08/14/23:20――五木忍・相応の覚悟

 躰を強く、締めるように。

 袴装束に草鞋、左の腰には一振りの日本刀――銘を百日紅さるすべり。胸に覚悟を、心に決意を、踏み出す足に否定を持って五木忍は稲森神社の階段を登り終え、鳥居を潜った。

 張り詰めた空気の中に侵入したかの如く肌が僅かに強張り、夏だというのに冷気にも似た何かが足元から這い上がる。途端に今までの道に存在していた霧の一切が晴れ、明瞭となった視界の中で階段をおいて奥まで続く通路を見据えた。

――往こう。

 この石畳を伝って本殿へ――その間に存在する一切の邪魔を排除して、日付が変わるよりも前に終わらせる。ただ己の私情を、貫いてみせる。

「何用か――」

 ゆっくりと階段を下りてくる和服の女性が声を放つ。――否、女性を模した式神が、だ。

 稲森にいる式神はどれも妖魔を紙を触媒にして強制的な服従を強いている存在だ。これ以外にも精霊などを式神にする場合もあるが、この場合は該当しない。

「――夜分に何用か」

「五木の者が何用か」

 何用かと、殺意にも似た視線を投げかける同一の形をした式神は四つ、八つ、十二と数を増やして行く。どれもこれも酷似しており、どの視線にも殺意を抱きこちらを見ている。

「何用か」

 どれもこれもを受け止めながら、背筋を伸ばした忍はゆっくりと意識して瞳を開く。糸目だったそれから眼を顕にさせて一歩、足を踏み出した。

「退きなさい!」

 夜空に響く一喝であらゆる殺意を弾き飛ばしながら、腹腔から放つ鋭い声色を飛ばす。

「五木家が当代、名を忍――稲森が当主に謁見を求める次第である!」

「ならぬ」

 しかし、人ならばその声色と言霊に負けて退いてもおかしくないそれを受け止め、式神はそれを往なし否定した。普通の式神ならば強制的に従っても良いのにも関わらず、それを否定できるのは稲森だからこそだ。

 順位付けがあるように、妖魔は上位の者に従う性質を持っている。だからこの場では、式神よりも忍の順位が下になっているわけだが――怯まない。

 怯んでなるものか。

「なれば罷り通るまでのこと。――道を開けよ、路を空けよ」

「ならぬ」

 わかっている。

 ――だから、刀を佩いてきたのだから。

 左手が鍔を押し上げ、右手が柄を握る。

 ざわりと空気が変化し、波立った感覚を振り払い、けれど。

「――兄さん」

 中階段の上、こちらを見下ろす位置に巫女装束の少女がいる。その左右には式神がざっと四十はいるだろうか、まるで式神を使役する御大のように見える少女はしかし、見慣れた顔を持っていた。

 見慣れてはいる。ただ、引き締められた表情そのものは珍しいけれど――それは、忍も、同じだ。

「駄目だよ兄さん」

 その背中に矢筒を背負い、弓を片手に五木舞枝為は言った。

「――何故と、問いましょう」

 動かない、波立たない、波紋すら生じない。

 忍はただその事実を受け止めて退かず、視線を返す。

「何をしようとしてるのかは知らない。でも、こうしないといけないんでしょ? だったら――」

「その勤めを、全うしたいのならばどうぞご自由に。ただし」

 止めてみせる。

 犠牲になる二人を、あらゆる障害を取り除いて助けてみせる。

 当人たちにどう思われようとも、その結果だけは必ず掴み取ると覚悟をして来た。

「もう一度、言おう。――退きなさい」

 初めて、瞳を開き威圧する忍を前にした彼女は――その強さに生唾を飲み、僅かに躰を退いた。

 一歩、忍が足を踏み出す。

 喉の奥に、舞枝為が言葉を飲み込む。だが二度目は退かない。

「そうですか」

 忍は、刀を、抜く――正眼へ。

「ならば、先の宣言通り問答は無用。――当代五木が忍、推して参る」

 精神力と似て非なる燃料は人間ならば誰もが持っている。武術家は主に〝強化〟に特筆した呪術を扱い、故に呪力という名の燃料を使う。一般人がそれを知り、扱うことができないのは、扱う技術を持たないからだと云われている。

 身体強化、武器強化、あるいは空間強化、補強、その手段は多くあるものの、根源的にはやはり強化の一言に尽きる。また魔術などと同様に木火土金水の理に則った属性を個人が持つ。都鳥や五木は木、朧月は金、雨天と一ノ瀬は水。

 そして稲森は。

 式神たちの翳した右手に黄色、金を示す術式紋様が発現していた。中央に文字、二重円、文字円、閉じの円――そこに指向性を持たせない初動に必要な術式紋様は、やがて更に文字円を重ねて閉じた。

 最中、番えられた矢が引き絞られる音が耳に届く。

「兄さん!」

 最後通牒の声――それは、きっと、舞枝為自身に向けられた言葉だろう。残念ながら既に覚悟している忍と、今から覚悟しようとする舞枝為は圧倒的に違った。

 式神の扱う術式は切断――強化とは少し離れた、金属性特有の、木を切る力。殺傷能力のみに強化を与え、物理的な攻撃をするつもりだろう。それは最後の文字円が示している。

 鏃の先は金、他は木。舞枝為の弓も忍を容易く切断する力となって飛来するはずだ。

 だが、それだけのことだ。不明な部分が一切ないのならば、それは既に脅威ではなく、対処の方法は忍の身に刻まれていた。

 故に、前を向き舞枝為を見据えたまま、言う。

 否だ――本来ならば口にせずとも良い。その行為自体に名称はあれど、それを相手に伝える必要は本来ならばないのだが――しかし、忍はそれを言った。言い放った。

「五木一透流一節――〝枯木立かれこだち〟」

 正眼から右脚を前に出すようにして右下へ切っ先を動かし、足元に術式紋様を発動――色合いを緑にしたものの、式神たちが発動しているものとほぼ変わらない。ただしその大きさは中階段の手前まで、およそ半径十メートルの距離に届くほどでかつ、外周の文字円はやはり違った文字だ。

 くるりと、忍の躰が回転するのとほぼ同時に切断の術式が空気までをも切り裂きながら飛来する――ふわりと、再び正面を向いた頃合にしかし、僅かの時間差を置いて刀が円を描き再び正眼の位置に戻る。

 忍を中心にした円が、およそ二メートルほどの高さまで上がって消えた。

「――」

 もう、何も言うことはなかった。

 とっさに何かに気付いてバックステップを踏んだ舞枝為と、紋様の範囲外にいた者以外――その全ての呪術が消失し、式神の悉くが人型を模した紙へと姿を変えて風に舞う。紙の尽くは、二つに斬られている。

 文字通り。

 忍だけが、枯れた中に一本だけ立つ木となった。

 囲んだ雑木など、たかだか三十程度の式神など、――その大木には敵わない。

 五木一透流と謳われる武術は、妖魔に対して最大効果のある非物理攻撃である。物質的な刀を扱いながらも、しかし、それを振るった場合におき、攻撃を〝中てず〟に〝斬る〟という矛盾を現実にする――だからこそ仮初の肉体を傷つけることなく、触媒である紙のみを切断し、現状が在った。

 円運動における水平斬戟の有効範囲を強化したのを含め、枯木立と呼ばれる技だ。

「どうして――」

 言葉が聞こえる直前、忍の顔の横を矢が風切り音を残して去った。

「どうして邪魔をするの!?」

 正眼のまま一歩。己の中の何かがごっそりと抜け落ちた感覚を歩みで振り払う。

「お務めだって――どうしようもないでしょ!? だってやらなきゃみんなを助けられない!」

 二歩、三歩。

「だからあたしは」

 四歩目、僅かに見上げる格好になった舞枝為と視線を合わせ、忍は一度深く瞬きをすると刀を納めた。

「あたしは――」

「――恨み言は、私が生きていた時に」

 五歩目は、踏み込み。たかが三間の距離など高低差を含めたところで逃げ切れる間合いではなく、全ての型が正眼から始まる五木一透流の中に――抜刀、つまり居合いに派生するものがないわけではなかった。

 残った式神と一緒に舞枝為を斬った。間違いなく、忍は忍の意志で妹をこの手にかけた。

 やはり抜き放った刀は正眼、それから本当の意味での納刀を済ませる。――鍔鳴り、二倍の数になった紙が風によって飛ばされて行く。

 もしも、五木一透流を人に向けたら、どうなるか――倒れようとする二ノ葉を受け止め、鋭い視線を周囲に走らせる。

 結果はこうだ。呪力を、魔力を――その燃料を切断し、ひどい消耗状態に陥らせながらも肉体は無事という現実を引き起こす。

 舞枝為の重さに、ふらりと倒れそうになった忍は一歩を引いて堪える。は、と口から洩れた吐息は熱く、疲労を感じさせられた。

 たったこれだけのことで。

 ――呪力を消費し過ぎましたね。

 だがそんな己のことよりも。

「遅れたかしら」

「瀬菜さん」

 鳥居を潜り、巫女装束の瀬菜がこちらへ近寄ってくる。腰の裏には小太刀――元来ならば刃を上にして佩くところをしかし、刃を下にしている。これは抜刀時に逆手で柄を掴み、真下に抜くことを前提としているためだ。

 あるいは、一ノ瀬流小太刀一刀流そのものが、小太刀をあまり使わず両手を開けておくことを念頭としているのかもしれない。

「……そう、やはり斬ったのね」

「お願いします」

「ええ。瀬戸際ならば、最初の瀬で留めるのが一ノ瀬が一ノ瀬である所以よ。私の呪力と同調させつつ、流し込めば危機は脱するわ。往きなさい、二ノ葉を頼むわよ」

「はい。式神にお気をつけて」

 走り出した忍から視線を切り、そっと舞枝為の躰を横たえる。頭の支えはないが、石畳から芝の方へと移動したため必要はないだろうか。手ごろなもので代用――否だ、それよりも急く必要がある。

 呪力や魔力とはいわば燃料だが、しかし、たったそれだけでぴんとくる人間は少ない。それは呪術を扱うための燃料でもあるが――こう言い換えればわかり易いのではないだろうか。

 労力そのものだ、と。

 体力や精神力とは、目に見えるものではない。労力を失うというのは、体力や精神力を減らすものである――が、しかし、一晩眠ったり気分転換によって養われるように、それらは自然に回復するものなのである。日数に関しては個人差はあるけれど、疲労も過ぎれば回復が追いつかず死に至る。

 端的に言えば、つまるところ呪力を根こそぎ切断された舞枝為は――疲労の極地にあると言っても良い。

 雨天が雨を呼ぶように。

 都鳥が風を呼ぶように。

 一ノ瀬は――ただ、一つ目の瀬を担う。

「すぅ――」

 空気によって胸を膨らませ、右手を舞枝為の腹部に当てて術式紋様を展開する。中央の文字を舞枝為の肉体に埋めるように、一円、次いで文字円、二重閉じ円の外に更なる二重文字円、そして最終の円で閉じる。

 色は、――水と同じ青だ。

 霧のような青、海のような蒼。

 ここにはいない誰かが頭を過ぎり、しかし右手に集中する。集中しなくては、――集中しよう。

 第一に術式確定のために必要な呪力の流れと、舞枝為へと流れるものとの区別を明確にする。心臓が二つある印象を想像し、二つの鼓動から流れる血液を別のものと捉える。更にそこから舞枝為の心臓を把握し、可能な限り流れる速度を同一化させた。

 時間がかかればかかるほど、瀬菜の呪力消費は大きくなる。

 一度枯渇した呪力は回復しようとしない。疲労、つまり労力にも度合いがあり、自然回復できる疲労ならば良いが、それを過ぎると病院での治療が必要になったり、あるいは衰弱して死に至ることもある。忍は元より覚悟の下、たった一振りで舞枝為の呪力を八割がた奪ったようだ――これでは自然回復はせず、時間の経過と共に死へ向かうだけだ。

「ふっ」

 瀬菜と舞枝為の呪力が馴染むのに六十秒。元来ならばその個人における性質を変化させることができない呪力を、瀬菜は〝呪術〟によって変化させ、〝呪術〟によって舞枝為の肉体へと送り込む。

 三つの過程にそれぞれ術式を利用するため、瀬菜の消耗は激しい。それこそ一秒が命取りになりかねない、実に精密かつ速度の勝負だった。

 けれど、引き受けたのだから最後まで全うしなくては。

「――、ッ」

 呪力の流れる経路を確定させるための文字円が一つ増えて閉じ、しかしすぐに内側の一つが消失して元の大きさを保つ。消えない一番内側の術式文字は、呪力を送り込むためのものだ。

 そして、後は程度を見極めることに全力を注ぐ。これに失敗すると双方の命に関わる。

 たとえば瀬菜の呪力を十とすれば今の舞枝為は一くらいだろう。この天秤が五と六になれば瀬菜の自然回復力を下回るだろうし、逆になれば舞枝為は自然回復しようとしない。均一にするためには舞枝為の容量と瀬菜の容量を天秤にかけ、そこから術式への呪力消費も換算し、それこそ間違いなく公式もない計算式を成り立たせなくてはならなかった。

 額を流れる汗を拭うこともなく、一心不乱に術式を成立させる瀬菜は、しかし、周囲が見えていなかった。

 気付いたのは、意識に余裕が生まれた時だ。

 ――妖魔が、いないわ。

 同一の工程をしばらく続ければ良い段階にまで達し、ふと顔を上げて瀬菜は周囲を見る。紙切れは未だに残りを見せつつも風に流され――しかし、懸念した外部にいる妖魔の存在がそこにはなかった。

 式神としての妖魔には手が加えられ、つまり稲森が自由に操れるようにはなっているが、妖魔という本質まで変化しているわけではない。五木神社のように神社の敷地が既に結界となっているため、妖魔が入り込むことを拒絶していてもおかしくはないが、それでも――忍や瀬菜がここに入り込んだ時点で結界は破綻していると考えても良い。

 だから、外にいる妖魔でも第三位くらいになれば強引に入ってこれるし、這入ってくるはずなのだが――。

「――」

 生存が可能な範囲での術式を終えた直後、まるでそれが終わるのを待っていたかのように。

 まるで散歩をするよう、物珍しそうに。

 鳥居を見て、庭を見て、石畳を見て、こちらを見て。

「よォ」

 そう気軽に言う、金色の髪飾りを揺らす青色がそこにいて。

「落し物を見つけたからよ、報告にきたのよな、これが」

 ちりんと、髪飾りが音を立てた。


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