2044年

04/02/10:00――刹那小夜・日本への帰国

 随分と久しぶりの、帰国となった。

「――はあ?」

 空港から出てすぐに、湿度の高さからくる不快感と共に、その現実を受け入れるのになかなか苦労した。

 ここには日本人しかいないのだ。

 いやここが日本なのだから当然だけれど、島国というのはこんなものかと思いつつ、公共交通機関を使って記憶を頼りに野雨市まで行く。

 戻ってきた――のだろうけれど、あまり実感はない。ただ、こうした生活もそれなりに送れるようにはなったのだから、馴染んだのは確かだろう。組織を抜ける際に引き留められなかった理由は、まだ釈然としてはいないが。

 とはいえ、行く場所はかつての棲家――蒼の草原ではなく、マンションだ。駐車場には百台くらいは止められるだろう敷地を持ち、三階建てでありながらもかなりの高さがあり、一階ごとに5LDKが六個がる、馬鹿みたいな高級マンションである。

 入り口の認証に手をかざし、名乗る。刹那小夜――それが名前で、網膜チェックまで任せれば入り口は勝手に開き、中は二重扉になっていた。それから階段を使って三階まで登れば、そこには扉が一つある。

 認証パネルが一つあった。だが声紋や指紋ではなく番号を入れるアナクロなタイプだ。とりあえず零を押すと五桁だったため、○○○九――インクルード9で与えられた兵籍番号を入れると、扉が開いた。

 玄関にはマットがあるだけで、アメリカの大半がそうであるように靴を脱ぐ必要はないようだ。視線を正面に向ければ通路が真っ直ぐあり、右手側に扉が五つある。そして最奥にも一つ、左手側は玄関手前に一つあるだけだ。

 考える時間もなく左側に入れば、四十坪以上はあるだろう巨大なフロアがあった。四本の柱があり、床には大理石が敷き詰めてある。窓側は足元から天井までガラスでできており景色を一望できるのだが、奥付近にぽつんと一対のソファとガラステーブルがある。本来ならばそれなりのサイズだろうけれど、フロアに対する尺度の問題でひどく小さく見えた。

 ――つまり、だ。

 階下は六つに区切ってあるのだが、ここは全ての壁を取っ払って吹き抜けにしているらしい。壁を取っ払ってカスタマイズしたのだ。どういう考えをしてんだと問い詰めたくもなるが、どうやら来客があったようだった。

「ん、ああ、戻ったか」

「――おう。邪魔なら引っ込んでるぜ」

「いやいい、構わん。だいたい終わったところだ、なあ?」

 そうだなと、苦笑交じりに巨漢が頷く。だがよく見てみれば巨漢に見えるのは経験から持った威圧感であるし、また鍛えられた筋肉がスーツで隠しきれていないからだ。その対面、このマンションのオーナーでもある〈鈴丘の花ベルフィールド〉は、カーゴパンツにジャケットで、前髪を使うことで左目を隠している、以前に見た通りの恰好だったが、それでも三年の歳月があったため、以前と同じだと断言することはできない。

「俺が面倒を見てる刹那小夜だ」

「面倒なんて見てねーだろ、てめーは……」

「こっちは県警の蒼凰氷鷲そうおうひょうじゅ警部だ」

「よろしくな」

「ああ、あんまよろしくする時がねーことを祈るけどな。なんだ、仕事か?」

「一応、職務中だ。だから酒も飲めんな」

「そりゃ同情するぜ」

「なんだお前、その恰好は」

「お? ああ、軍服は質屋に入れて適当に見繕ってきた。どうだこれ」

 赤いチェックのスカートに白のワイシャツをだらしなく着ており、似たような赤チェックが入ったネクタイを適当に締めている。

「お前としてはどうなんだ?」

「とりあえずスカートいいな、動きやすい。露出が多いかとも思ったんだが、ここはジャングルじゃねーしな。オレとしちゃ問題ねーよ」

「で、どうだ氷鷲」

「さっきから疑問なんだが、年齢はいくつだ? 外見もちぐはぐで服装も加味すりゃ余計にわからん」

「だそうだ」

「だったら、なかなかいいのかもしれねーな。ちなみに、たぶんオレの年齢は……書類上はどうなってっか知らねーけど、たぶんベルとそう変わらねーぜ」

「……なるほどな、詳しく首を突っ込まない方が良さそうだ。聞いたことは忘れよう」

「なんだ、随分と物分りいいじゃねーか」

 ベルの隣に腰を下ろして足を組むと、隣から煙草の箱を渡される。それを自然と手にとって口に咥えた。

「……取り締まるべきか?」

「知るか。見た目が幼いってのが面倒なのは当人がよくわかってるだろう」

「苦労したぜ……口の悪い海兵隊ってのは、チビだの間抜けだのボケだのとよく吠える。黙って半殺しにしたのは五人から数えてねーな」

「軍なんてのはそんなものだ」

「なんだ、軍部に行ってたのか」

「まーな、今日戻ったとこだ」

「なるほどな。――さて、俺はそろそろ行く。ベル、情報提供には感謝するが、ほどほどにしておけよ。どうもお前は仕事をし過ぎる」

「氷鷲に言われたくはねえな。突然の仕事が入ったなんて言い訳せず、ちゃんと家へ帰ってやれ。奥さん、今は一人で家にいるんだろう?」

「お前の同業だがな。寂しい時には向こうから来るから心配はしていないが、忠告は受け取っておこう。刹那も、またな」

「おう。気を付けて戻れよ」

「馬鹿、日本の日中にそうそう事件なんて起きやしない。だがありがたく言葉は受け取っておこう」

 巨漢はポケットに手を入れて玄関へ向かうが、その足取りは妙に軽い。体重がないのではなく、重心を確実に捉えている証拠だ。そういえば日本の警察では柔道を必修していたなと、おぼろげな知識を手繰り寄せた。

「銃には慣れたか?」

「ああ、ありゃ結構使い勝手がいいな。オレとの相性は悪くない」

「モノは?」

「支給品はシグばかりだったし、229辺りが一番長く使ってたか。ん、そういや隊が一緒になった野郎が骨董品持っててな、CZ75の初期型。百発くれー撃ったが、ありゃ面白いな。つってもかなり稀少品らしいじゃねーか。オークションでも馬鹿みてーな値段ついてたぜ」

「ああ、……倉庫に転がってる。整備すりゃ使えるな」

「はあ? てめー、んなもんまで持ってんのかよ。つーか倉庫か……おいベル、てめーの今の立場は?」

「そいつはお前が調べろ。少なくともランクAにはなったな」

「早いじゃねーか」

「年に二回の昇格があるからな、それに合わせて公式、非公式合わせて一定の依頼解決と上にいる連中に実力を認めさせりゃ簡単にできる。面倒も増える上に身動きもしにくくなるが、これで一応VV-iP学園に在籍できるようになったからな、暇潰しはなんとでもなる」

「へえ……」

「お前はとりあえず明日ある狩人認定試験受けろ。書類はもう準備してある」

「――はあ? 急だなおい、軍にいたくらいで合格できるよーなもんじゃねーだろ。世界資格だったはずだぜ」

「頭を使えば、お前なら問題ない」

「組織がオレを引き留めなかったのは、やっぱてめーの手配かよ……」

「ああ、ちょっとナインにいる上層部数人とは繋がりがあったからな。機密に関わって足が洗えなくなるよりはマシだろう」

「そりゃそうだけどな……」

「で、どうだった」

「全体として見りゃ上等だ。ま、こいつが常識かどうかは別として、いい体験をしてきたな。基本的に制限つきってのも、まあ、しょうがねーと思えるくらいにはなった」

「しょうがねえ、か。今期の狩人認定試験は好きにしていいからな。どうせ、出るのは結果だけで過程は表に出ない」

「よっぽどのことがなけりゃ面倒にはしねーよ」

「ふん」

「ただ、かいに挨拶くれーしときたいのが本音だ」

「ああ吹雪の娘なら揃ってドイツに留学中だ。学会に寄稿した論文が取り上げられて、いくつか聞きたいことがあるそうだ。あれの恐ろしいところは、母親の威光がまったくないところだな」

「いや、快に言わせりゃ、威光なんてもんを持たねー母親が馬鹿だそうだぜ」

 オレは逢ったことねーけどなと苦笑する。そう考えれば三年、いや四年近くは顔を合わせていないのだから、どう成長しているかは実際に見てみたいものだ。

「とりあえず、これだけは渡しておく。後は試験が終わってからだ」

「何日あるんだ?」

「三日だな」

 テーブルに置かれたのはカードだ。横にいるのだから渡せばいいだろうにと手に取ると、白色に光っている。表面にはロゴが一つ、裏面は無地だった。

「殺人許可証ってんなら笑う準備くれーさせろ」

「馬鹿、クレジットカードだ。口座は刹那小夜、つまりお前の名義で中には世界共通通貨単位で二千万……今だと日本円に換算してざっと二億入ってる。好きに使っていい」

「おいてめー、オレが日常生活における金銭感覚も知らねーと思ってんじゃねーだろうな」

「なんだ覚えたのか」

「当然だろーが。否応なく身近にあっただろ」

「危険な仕事にはそれに釣り合うだけの金が入る。狩人の仕事なんてのは、出される依頼によっちゃ一攫千金なんてのは容易い――が、まあすぐ死ぬ連中ばかりだな。急ぎ足で依頼消化するのに、そういうのを選んだだけだ。残り物の依頼となると、多いんだよ」

「ベルにとっちゃ余った端金ってことか」

「全部使えとは言ってないからな。口座を開くのに金を入れるのは基本だ」

「諒解した」

「それでいい曹長殿」

「嫌味かよ――そういやオレの年齢設定どうなってんだ?」

「戸籍上じゃ桜川中学校に通っている二学年、誕生日は十月十七日、現在十三歳。俺の二つ下だが、戸籍上に繋がりは一切ない」

「なんだ、えらく若いな。オレの同僚だって若いって言われてたけど二十歳過ぎてたぜ」

「お前、たぶん見た目は変わらねえよ。――そういや躰はどうだ」

「ああ……もちっと背丈が欲しいんだよな。せめて五フィート」

「文句を言ったってかわらねえよ。で?」

「ああ、魔力容量が極端に跳ね上がったせいで、加減はともかくも持続がえらく長かったのを捉えるのは大変だったが、まああれだ、余裕があるってやつだな。いざって時に抜けるなら、ヤンキーが車を飛ばしてても、元気だなと思うくれーなもんだ」

「お前、車派だっけか?」

「乗り物全般、ありゃ面白いぜ。んでもタッパが足りてねーだろ? そこが苦労したぜ。ジープじゃ前は見えねー、単車にゃ跨ってもクラッチまで届かねーときた。そんなオレを笑った馬鹿は半殺しにしといたが」

「その辺りは俺が用意してやる。勝手にするなよ」

「オーライ。とりあえず試験が終わってからって話だろ? つーか、オレが落ちたらどうすんだ」

「来年までは俺の使い走りだな。ちなみにその場合、俺は一年の完全休暇だ。適当に受けた依頼は全部お前が代行することになる。金は俺のもの、名声も俺のもの、結果も俺のもの。アンダスタン?」

「オーケイ。てめーも結構な無茶を言うんだな」

「そりゃ試験が終わってから言え」

「それもそうか。書類は?」

「用意してあるが、今日は休め。お前の部屋も作ってあるし、倉庫も覗いておくといい。多少はやる気になるだろう」

「んじゃそうすっか。飯は?」

「うちの室内管理AIは優秀でな」

 そりゃ面倒がなくていいなと小夜は立ち上がる。

 どうやら、日本と国外では時間の経過が違うらしい。どこかのんびりとした空気に、そんなことを思った。


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