10/20/16:00――凪ノ宮風華・誤魔化しでも一歩

 精神的に立ち直るのと、立ち上がって前に進むのは、どちらが先だろうか。

 何の浪漫もなく単純な、退屈な、冷徹とも思える現実をただ示すだけならば、もちろん物理的に前へ進む方だ。単純な話、どれほど落ち込もうとも水を必要とするのは変わらず、何かを口にすれば必ず排泄が必要となる。それを座り込んだまま終わらせるのは基本的に不可能であるし、だとすれば何がどうであれ生きようと――その本能を否定すれば死ぬだけなのだし、死を肯定したところで飢餓には決して耐えられない。

 だからこそだ、人は立ち直りたい時には前へ足を踏み出す。その前進が一つでもなければ、精神的にも立ち直ることができないのだ――凪ノ宮風華なぎのみやふうかはかつて、久我山桔梗くがやまききょうからそれを教わっていた。

 室内を歩き回るだけでは意味がない。そう思い立った風華は髪も縛らず、部屋着のままで、とりあえずは館を案内してくれと頼み、アクアを連れ添って入り口のホールにまで来ていた。

「うわ……広いね」

「こちらがエントランスになります風華様」

 胸元にアクアマリンをつけた侍女服のアクアは、軽く左手を広げるようにして示す。

「中央地点、ここを基準に把握していただければよろしいかと。私共は玄関より入りまして真正面を向き、右舷と左舷で分けております」

「部屋、たくさんあるもんね。正面は?」

「はい。まず階下正面は大浴場、そして上が食堂となっております。基本的に食事は個別でお出しすることが多いのですが、若様や旦那様がお声をかけられた場合は、そうですね、最低でも月に一度は全員で食事をとります。そうした折に使うことが多いです」

「食事はアクアたちが?」

「はい。基本的に食事の用意はガーネが行いますが、手を貸すこともあります」

 では次にと足を踏み出したアクアが停止し、何かと思うと大浴場の扉が開いて禿頭の男が顔を出した。東洋人、いや日本人ではなく中国の生まれかと風華は思いながら、軽く頭を下げると、バスローブ姿の男はよおと軽く片手を上げて、再び浴場内部に戻ろうとするのだが。

「――お待ちを、シン様」

「悪かった」

「では、何故悪いと思ったのか、そして悪いと思っていながらも行動した理由についての釈明を、まずは風華様に挨拶なさってからどうぞ、ゆっくりと正座で聞かせていただきます」

「おいおい、満貫だろそれ。――よお、新顔だろ? 俺はシン・チェン。ここで厄介になってる」

「どうも、凪ノ宮風華です」

「ここの風呂はいいぞ? 俺なんか一日に四度は入る。湯船も広いし、いやあ落ち着くもんだ。バスローブ姿なのは、頻繁に入るし部屋もそこだから、手軽でいいだろ?」

「よくありません。浴場は玄関口に接しているのですから、お客様がいらっしゃった時に困ります」

「俺は困らん」

「私は、――困ります」

 強い口調で言うと、シンは禿頭を撫でて視線を上へ投げた。

「ここでは入浴後は着替えて戻るのがルールで、そうして下さいと私は数えるのも億劫になるほど繰り返してきました。そのたびにシン様はわかった、わかったと二度も肯定をするのですが、あれは私の聞き間違いだったのでしょうか」

「いや、まあ、その、なんだ。――助けろ風華」

「ごめん」

「謝罪!? あ、そうか、風華の案内でもしてたんだろアクア。まあ今日のところはだな」

「――ガーネ、夕食まではまだ時間がありますね?」

「はい、そうですが、どうかしましたかアクア姉さん」

「私はシン様と話があります。風華様の案内を引き継いでください」

「わかりました」

「お願いします。では、申し訳ありませんが風華様、失礼します――シン様、逃げずに浴場へお戻り下さい。さあ早く、早急にです。私が怒る前に」

「もう怒ってるじゃねえか……」

「だから早くしなさいと言っているのです。怒られたくないのならば、相応の行動をすることです。――とりあえず正座なさい」

 ばたん、と扉が閉まると声は聞こえなくなり、風華は頬をぽりぽりと小さく引っ掻いた。

「えっとさ、ガーネ?」

「はい、なんでしょう風華様」

 胸元にガーネットをつけた、アクアよりもやや背丈の低いガーネは、小さく首を傾げてこちらを見る。

「これって、いつもの?」

「そうですね、いつも通りです。残念ながらシン様が心変わりした様子はありません」

「そうなんだ……」

「さて風華様、どこまで聞きましたか?」

「あ、えっとエントランスに来たばっかで、浴場と食堂は聞いたよ。右舷と左舷っていうのも」

「まだ最初でしたね、では続けます。まず階下ですが、右舷側も左舷側も基本的に同一の作りとなっておりますのは、見ていただければわかると思います」

 浴場入り口付近から左右を見ると、なるほど確かに同じ通路だ。

「部屋はそれぞれ廊下を挟んで一対になっておりまして、右舷側、左舷側共に部屋数は十部屋となっております。まずは右舷側に参りましょう」

 少し先導する形で歩き出すが、二人が並んで歩いても淡い赤色の絨毯がある通路は余裕があり、四人揃うと少し窮屈だが歩けないほどではない、という広さである。

「右舷側で使用している部屋はこちら――と失礼、外の庭に接している部屋を前、逆側を後ろと称します。ですからここ、右舷手前から前の二部屋目になりますが、こちらは若様、エルムレス・エリュシオン様と若様の奥様でいらっしゃる陽ノ宮ようのみやひなた様のお部屋になっております」

「――陽ノ宮?」

「はい、日本における十一紳宮の一つ、その唯一の後継者になりますが、私は細かいお話を聞いておりませんので、どうぞ直接窺って下さい。――こちらの階下右舷に関して、使っている部屋はここだけです。ほかの部屋は若様が自由に使っておりますので、若様の許可なく立ち入れないものとお考えください」

「あ、うん、わかった」

「それと最奥部に、右舷側だけ扉があります。あちらは地下にある書庫へ通じる階段への扉です」

「地下書庫なんてあるんだ」

「はい。あちらの管轄はシディになっておりますので、よろしければ後ほどご案内するよう伝えておきます」

「ありがと。とりあえず、今はいいや」

「お気遣いありがとうございます。では左舷側へ向かいましょう」

 くるりと向きを変えてエントランスを再び通り抜け、正面が壁で行き止まりになっていることを真っ先に風華は確認した。

「左舷、前の一部屋目が先ほどのシン・チェン様のお部屋です。その対面になります後ろは、今はここにいらっしゃいませんが、ルビレオ・ラックエット様のお部屋になっています。もう二十年は戻っていらっしゃらないので、あまり使われてはいませんね」

「二十年かあ……」

「私どもにとっては短い時間とも、長いとも判断がつきません。こちらは客室としても使う場合がありますので、空き部屋も多いです。それから最奥部の前を使っているのがウェル・ルァウ・ウィル様になります。対面の部屋も使っておられます」

「――ちょっと、待ってよ。それ聞いたことある」

「ウェル様は有名ですから、どこかで窺ったかと。……しかし、ウェル様にはいくつか問題もありまして、没頭するとほかに何も見えず何もしないため飢餓状態で発見されることも……ん、失礼。シディ! 少しよろしいですか」

 エントランスに外から戻って来た三女、オブシディアンをつけた小柄な侍女を呼び止め、申し訳りませんがと風華に断りを入れる。

「なにガー姉ちゃん」

「ウェル様が部屋から出て来た形跡はありましたか?」

「ううん、ないかな。丸一日は出てないと思うけど」

「そうですか……今、風華様をご案内しているのですが、引き継いでください。階下は済ませましたので、二階をお願いします。風華様、申し訳ありませんが、よろしいでしょうか」

「あたしはいいよ、大丈夫。手を煩わせちゃってごめんね」

「いいえ、構いません。それでは失礼致します」

 ぺこりと丁寧に頭を下げたガーネが部屋に入り、しばらく沈黙してから、じゃあお願いねとシディに言う。それから。

「あれ、そういえば初めてだっけね」

「うん、そうかな。初めまして、シディだよ。よろしくね風華様」

「こちらこそ。――ところでさ、姉妹? ってのは聞いてるんだけど、シディやガーネ、アクアたちって」

「あ、その辺りも説明いるかー。もしかして、お館にいる人たちのことも知らないのかな?」

「うん。まだ三日だし、部屋から出たのも初めてだから」

「そっかあ。あのね、私たち三人はね、同時期に作られてオートマタなの」

「――自動人形オートマタ!?」

「うんそうー。ボディの作者はネイキーディラン様なんだけど、知ってるかな?」

「確かパペットブリードの、マエストロの称号持ってる人……だっけか」

「その方で合ってる。でね、自我とそれに伴う駆動系を宝玉ベースで作ってくれたのが旦那様で、組み込んだのが若様なの。それでね、長女がアクア姉ちゃんなのは、管理全体を仕切ってるからで、次女がガーネ姉ちゃんなのは私よりも背が高いから」

「でも性格とか随分違うよね?」

「だねー。若様が言うには、そんな設定はしてないって。今はね、アクア姉ちゃんが全体把握してて、館内部の掃除は手分けしてるけど、細かい部分や庭の整備とかを私がやってる。そんでガーネ姉ちゃんは食事が中心かな。そうやって仕事、役割なんかを変えてるから、個性が生まれたんだって」

「そんなことがあるんだ……それならもう、みんな人と同じじゃない。区別つかないし、それでいいよね?」

「うん、ありがとー。よし、二階だ。まずはぐるっと歩こうか」

「わかった。……ぐるっと?」

「階下と違って二階はね、ほら天井のとこ一部暗くなってたでしょ? 庭が一望できる休憩所もあるんだ。だから一周できるの」

「ああ、エントランスのとこでちょっと出っ張ってたの、そこなんだ」

「そこからの眺めも気にして庭の整備とかしてるから、私」

「結構広いよね。一人で平気なの?」

「だいたいはできるよ。手が欲しかったらアクア姉ちゃんに頼むし、たまーにシン様が手伝ってくれるから。あと旦那様も、切れ味試したいから切らせろって」

「それはどうかと思う……」

「嫌だって言うと、旦那様が残念そうな顔するんだよねー。だから断れなくって」

「ふうん」

 アクアとガーネは丁寧で、敬語も使う。どちらかといえばアクアの方が柔らかい口調であり、ガーネの方が堅いか。そしてシディは軽い口調で話す。こうした変化もまた、個性なのだろうけれど、人と同様に環境によって形成されるものであり、なるほど確かに与えられた役割が重要な意味合いを持っているようだ。

「風華様は違うけど、ここにいる人たちはね、みんな歳を取るのが遅いんだ」

「――へ? 遅いって……」

「体感時間と流動時間が違うっていうんじゃなくって、絶対的な流動時間に対して肉体の老化速度が遅いの。本来はこの二つは同一のもので、そもそも別物であるって定義それ自体が魔術的な領分であっても不可分で、可分する発想の方がないくらいなんだ。ほら、ウェル様なんてもう三百年は生きてるけど、見た目は二十歳くらいだし、あ、でも見た目は人によって違うって言ってた」

「ええと……簡単に言うと、子供の姿のままで百年も生きてる、みたいな?」

「そんな感じかなー」

 左舷側の突き当りからゆるやかな曲線を描く廊下を歩くと、正面付近は全面がガラスになっており、二階の位置から庭が一望できるようになっていた。

「おお、いい景色だ」

「椅子もあるから、ここでよく若様が寛いでるよ」

 そうなんだ、と頷いたところでアクアが紅茶を二つ持って来た。

「どうぞ風華様。シディも、一息入れておきなさい」

「ありがと、アクア姉ちゃん」

「シンさんの方はもういいの?」

「いえ風華様、――これからじっくりと行います」

 アクアは怒らせないでおこうと決意しながら、風華はただ見送るだけにしておいた。それ以上は何も言えない。

「――あ、おいしい」

「うん、アクア姉ちゃんの紅茶は別格だね。私も淹れるけど、なんでかなあ」

「あれ、シディも飲めるんだ?」

「だいじょぶだよ。でも食事は基本的にいらないかな。ほら、味とか知らないともてなしもできないでしょ? だからちゃんと、そういう仕組みが必要なんだって。人形に魂魄が入れば、それは人と同じだって、ネイキーディラン様は言ってた」

「そう言っちゃえるってのも、すごいなあ」

「若様も随分と褒めてたよ」

「でも、ここにいる人たちはみんな魔術師?」

「うーん、それに近いかなあ。ほら旦那様や若様はそうだし――あ、旦那様は普通の方だよ。風華様と同じように時間を感じて生きてるから。なんていうか、やっぱり老化が遅いって問題になるから、その避難所みたいになってるのは事実かな。若様が依頼したりすることもあるみたいだけど」

「そっか……」

「風華様も魔術師だよね?」

「一応、ね。だけどあたしは不勉強で、ずっと――……うん」

 ずっと、そんなものがなくても己は己だ、と偽っていて、久我山桔梗にもたれかかっていた。

「まずは、そこから始めようかな」

「そこ?」

「そう、あたしはまだ自分をさ、魔術師だって誇れないから。環境もあるんだし、私もノースウインドなんだから、できるとこまでやってみようかなって思った。稼業を継ぎたいってわけじゃないし、どっちかっていえば嫌だけど、それを言い訳にしてやらないんじゃなく、やってから否定しようかな」

「それはいいと思う――あ、うん、そっか。良いとか悪いとか決めちゃダメってアクア姉ちゃんによく言われるんだ、私」

「あはは、そうだね、大丈夫だよ。それでいいから」

「はあい。ってことは風華様って風の魔術特性センス?」

「そうだね……シディは詳しいの?」

「私は、姉ちゃんたちと違って魔術を勉強するの好きなんだ。そんなに使えないし、機会もないけどね。地下書庫の立ち入りも私だけだし、そうだ。あっちも後で案内するね」

「ありがと。じゃあ続き行こうか――カップはどうする?」

「あ、こっち貰うよ」

 受け取ったシディは空のカップを傍にある洗浄機に入れておき、聞けば後で取りに来るそうだ。そのまますぐに使えるのだけれど、この場で紅茶を淹れる機会もないため元の場所に戻し、この洗浄機はお茶会をする時によく使うらしい。

 戻るのではなく右舷側にそのまま行くと、最奥部の部屋が侍女三人の部屋だという。

「一番奥のここがアクア姉ちゃんで、対面がガーネ姉ちゃん。後ろのここが私の部屋。といっても、深夜に戻って躰を休めるくらいにしか使ってないけどね。それで表の二番目が風華様のお部屋」

「うん、こっちは空いてる部屋が多いね」

「階下の左舷と一緒で客室扱いかな。残るは右舷、こっちはほとんど旦那様が使ってるの。表の三番目が、生活してる部屋かな。ほかはねー、創造物の完成品がある部屋と、材料が転がってる倉庫扱いの部屋が二つと……あ、これは若様も使ってるみたい。あとは研究室もあるし」

「エミリオンの居住区ってことかあ」

「うん。でね、この部屋……後ろの三番目、ここはちょっと、旦那様の許可がないと立ち入れないの。私たちもそう。で、だいたい旦那様は許可しない。たまーにアクア姉ちゃんが頼まれて掃除してるけど」

「何かあるの?」

「えっとね、旦那様のお知り合いが一人、眠ってる。べつに隠してたりはしてないから言うけど、説明が難しくってね。ちょっと魔術的な話にもなるけど」

「いいよ、聞いてみる」

「うん。その方はね、肉体はここに在るけれど、厳密には存在していないの。でも、別の場所に存在していて、ここにはない」

「えーっと、かなりそれ矛盾してるよね」

「こう説明するのが一番的確なんだけど、うーん……たとえば、死者が天国にいくとして、その天国っていうのが現世とは違う場所で、場所だけ違って生存しているって考えられるかな?」

「ああ、うん、想像だけでは、大丈夫」

「それと同じなんだよね。この方はもう亡くなっていて、冷凍睡眠で肉体だけは保存してある形なんだけれど、意識――魂魄は天国、まあ実際にはこことは違う現実にいる。会話もできるし、逢うことはできないけど、肉体がここにある以上は逢えないね。ご本人がどう考えてるのかは知らないけど、旦那様はいつか戻って来る場所が必要だろうと、そう判断されているみたい」

「存在しているけれど、存在していない……か。うーん、なんとなくわかったような気がする」

「それでいいと思う。実際にほとんどの人が気にしてないからね。んっと、じゃあ、地下書庫行こうか。まだ食事までちょっと時間あるしねえ」

 そのまま階下に降り、右舷側突き当りの扉を開き螺旋状の階段をゆっくりと下へ歩く。

「あれ、そんなに深くはないんだ」

「そうだね。出入り口の封印はちゃんと術式でやってあるから問題ないよ。仕組みとしてはねー、許容と存在定義かな。閉めること、閉ざすこと、封じること、隠ぺいすること、そういう封じ方じゃあないんだよ」

「あー、その辺りはぜんぜん、わかんないや」

「面白いよ? 鍵じゃなくて規制する関係の術式。私はまだまだ未熟だけどねー……あれ?」

 地下に降りた先の扉を開くと、入り口に朱色の灯りがつく。ぐるりと全体を見渡すが近くしか灯りがなく、奥の方は暗くなっていて見えなかった。

 ただ、右手側奥付近にも灯りがついている。

「若様かな? とりあえず行こう」

「そうだね」

 地下室というと湿度が問題になりそうなものだが、ここは乾きすぎているくらいに感じた風華は、思わず唇を指で撫でる。それにしても、歩くたびにつく灯りはどうなっているのだろうと背後を見れば、入り口付近のものは既に消えていた。

「ねえシディ、この灯りってさ」

「いわゆる存在証明――あは、照明とかかってて面白いね。ほら、ここって魔術書が結構あるし危険なのもあるから、その用心だよ。明るいってだけで駄目なのも中にはあるんだ。だから風華様も、最初は誰かと一緒に入るようにした方がいいからね」

「ふうん」

「あ、やっぱり若様――と、あれ、旦那様も一緒か。珍しいね」

「シディ、それと凪ノ宮風華か。残念ながら俺が先だ」

「じゃもっと珍しいじゃん。どしたの旦那様」

「設計図だけざっと記したからチェック入れに来ただけだ」

 広い作業台の上に用紙を広げており、椅子は全てテーブルの中側に入れて歩きながら俯瞰している。風華は一瞥するものの、残念ながら内容はわからなかった。

「それでも、僕が来たらすぐに捕まえたじゃないか」

「さすがにここまで複雑になるとな、お前の知恵も借りたくなる」

「うわ、ほんと、すごい。ねえ旦那様、これ、ここここ。どうすんの?」

「それが最大の問題だ。シディの考えを聞かせろ」

「うーん……仕組みの流れとしては可変する周辺の属性を感知して、そこから術式を取捨選択……あ、ここでリストにしてるね。含有ってことは、最初に設定しておくんじゃなく、いろんなものを取り入れるのかな? そうなると、うーん、どうだろ」

「えっと、話が見えないんだけど」

「……動くな凪ノ宮」

 言った直後、エミリオンは両手の間に二つの術陣を展開させ、それを風華に近づける。

「ふむ。やはり扱う本人との同調を真っ先に考えるべきだな」

「ちょっと見せて旦那様……あー、この反応だと、風華様の属性の風と、書庫内部の乾いた空気から火の属性を読み取ってるね。対比すると、風華様に近いから風が六ってところかあ。旦那様、その術式は組み込んであるの?」

「ああ、もっと複雑なものがな。これは簡略化したものだ」

「じゃあ、それが初期段階だよね。まずは属性感知、そこから選別した術式を構築……あれ、でも風に対して風をぶつけても、あんま好ましくないよね? この含有の場合って確か、術式情報の複製に限りなく近い効力があったと思うんだけど、合ってたかな?」

「よく調べてあるな、合ってる」

「ありがとう旦那様。そうなると本来の術式の、単純威力でいえば八割がせいぜいじゃない? もちろん、環境――属性に適応できている前提で。だったら的確に、できれば逆術式を使いたいって思うよね。……あ、でもそれは、所持者の判断になるんだ」

「そうだ。最終決定権の鍵は常に所持者が担う。もっとも、扱えない輩では起動もされん代物になるだろうが」

「その境界線ってどこまで?」

「あくまでも最終決定権だ。いずれにせよな」

「術式の含有から選別までするけど、でも決定権は所持者……ねえ旦那様、これって、少なくともこの刃物よりも実力が上じゃないと扱えないよね?」

「当たり前だ」

「でさ、これって――もしかしなくても、所持者は魔術師じゃないって前提で設計してあるよね?」

「そこまでこの図面から読み取ったのかシディ」

「だって若様に宿題とか出されるんだもん、これくらいならなんとかなる――と、思いたいなあ」

「そうだ。所持者はもう前提として決定している――が、俺としては所持者に合わせるつもりはない。コレに合わさせる」

「んんー、私ならやっぱり、自律思考型――人と同じ思考を中枢に持たせるかな。その方が効率いいし」

「――え?」

 そうなの、と風華は思わず口を挟んでしまう。

「機械の方が効率いいと思うんだけど、違う?」

「そうでもないよ? 単一機能だけならともかく、複数構成になると〝判断〟をさせる必要が出てくるし、確かに人って非効率だけど、だからこそって部分があるんだよね。たとえば単一事象に対して効率化を求めた場合は一言に突き詰める場合があるけど、これって人の行為でしょ? 機械はその一言に対しての情報が山ほど必要になる。どんな物体も突き詰めれば莫大な情報構築から存在しているものだと証明できることを、人は一言で済ませることができるからね」

 それは気圧差における風の発生として置き換えれば風華にもわかる話だった。どのような仕組みであれそれが〝風〟の一言で表現できるけれど、それを実際に複雑化すれば気圧差であり、今度はその気圧を細分化しなくてはならない。

「なるほどなあ……」

「生物を組み込むとなると俺の領分からは少し外れるな。シディたちに組み込んだのも、ほとんどエルムが手掛けている」

「そうかなあ。父さんだって最終チェックはしたんだし、できるだろう?」

「だから、少しと付け加えた。……物理構築を先に試そうかとも思ったんだが、足りんな」

「でもこれ、こんだけだと、かなり大きくなるんじゃない?」

「ああ、今までで最大規模だ。長さだけで千八百、幅は八百ミリは見てる」

「うわあ……ねえ旦那様、最近は接続式について勉強してるんだけど、いくつか訊きたいことがあって――あ、そだ、ごめん風華様。案内の途中だったの忘れてた」

「ここで終わりだし、いいよ気にしないで」

「そうだね。シディ、ここは僕が案内するよ。夕食までは時間がある、父さんも少し付き合ってあげるんだね」

「俺は構わん。――それで、何が知りたいんだ」

「えっとね」

 やれやれと苦笑したエルムは、こちらだと風華に言ってその場から離れるように動いた。

「父さんも、シディには甘くてね。三女って立ち位置は、やっぱりこうなるらしい。ガーネは不満かもしれないけれど」

「そうなの?」

「いや、ガーネもシディを気に入っているから、きついことが言えなくて困ると、一度相談されたこともあるよ。叱り役をアクアに押し付けてしまいそうで、とね。そういう僕も、まあ、シディに限らず彼女たちには甘くてね。言うなれば――まあ僕もまだ幼かった頃の作品だけれど、彼女たちは僕の娘みたいなものなんだ。甘くもなるよ」

 それよりもと、話を変える。

「立ち直ったのかな?」

「ん……どうだろ。まだいろいろ、あれこれ考えてるし、吹っ切れてないよ。ぜんぜんまだ、――引きずってる。でも、いつまでも内にこもってるわけにもいかないから」

「ふうん、それで魔術かな?」

「あたしは、自分ってものを持ってなかったって気付かされたから。ここから最初の一歩としてね」

「――魔術は己で己を見なくては何も始まらない。選択としては過酷と言いたいところだけれど、君が決めたならばとやかくは言うのは野暮だし、僕たちにとってそれは当然のことだ。空白ならば埋めればいい、埋まっていたのならば削ることも必要だ」

 だから。

「どうか君がそれを嫌だと放棄しないことを、僕は祈っているよ」


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