10/18/07:10――凪ノ宮風華・日本ではないどこかで

 上半身を起こし、布団を退けて、凪ノ宮風華はぼうっと窓から外を見ていた。

 広い庭から豪邸であることがわかる。室内の調度品もそれを証明しており、埃一つない状況から手入れも行き届いているのもわかった。

 寝ぼけているわけではない。

 風華は、今まで起きていた全てを反芻して、納得して、そこに居た。

 ――お前が、自己満足のためにその男を利用していただけだろう?

 ――その男を正面から見たことがあるのか?

 ――きちんと向き合ったことがあるのか?

 ――今のお前にできるのは、嫌だと泣き喚くことだけだろう?

 その言葉に反論できなかったのは事実だからだ。

 その結果として、今がある。

 風華は最後の最後まで、久我山桔梗のことをきちんと見て、受け止めることができていなかった。

 ただ、依存していただけだ。

「――起きたか」

「あ……あんたは」

 辛らつな言葉を放った張本人が、部屋の扉をあけて中に入ってきた。

「どうして――」

「どうして、は俺の台詞だ。俺は依頼の代行者ではない。お前をここに連れてきた、それで終いだ。後はお前の好きにすればいい」

「好きにって、ちょっと」

「北風の末裔を保護する、それが俺の役目だった。それだけだ」

 事情の説明くらいして欲しいのだが、面倒臭そうにそれだけ言ってすぐに背中を向けてしまう。

「――ちょっと!」

「なんだ、俺はもう行く」

「いやあんた名前は?」

「――エミリオン」

 それだけを残し、入れ替わるようにして入ってきたのは胸元に青色の宝玉を飾った侍女服を着た女性だ。

「失礼します。お着替えをお持ちしました」

「あ……えっと、どうも」

「どうぞ気を楽になさって下さい。私、この屋敷の管理をしておりますアクアと申します。よろしければお見知りおきを、風華・ノースウインド・凪ノ宮様」

 丁寧な仕草でテーブルに畳まれた着替えを置き、優雅な動作でお辞儀をした。風華の実家にもこんな美しい侍女はいない。

「――おや、目覚めたようだね」

「若様、……どうやってここへ?」

「さっきまで自室にいたからね、空間を歪めてここまで飛ん……あれ、アクア、どうして半眼になって僕を睨んでいるのかな」

「はあ……若様、お屋敷の通路をあまり歪めないで下さい。この前、ガーネが歪みに迷って半泣き状態で救出されたのをお忘れですか?」

「あ……そういえば、そうだったね。ガーネの泣き顔は久しぶりに見たよ」

「そうではありません。それを聞いたシディが廊下に出るのを怖がって私の傍を離れようとしなくなったのも、まさかお忘れじゃないでしょうね」

「うんごめん。あれもなんか可愛かったね」

「若様」

「はいなんでしょう」

「よろしいですか? ――廊下を歪めるのはおやめ下さい」

「わかった、わかったからそう睨まないでくれよ。僕の印象が悪くなるじゃないか」

「悪くなさっているのはご自分です」

「はいはい。すまないね凪ノ宮の、いや風華と呼ぶべきか。父さんも事情を説明しなかっただろうし、一応僕がしておこうと思ってね。体調はいいかな?」

「あ――うん、大丈夫だけど」

「僕はエルム。エミリオンは父でね、どちらも魔術師だ。君の現状を説明しておこう」

 テーブルの椅子を引いて腰を下ろしたエルムは、紅茶を二つとアクアに頼む。

「君はどこまで受け入れている?」

「……あたしが、桔梗を、殺したってこと」

「そうか。君の行動がそれを確定させたことを気に病んでいるんだね? いてもいなくても結果は同じだっただろうけれど、最後の撃鉄を落としたのは君だ。そこを受け入れているのならば安心だ、僕もとやかく言わずに済む。――罪は、当人が負うべきだ。けれど罰を望んではいけない。何故ならば、罪そのものが既に罰だからだよ」

「赦される、のかな」

「それも、君自身が決めることだ。赦すのは君だよ風華」

 赦してくれる相手はもう、いないのだから。

「あの状況はひどく混迷していてね、まず――ここは、イギリスのロンドンにある父の邸宅だ」

「え……ロンドンって、あの?」

「そう。そして君は日本で死亡扱いになっている。これは慈悲というか、手配した人間の優しさだろうね」

「どういうこと?」

「つまり君は一度死んでるんだ。そして生まれている。――ここから新しい一歩を踏み出せばいいと、そんな気遣いさ。柄でもないのにね」

「……そっか」

「君を縛るものは限りなく少ない。残っているのは、君自身が己を縛っているものだけだ。しばらくは身を落ち着かせて、何でもやるといい」

 アクアから受け取った紅茶を一口。戸惑いながら風華も受け取った。

「僕たちはね、足を地につけて一人で立つ――そんなことを、当たり前にしている。自覚して、そうしているんだ。だから君みたいな、そう、一般人を見るとどうしたってきついことを言いたくなる。父さんはその典型だね」

「……うん」

「だからまあ、あまり気にしなくてもいいって話さ。僕や父さん、ここの屋敷に居る人間がどんなものかも、まあゆっくり知っていけばいい。部屋は余っているし、世話をするのが好きな侍女もいる。君は、ただ立って歩けばいい」

「ありがと。……ありがとう」

 けれど、まだ。

 今くらいは。

 立ち止まって、悲しみに暮れても良いだろうか――。


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