10/17/18:30――梅沢和幸・え、なんで俺のとこ?

 梅沢和幸が一人暮らしをしているアパートの自室に戻って真っ先にすることは、ステレオの電源を入れることだった。

 アパートであろうとも完全防音システムを導入している物件は多く、例に洩れずここもそうだ。居間をかねた二十畳ほどの部屋には大型のスピーカーが二つ鎮座しており、三角形を描く定位置にソファがある。アンプの類などが少し遠いため、音量を調整するためには立ち上がらなくてはならないが、それも仕方ないことだ。

 スピーカーは市販されていた古い型のものだが、音の出は良い。お気に入りでもあるブルドックが書かれたジャケットのフュージョンを聴いていた和幸は、ソファの横においてある小さなテーブルの携帯端末が点滅していることに気付く。

 着信だ。

 誰からかはすぐにわかったため、ボリュームを下げてから電話に出た。

「お疲れ様です」

『――おう和幸』

 現役の警察官である蒼凰氷鷲ひょうじゅと和幸の繋がりを説明するのは難しい。目指している職種関係だと言えばその通りだけれど、和幸にしてみれば氷鷲の姿を見てその背中を追っているに過ぎない。かといって知人にしては繋がりが薄く、友人では年齢が離れ過ぎているだろう。氷鷲は既に結婚しており、子供こそいないものの、いてもおかしくはない。

『すまんな』

「今日の夕飯の件ですか? 構いませんよ、忙しいんでしょう?」

『鷺ノ宮事件の特捜に借り出されてな。今は少し休憩中だ。食事は、また予定を立てる』

「ありがとうございます」

『そっちの様子はどうだ』

「俺の方は、それほど代わり映えしませんね。それにしても、やはり事件になりましたか」

『ん、ああ。もう随分と巷に流れてるみたいだが』

「そうですね。狩人の初動が早かったでしょう、報道管制は難しいかと――いや、すみません。俺なんかより氷鷲さんの方が詳しいですね」

『気にしちゃいないが……和幸、現場の写真は見たか?』

「見ました」

『どうだ、遊び半分でいいからお前の見解を聞かせてくれ』

「じゃ、あまり構えないで下さいよ。一般論だとでも思って聞いてください」

 しかし、どうしてだろうか。朝もこうして見解を求められたのだが、和幸は己の見解に自信がない。それは情報が足りないという欲求が、もっと違う結論が出るはずだと訴えているからでもある。

「現場、酷いものでしたね。あっと、氷鷲さんは無理なら答えなくてもいいです。ただ原型を留めていたものが一人だけ、ありましたね」

『あったな。とはいえ、片腕と片足はなかったが』

「その失っていた部分、見つかっているんですか」

『まだ見つかってはいない。おそらくこれからも、見つかることはないだろうと俺は勝手に判断してる』

「たぶん、血の海の中なんでしょうね。肉片一つない――と、これはどこかの書き込みで見たんですが、似たようなものですか」

『……だろうな』

「人間業じゃない――それが、俺の見解です」

『確かにあんな状況を人間が作るとしたら、とんでもないな。どこの誰がやったんだか』

「あ、いえ」

 訂正すべきかどうか迷うと、どうした続けろと氷鷲から返答があった。

「いえ――そうじゃないんですよ。どう説明したらいいのか……結論から言えば、犯人なんていないと考えています」

『ん? いない? 犯人が?』

「はい。たとえ話になってしまいますが……ハリケーン、いや大型台風の被害は過去を遡れば、目を瞑りたくなるような状況があります」

『人間業じゃない……か』

「そうです。なんというか、本来ならば人間業じゃないと言う場合は人がそれを行った場合を指しますが、俺の中ではそのままの意味で――人の手で行われたものではない、そんな結論がしっくりきます」

『なるほどな』

「ただ、これが自然現象かと問われれば、返答に困ります。科学的根拠もありませんから」

『それでも根拠を提示しなくちゃならないのが、警官の仕事だ。――すまん、時間だ。だが助かったぞ』

「いえ」

『謙遜するな。和幸の発想は悪くない。その方向でも調べてみよう』

「恐縮です」

『じゃあまたな』

「はい。お先に失礼します」

 出過ぎた真似をしてしまったかと思う半面で、どこか認められたような気がしてこそばゆい。ただし、やはり抱いた結論に対する戸惑いはなかった。

 ――俺がどうこうするって話でもねぇしな。

 見るとディスクは二曲ほど飛ばして三曲目も終わろうとしている。音量を上げようとした手は止まり、考える時間も要せずに一度停止させた。

 ディスクの音楽編集には一種の流れがある。最初に持ってくる曲目にも、終わりにも何かしらの理由があり、一枚のディスクになっているのだ。もちろん中の一曲だけを再生することが和幸にもあるが、その場合はリスニングよりもチューニングに用いる。

 だからといって同じディスクを最初から聴くよりは、違うものの方が良い。ラックに並べられているディスクの背を目で追いながら、サックスジャズを手に取った。

「――ん?」

 高能率スピーカー特有の残留ノイズに混じって何かが聞こえ、振り向く。気のせいかとも思ったが停止したまま意識すると、二度目が聞こえた。

 ノックだ――インターホンではない。

「オーナーか?」

 いや、それならばポストに紙切れを入れておくだけで訪問まではしまい。そもそも、来客ならばインターホンを押すのが筋ではないだろうか。

 ノックの場合は否応なく玄関まで出なくてはならない――その事実に吐息を落とした和幸だが、来客はそれを狙ってやっているのだとは気付かなかった。

「はいよ」

 玄関を開くと、そこに。

 侍女がいた。

「や」

 軽く片手を上げた小柄な侍女姿の久我山紫月は、大き目の鞄を足元に置いて、小さく笑みを浮かべていた。

 紫月と和幸の関係は同級生、という繋がり以外にはない。確かに普通学科に顔を出す時には――今日はいなかったが――とりとめのない会話を持つ間柄であるし、陽炎とも一緒に喫茶店へ行ったこともあったか。

 むしろ、紫月と陽炎は何か繋がりがあるんだろう、と思えるような関係だとは思っていた。それが同じ武術家として、とはわからなかったが、ともかく。

「あー……」

 何を言うべきだろうか。

 問いたいことは山ほどあるのに、順序がつけられず言葉が出てこない。

「あんな、かずやん」

「――ん、ごほん。すまん、どうした?」

「しばらく泊めてくれへんか」

「はあ?」

 わけがわからない。それならば同性を選択すればいいのに。

「待て。いいから待て、ちょっと混乱してる。あーとりあえず、あがれ。そして俺に時間をくれ」

「ほんにすまんこって。あがらせてもらうがー」

「荷物は玄関に置いておけ。えーっとそれで……いや、あーこっちだ」

 居間に案内した和幸は小音量で音楽を流しながら、ソファに身を沈める。瞳を瞑って眉間を指でほぐしていると、何故か隣に紫月が座った。お互いの肩が触れ合う。

 確かにソファは一つしかないのだが、もう少し離れて座ってくれると精神的にありがたいのだが。

「それで久我山――……名前で呼んだ方が良かったんだったか?」

「紫月でええよ。なんぞ?」

「まあいいか。質問がいくつかある、答えてくれ。まずどうして俺のところへ来た」

「聞こえが悪くなっちょるが、まあ都合が良かべさ。うちが住んどった場所やけんども、親がいないけん、間借りしとるんは言っただら」

「以前に聞いてるな。追い出されたのか?」

「家主がな、しばらく空けるけん誰かんとこ行っとけ言うたねん。したっけ、世話んなる人なんておらんがー。ほんでかずやんのこと思い出してのん」

「何で、そこで俺なんだよ……」

「うちが好きだからに決まっとるやんな」

「またそれか」

「冗談じゃあらへんよ?」

「それも、いつも聞いてる。だからって自宅訪問までするか?」

「状況が状況じゃけん」

「……鷺ノ宮事件と関係があるのか」

「んー、そうだのん。関係ねーべや、なんて言えんきに。せやけどかずやんが巻き込まれるとかあらへんよ? うちも巻き込まれへんためにここに来たがー」

「その辺りは詳しく知らねぇが……しばらくってのは、どのくらいだ?」

「うちが実家に帰らせてもらう言う時まで」

「お前な……ああ、まあしばらくは構わんか。どうせ行ける場所も他にねぇんだろ?」

「ありがとうなあ。あ、とりあえずお風呂使わせてくれへん? 朝から遠征で疲れとるがー」

「遠征って……まあいいが。そっちがバスルームだ」

「覗いてもええよ?」

「覗かねぇよ」

「覗いてくれへんのな……」

「覗いて欲しいのかよ」

「そりゃそうや。ほんでも覗いたら、覗くだけじゃ終わらんきに」

「とっとと行け!」

 頭を抱えた和幸は、紫月の姿が見えなくなってからすぐに音量を上げた。

 まったく、日常の疲労が桁違いに増えそうだ。


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