評価してやれよ。あれでもオレらについてきてたんだぜ? 軍部でディが並みって評価なら、ナインへの誘いも蹴ったかもしれねーってのに」

「それはなかったと思うけれどね」

 あくまでも訊いたのはこちらで答えを待つスタイルに対し、小夜はがりがりと頭を掻く――隣にいるシディの頭だが。

「あふ……」

「質問を変えよう。てめーは、一度でも連中を使ったのか?」

「――」

 一度天井を仰いだエルムは紅茶に手を伸ばし、疲れたように吐息を一つ。

「参ったな。そういう意味で、君は僕に――確認をしたんだね」

「気付けよボケ」

「……ナインを私兵にしているわけではないよ」

「だろうな。てめーの性格から、大勢を指揮するより大勢に対抗しうる少数を手懐けるだろ。せいぜい、今でいうマルヒトくれーなもんだ」

「便宜上、僕は〝槍〟と呼んでいる。本当は鷺ノ宮事件に合わせて――と思っていたんだけれど、間に合わなくてね。とはいえ僕が完全に指揮下に入れているわけでもなし、だ。もちろん影響力はあるけれど」

「まだ使ってはいない、か。まあ私設兵団って感じだしな。てめー個人の持ち物か?」

「そりゃ、そうだね。僕は蓮華のように、持ち物じゃない相手を動かすことに否定的なんだ。いや、否定はしていてもやってはいるけれどね」

「んで、ディはその選別のための〝目〟にしてんのか」

「そうだね。繋がりは薄いけれど、ただ選り分けを行うための目にはなっているし、相応の報酬も支払ってる。ただまあ、君たちみたいなのは、さすがに手に余るよ」

「だからケイだけ抜いたのか」

「彼が有望であることは君たちもよくわかっていただろう? 軍部に間借りをしている形だけれど、再編も考えている。時間はかかるだろうけれどね」

「つーことはだ、てめーの〝槍〟ってことは、ここにいる連中は基本的に無関係なんだな?」

「そうなるね」

「ふん、オレの存在に気付いていながらも、ツラを拝みに来たのはエミリオン一人だ。盗み聴きしてやろうって気概もねーチキンばかりじゃねーか」

「それは性格だろうね」

「あれ、小夜様は――」

「よしシディ、てめーだけはオレのことを呼び捨てにしろ」

「おっけー」

「シディ、そうやって簡単に承諾するからアクアに怒られるんだよ……」

「そうかなあ。まあいいや、小夜って把握してないんだよね?」

「してねーけど、そんくれーはわかる。だいたいオレの存在感ってのは結構強いらしくてな、こういう場所だと特に反応しやがる」

「結構どころじゃないだろう。けれどそれも限定条件下での話だ。雑踏に紛れた君を見つけるのは、僕ですら困難だよ。こうして面識を得たとしてもね」

「意図して紛れてるわけでもねーけどな……こんだけ特異性を抱えといて、一般人に見えるって方が節穴――と、言いてーところだが、実際そうらしいな」

「その辺りの仕組みはまだ解明していないのかな?」

「そうだと言ったら仰仰しくご高説でもたれるってか?」

「なるほど、自己探求など初歩だと、そんな当たり前のことをわざわざ確認するまでもないね」

「で、ケイはどうだ」

「今は基礎訓練中だ。といっても、――魔術的な意味合いでの基礎になる。なにしろ大規模な術式行使もしたことがない、というのだからね。それに残念ながら、魔術の基礎知識もおぼつかない」

「だから、てめーは引き抜いたんだろ?」

「君たちのように完成していると扱いに困るけれど、先を示してやることでそれなりに制御もできるし、何よりも――その方がいい結果になる。さすがに当人の意志を否定してまで何かをしようとは思わないけれどね」

「結果は?」

「まだ二年だよ、――たかが二年だ。軍部からの横やりで仕事には出ているけれど、魔術師として完成しているかと問われれば笑い飛ばすさ。けれどジャックはえらく気にかけていたね」

「誰だそりゃ。あれか、ジョン・ドゥと同じあれか」

「ああいや違うよ。性質は違えど、居候している男でね。元は教皇庁の外れ者だ。ジェイ・アーク・キースレイで通称をジャック。まあ本人も挨拶代りになって楽だ、と言っていたけれどね」

「魔術書が数冊出回ってるな」

「いくつ知ってるんだ?」

伸縮指向魔術フォーシスの書、実換記術サイクロメディアの書、式情饗次魔術オペレイションゼロワンの書、影複具現魔術トリニティマーブルの書――それと等価消華魔術ヴァニシングレイドの書」

「……え?」

「エルム、視線に感情が出てるぜ。シディは素直でよし」

「ありがと」

「……」

「どうして知っているのかってツラだな? しかも、おそらくは最後の一つだろ。仮にも魔術師だ、四冊ってことはねーと、クソッタレが言ったから探したんだ。つっても、こいつはベルに拾われる前の話だけどな」

「――君は、自由に出回っていたのか?」

「まさか。あの場所で自由なんてことばを口にしただけで殺される。オレたちに自由なんてものは最初からない――何しろ、あそこにゃ規律がねーからな」

 ルールがあるからこそ、それから解放されれば自由のように感じる。逆にルールがなければ、自由か? 否だ、それは勘違いに等しい。

 それはただの、無鉄砲だ。死ぬとわかっている崖から全力疾走の後に飛び下りるのを、当たり前だと思ってやるのと同じである。

「知らねーのか?」

「教える気があるのかな?」

「……なるほど、いくらてめーでもあの場所にゃ手が届かねーってことか」

「やめてくれ。あんな場所に手を出そうと考えたこともない。僕はこれでも危機管理ができているほうなんだ」

「実換記術は五六が持ってるだろ。知らねーなら教えてやるけどな、野郎と清音がツラ合わせした時にオレも顔を出してる。つまり、元は五六もあっちの住人だ」

「それは、……参る話だけれど、初耳だよ。初見の時に少しズレている、とは感じたけれど、今では――そうは見えない」

「牙は抜けてねーから気を付けとけ。ついでに等価消華の所持者もいた。つーかまだいるんだろうぜ、オレの脚を喰った女だ。今度、酒でも持ってってやるか……」

「げ……小夜って、えー? 恨みとかないの?」

「ねーよ。オレが弱かっただけじゃねーか。んで伸縮指向の持ち主も知ってるし、こんだけ縁が合えば残りだって知らずにはいられねーのが世界ってやつだろ」

「なるほど、ね。――君の怖さを改めて認識させられたよ。ベルはよく、君を拾うなんて真似を素直にするものだ」

「ただの契約と同じだろ。だいたい、オレなんかよりよっぽどベルの方が不味いだろ。こっちはアブを相手にするのだって御免だってのに」

「それは僕も同感だ。百回やって百回勝てるけれど、どうしたって避けたくなる」

「ったく……てめーも根本的なところでわかってねーな。実際にやったことねーだろ」

「そりゃもちろん、僕はそんな馬鹿な真似を……おい小夜、気は確かか?」

 その可能性に思い至ったのだろう、天井を仰ぐ小夜に真剣さを持って問いかけると、あん時は正気じゃなかったかもしれねーなと、昔を思い出すように彼女は言う。

「百には百を、千には千を、――ただし覚えておけよエルム、ああいう相手は万に一度はオレらが負ける。で、実際にやってみりゃわかるけどな、その一度目を初見の一手目に持ってきやがる。それで終いだ」

「終い、か。確かに、勝つと殺すとじゃ別問題だ。最初の一手で負けた、と思わされたのでは打つ手がない。参考になったよ」

「ま、ただの戦闘なら問題はねーけどな、忸怩たる思いってのを痛感するだけで。――ベルは別だが」

「それについては、もう呆れるほどに自覚しているよ。教えられた、と言ってもいいかな。君よりも付き合いは長い」

 それもそうか、と頷いた小夜は香草巻きを取り出して火を点け、シディは一度立ち上がって灰皿を取りに。

 そこへ、通路からふらふら歩いてきた影があった。

 何故か看護師の服装をしてキャップを頭に乗せた小柄な女性は、どこか眠たそうなまなざしと共に挨拶もなく近寄って来たかと思うと、エルムの隣に腰を落とし、その半身に体重をかけるようにして肩に頭を乗せて瞳を閉じる。

「なに、ひなた。眠い?」

「んー……」

 小夜とは違い優しく頭を撫で、腰まである長い髪にそっと触れると、次第に呼吸は整っていく。

「ああ小夜、悪いね。ひなたは僕の嫁で、僕がいないとあまり眠らないんだ」

「てめーら夫婦仲に口出すほど野暮じゃねーよ。にしても、確かに停止じゃねーな。限りなく近い遅延だ」

「――よくわかるね」

「比較対象が増えりゃ簡単なことだろーが。にしても、なるほどってことか。陽ノ宮が完成してるとは聞いていたが、ま、失念してたオレに落ち度はあるな」

「もうそこまで?」

「ああ、一日で知識だけは得た」

「なんだベルはデジタイズしてたのか。口伝じゃないだろうし……」

「馬鹿、魔術結晶だ。ベルが得た知識なんかが入ってるヤツ」

「げえ……ちょっと小夜、正気? あれってあくまでもバックアップで、造った当人しか基本的には合致しないんでしょ? 他人の視点、思考、知識を強引に埋め込まれたら狂うって――あ、小夜普通じゃないんだ。そっか、なら納得」

「納得してはいけないよシディ、彼女だからこそだ。僕でさえ想像を絶するよ、まったく」

「はあ? あんなもん、解読層を一枚噛ませてやりゃ違和感もクソもねーだろ。他人の視点をてめーの視点に変換してやりゃいいじゃねーか」

「そのためにはまず、他人の視点を知らなくてはできないよ」

「うーぬ……」

「ま、いい。エミリオンとこ顔出してくら。――どうせ、また足を運ぶことになるだろ」

「気に入ってくれると嬉しいよ」

「おう気に入ったぜ、――シディをな」

 んじゃ行こうぜとシディを器用に片手で抱えた小夜は、場所はどこかと問うこともなくすたすたと歩き始めた。今度はどうやら、徒歩で移動するらしい。

 それが何故なのか、抱えらるがままにされているシディにはさっぱりわからなかった。


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