10/17/18:55――五木忍・耐え忍ぶことを信条に

「では、涼は」

「……ああ。おそらく暁を待っているのだろう。決別はした。私は往く、お前は散れと伝えてきた」

「そうですか……お疲れ様です。それよりも」

 珈琲を二人ぶん用意した忍は、涼との顛末を聞き終えてから本題に入る。

「何か御用があっての来訪でしたか?」

「いや、ついでだ。様子も気になっていたのでな。鷺ノ宮事件に関する手立ては整ったかね?」

「七割がたは。搬入ルートの確認に少し手間取りまして、代替ルートの模索を同時進行していても、なかなか合致しないものです」

「それで残業かね」

「それだけではありませんが……咲真の方はいかがですか?」

「残念ながら、被害はないが着手もできていない。何しろ朝方に連絡があって、三重まで出張して帰宅したのが先ほどだ」

「……なるほど。僭越ですが、久我山紫月さんは?」

「あれは置いてきた。私の影響を受けるといかん――らしいからな。少しでも可能性は減らしておきたい、そういう意味で外した。一般人の家に転がり込むとのことだ、事が終われば詳しく話を聞くことになるだろう」

「その論法でいくと、私は巻き込んでも構わないと?」

「冗談だろう。忍の立ち位置は複雑で巧妙だ。無関心を貫く限り、誰かに巻き込まれることはあるまい」

「……そうですね。貫ければ」

「貫かなくてはならない、だろう? そうでなければお前は再び刀を握ることになる」

「耐え忍ぶことが信条ならば迷うな、ですね」

「誰の台詞かは知らんが、個人的には迷っても良いと思うがね」

「なるほど。問題は迷ってからである、と?」

「迷うこと自体は、誰にでも訪れる。後はその迷いに対する己の選択だ。そして後悔とは曰く、他人に向けられるものではない」

「けれど被害は他人へと向けられる場合が多いですね。……私は、暁と蓮華が心配です」

「そうかね?」

「ええ。どうであれ、彼らも人の子なのですから」

「……少し、独り言を呟こう」

 煙管を取り出した咲真は種を入れて火を点ける。香草の匂いが煙と共に立ち昇り、それは換気扇に吸い込まれる。

「かつて私たちが九尾との戦闘を行った時、涼は直接の加担をしなかった。蓮華がそう配慮したのだろうが、むしろ涼がそれを望んだ節もある。――何故だろうか」

 それは、独り言だ。

「わからない、と私は結論を出した。しかし――知っていたのだろうと、私は思う。涼はこうなることを承服し、蓮華はこうなるからこそ否定したかった。そして暁は、こうなったのならば己の手で終わらせると」

「知っていた……知っていて、涼は」

「ああ。それを享受した……失敬、これは失言だ。涼はただ選んだだけなのだから」

「ならば鏡さんはどうなのです」

「どうだろうな。ただ、知らずに涼が隣に置くはずはないと私は考える。ただな忍、悔しいが……遅いのだよ。今さら過去を知ったところでもう、私たちには何もできまい」

「祈ることも、できませんね。けれどなお更、暁が背負おうとしているものを考えると忸怩たる想いです」

「……境界線はここにある」

「そうです。けれど私は考えることまで放棄するつもりはありません」

「やれやれ、お前も難儀な道を選ぶ」

「お互い様でしょう」

「――すまない。少しは気が紛れた」

「私もですからお気になさらず。それよりも、こちらへはお一人で?」

「いや、護衛を雇った。ベルがきている――と言っても伝わらんか」

「ああ、彼ならば知っています。私も以前、護衛を頼んだことがあったので。あの時は蓮華の紹介に近い形をとりました」

「そうかね。……まったく、どこまで手を打っているのやら考えるのも馬鹿馬鹿しいほどだな。もっとも今回は、目的地が同じだったので私が同乗しただけだがね。そして、私は呼び出しだ」

「おや、呼び出しに応じるとは珍しいですね」

「まったくだ。それなりの代価を示してもらわなくては釣り合いが取れん」

「では、お渡ししましょう」

「――?」

 テーブル上に差し出されたのは黒色のカードだ。コーティングはしてあるが、表面に何かが記してあるわけでもなく。

「なにかね?」

「ご足労願ったことへの対価です――と言いたいところですが、必要かと思いまして。理事会の承認に手間取りましたが、これはもう咲真のものです」

「素直に受け取れん流れだな」

「AsAAと呼ばれるアクセスキーです。当学園において、このカードで開かない場所はありません」

「……? そもそも、学生証で研究室はおろか施設棟、教師棟であっても立ち入ることができるだろう」

「ええ、この理事長室も学生証で開きます――が、それを持たなくては行けない場所もまた、この学園にはありますから」

「……やはり、そうなのか」

「ご存知のようですね」

「いや、噂を聞いただけだ。桔梗が探っているようだったのでな」

「ええ、私も耳にしています。とはいえベルにも渡していますから、さて……どうなのでしょうね」

「何がだ?」

「いえ、深入りはしませんのでこれ以上は。ともかく――ああ、そうですね。時間があるようでしたら、一度顔を見せに行っていただけると助かります」

「ふむ……そうだな。よくわからんが、いいだろう。場所はどこかね」

「――ここ、教師棟の地下です」

「そこに、何があるのかね」

 忍は微笑む。

 そこは、学園設計時から彼女がいつか使うだろうことを予見したかのように準備され、整備されていた。

「書庫があるんですよ」


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